第36話 叡智の炎
神は青年の姿で、この国の最期をどこまでも見届けようと、小さく息をついた。歴史を通して人間が繰り返してきた戦いや裏切り、名誉や虚無を数え切れぬほど観測してきたが、今回の戦いは無謀の極みだった。すでに戦線は破綻しかけ、各地で市街が焼かれ、逃げ場を失った兵や民が飢えと病に倒れている。そんななか、神はせめて最後の瞬間くらいは直に見定めようと、爆音の轟く上空を見上げていた。
だが、その時だった。銀色に光る巨大な飛行機の腹部から、ひとつの大型の筒がふわりとパラシュートで減速されながら降下してくるのが視界に入る。妙におどけた動きのようにも見えたが、不気味な静寂が周囲を包み、神は嫌な胸騒ぎを抑えられなかった。まるで空気が凍りつくかのような一瞬ののち、世界そのものが裂けるように、凄まじい閃光と膨大な熱量が放出される。
その光は小さな太陽を思わせ、白い閃光が人々の影を地面に焼き付けながら、一瞬にして周囲を蹂躙していく。神は呆気にとられる暇さえなく、爆風に巻き込まれ、建物もろとも吹き飛ばされた。かつて何度も火砲や砲弾の衝撃を体験してきた神だったが、これほど超常の力を感じさせる爆発を人間が作り出したのかと、半ば信じがたかった。もちろん、神としての本質から見れば、このエネルギーは自然界や宇宙の法則に比すれば幼いものだが、“同族どうしで殺し合う兵器”としては過剰であり、愚かしさの極みに思える。
周囲に巻き上がる炎と風に焼かれながら、神は地上へ叩きつけられ、視界が逆さまにぐらりと揺れる。耳鳴りと鋭い痛みが全身を貫き、呼吸すらままならない。やがて爆煙の渦が広がり、熱波が建物や人を一挙に消し去っていくのが感じられた。神はかつて刀の斬り合いに胸を焦がし、火薬の猛威を見てきたが、今回の熱量はそれらをはるかに超える。こんな兵器まで生み出すとは、いったい人間はどこまで進んでしまったのか――意識が薄れかける中、そんな漠然とした思いが浮かんだ。
そして苦痛が始まる。赤黒いやけどの痕が全身を覆い、皮膚はずるずると垂れ下がっている。焼け爛れた神の身体は、今や人間の形を保つのがやっとで、一歩動くごとに体液と血が滴る。四肢の皮膚がめくれてただれ、指がぴんと固まって動かない。髪は焦げ落ちて頭皮が露出し、歯は次第に抜け落ち、髄の熱い痛みに体が震える。助けがあるわけでもなく、わずかに生き延びた者たちも同じような苦悶に呻き、地面をはいずり回っている。水を求める声が響いては途切れ、神もまた灼熱の喉を潤したい一心で瓦礫の間をさまよった。だがすぐに限界が来る。遅すぎる代謝停止がじわじわと臓器を犯し、骨髄の働きも止まっていくため、体は生きながら腐っていくようなものだ。
それは一ヶ月もの長い死の旅路だった。空を舞う金属機器を操る時代に生きた神にとっても、こんなに凄惨な痛みを伴う死は初めてだったろう。野戦病院も満足に機能せず、薬も治療もままならない。周りでは似た状態の者が虚ろな眼で横たわり、一人また一人と力尽きていく。国のため、国体のために命を捧げるなどという美談とは無縁の、ただただ地獄絵のような苦しみに満ちた死の行軍である。あまりの痛みに声も出ず、意識が遠のいたと思えば激痛で蘇る。神は過去の転生で無数の死を見てきたが、ここまで凄惨な生き地獄は体験したことがなかった。
そして最期のときは、脳が軟化し始めたことで訪れた。思考はぼやけ、視界も何も感じられぬまま、“もうどうしようもない”虚空へ吸い込まれる。破壊された街の真ん中で、神の苦痛に震える体はやがて活動を停止した。数日後、あるいは数週間後に、地元の人が瓦礫を整理する際にその亡骸を見つけるのかもしれないが、もはや区別もつかないほどに焼け崩れた形でしか残らないだろう。
人類が自らの叡智を結集して生み出した兵器。それはまるで太陽の一部を凝縮したように、他者を何もかも焼き尽くしてしまう。しかもそれを“戦”として使うのだから、もはや狂気としか思えない。同種族どうしの殺し合いでここまで過剰な破壊を見せつけられると、神は観測者としての立場さえ忘れかけるほど衝撃を受けていた。武士の斬り合いにはまだ誇りがあった。火縄銃や大砲の時代でさえ、理不尽な大量死を神は何度も見たが、こんな瞬間的な地獄は比べものにならない。
結局、人間が手に入れた“進歩”は、どうしてかこうした荒涼たる破壊を招いてしまう。かつて喜び勇んで産業革命や大航海時代を観測した神は、その末路の一端がこれだと見て、ただ黙り込むしかなかった。やがて無形の存在へと戻るとき、神は言い知れぬ虚しさを感じた。いまも街には多くの焼けただれた人々が苦しんでいるだろう。そして更に他の都市にも同様の破壊が行われるかもしれない。まさに非生産的などころか、あまりに破滅的な行為が、同じ種族間で行われている。その風景は、神からすれば異常であり、しかしこれが人間の選んだ戦いの行き着く果てでもあるのだ。
あの銀色の飛行機が投下した“小さな太陽”は、人類史上でも類を見ない衝撃をもたらすだろう。多くの生命を即座に奪うと同時に、時間差をもってこんなにも苛烈な苦痛を撒き散らす。神はその一端を身をもって味わい、文字通り骨まで焼け尽きた。あまりの惨さに、悲嘆や怒りを通り越して、ただ佇むしかない。それでも、これこそ人間が選んだ戦争の最先端なのだ――神は暗い思いで胸を満たしながら、無形の意識の底で呟く。
「なんとも、おぞましいことをやってくれたものだ……」
彼らは一度は革命や近代化で世界を塗り替え、理想を謳っていたはずなのに、結局は天を貫く怪物のような兵器を使い、同種を大量に殺戮し尽くす。誇りや美学の欠片もない、ただの数値で生命を燃やす行為――それがこの時代の戦の実像なのかと、神は強い衝撃を禁じ得ない。しかしそれでも神の観測は終わらない。いつかこの惨禍から、やっと人々が再び立ち上がる日が来るのか、それともまた別の軍拡競争が行われるのか。神には今、その答えは見えない。けれど、人間という種族はどんな深い闇に堕ちても、なぜか新しい夜明けを生み出す可能性を捨てきれないのだから、なおさら注視せずにはいられないのだ。
こうして神はまた一度、地上の姿を見届けた。死と苦しみの連続、そして“最後の一手”となるはずの恐るべき兵器を行使する人間たち――それこそが今の“人間の顔”だ。あまりに醜く、同時に狂気や悲壮を孕む、深淵を覗く行為だ。重苦しい感情を抱えながらも、神は次の歩を考える。いずれ彼らはこの痛みから学ぶのか、それともさらに破滅へ突き進むのか。いかにも不確定だが、そこにこそ神は観測を止められない理由を見出している。いくつもの転生を経ても尽きないほど、彼らは紛れもなく“面白い”――その残酷さゆえに、なおさら。
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