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第19話


 すっかりと夜になった島の気温は肌寒い程だった。

 結局私は、敬遠していた実家に宿泊する運びと相成ってしまっていた。私達は今、教主殿の広い庭を隔てた先にある、離れに案内されている。

 十年ぶりの景色と一緒に私を出迎えたのは、教主殿で家政婦をしている船越頼子ふなこしよりこさんだった。

「あらあら、唯ちゃん。ほんなこて久しぶり……元気そうで良かったぁ」

 標準語にやや長崎方便の入り混じる独特なニュアンスの言葉遣いを耳にすると、あの頃の記憶がフラッシュバックした。目尻にシワの寄る程の垂れ目はあの頃のままで、この人は余り印象が変わっていない。今は五十代になる筈だが、鼻筋のシワが少し深くなった程度であろうか。記憶にある頼子さんは基本的にいつも白の割烹着を着て髪を後ろに纏めていたが、それは今も変わらない様だ。

「それでアナタが……」

 頼子さんの視線が向かうと、白沢は一度咳払いをしてから、嬉しそうに胸を張った。

「初めまして。探偵の白沢榮治しらさわえいじです」

 心地良さそうである。探偵にこだわるその虚栄心はなんなのだ。

 頼子さんは微笑んで軽く会釈をした。

「団十郎さんから話しは聞いとります。嵐は夜中の内に去るそうですから、明日は朝食ば済ませてから帰り支度をして貰うようにと言われとります。朝早かですが今晩はようお休みになってください」

 そう説明を受けながら私達は居間へと通された。全て黒塗りにされた趣味の悪い教主殿と比較して、こちらは幾分普通の古民家なのでまだ落ち着く。しかし当然ながらテレビはおろかラジオさえ無い。この離れには固定電話さえが無い有様で、当時からこの島で暇を持て余した事を思い出して来た。娯楽といったら何かを食べたり本を読んだりする位だろうか。今ではもう考えられない生活だった。

 座敷机の前に並んだ座布団を勧めながら、頼子さんは私と白沢に順に微笑み掛けた。

「十年ぶりの帰省だって言うとに、追い出す様な真似ばしてごめんなさいね。団十郎さんは唯ちゃん達が再誕の儀式ば邪魔するやなんて思うとーごたばってん、そがん真似はせんわよね。島んみんなもそがん風には思うとらんから安心してね」

 言葉遣いは優しいが、やはり窺うような視線を感じる。この人もまた父に私達を警戒する様に言われているのかも知れないと思った。

「お風呂は沸かしとりますから好きに入ってね。押し入れに布団が一式あるけんね。ああそれと急やったけん大したものは準備出来なかったんだけれど、今夜は鹿鍋にします」

 慌ただしく言いながら頼子さんは席を立ち掛けた。母屋の方の家事もこなさなければならないので忙しいのだろう。私は父が全く家事をしない人だった事を思い出していた。

 部屋の隅にボストンバッグを置いた白沢は座布団に沈み込みながら頬を緩ませていた。

「鹿鍋、それは珍しい。あの山で獲れた鹿かな。素晴らしい郷土料理じゃないか唯くん」

「ああはい……」

 こうしていると、ただただ田舎に帰省しに来たかの様な錯覚に陥りそうになる。しかし脳裏には未だ累ちゃんの膨れた腹の事がこびりついてもいる。

「それじゃあごゆっくり。団十郎さんも顔くらい見せに来れば良かとにねぇ」

「やめてください。考えただけで胸焼けします」

「あらあら、団十郎さんだって本当は唯さんが帰って来てくれて嬉しかとよ? 大事な一人娘なんやけん」

 そう言われたが、考えるだけで寒気がした。十年経っても父はなに一つ変わっていなかった。いやむしろ悪化していると言った方が良い。信仰を第一にしたあの考え方。頭から押さえ付けるかの様な有無を言わせぬ物言い。考えるだけで嫌だ。

 頼子さんが背を向けていった所で白沢が口を開いていた。

「頼子さん。唯さんは一人っ子なんですか?」

 間の抜けた問いだった。そうだと私が何度も言っているのに、この男はいま改めてなにを聞いているのか。しかも当の本人である私が隣に居るのに、だ。

 片眉を下げた家政婦が首を傾げながら振り返って来る。

「ええそれはそうですけれど、なしてそがん事を聞くとです?」

「今の話で団十郎さんには跡取りがないと言っていたので、いま現在もそうなのかなと思いまして」

「ああ、こん十年間の間に子供ばこさえとらんかって事? そりゃもう、そがん元気なかとですよ」

 頼子さんは今度は手で口元を隠す様にして笑いだした。

「それに――」

 そして俄然色めき立つかの様にして目の色を変えると、立ち掛けていた膝を再び畳に着きながら、机に身を乗り出して白沢へと好奇の目を覗かせ始めた。

「知っとります? あんまり島ん事ば話すな言われとるけん少しだけやけど……」

 しまった。この人は大の噂好きなのだ。中でも痴情のもつれやそういう類の話が好きで、何度頭を悩ませたかわからない。私はそれをすっかり忘れていたのだ。

「団十郎さんはね、実は子供が出来にくい体質らしいと。不妊症って言うんよね」

「ほうほう」

 まるで近所のおばさんの井戸端会議に招かれるかの様に、白沢は手招きされるまま頼子さんに耳を傾けていた。

「それでもやっぱりあん人も跡取りが欲しいじゃない? 狭い島での事だから一族を繁栄させたいっていう思いが強かとよね。それでも中々出来なくってね。あん人こん島に来た当時から教祖様ん側近やったし、こん島の所有者じゃない? お金も権力もあるから何度も相手を変えて気張ったんですって」

 頬を赤らめた頼子さんは楽しそうに言うと、黙している私を横目で認めて、あっ、と声を漏らした。父の情事など聞きたくは無かったが、逆に感慨もないので今更気を使う必要はない。私はどうぞ、と言ったつもりで手で示した。

 するとまた火の付いた様に頼子さんの口が回り始めた。普段から教主殿に下宿しているから話し相手に困っていたのだろうか。実に調子良く口が滑っていく。

「それでようやく子供ばこさえたのが繭子まゆこさん――唯ちゃんのお母さんなの。男の子が欲しかって言いよったみたいだけど、産まれたんは女の子やったと。それで……」

 頼子さんの視線が再び私の様子を窺う。まどろっこしい。私はもういたいけな少女でも無いんだからあった事実を語るのに慮る必要はない。

 私は頼子さんの言葉を継いで白沢に説明する事にした。

「前にも言いましたけど、母は難産で私を産み落とした時に亡くなってしまったんです」

「そそ! でも相性が合うのは繭子さんだけやったみたいでね。それっきりめっきり子宝に恵まれんで、結局団十郎さんもいい歳やけん跡取りの事は諦めたみたいなんよね」

「ふぅむ。島の外の人間としか子宝に恵まれなかったのは皮肉ですね。団十郎さんもお辛かったでしょう」

 なんでもない事の様に言って、白沢は顎を撫でていた。

 私と頼子さんの視線が呑気そうにした白沢へと集まる。

 目を丸くしていた頼子さんは、驚く様にして問い掛けた。

「私、繭子さんが島外の人間やなんて言ったかしら……ああ違うか、唯ちゃんが話していたのね」

 私は黙した。

「あっ、もうこがん時間」

 頼子さんは壁掛け時計の時間を見やり、食事の準備をして来ると言って足早に退散していった。

 二人きりになった室内に、夏の虫の音が聞こえて来る。キィキィキィと鳴くコオロギと、リーンと響かせる鈴虫の声が渾然一体となって響き込んでいた。

「話していません」

 私はこの男の洞察力に驚かされながら、どうして私の母が島外の人間だと知っていたのかを詰問する。

 白沢は実に面倒くさそうに、座卓に頬杖を着き、よれた前髪を指に巻き付けながら言った。

いわおのお爺さんが僕を連れて来たキミに言っていたじゃないか。親子だねと。あれは親子揃って島外の人間と結ばれるのか、という意味で言ったのだろう? 年の頃からして団十郎さんの当時の事も知っているだろうし、島に帰化するなら島外の人間との婚姻も許されると言っていたじゃないか」

 何がわからないんだ? とでも言い出しかねない口調である。

 白沢は今度は背を丸め、胡座をかいた膝に片肘を着くと、その指先で眉間を揉みながら下を向いた。

「それにしても、島の外の人間と――穢れとの間に産まれた子か……」

「なんかその言い方嫌なんですけど」

「ふぅむ」

「言っておきますけど、母の事はこれ以上聞いても私からは何も出ませんからね。以前言った様にこの島の人達は私の母の話をしてくれないんです。だから私もいま頼子さんが話してくれた内容以上の事は知らないのです」

「そうだったな、それもおかしな話だ」

 白沢は私をおちょくって遊んでいる風でもなく、何やら考えている様子だった。先程から少し髭が伸びて来た顎をジョリジョリと撫でながら、思案投げ首している。

 ――そんな事よりも先生。

 そう口火を切りながら、私は頭の上で掌を組み合わせて、畳の上に仰向けに転がった。頭上に灯った古い蛍光灯の囲いの中で、蛾が力尽きて死んでいる。

「累ちゃんのあのお腹は……一体何がどうなっているのでしょう。あのお腹の中には間違いなく何も入ってはいなかった。それなのに母体として正常に体の変化を遂げている様でした。まるで本当に、あのお腹の中の子が別の所で育っているみたいに」

「そんな事はありえない」

 わかっていますよ、と流し目で見やると、キミのその目は父親譲りだったのだな、と言われたので視線を外す事にした。むかつく。

 別に暑い訳でも無かったが、頭の先にあった扇風機の電源を入れた。程なく青いプロペラが音を立てて回り始める。

「胎児不在の妊娠に、島ぐるみでの陰謀……結局憂慮していた事態が現実になってしまいました。まさかこんな事など起こり得ないと思っていたのに」

 累ちゃんのお腹の中には、菊織ちゃんの言う様に本当に何もはいっていなかった。けれどもそのお腹の中にいるという神様の子の出産――再誕の儀式を、島の人達は何やら心待ちにしている。

 果たしてあのお腹から産まれるものとはなんなのか……。

 いっそ目には見えない神様の子が本当に産まれるのだと信じられたら、私もこの苦悩から解放されるのだろうか?

 ――そうか、わからないから。

 わからないからこそ、そこに神秘という形を与えて、この島の人はその現象を享受しているんだ。

 それはいつか白沢から聞いた怪奇の成り立ちと全く同じだと気付いた。

だよ、唯くん」

 白沢は言った。

「累ちゃんはね、この島の人間達からをかけられてしまったんだ。だからあの腹は、この島の信仰がかけた呪いによって膨れてしまっている」

 一見すると白沢は荒唐無稽な事を言っていたが、この男が決して超常神秘に論を逃げない事を私は知っていた。

 そしてこの男は妙な事に、それらを至極現実的理屈に収めておきながら、それでも呪いも妖怪も神も存在するのだと、そう言うのだ。

「頭が痛くなってきますよ〜」

「怪奇というのは認識の問題なんだ。蓋を開けてみれば何も不思議な事はない」

 横に転がり座布団に頭を沈め込んだ私は、白沢の言を静観する事に決めた。訳のわからぬ事が立て続いて、もう頭が破裂しそうだった。 

 ……残念ながら今回も怪奇探偵の出番のようだ。

 ならば今回も、この探偵は解き明かしてしまうと言うのだろうか。

 いま巻き起こっているこの怪奇さえも。

 私はそれに期待した。


 夕食が届くまで、少し眠る事にした。


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