十月、天使は。
パ・ラー・アブラハティ
え、僕死ぬんですか?
十月。夏の面影が残っているとかいうレベルじゃない暑さが残って、まだ人々が半袖を着る季節。秋の風物詩であった紅葉は未だ見れていない。
空は青くどこまでも天高く澄んでおり、鳥達は自由を謳歌している。揺蕩う雲は長閑な田舎町を西へ西へ流れていく。
僕はそんな空をボケっと見上げていた。誰もいない閑散とした公園。学校にも行かず、ただずっと空を見上げていた。
今日はなんとなくサボりたい気分だった。朝起きて、制服に袖を通して、やっぱ行きたくないなと思い学校をサボった。きっと、家に帰れば親に怒られるだろう。
でも、そんなことより今はこの雰囲気に浸っていたかった。長閑で安らぎを与えてくれる鳥の鳴き声に耳を澄ませ、空を見上げて生きていることを実感している今を。
そうやって何十分も空を見上げていると、ヒュルヒュルと枯葉のように落ちてくる何かが視界に映る。僕は立ち上がって、よーくそれを見ようとするが、空高くにありすぎて全容は掴めない。
枯葉のようなものは高度をどんどんと落としていく。そして、この地上に美しく華麗にふわりと舞い落ちる。
舞い降りたのは羽が生えた麗しき少女だった。純白の羽を背中に生やし、絹のようなスベスベとした肌。小柄な身長。僕は気付いたら目を奪われていた。
「こんにちわ」
羽を生やした少女は僕を見るとぺこりと頭を下げて挨拶をする。日本人の性なのか、釣られて頭を下げて挨拶をしてしまう。
「あ、こんにちわ」
普通に挨拶をしてしまったが、空から降ってきて羽が生えた少女など恐怖の対象でしかない。僕の体はぶわっと今更ながらに汗をかきはじめる。気温のせいではない汗は心臓をキュッと締め付け、呼吸を荒くする。
「あ〜、いやそのそんなに怖がらないで? 悪い者じゃないから」
羽の生えた少女は怯える僕を見てそう言うが、「はい、そうですか。じゃあ怖がりません」と軽々しく了承など出来るわけもない。
仮に僕の頭のネジが数本飛んでいたなら話は別だったかもしれないけど、生憎頭のネジは正常な本数だった。
「わ、悪いものじゃないなら何なんですか。あなた」
絞り出した声は明らかに恐怖に支配されていて、僕は我ながら情けない小心者だなと思った。
「私? 私は天使だよ。天界からやって来た天使」
羽の生えた少女はあっけらかんに言い放つ。嘘をついているのか、本当のことなのか普通は即座に判断ができないことのはずなのに、空から降ってきて、背中に羽が生えているせいで無駄に説得力があった。でも、だからといって脳みそは理解という選択肢を取ろうとしない。それから目を背けて、理解とは違う選択肢を探している。
だけど、結局行き着く先は一つだけであることは明白だった。
「はぁ.....仮に天使だとしたらなぜ僕の前に来たんですか?」
「あぁ、それはね君が死ぬからだよ」
「……え? 僕死ぬんですか?」
さらっと言われた言葉。あまりにも受け止めきれない。受け止めきれない言葉は耳を通過して、体を一周するが、意味を理解することは出来なかった。
え、死ぬ?死ぬってことは死ぬということ。天国へ?天使が来たから天国へ行くの?え、どういうこと?
僕の頭はグルグルと混乱する。さっきまであんなにも長閑だった風景が途端に地獄にも見えてきて、鳥の鳴き声が死へのカウトダウンを数えているようにも思えた。
「うん、死ぬよ」
「いや、そんな簡単に死ぬ事を言われても困りますよ」
「といわれても、これは揺るがないことだからなあ……」
羽の生えた少女は困ったと言わんばかりに腕を組み首を傾げる。困っているのは僕の方だというのに。
「そもそもなんで天使が死を告げに来るんですか。普通、悪魔とかの仕事じゃないんですか」
これは素直な疑問だ。よくある物語では、死神や悪魔が「お前の命を奪い取りに来たぞ、へっへっへっ」と主人公の前にやってきて改心して帰るなどがテンプレートのはずなのに、なぜ僕の前には天使がやってきているのだ。
「ん〜、悪人の場合は死神や悪魔が行くんだけど善人の場合は私たち天使が行くことになってるんだよ」
「じゃあ、僕は善人ってことですか?」
「うん。だから君は安心して天国に行けるよ」
「ヤッター! 天国に行ける!ってそんなので死ぬ事が受け入れられるわけないでしょ。てか、なんで善人を殺すんですか」
「人口の調整のためだよ。この時期になると悪人と善人を何人かを地獄と天国に連れて行くんだ」
「なんてはた迷惑な。いいですよ、調整なんかしなくて」
「そうは言われても、私も神様からの命令で来てるからなあ……」
「だったらその神様に伝えてくださいよ、僕はまだ死にたくありませんって」
「無理だよ、そんな事したら私が塵になっちゃう」
僕はあんなにも怯えていたのに気付いたら羽の生えた少女と普通に会話を交わしていた。羽の生えた少女への恐怖より、死ぬという事実があまりにも強すぎて正直どうでも良くなっていたのはある。
まだ死にたくは無いが羽の生えた少女は頑なに死ぬということを伝えてくる。変えられない運命、とでも言いたいのだろうか。
強気な主人公なら「運命なんて変えてやる!」とか言い出すのだろうけど、僕は小心者だ。出来るとしたら諦めて家族に感謝を伝えることぐらいしかない。
死ぬことを認めた訳では無いが、目の前に立っている非現実的な存在が嫌にでも認めろと言っているようで頭はそれを理解していた。
「……本当に死ぬんですよね」
「うん。死ぬよ。今から十分後ぐらいに」
「……は? え? 十分後? 早過ぎない?」
「と言われてもこれも決まった事だしなあ」
どうやら僕は残りの余命が十分しか無いらしい。ふざけてるのか。十分で一体何が出来るというのだ。何も出来ない、今から家に帰って母親に今までの感謝すらも伝えれない。
こんなことが容認され、まかり通っている神様の世界は心底ゴミなのでは無いのか。調整だとか、なんとかいって人の命をなんだと思っているのだ。
ちっぽけでか弱き命の輝きを無視するなんて。僕がずっと想像していたより神様は意地悪で合理的なようだ。
「分かりましたよ! もう僕は死ぬんですよね! いいですよ、潔く死んでやりますとも!」
もうなんか全てがどうでも良くなった僕は自暴自棄になって、適当に死を受け入れる。羽の生えた少女は表情をひとつも変えずにすんっと立っているだけだった。
「……まあ、大丈夫だよ」
羽の生えた少女は薄く笑みを顔に貼り付けてそう言った。僕はその言葉の意味が分からなかったけど、これから死ぬのだから言葉の真意なんてどうでもよかった。
「天使さん、あなたの名前は何なんですか」
僕は公園にあったベンチに羽の生えた少女と、腰をかけて問いかける。
「私の名前? ルケスタ・ナタア」
「ルケスタ・ナタアさん。いい名前ですね」
「今から死ぬというのに褒めてくれるんだね」
「もう諦めましたよ……十分後に死ぬとか言われたら。ところで僕の死因はなんなんですか」
「このベンチの後ろからトラックが突っ込んで来て、それで死ぬ」
ナタアさんはベンチの後ろにある柵を見ながら言う。この公園は車道の近くにあり、子供が飛び出さないようにと柵が設置されている。たまに柵に車が突っ込むことがあるとは聞いていたが、まさか僕がそれで死ぬことになるなんて。
でも、それなら突っ込んで来る前に避けてしまえば僕は死ぬことから逃れることが出来るのでは?
「今それ言って大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ、君が仮にこれを避けようとしても違う死因が降りかかるだけだよ」
「要するに死ぬことは避けられない運命ということですか」
「うん、そうだよ。死ぬまであと五分を切ったね」
「やめてくださいよ、カウトダウンするの。年越しじゃないんですから」
「急に死ぬよりかはやっぱりあとどれぐらいで死ぬかわかってた方が良くない?」
「そもそも死にたくないんですよね。前提が違います」
「そりゃそうだね」
ナタアさんは無邪気に笑う。僕はこれから死ぬと言うのに。なぜこの人はこんなにもさっきから能天気なのだろうか。
やっぱり天使だから人が死ぬことなんて些細なことだと教えられて生きてきたのだろうな。だから、こんなにも楽観的で能天気でずっと笑っていられるんだ。
でも、僕はそれが少しだけ有難かった。重い空気の中死ぬよりかは、ほんの少しでも笑って死ねるならまだ本望ではあった。
時計の針が刻々と進んでいく。止まることの知らない死へのカウトダウン。ヒタヒタと迫るこの世への別れ。
やりたいことは沢山ある。言いたいことも沢山ある。
あぁ、やっぱり死にたくない。どうして、僕は死なないといけないんだろう。母さん、父さん、会いたいよ。僕、死にたくない。
「あと一分だね。じゃっ、立ち上がって」
「……やっぱり死にたくないです」
「いいから立ち上がって」
ナタアさんは死を拒む僕を無理やり立ち上がらせる。目からは涙がぼろぼろと零れる。荒くなる呼吸にぼやける視界。
徐々に聞こえてくるトラックの音。そして、響き渡る急ブレーキの音と押される僕の体。
「じゃ、これからも頑張って生きてね」
鈍い音と共にナタアさんは轢かれた。
「……えっ? ナタアさん?」
「おい、坊主! 大丈夫か!」
近くを散歩していた人が僕に近付いてきてくれる。
「ぼ、僕は大丈夫です。それより、ナタアさんが! 彼女が!」
「頭でも強くうったか! 今、救急車呼ぶからな!」
「いえ、僕は大丈夫なんですって! 僕より彼女が!」
「坊主、しっかりしろ! お前以外に誰もいない! 俺はトラックの運ちゃんを見てくる、坊主も座っておけよ!」
僕はフラフラと立ち上がって轢かれたナタアさんの元へ行く。羽が折れて変な方向へ向いてしまっている。足も手もグチャグチャだ。
「ナタアさん……?」
体をゆさぶり力なく倒れているナタアさんを抱える。
「……あ、あぁ。無事だったかい、良かった」
「な、なんで僕を助けたんですか?」
「君を……殺したくなかったから……命令なんてどうでもよかった。もう……うんざりなんだ」
ナタアさんは絶え絶えになりながら言葉を紡いでくれる。
「私は……これでよかったんだ……天使としての役目をちゃんと果たせたかな」
「……十分ですよ、十分すぎます。今、救急車が来ますから」
「無駄だ……私の姿は君にしか見えていない。それに私は命令違反を犯したのだ……いずれ消える運命だったのさ」
「そんな!」
「ありがとう……」
そうしてナタアさんは光の粒子となって消えた。
「ナタアさん……どうして」
ほんの少しだけ、十分だけの関係だったけど誰かが目の前で死ぬのは僕にとっては堪えた。
何年経っても僕はきっと忘れないだろう。彼女のことを、僕を助けてくれた天使のことを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます