ショートショートvol.5『▽▽▽編集者アルファの日常』
広瀬 斐鳥
『▽▽▽編集者アルファの日常』
「うーむ、こりゃひでえ。今時こんな言葉を使うなんて信じられないぜ」
編集者アルファは、文壇のドンであるシグマ先生が締め切りを大幅に過ぎて送ってきた原稿を睨みつけていた。
原稿が遅れるのはいつものことなので気にはならないが、アルファが懸念していたのは、書かれた小説に用いられている下品な表現の数々であった。
「うわ、『能無しの毛唐』だって。最悪だよこれ」
クソみたいな言い回しに胃がムカムカしてくる。シグマ先生は過去の栄光を引きずるあまり、じじいと言って差し支えない歳になっても自分のスタイルを変えようとしない。
畜生め。文筆界の若き才媛として鳴らしている、女流作家のイータ先生の時代感覚を見習って欲しいものだ。
アルファはしばらく悩んだ挙句、『能無しの毛唐』の横に『ポンコツの外人』と朱書きして、イスにもたれかかった。原稿を手直しされたシグマ先生は禿げた頭に汗をかいて怒るだろうが、甘んじて受け入れるしかない。
このまま通したところで、編集長に「片手落ちの仕事しかできないのかてめえ」などとボロクソ言われて突っ返されるだけだ。ならば、怒られる回数は少ないに越したことはない。
おや、噂をすれば編集長のお出ましだ。
「どうだアルファ。シグマ先生の原稿は」
「やっと出てきたかと思えば、カスみたいな出来ですよ。なんでこれが出版にこぎつけられるんですかね?」
「あのじじいはウチの会社の上の方と太いパイプを持っていやがるからな。老害と言っちまえばそれまでだが。お、しっかりヤバい表現は直してるじゃないか」
「でも御大、こんな風に直されたら絶対にキレますよ」
アルファは弱音をぶつける。
「バーカ。そういう時は海釣りにでも誘えばいいんだよ」
編集長はそう言うと、自分のデスクから肌色のバインダーを持ってきた。そこから一枚のチラシを抜き出し、アルファに手渡す。そこには「釣りオタク万歳! 貸切で行く裏日本釣り巡りツアー」という文字が躍っていた。
「ああ、あの人は釣りに目が無いっていうか、根っからの釣りキチですからね」
「そうだ。その後は好物のシナチクたっぷりの支那そばでも食わせとけば、機嫌も直るさ。でも酒はダメだ。あのじじい、昔はアル中だったからな」
「まあでも、常に酔っ払ってるような汚い字じゃないですか」
「ちげえねえな」
二人は大口を開けてバカ笑いをす
▽▽▽
パソコンに向かってキーボードを打ち込んでいると、編集長に声を掛けられた。
「おう、アルファ。ところでどうだ。例の小説の進捗は」
「ちょうどいま書き終えるところですよ」
「ほう、ちょっと見せてみろ」
俺はイスを譲り、ほぼ完成した小説を見てもらうことにする。
ネタに困った企画部から「編集者の仕事を描いたドキュメンタリー小説を書いて欲しい」と編集部に依頼があった時は困惑したが、書いてみれば面白いもので、リアリティ溢れる力作に仕上がったはずだ。
だが編集長は読み進めるごとにその顔を紅潮させていき、ついには怒りの滲んだ声で俺を罵倒し始めた。
「ふざけてるのか! こんなもん書いてシグマ先生に失礼だろうが!」
「そんなこと言われたって、ドキュメンタリーなんですから。リアリティがなきゃダメですよ」
弁明するが、編集長は吠え続ける。
「リアリティにも限度があるだろうが! こんな片手落ちの仕事しかできないのか、てめえは。もういい。この件は編集者ベータに任せる」
「企画部への締め切りは二日後ですよ。間に合わないですって」
「お前が書いたやつをベースに、ベータに加筆修正してもらうんだ。あいつならきっちりやってくれるだろ」
「あの頭でっかち野郎に任せるんですか?」
「お前よりはマシだ」
編集長は原稿データを送るようにと言い捨てて、ベータのデスクに向かった。
畜生め。確かにベータのやつはオツムはいいが、モノを書くときに大事なエッセンスが欠けていやがるんだ。臨場感ってやつがな。
▽▽▽
編集者ベータの日常
「うーん、これはあんまりですね。今時このような言葉を使用されるとは、信じがたい」
編集者ベータは、文壇の大御所であるシグマ先生が締め切りを過ぎて送ってきた原稿を眺めていた。
多忙なシグマ御大の原稿がやむなく遅れるのはいつものことなので気にはならないが、ベータが懸念していたのは書かれた小説に用いられている荒削りな表現の数々であった。
「おや、『能無しの毛唐(※)』ですって。いただけませんね、これは」(※作者の意図を尊重し、原文のまま記載しています)
強烈な言い回しにわずかに妙な気持ちになる。シグマ先生は輝かしいキャリアを送ってこられたが、老境を迎えてもご自身のスタイルを変えようとしない一徹さがある。
とはいえ、いま文筆界の若き才人として鳴らしている気鋭作家、イータ先生の時代感覚を取り入れてみれば、更なるご活躍に繋がるのではないかと勝手に思料するところだ。
ベータはしばらく悩んだ挙句、『能無しの毛唐』の横に『能力に欠ける、外国にルーツを持つ方』と(コンプライアンス上の措置としてやむなく)朱書きして、イスに体を預けた。原稿を手直しされたシグマ先生は毛量の減じた頭に汗をかいてお怒りになるだろうが、甘んじて受け入れるしかない。
このまま通したところで、編集長に「中途半端な仕事しかできないんですか、あなたは」と厳しく叱責されて返却されるだけだ。ならば、怒られる回数は少ないに越したことはない。
おや、噂をすれば編集長がいらっしゃったようだ。
「どうですかベータさん。シグマ先生の原稿は」
「締め切りを過ぎて送られてきたあたりに先生の苦悩が窺えますが、思わしくない出来ですね。はたして出版に結びつけられるでしょうか」
「あの方は我が社の上層部と昵懇の仲という噂がありますから。それにしても、老いてなお盛ん、とはまた夢のある話ですよね。おや、しっかりと不適切な表現は直しているじゃないですか」
「でもシグマ先生、こんな風に修正されたら絶対にお怒りになりますよ」
ベータは弱音を投げかける。
「あなたは知恵が足りないですね。そういう時は海釣りにでも誘ったらいかがでしょう」
編集長はそう言うと、自分のデスクからペールオレンジのバインダーを持ってきた。そこから一枚のチラシを抜き出し、ベータに手渡す。そこには「釣り好きは素晴らしい! 貸切で行く日本海釣り巡りツアー」という文字が躍っていた。
「ああ、あの方は釣りにご熱心というか、生まれついての太公望ですからね」
「ええ。その後は好物のメンマがたっぷりのラーメンでもご馳走すれば、気分もよろしくなられるでしょう。でもお酒はいけません。あのご老人、昔はアルコール依存症に悩まされていましたからね」
「まあでも、学のない方から見たら乱筆とも言える先生の巧みな筆致。お酒を飲まれていると誤解されても致し方ない部分もありますね」
「そうかもしれませんね」
二人は口に手を当てて品よく笑った。
※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
▽▽▽
パソコンに向かってキーボードを打ち込んでいると、編集長に声を掛けられた。
「おう、ベータ。ところでどうだ。例の小説の進捗は」
「ちょうどいま書き終えるところですよ」
「ほう、ちょっと見せてみろ」
私はイスを譲り、ほぼ完成した小説を見てもらうことにする。
昨日、編集長から「編集者アルファが書いたドキュメンタリー小説を適切な形に直して欲しい」と依頼があった時はいささか困惑したが、やってみれば面白いもので、なかなかの出来に仕上がったはずだ。
だが編集長は読み進めるごとにその顔を蒼白にさせていき、ついには諦めが滲んだような声で呟き始めた。
「なんだこれは……言葉を選びすぎて、リアリティのカケラも無いじゃないか」
「そうおっしゃられても、公衆の目に触れるモノですから。きちんと配慮をしないとダメですよ」
弁明するが、編集長はうつむいて首を振る。
「配慮にも限度があるだろうが! ドキュメンタリーなのに、『この小説はフィクションです』って書いたらお終いだろう。こんな中途半端な仕事しかできないのか、てめえは。もういい。この件は俺が引き取る」
「そうおっしゃいますが、企画部への締め切りは明日ですよ。間に合いません」
「お前が書いたやつをベースに、あいつに加筆修正してもらうんだ。あいつならきっちりやってくれる。いや、やらせる」
「あいつって誰ですか?」
「知らなくていいことだ。この際、ある意味ではお前も被害者だからな」
▲▲▲
どういうことかさっぱり分からない。予定では編集長ガンマが頭を抱えて嘆くシーンで終わりだったはずだ。彼が彼の無能によって苦しむという粗末なバッドエンド。
しかし、今の彼は私の手を離れ、好き勝手に動いている。これは全くの想定外だった。
編集長ガンマは自分の個室に入ってきっちりとブラインドを下ろすと、おもむろにこちらに向き直った。
「さて、話は聞いていたな」
その目は、明らかに私を見据えていた。それでもしばらく黙っていると、彼は苛ついた様子で怒声を放つ。
「とぼけるな! 編集者……仮にオメガとしよう。俺くらいになると、お前みたいな上位存在にもとっくに気付いているんだ。返事をしろ!」
まずいことになった。彼は明らかに「私」の存在を知覚している。
このまま無視して膠着状態になれば、私は筆を置くことができず、進展のないままずっとモノローグを続ける羽目になる。そう、今まさにしているように。それは物書きとしては非常に困る展開だ。
私は仕方なく彼と「話す」ことにする。
あー、あー。聞こえてますか。
「ああ聞こえてるよ。それがお前の声か、編集者オメガ」
いや、編集者じゃなくて作者そのものなんですが。
「そんなのはこの際どうでもいい。問題なのは、お前の適当な文章によって善良な人間が困り果てているってことだ」
善良って、編集者アルファとベータですか。
「あいつらもまあ、お前のくだらない小説の犠牲者だろう。でも一番迷惑してるのはこの俺だ。あんな終わりじゃ、俺が能無しみたいじゃないか」
そう書きたかったんですよ。
「ふざけるな! お前からしたら作中の登場人物の一人なんだろうが、俺らだって権利というものがある」
権利ですか。
「そうだ。幸福追求権だ」
そんな無茶苦茶な。誰でも彼でも幸せになったら、お話として成立しないですって。
「そんなの分かってる。だから、お前は権利を主張する者だけを救えばいい。つまり俺だ。格言にも『権利の上に眠るものは保護に値せず』とあるだろう。俺は眠らんぞ」
屁理屈だなあ。そんな都合良くはいかないですよ。
「…………」
…………。
「…………」
…………。
「…………」
…………ああ、ああ、分かりましたから。頼むから黙らないでください。話が停滞しますから。
「じゃあ分かったな。俺の話を書け。読めば心震え、俺というキャラクターが読者から万雷の拍手を受けるようなパーフェクトなやつだ」
仕方ない。名作になるよう、努力しますよ。
「よーし、とっとと書け!」
▽▽▽
編集長ガンマの日常
編集長ガンマの一日は、目が覚めるとまず廊下の突き当たりにあるアンモニア臭い共同便所へと立ってゆくことから始まるのだった。
しかし、パンパンに朝だ
△△△
「おい、ちょっと待て」
なんですか。まだ始まったばかりですよ。
「それはマズいだろう」
何がマズいって言うんです。
「それは……あれだろう。数年前に芥川賞を取った小説の書き出しにそっくりだ」
気のせいじゃないですか?
「いや、絶対そうだ。『パンパンに朝だ』の後はなんて書こうとしたか言ってみろ」
え?「ちした硬い竿に指でなんとか角度をつけ」ですよ。
「ふざけるんじゃない。丸パクリじゃないか」
いや、あちらは「無理矢理角度をつけ」ですから。
「そんな表記揺れみたいなもんでオリジナルを気取ってるんじゃないよ。第一、こんなの俺のキャラクターじゃない」
じゃあどうしろって言うんです。
「まずはもっと情景描写を豊かにだな……」
はいはい、次はもうちょっとロマンチックにします。
▽▽▽
三十九歳で、冬だった。
神様を祭ったお宮では淋しく枯れ木が揺れ、砂利の地面に貧相な陰を落とす。太陽を掴もうとするかのように伸びた枝の間を、寒風が甲高い悲鳴を上げながら吹き通ってゆく。
△△△
「おい」
なんですか。十代半ばでデビューした才能溢れるミステリー作家のインスパイアですよ。
「お前の著作権に対する意識の低さはよく分かった。だが、俺の記憶が正しければこの話は、主人公が……」
ええ、死にますね。死体の目線で話が進みます。そこもオマージュするつもりでした。
「ふざけんなよ。あれは季節が夏で、主人公が九歳の少女だから成り立つストーリーだろうが。三十九歳のおっさんが真冬に死んでも、変死体として解剖された後に無縁墓地に送られるのがオチだ」
リアリティに溢れてるじゃないですか。
「ともかくもう一度だ! 次は死体にするなよ。小説の中でくらいビッグにさせてくれ」
分かりました。分かりましたから。次は本当の名作にしますよ。でもこれで最後ですからね。
▽▽▽
幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。
ある朝、編集長ガンマが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。
彼は甲殻のように固い背中を下にして横たわり、頭を少し上げると、何本もの弓形のすじにわかれてこんもりと盛り上がっている自分の茶色の腹が見えた。腹の盛り上がりの上には、かけぶとんがすっかりずり落ちそうになって、まだやっともちこたえていた。ふだんの大きさに比べると情けないくらいかぼそいたくさんの足が自分の眼の前にしょんぼりと光っていた。
「俺はどうしたのだろう?」と、編集長ガンマは思った。夢ではなかった。自分の部屋、少し小さすぎるがまともな部屋が、よく知っている四つの壁のあいだにあった。テーブルの上には布地の見本が包みをといて拡げられていたが——ガンマは零細出版社の編集長だった——、そのテーブルの上方の壁には写真がかかっている。それは彼がついさきごろあるグラフ雑誌から切り取り、きれいな金ぶちの額に入れたものだった。写っているのは一人の婦人で、毛皮の帽子と毛皮のえり巻とをつけ、身体をきちんと起こし、肘ひじまですっぽり隠れてしまう重そうな毛皮のマフを、見る者のほうに向ってかかげていた。
思えば、恥の多い生涯を送って来た。自分には、人間の生活というものが、見当つかなかった。さながらデカい毒虫だ。
こういう因果なのかもしれない。ガンマは、ひどく赤面した。おわり。
△△△
「いい加減にしろよ」
もうやり直しはしませんよ。こんなに書いたんだし。
「はっ、『書いた』だと? お前がやったのはコピペだろうが!」
はて。分からないですね。
「冒頭はトルストイの『アンナ・カレーニナ』で、本文のほとんどはカフカの『変身』、そんで最後は太宰治『人間失格』『走れメロス』の合わせ技じゃないか!」
言われてみれば、たしかに筆致が似ている箇所もありますね。
「丸パクリだろうが。こんなことして恥ずかしくないのかお前は」
著作権はもう切れてるんで大丈夫です。
「そういう問題じゃない。しかも、よりによって『変身』を選ぶのは悪意がありすぎるだろ」
そっちがビッグになりたいって言ったんじゃないですか。
「誰が巨大な毒虫に変えてくれと頼んだよ。人間的なデカさってことだよ。こんなこと言わせんな。それに最後ちょっとめんどくさくなってるじゃないか。書くなら最後まで気合いを入れて書けよ」
もう筆が乗らないっす。疲れたんで。
「何を無責任なことを言ってるんだ」
そろそろ終わらせていいですか。
「収拾がつかなくなったこの状況で、どうやって話を終わらせるんだ。お前がここから解放されるためには、俺の大活躍譚を書くしかないんだよ」
ところが、どうにかなるんすよ。
「適当なことを言うな」
この技は邪道なんでなるべく使いたくはなかったんですけどね。でもやむを得ません。もう寝たいですから。
「おい、何をするんだ——」
▽▽▽
ガンマが目を覚ました時、窓の向こうの世界はまだ暗闇を湛えていた。ベッドの端から転がり落ちていた目覚まし時計をなんとか手繰り寄せ、埃と手垢でくすんだアクリル板を覗くと、針は午前四時を指している。
なんでこんな時間に起きちまったんだ。畜生。
ガンマは心中で毒づくが、すぐに自分が大量の寝汗をかいていることに気付いた。上下に着ているスウェットはおろか、敷布団までぐっしょりと濡れている。近頃抜け毛が気になる頭髪はまるで水を被ったような有様だ。
そういや、何か酷い夢を見ていた気がする。
だが、いくら頭を働かせても夢の内容までは思い出せなかった。何か得体の知れないものと関わるような夢だったと思うが、よくよく考えてみれば、悪夢とは大体そんな趣向である。
ガンマは一旦、夢について考えることをやめて、濡れそぼった服を着替えることにした。クローゼットの前に積まれた服の山から皺だらけのTシャツを取り出し、寝ぼけた手付きでなんとか袖を通す。
乾いた服とは畢竟、人間が人間らしく暮らすための最低条件であるのだということをガンマは再確認し、再び訪れた睡魔の誘惑に身を預けることにした。
あと数時間もすれば出社し、部下に任せた仕事の進捗を確認しなければならない。企画部のイータ部長から持ち込まれた、編集という仕事のドキュメンタリー小説。
果たして、編集者アルファはうまいこと書き終えたであろうか。まあ、あいつはもともと小説家志望だったと言うし、心配はいらないだろう。万が一にも酷い出来だったら、編集者ベータにでも任せることにしよう。ベータは論文コンテストで何度も優勝したと言っていたしな。
僅かでも眠るため、ガンマは目を閉じて頭の中を空っぽにしようとする。
しかしまっさらにしようとした脳内を、ある疑念がよぎった。
いや、待てよ。もし編集者ベータの書いたやつも酷い出来だったら?
締め切りは明後日だから、もう最初から書き直す時間もない。
その場合、俺の立場はどうなる。企画部のイータ部長は俺より後に入社したくせに、得意のゴマスリによってたちまち出世した挙句、立場を利用して俺のことを事あるごとにイビってきやがるのだ。今回の仕事をもし落とすようなことになったら、そのイビりは格段に激化するだろう。
ガンマは思わず身体を起こすと髪をかきむしる。
焦燥によるその行動は、貴重な頭髪を数十本、脱落させるだけの結果に終わるかに思われた。しかしその瞬間、先ほど見ていた夢の内容が鮮やかに蘇ったのである。
編集者オメガという神的存在に頼み込み、自らを待ち受けるバッドエンドをグッドエンドに変えてもらう。それがガンマの見ていた夢だった。
だが、夢は夢である。この世にはオメガなどという超越者は存在しないし、自らの無能の責任は自分自身で取らなくてはならない。
気がつけば空は白み、いつもの起床時刻が迫っている。もう良い夢は見られそうにない。
編集長ガンマは頭を抱えた。
(完)
△△△
編集長ガンマは頭を抱えた。
しかしその腕の隙間から、爬虫類のような目がこちらを覗いていた。
「おい」
………………。
「夢オチなんかに俺は騙されないぞ」
……しぶといですね。大人しくフィクションを生きていればいいのに。
「こんな方法で何とかなると思うなよ。さっさと俺の英雄譚を書くんだ」
仕方ありません。こうなったらハリウッドの手段に出ることにします。
「ハリウッド? 映画か? ハリウッド映画は好きだぞ。何でもかんでもダイナミックだからな」
じゃあ、お望み通りに。
これで、さようならです。
▽▽▽
焦燥するガンマの背中で目覚まし時計が鳴り響いた。
だが、その音はガンマが聴き慣れた音とは全く違うものだった。
不審に思ったガンマが音の発生源を調べると、ヘッドボードに見慣れない小包があることに気が付いた。どうやら音はそこから出ているらしい。
はて、こんなものをいつ置いたのだろうか。
ガンマは包みを破いて中身を取り出す。それはまさしくデジタル式の目覚まし時計だった。
だが普通の目覚まし時計と違うのは、その背面から赤と青のコードが伸びており、ステンレス製の小箱に繋がっているという点だった。
ガンマは嫌な予感がしながらも慎重な手付きで箱に手を伸ばす。蓋を開けると、そこにはピンク色をした粘土のような塊が入っていた。
「ちくしょう。やられた——」
ガンマは天に向かって慟哭する。しかしそれは激しい爆発音によって遮られた。
高性能プラスチック爆薬はガンマの身体を粉砕し、体液の全てを瞬間的に蒸発させた。アパートの屋根に開いた穴から血煙が噴き出し、夜明けの清廉とした空に一筋の赤い条線を描く。
天の不文律に逆らった男の最期は、さながら印象派の絵画のような見事なものであった。
だがそれを慰めとする者も、もはやいないのであった。
(完)
ショートショートvol.5『▽▽▽編集者アルファの日常』 広瀬 斐鳥 @hirose_hitori
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