小説家になるために
田島絵里子
第1話
小説家になるために
毎日を丁寧に
『小説を書くためには、毎日を丁寧に生きなければなりません。そして、その日常の一瞬一瞬に潜む物語の種を見逃してはいけません』。
と、文藝春秋元編集長高橋一清先生は、一年前から受けている講義の中でおっしゃいました。その言葉は、今でも心に深く刻まれています。
数年前におとずれた美術館でのピーター・ラビットの展示では、作者ベアトリス・ポターさんが、ウサギを描くのに解剖学まで学び、実際のウサギの骨格や筋肉の構造を徹底的に研究したとありました。ふしぎに思いました。ウサギひとつ描くのに、そこまでする。なぜなんだろう。
わたしの知っている有名人では、宮崎駿先生やこうの史代先生などがおりますが、そういう超有名人たちはアニメや漫画をひとつ描くために、いろんな資料を当たったり、取材旅行したりしています。
(絵や小説を描く人って、ほかにやることがないのかな)
「取材する」ったって、旅費や取材時間、食費などもかかりますし、わたしなんか貧乏人ですから、ドイツのロマンチック街道に行きたいなんて思っても、ぜったい行けない。
エッセイでも小説でも、図書館で借りて済ませちゃう。インタビューだの現地調査だのどぶ板めぐりをせずに、毎日の家事のみに専念する。つらいことを楽しむのがプロだという人もいますが、つらいものはつらいんだからしょうがない。
とは言え、このままでは小説が書けない。わたしも毎日の生活を丁寧に解剖しようと決意します。些細な出来事の一つ一つを、まるで顕微鏡で覗き込むように観察しよう。そしてそれを楽しんでみよう。性格は、よく言えばおおらか、悪く言えば大雑把だとか言われていますが、少しは注意深くしようと思ったのです。さて、わたしに細かい観察ができるでしょうか。生兵法は大怪我のもと、初歩的なことからやってみましょう。
朝の風景
実際に観察を始めてみると、起こる出来事が自分の思っているイメージの範囲内を出ていないことに気づきました。少し残念なことでした。
朝、目覚めの瞬間から観察を始めます。起きて歯を磨いて薬を飲んで、小粒納豆のケースに入った豆を丁寧に百回かき混ぜ、からしと細かく刻んだ葱と特選の大豆しょうゆをたらし、つやつやと輝く白米の上に、まるで宝石を載せるように盛り付けます。
納豆特有の深い発酵の香りにむせびつつ、朝一番に作った出来たてのワカメのみそ汁を、湯気と一緒に一口すすります。
しょっぱくて深みのあるみそと、独特の旨味を持つ発酵した納豆の味が口の中で不思議なコラボレーションを奏でます。
そして六等分した真っ赤な林檎と、熟成したチーズを食しながら、ふと思います。こんなに発酵食品ばかり食べていて、もしかしたらわたしの身体の中も発酵が進んでいて、そのうち身体中がカビだらけになってしまうのではないかしらと、悩むんですね。
チーズもみそ汁も納豆も発酵食品として知られていますが、それぞれの味わいがこれほどまでに異なっているのはなぜなのか、という素朴な疑問が心に浮かんできます。しばらく考えを巡らせてみると、それぞれの食品の発酵過程にかかわる微生物の種類が異なっているという、当たり前と言えば当たり前の事実に思い至ります。そしてそれらの微生物が何世代にもわたって生き残り、独自の特性を持つように進化を遂げてきた背景には、長い間の人間の干渉があったことも見逃せません。このような考察から、さらに興味深い思索が広がっていきます。
では、自然界における進化の過程にも、何らかの意図的な介入が存在するのでしょうか。人間が管理してきた里山のような環境における生物の変化は、人為的な介入の例として挙げることができます。
しかし、人為的ではない、たとえば太古の恐竜が現代の鳥類へと姿を変え、類人猿から二足歩行する人類が誕生し、さらには昆虫や動物、植物、微生物に至るまで、地球上に存在する生命の驚くべき多様性は、単なる自然の偶然の産物とは考えにくいものがあります。
わたしは考えます。進化のための遺伝子って、基本、物質です。たった四つの塩基なのに、どうして環境に適応出来るんだろう? どうして親子は似ているのに違うんだろう? 一卵性双生児の性格が違うのは何故? この深遠な問題について考えると、「自然は不思議だ」とか「自然は偉大だ」といった、ありきたりな表現では到底言い表すことのできない、驚異を覚えずにはいられません。
ともかく朝食はこのように、いつものとおりいつものごとくで、特別な変化はそれほどありません。それでも、その中に何か発見があるのではないかと期待してしまいます。
ジム通いでのハプニング
午前中は、主治医からの厳命である減量のために、ジム通いをしています。
「平服でジムに行けますよ!」
テレビコマーシャルでそんなことを言っています。
それによると、カラオケや洗濯機も用意されているのだとか。
ジムで歌を歌ってどうするんでしょうか。そしてカラオケにはどんな曲が用意されているのでしょうか。
たとえば『天城越え』を歌いながら、運動するとか(エロい)。
通っている人から体験談を聴くのがいちばんいいのでしょうが、残念ながら知人にそんな人がいません。
それに、体験者の動画によると、カラオケのあるジムは少数派なのだとか。
合唱サークルに入るほど歌が好きなわたしとしては、残念な話です。
歌がなくともWi-Fiが利用可能なんだから、ラジオが聴けると気を取り直しました。
ジムの中には、ウォーキングマシン(フィットネス業界用語でトレッドミルと呼ばれています)をはじめ、背筋を鍛えるためのマシンや腕の筋肉を鍛えるための器械などが整然と並んでいます。わたしはトレッドミルで足を鍛えることに。
ジムで運動する人々は皆、黙々と自分の体を鍛えることに集中していて、周りの人と雑談をする様子は一切見られません。なんだか少し窮屈な雰囲気です。運動しながら誰かと楽しくコミュニケーションを取りたいわたしにとっては、この静かすぎる雰囲気が少々物足りなく感じられます。
この分だと、カラオケのあるそのジムも、歌っている人は少ないかも。
トレッドミルは、窓際に四つ並んでいます。さっそく近づきました。持参したタブレット内にあるNHKアプリ「らじるらじる」を聴くことに。イヤホンを装着して運動します。ちなみに、その日のラジオ番組では微生物の働きについて、専門家がインタビューに答えており、酸素を嫌う菌が体内にいることや、生きたまま腸にとどくビフィズス菌は、選抜されていると言った話をしていました。中でもインパクトがあったのは、四百年ものあいだ、ずっと保存されてきたクサヤの液体の話。塩が貴重だった昔の知恵が詰まっている、とその専門家が申しておりました。遺伝子の不思議。これは、ネタに使えるかもしれません。
そんな話に完全に気を取られてしまい、運動に集中できていなかったせいか、不意にイヤホンがはずれてしまいました。困ったことに、イヤホンは走り続けているトレッドミルのベルトコンベア上にそのまま落下し、床の方へと運ばれていってしまいます。突然ラジオの音声が途切れ、焦ったわたしは反射的にその場で立ち止まり、イヤホンを拾おうと身を屈めました。
「がつん!」
やってしまいました。動き続けるベルトコンベアに足を取られ、トレッドミル上でバランスを崩して転倒してしまったのです。わたしは恐ろしい勢いで回転するベルトコンベアに巻き込まれそうになりながらも、必死の思いで床まで手を伸ばし、なんとかの思いでイヤホンを取り戻すことができました。
ところが、この時点で致命的な判断ミスを犯していたのです。そう、トレッドミルの電源を切るのを完全に失念していたのです!
慌てて停止ボタンに手を伸ばそうとしたわたしは、またしてもベルトコンベアに足を取られ、今度は勢いよく床に顎を打ち付けてしまい、痛々しい怪我を負ってしまったのでした……。
なんど転んだら気が済むんでしょうか。この問いかけは、わたしの人生における転倒の数々を思い返すたびに浮かんでくる疑問です。自転車に乗っていたときだって、右に曲がろうとして路側帯の歩道の段差に車輪を取られて派手に転んだり、まっすぐな道でなんの障害物もないのに突然バランスを崩して転んだり、本当に数え切れないほどの転倒を経験してきました。中でも特に危険だったのは、渡っていた踏切の中で転んでしまった、まさにその瞬間に警報機が鳴り始めるという、想像しただけでも背筋が凍るような事態になったこと。その時は、まるで運命の導きのように、たまたま通りかかった長髪の美女がわたしを素早く助け起こしてくれたのですが、もしもその方の機転の利いた行動がなかったら、わたしはいまごろ、確実に生きていません。
このトレッドミル事件が起きたのは、初冬のころでした。いかつい男性が、のそのそと近づいてきて、わたしを助け起こしてくださいました。こんなことは特別なイメージの範囲を超えるものではありません。むしろ、そういった些細な失敗も含めて、日々の生活の味わいなのかもしれません。特段、面白いことでも珍しいことでもありません。運動を終えたわたしは、いつものように自転車に乗って、夕飯の材料を買いに出かけます。
頭の中は、疑問でいっぱいです。わたしの運動神経は一体どのような状態になっているのだろうか。日頃からトレッドミルで運動をしているにもかかわらず、なぜか足の動きがぎこちなくなってしまったような気がします。医学的には、使わない筋肉は徐々に衰えていくと言われています。もしかしたら、わたしのバランス感覚や協調運動の能力が、知らず知らずのうちに退化してしまっているのではないでしょうか。この不思議な現象を科学的に解明するため、自分の遺伝子を詳しく分析して、その謎に迫ってみたい。
考えてみると、大豆やトウモロコシなどの作物に対する遺伝子組み換え技術が確立されており、その研究も着実に進んでいます。人類が生命の設計図とも言える遺伝子の謎を完全に解き明かす日も、そう遠くない将来に訪れるかもしれません。
そのうち人類は、フランケンシュタインを生み出すかも知れない。
午後からの困難
午後からは楽しみにしていた創作訓練に取り組みます。
広島人としてわたしには、ひとつの夢があります。それは、原爆をテーマにしたファンタジーを書くこと。そのために、日頃から訓練をしよう、というわけです。
「人類はすでに化け物を生み出している。
……その名は、核兵器」。
このセリフは、ぜひ、自作に入れたい。
その夢にまっすぐなあまり、高橋一清先生と巡り会うまでは、やみくもにお話を作っていました。
プロットを書いても、そのとおりに行かなかった。
今日は基本の『観察』からはじまったのですから、午後は『お話づくりのネタ』を考えてみましょう。
わたしにはショートショートnoteというキーワードカードがあります。これは、五〇枚程度のカードに一枚ずつ、「忍者」とか「小学校」とか書いてあるカードで、それを三枚選び、七分以内にショートショートを書くという訓練です。カードのオモテは緑色で、『ショートショートnote』と書かれています。だいたい免許証ぐらいの大きさでしょうか。
このカードを知ったのは、noteというサイトなのですが、購入してみて自分のあまりの無知ぶりにゲッソリしました。
たとえば、先ほど述べた「忍者」というキーワード。もちろん、それで話を書くわけですが、ではその忍者の歴史や規律、忍法についてどの程度知っているかというと、ネットで仕入れた知識ぐらいしかありません。
安直な方法で手に入れた創作物など、少なくともわたしには、書く値打ちはないような気がします。
では、午前中に考えた、遺伝子と組み合わせてみたらどうか。
「遺伝子強化された忍者が、現代社会の闇で活躍する話」。
うーん。すでにそのアイデアは、アガサ・クリスティ賞作家が陰謀ミステリとして手を着けてる。
遺伝子操作エリートについては、ガンダムseedにそのネタがあるそうです。
このままでは先行作品にとても太刀打ちできないし、ネタかぶりで没になりそう。
新しい話としてひねりを効かせるとしても、書く以上は、デタラメな話ではなく、ちゃんとしたものを書きたいですね。
「新しいアイデアを生む=組み合わせを見出す」ためには、まずは多くの情報や材料が必要だと思いつきました。
手持ちの情報が少なければ、組み合わせのパターンも限られてしまう。
「地道に調べ、よく学ぶという正攻法しか、よいアイデアは生まれない」。
知らないことについて発言や執筆をする際は、よほど慎重に調査と確認を重ねる必要があります。なぜなら、その分野に詳しい人から誤りを指摘されたり、場合によっては強い反感を買ったりする可能性があるからです。ヘタをすると炎上する可能性もあります。
わたしも、あるプロ作家の作品を読んで、その中にホラーとして、
「パソコンがいっせいに同じ画像を表示した。こわい」
と書いてあったのを見て、
「プログラムが同じだったんでしょ? どこがこわいの?」
とあきれたことがあります。その作家は、パソコンについてよく知らなかったのかもしれませんが、それぐらいのことは調べるべきでしょう。人気作家だっただけに、失望しました。
また、安易にAIを頼っても、残っていく作品は作れません。
芥川賞ではAIで作った作品があるそうですが、よほど工夫を重ねて練り上げたものなのだろうと想像します。着眼点が鋭く、独創的な視点を持っているようですね。具体的な内容や展開がとても気になり、ぜひ一度読んでみたいと考えました。
わたしは、そんなことを考えながらふと一つのアイデアを思いつきました。
現代において忍者が遺伝子強化を行っているとしたら、それはなぜなのか。それは、
日本において「平和」が「神格化」されており、忍者はそれに対してアニメのいわゆる「聖戦士」的な立場を持っているからではないだろうか。平和を愛するあまり、日本は敵対行動をする国に対してさえ、弱腰です。忍者は、そんな自衛隊の精神的・肉体的ささえとしての役割をしているのでは。
さらに想像を膨らませると、そういった現代の忍者たちが日本古来の神道を深く信仰していたら、より興味深い物語になるのではないかなどと考えてしまいました。
思えば昔の日本では、学校教育の中で日本神話をしっかりと学んでいましたが、戦後のGHQによる様々な政策の影響でそれが困難になってしまいました。現代における日本人のアイデンティティーという要素と、伝統と革新が融合した新しい忍者像をからめることで、独特な魅力を持つ物語が生まれる可能性があるのではないかと思います。
しかし最大の問題は、こういった複雑な要素を含んだ物語を、いかにして読者に分かりやすく、そして何より面白く書き上げることができるかという点です。
ふつう、アマチュアのひとの大多数や一部のプロでさえ、ゲームや漫画、ライトノベルやなどで宗教的なテーマや人物を気軽に扱うことがあります。しかしこれらの作品が国際的に高い評価を得ているのは、制作者が該当する宗教について豊富な知識を持ち、深い敬意を払って描いているからなのです。
ところがたいていの日本のアマチュア創作者たちは、自分が特定の宗教にハマっていないためなのか、宗教の意味するところや、その重要性について無理解なところが多いように思えます。
そのため、まじめに信仰を持つ人々の中には強い不快感を覚える方もいるようです。そのような作品との出会いがきっかけとなって、日本の文化全般に対して否定的な印象を持つようになってしまう人もいる、という話を耳にしたことがあります。
つまり、「なーにが日本のアニメだ、ラノベだよ。こんなことも知らないのかよ」って思われるってことです。アマチュアでも、ネットに発表するということは、全世界に発表するということですから、注意が必要なのです。
それに加えて、作品を発表する媒体についても慎重に考えなければなりません。現在のカクヨムでは、政治的な主張や宗教・信仰に関する深い話題よりも、異世界を舞台にしたラブストーリーや、いわゆる「ざまあもの」と呼ばれるジャンルの作品が特に人気を集めているように思います。このような傾向を考えると、わたしの考えている作品の方向性では、なかなか採用されづらいかもしれませんね。
おやつ
足の具合が良くない姑がリビングでわたしを待っています。そろそろおやつの時間になりましたので、早めに準備を始めなければなりません。
冬ですし、みかんを食べながら、わたしはさらに忍者について考えていました。甘酸っぱいみかんの味が、口いっぱいに広がります。
忍者とはなにか。黒装束に身を包み、バック転で敵の攻撃をかわしたり、手裏剣を飛ばしたりする人たち。わたしの知っているのはこの程度です。古いアニメで『科学忍者隊ガッチャマン』が放送されていたときは、両親が「暴力的」という理由でこれを見せてもらえませんでした。そのため、忍者は暴力的というイメージがわたしのなかに広がっています。
しかし、和の精神を宿した忍者、という設定にしたいのなら、その考え方をより深く見つめ直すべきです。なぜ、平和を尊び、調和を重んじる忍者が戦争という暴力的な行為に加担するのか、という読者からの本質的な疑問にも丁寧に応えなければならないからです。遺伝子の強化や、エリート戦士、などというごく平凡なネタであっても、巧みな演出と緻密な伏線によって、読者の心に響く驚きの結末になり得るかも知れません。
ここまで考えを巡らせていると、ふとそばで、みかんの皮をむきながら甘い果実を頬張っている、姑の横顔が目に留まりました。今年で八十五歳になる彼女は、あの日、原爆で最愛の父を失い、母は被爆者となってしまいました。自分自身は当時、田舎に疎開していたおかげで難を免れたと語る彼女は、原爆投下があった日のことを、まるで昨日のことのように、静かにこんなふうに話してくれました。
「戦時中、広島から何十㎞も離れた白市(しらいち)に疎開していたんじゃけど、外で家事をしていたら、母が突然、『鏡で遊んじゃいけん』って叫ぶように言うんで驚いた。後になって、それがあのピカだとわかった。ピカの閃光を鏡の反射と間違えたんよ」
広島の人々の間では、今でも原爆のことをピカとかピカドンとか呼びます。穏やかな日常の中にいきなり襲いかかってくる、想像を絶する非日常。それが八十年という時を経て、こうしてごくふつうの会話の中で語られるということに、わたしは言いようのない驚きと複雑な感情を禁じ得ません。
遺伝子強化された忍者もまた、そうした二重性を持って生きているのではないでしょうか。表の顔では、わたしたちと変わらないごくふつうの暮らしを送っているはずです。
よしやるぞ。
意を決してハタと筆が止まりました。
ひとつだけ忘れていた。
ふつう売れると言われるパターンは、基本形しか知らないのです。
たとえば、裏切り、陰謀、アクション、推理、恋愛。
裏切りパターンは、聖書に山ほど載ってます。怪力サムソンをたらしこんで、敵に売り渡したデリラとか、双子の兄の振りをして父から遺産をだまし取った弟のヤコブとか。
陰謀パターンだって、聖書にてんこ盛りです。最初は羊飼いダビデをかわいがっていた王さまのサウルが、年を経るとともにダビデを憎み殺害しようとするとか、美青年のヨセフに浮気心を抱いた女(ヨセフの上司の妻)が、誘惑に失敗したためヨセフに浮気の濡れ衣を着せるとか。
アクションシーン(というか、パニックシーン)は、もちろん映画『十戒』のシーンにも描かれたシーン。逃亡するユダヤ人を追いかけてきたエジプトの軍が、モーゼの奇跡により海の底に飲み込まれていくところでしょう。
聖書には恋の歌や推理小説、預言書まで入ってる。さすがに本の中の本と言うだけあって、娯楽性がたっぷり。
聖人君子ばかり出ているわけではない聖書を読みながら、よその国の出来事だし、参考になるのかなあ、などと考えます。
難しい漢字やカタカナは、苦手です。
ハードルの高い本を読んでも仕方ないかも。
山田風太郎ぐらいは、読んだ方がいいのかな。
「ムリをしても続かない」。
「やりたいことより、いま、出来ることをした方がいい」
いま、出来ることはなにか。とりあえず、弱点を洗い出すこと。わたしの弱点は、シリアスな重厚さです。そもそも濃厚な描写が書けない。
仕方ない、とりあえずシリアス路線はあきらめよう。こうなったらコメディだ。
わたしのようなドジっ子が遺伝子操作エリートだったらどうなるか。何にも無いのにどたばたバック転とか、おんなじ場所をぐるぐる迷子。煙幕のつもりで消火器を爆発させたり、手裏剣のつもりでサジを投げたりする(これがほんとの忍者放棄)。日常と非日常の狭間で生きる忍者の姿に、新たな物語の可能性を見出す。
実際にどういうふうに話を作るべきなのかは、わたしには見当もつきません。わたしの手の届くところには夢はないのかもしれませんね。
夕食
今日は忍者の生活について深く考える日にしていたので、歴史の中で彼らが普段どのような食事を摂っていたのか、また任務中にはどんな携帯食を持ち歩いていたのかについて、食事をしながらいろいろと想像を巡らせてみました。
時代を遡れば、山野に暮らした忍者たちも、素朴で栄養価の高い食材を日々の糧として口にしていたのではないでしょうか。当時の彼らの食生活に、わたしたちが失いつつある食文化の知恵が隠されているのかもしれません。
では、昔の食べものというと、皆さんはどんなものを思いつきますか? 実はおよそ三〇年前には、広島では「ズイキ」や「トウイモ」という植物が日常的に売られていました。これは、醤油と日本酒でじっくりと煮て食べる植物の茎の部分で、わたしの調べた限りでは、ズイキは戦国時代において保存がきく食材として重宝され、広島の各地で作られていたようです。主に兵糧として使われていました。
二十分ほど煮込んでいくと、醤油の匂いと共にとろっとした食感で、一見すると地味で控えめなんですが、口に入れた瞬間から広がる深い味わいがとても美味しかったです。
「トウイモ」は特徴的な太い緑の茎の先に、里芋に似た形をした芋が付いている珍しい作物です。また、熱湯をちょっとくぐらせて食べるワサビのように爽やかな辛さがある「葉ワサビ」や、歯ごたえのある「葉ゴボウ」もあります。これも昔ながらの調理法で、食材を醤油と日本酒でじっくりと煮込むことで、素材の持ち味を存分に引き出すことができるんです。
残念ながら、今は地域の市場やスーパーでもほとんど見かけることができません。わたしたちの食生活が豊かになり、より手軽で華やかな食材を好むようになってきたのか、あるいは和食離れが進み、西洋化の波に飲み込まれてしまったのでしょうか。さらに、この伝統的な食材の調理方法を知っている人も少なくなってきており、家庭での料理法が次第に失われていってしまうのではないかと心配です。
さて、わたしの創作上の遺伝子強化された忍者は、どんな食事をするでしょう。引きこもりだとしたら、忍者の両親ってどんな人? そんなに強いのに、なぜ、忍者は上司や親に逆らわないの? コメディにするなら、『サザエさん』とか『ドラえもん』的な感じになるのかな? 考えると楽しくなります。
どんなことでも楽しめ、とプロの方はおっしゃいます。
実生活では、海外旅行ひとつ出来ないわけですが、日常を楽しむことは出来るでしょう。「現実を受け容れてそれを乗り越える」。主婦を、なめたらあかんぜよ。
食後
実作に活かせそうにない忍者のことをいろいろ考えてみましたが、目標とする『小説家になるための訓練』は、今日も出来なかったようです。
食器を片付け、シンクを掃除し、風呂に入って一日を振り返ります。
午前中だけで観察も終わってる。集中力が続いていません。
家事を担当すると、雑用が目白押しになって、どうしても集中できる時間が限られます。午後はアレコレ夢想するだけだったし。
人はいいます。
「壁があるから、やりがいがある! 試練は自分を成長させる!」
しかしですね、わたしはラクをしたいんですよ。
AIが作文をしてくれるんだし。
でも、AI作文ってパターンが決まってるから、飽きるよね。
こんなこと言ってるわたしだって、自分の殻が破れない。
「ああ、今日もイメージの範囲を出なかった」
わたしも還暦になりました。今年こそ小説家になり、人間の最大の謎である「なぜ?」について、どうにかして迫っていきたいと思ってます。(了)
小説家になるために 田島絵里子 @hatoule
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