実話怪談集

岡村 史人(もさお)

実話怪談:視界の端に映るのは…

 それは私が小学3年生で、冬休みもそろそろ終わりという頃の話です。


 その夜、私は夜遅くまで溜めこんでしまった日記を書くのに勤しんでいました。

 長期休みといえばお約束の話だと思いますが、私もご多分に漏れず、後になって宿題の山に焦るタイプの性分でした。


 その中で特に苦手だったのが日記です。年の離れた要領の良い姉たちは、「毎日書けないなら、適当にあることないこと、でっちあげて書いちゃえばいいのよ」といつも呆れられていました。

 しかし、要領の悪い私にはどうもその”でっちあげ”さえ難しく、結局いつもうんうん唸りながら、夜遅くまで頭を捻らせて記憶を辿りながら、必死で書いていたのを覚えています。


 普段は私が夜遅くまで起きていると怒る父母ですが、もうすぐ休みも終わるというのに、宿題を提出できないまま行かせるわけにもいきません。

 ですからこういう時だけは、特別にキリの良いところまで寝なくていいと、夜遅くまで起きているのを許可してくれました。そして、眠くなったら隣の部屋の祖母と一緒に眠れと。

 居間の隣は祖母の部屋です。私は祖母が大好きでしたから、二つ返事で了承しました。


 居間でこたつに一人。日記を書く作業に没頭します。

 台所の扉は歯磨きをするために開け放たれ、小さな豆電球がつけっぱなしになっていました。当時9歳の私は暗いところが怖くて、一人で真っ暗な台所まで歯磨きを取りに行けなかったのです。

 カリカリと鉛筆を走らせ、日記も大分進んだところで気が緩んだのでしょうか?ふと、視界の端に、不思議な物が見えたような気がしました。


 ——それは人間の脚でした。


 ちょうど大腿骨から爪先まで1本の血まみれの脚が、台所の奥に立て掛けられているのです。太腿の側面を向けて、内くるぶしが見えています。


 当然驚いて私は顔を上げます。


 顔を上げ、視界がはっきりすると、当然血まみれの脚はありません。


 ……見間違いだよね?


 小学生だからといって、何でもかんでもお化けに見立てて怖がるほど、バカではありません。

 目の錯覚という言葉もすでに知っていましたし、視界の端でぼやけた何かが、そんな風に見えたのだろうと思いました。そう思って再び顔を落とします。

 するとやはりまた、はっきりと脚が見えるのです。

 気になって何度も顔を上げ、確認し。また顔を下ろし、顔を上げ…何度もそれを繰り返しているうちに、だんだん私は怒りを覚えてきました。


 何度も見間違いを起こすなら、あの場所に何があるのか見に行こう。

 なんならその場所にある物を移動させてしまえば、見間違えもなくなるはずだ!


 勇気を出して近づくと、そこには昼間私が母と祖母とで運んだ、漬物にするための             大根の山が積んでありました。なるほど、納得です。このカタチなら、脚と見間違えやすいですから。


 大根の山はさすがに量も多く移動は無理でしたが、幾つか大根の位置を動かしてみてみると、少しだけ気持ちが納まったような気がしました。

 そしてこたつに戻ると、今度はちゃんと日記に集中出来るようになりました。

 顔を下げると、視界の端には相変わらず脚の様なものが見えます。

 しかし、近くで見てなんでもないことを確認したので、先ほどより怖さは薄れています。気のせいだと思えるようになりました。


カリカリカリカリ――。


 誰もいない居間で鉛筆の音だけが響きます。

 日記も大分目処がついてきました。この分なら明日に回しても問題ないかもしれないな。

 そんなことを思いながらページをめくり、疲れた目を擦りつつ再び日記帳に目を落とした時でした。


――あれ?


 視界の端にある脚の形が、違っているような気がしたのです。

 いえ、太腿を向けていたはずの脚が、こちらを向いているような……?


 いえ、そんな筈はありません。気のせいでしょう。だってあんなに、あそこには何もないと確認したのですから。

 視界の端に映るアレは、目の錯覚の筈なんです。

 私はこたつの熱以外のもので吹き出して来た額の汗を必死で否定しながら、日記を書き出します。


“今日、わたしは……”

 でも、なぜでしょうか?

 気にするなと思えば思うほど、視界の端のそれは、私が瞬きをするごとにほんの少しずつ、こちらにじわりじわりと近づいてくるような気がしたのです。


 気のせい、気のせい……気のせい……!


 だってあれは、野菜だった。近くで見たんだから、間違いないんだ。


 しかし、その思いとは裏腹に、”それ”は確実にこちらへと近づいてきます。

 少しずつ、少しずつ近づいてきた“それ”が、台所と居間の境目に立った時――


 き、気のせいじゃない!!!


 恐怖に限界を感じた私は、顔をあげます。


 ――当然、そこには何もいません。


 しかし、私はそのまま視界を離すことなく手探りでこたつの電源を切ると、後ずさりして祖母の部屋の襖を開けます。

 ふわり、と祖母の部屋独特のお香のような匂いが私の鼻に入ってきて、その暖かさにほんの少しだけ安堵を覚えます。

 そして寝ている祖母に声を掛けました。

「お祖母ちゃん、そっち行っていいかな?」

「いいよぉ、電気消しといでぇ」

「――うん」

 優しい声に落ち着きを取り戻しながら、しかしそれでも私は視界を決して逸らしませんでした。


 ――だって今度目を逸らしたら、どこまで近づいてくるのか、わからないから。

 電気を消して、背中から祖母の部屋に入って襖をしめました。


 この話はこれで終わりです。


 あれ以来、血まみれの脚を見たことは一度もありません。


 けれど、どれだけ目の錯覚だとわかっていても、視界の端で何か不思議なものや、おかしなものを見るたびに……。


 ――振り返らずには、いられなくなってしまいました。

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