第17話

  *


「何故がこの島の土を踏んでおる。誰の許しを得て?」

 紫色の袴に白衣姿の六十代も半ばに差し掛かる男が私達の前に佇んでいた。背の低いガマの様な顔をした父は肥えた腹を突き出し、気の強さを窺わせる吊った眉はまだ温厚な形をしていたが、私はその表情が即座に豹変してしまう事を知っていた。

「一体何を嗅ぎ回ってる。我が教義と巫女については部外者であるお前達には何の関わり合いもないことだ」

 突如と現れた教主の姿に姉妹はたじろいでいる。

 すると次の間より姉妹の叔母が顔を出し、貼り付けた様な笑みを携えながら二人の腕を掴んで次の間へと消えていってしまった。

 あれから十年の月日を経て教主としての威厳を増した様子の父は、すっかりと白髪になった頭をかき上げながら私と白沢を一瞥した。

 私はその場に立ち上がり、忌まわしい男に向けて険のある声を返していた。

「私は一応、戸籍上は天海家の人間です。私の客人が、この地に足を踏み入れる事に何か問題が?」

 白目の黄色く濁った瞳が私を一瞥し……ピタリと止まった。

 少し口籠った様子の父の取って代わる様に、背後に控えていた男が口を開いた。

 父と歳の頃を同じ位にする男――教主の側近であり織部診療所の医師である織部志野おりべしのだった。異様に鼻が高い。鷲鼻である。若い頃は幾分二枚目で鳴らした風格があるが――この目がいけない。細く媚びる事のない陰気な三白眼は、まるで蛇の如しである。

 彼は伸びっぱなしになった白髪を後ろに纏め、前を開いたコート型の白衣の上で、痩せこけて浮き上がった頬骨をゆっくりと上下に動かしながら話し始めた。

「崇高なる役目を与えられておきながら、十年も行方をくらませていた小娘が何を言っている。お前は信仰を捨て去った背教者だ。御託を並べ立てる前に自らの卑しい身分を思い出してみろ。島を離れたお前は既に穢れなのだ」

 相変わらずの鉄面皮の上で、蛇の鋭い瞳が薄闇に輝いていた。この男もまた変わらない。普段は滅多に話さない癖に、口を開けば火の付いた様に、神だ信仰だとのたまう狂信者なのだ。それもわざわざ鼻に付く様な嫌な言い方を選んでいる。嫌な男だ。

 そんな男の二の句を継いだのは父だった。 

「そういう事だ。お前は信仰を捨てて勝手に島を出ていった巫女だ。何処で野垂れ死んでいようと知った事では無いし、とうに勘当している。二人ともすぐにこの島から出ていけ」

 二人の視線に萎縮しそうになった私だが、姉妹の事を思い毅然と言葉を返す。

「待ってください。累ちゃんを一体何に利用しようとしているんですか、もし彼女の身に何かあったら」

 その問いに答えたのは、瞳を苛烈に剥き上げながら勢いを盛り返していった父だった。

「利用? わしはただこの島で身籠った巫女を介抱しようとしとるだけだ。それは普通の事でおかしいのはお前だ。姉妹にいらぬ事を吹き込むな、今はマガツ教の悲願を前にした大切な時期なのだ」

「嘘よ、累ちゃんのお腹の中に何もいない事はわかっているのに、どういう訳かアナタ達は島ぐるみで結託し、差し替えた胎児の成長過程のエコーの映像や心音まで聴かせて、彼女に妊娠しているという事実を偽って教えた。何か得体の知れない怪しい儀式に累ちゃんを利用する為に!」

 織部は父に視線を寄越しながら肩をすくめている。

 父の瞳が暗く陰鬱なものに変わり始めていると思ったのは、この薄闇のせいだけではない様な気がした。

 私はそのまま勢いに乗せて続ける。

「一体何を、姉妹を使って何をさせようとしているのよ! これは人の道に反したあまりに恐ろしい行為だわ!」

 絶叫にも似た声は、山間にこだましていく様だった。

 私の熱量に対抗する様にして声を荒げたのは、織部だった。

「神に背いたのは貴様だ! 今更マガツ教の信仰にあれこれと口を挟んで何のつもりだ!」

 織部の厳しい口調に私は視線を返す。父の態度も以前変わる事は無かった。頑として私の意見に耳を貸さないつもりだ。

「話す必要はない。累は子を産むだけだ、そういう使命なのだ。お前達には何ら関わりない、さぁ帰れ。手荒な真似をしないうちに」

 次に父の品定めするかの様な目付きが白沢へと向かう。

「婿入り様子などと聞いていたが、やはり違う様だな」

 すると白沢はあっけらかんと虚偽を認める言動を見せた。

「申し遅れました。僕は白沢榮治しらさわえいじと言うもので、怪奇探偵をしています。娘さんにはうちの事務所で働いていただいています」

 すると父の目が嘲笑の色を秘めて歪んだ。

「探偵、それも怪奇探偵だと? 聞いたか織部、わっはっは、それは酔狂な。それでこの島で何か怪奇事件はありましたかな? 先程呪いだ何だと妙な事を言っていた気がしたが」

 呪い。確かに白沢は先程そう口にした。しかしこの男の助手をして、私にも彼が口にした事の意図する所が掴めないでいる。

 しかし白々しい。

 これが呪いかどうかはさて置くとして、父の怪しき信仰が累ちゃんを利用して何か得体の知れない儀式をしようとしている事はわかっているのだ。

 しかし白沢は外国映画の様な大胆なジェスチャーで肩をすくめながら首を振った。

「いいえとんでもない、事件も呪いも起きていませんよ。僕も辟易しているんです。アナタの娘さんが何を邪推しているかは知りませんが、僕はあの閉ざされた島に急ぎ帰省するという唯さんに漬け込んで、この島を見て回りたかっただけなんです。そこで婿入り養子という嘘までついて貰った。僕には民俗学者としての顔もあるのでね。この島が全ての研究者にとって憧れの島である事は理解されているでしょう? つまり僕は、探偵としてこの島に訪れたのではありません」

 父に取り入る様な言動をして、白沢は一体何のつもりであるのか。

 すると父の不敵に微笑む様にした返答がある。一応は敬意を払うかの様な口調に変わっていた。

「御用向きはそういう事でしたか。しかし困ったものだ。ご存知の通りこの鈍島は天海家の、ひいてはわしの私有地となる。許可なく立ち入る事は当然不法侵入罪になる訳だ。鎖国島でなら日本国憲法が適応されないとでも思ったか。はっは、となるとアナタ自身が事件を一つ引き起こしてしまった訳だな、探偵さん」

 嘲笑うかの様な口調である。

 脂ぎった頬を撫で上げながら言う父に、白沢は平身低頭とした。すっかり小物の様相であるが、本来この白沢は傍若無人で大胆不敵な男だ。となるとこれは何かしらの思惑があっての事に違いないと私は気付いてくる。なので私は歯噛みし、熱くなった頭のまま喚き出しそうになっていた自分を律する事に努めた。

「いや仰る通り面目丸潰れです。この島を訪れるまたとない機会に本分を忘れておりました。私としてもこの様な方法でこの島を訪問する事は避けたかったのですが……」

「フンっ」

 嘲る様な織部の失笑の後に、父もまた白沢を見下す様な表情になった。

「すぐに帰っていただければ罪には問わない。縁を切ったとはいえ娘のしでかした事だ。もっとも、ここでの記録は全て消去して頂きますがな」

 父の指先が白沢の胸に下げられたカメラを指し示す。

 白沢は深々と頭を下げたが、

 ――ところで、

 と言いながら、頭を下げたそのままの姿勢で、やや視線を父へと向ける様にした。

「この島への立ち入りを禁じるのにはどういった理由があるのですか?」

「宗教上の理由だ」

「世間では何かやましい事があるのでは無いかと囁かれていますが……」

 伏せ目がちにした白沢に、苛烈にものを言ったのは、織部である。

「マガツ教に限ってやましい事などある筈がないだろう!」

 目を剥き始めた男に同調する様に、父は首を振りながら言う。

「とんでもない。世間様が勝手に触れ回っている様なやましい事などある筈がない」

 すると白沢は父と織部の表情をしかと見渡し、

 なるほど。――やましい事は無い。

 とわざわざ繰り返す様にした。

 そして次に白沢は、次に私の肩に手を置いて帰るぞ、と促した。

 私は困惑し、白沢に耳打ちする。

「累ちゃんを島の外のお医者さんに診せなきゃ駄目です。まさか本当に帰るつもりじゃないでしょうね?」

「心配するな。毒を打ち込んだ。そしてキミが切り札にしているであろう、警察にこの島の実態を話す、という脅し文句は胸の内に仕舞っておいてくれ」

 ――毒を打ち込んだ、とはいったいどう言う事なのだろう。

 私は訳もわからぬまま、不承不承と彼の言う通りにする事にした。

 

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