コンプレックス
こーの新
コンプレックス
十年ぶりに地元の大きな遊園地を訪れた。それも来年社会人になる姉と二人。他人が姉との外出をどう思うかは知らないけれど、俺は姉からバイトで貰った無料チケットがあるからと誘われたとき、顔が緩むのを堪えるだけで精一杯だった。
可憐な姉に釣り合うように、友達に協力を仰いでいつも以上に格好良く見えるようにしてもらった。これならぱっと見には男に見えるはず。ただし遊園地だから厚底ブーツは諦めた。低身長だと言うにも低すぎる身長が恨めしい。
姉の運転でやってきた遊園地は、いつかの記憶の姿を留めてはいなかった。
「なんか、いろいろ変わったな」
「まあ、今も新エリアの増設をしているくらいだからね」
ここでバイトをしている姉はなんでもない顔でそう言う。その姿が少し大人っぽく見えて、服の裾をそっと摘まんだ。
「で、何か探してるの?」
隣でしきりに辺りを見回す姉に問いかけると、姉は少し困ったように眉を下げた。
「今日はもう一人誘っててね。こっちで合流するって話だったんだけど」
嫌な予感がした。胸の奥を焦がすような焦げ臭い予感。
「あっ、諒!」
姉は向こうに向かってパッと手を挙げるとブンブンと勢いよく振る。その姿に多くの人が振り向いたけれど、その中で唯一手を振り返した男がいた。
一目見れば分かる。姉からも男からも好意が溢れている。
「ごめんね、少し迷っちゃって」
「大丈夫よ」
「この子が、妹さん?」
男の視線が俺を射貫く。嫌な話だ。こいつは俺が一緒にいることを知っていたんだ。姉が双方に仕掛けたサプライズだったらまだ納得できた。だけどこれは。姉に嵌められたらしい。知っていたら女の子らしい服で来たのに。ちゃんと取り繕ったのに。
「そう。ユイ、この人は志築諒くん。私の、その、彼氏なの」
姉は頬を赤く染める。俺は姉の服の裾を摘まんでいた手をパッと離した。
「あははっ、そうやって紹介してもらえるのはちょっと照れ臭いね。えっと、結奈ちゃんだよね? はじめまして。諒です」
諒は俺に手を差し出してきた。背筋に悪寒が走る。結奈ちゃんなんて、呼ばれたくない。姉はそのことを諒に話していない。それなら俺と諒はフェア。姉に嵌められた仲間だ。
この手を取らずに帰りたい。だけどそんなことをする勇気はなくて、笑顔を張り付けて握手をした。声もいつもの声じゃダメだ。少し高い声が最適解。
「はじめまして。妹の結奈です。ユイで良いですよ」
「うん、えっと、裕奈とは似ていないけど、可愛らしい子だね」
諒はそう言いながら視線を泳がせる。どうにか褒めたくても、褒めるところが見つからないだろう。男のように振る舞う俺を第一印象で褒めろと言われたら難しい。ましてや姉の彼氏ならなおさらだ。
姉は可憐で、白いワンピースを着て海辺を散歩するのが似合うような人。対して俺は、白いワンピースを着ても墓場が似合うと笑われる。生まれ持った輝きが違う。そもそも俺は好き好んでワンピースを着ないけど。
俺は女であることへの不信感から男のように振る舞っているだけ。けれどそれに対する反応は嫌なもの。可愛さで姉と比べられて小言を言われるよりはマシだけど。姉を傷つけるやつは敵。
「諒さんは服のセンスが良いですね。お話を聞きたいです」
「あははっ、メンズ服の話なんて聞いてもどうしようもないだろう?」
「ええ、そうかな? 私だってメンズアイテム使ってオシャレするけど?」
「そういうものなの?」
姉のフォローで諒の意識が姉に向く。諒はあまりオシャレには興味がないらしい。それでもセンスが良いのなら、それは才能だと思う。なんてそんなことはどうでもいい。この人は男女の固定概念が強い。
今日はこれ以上ボロが出ないようにするしかない。
格好良い服が好きなだけの普通の女の子を演じる。それを意識しながらの遊園地は、やっぱり全く楽しめない。大声を上げて笑えないし、冗談も言えない。
唯一の救いは諒がかなり鈍感な類の男だったことだ。演じていることに気が付く様子もなければ、俺を気に掛ける素振りもない。
「ユイ、次はジェットコースターに乗りたいんだけど、良い?」
「私はちょっと休んでるよ。さっきのティーカップで回しすぎちゃった」
「分かった。ここで休んでいてね? これあげるから」
「ありがと」
姉がくれたお茶を片手に、近くのベンチに腰かけて空を見上げる。本当はティーカップだって全然回していない。諒が姉と二人で乗ると言うから、俺は一人だった。やっと諒の目を気にしなくて良くなるなら、遊ぶより休みたい。
「はぁ」
「ふぅ」
俺のため息に重なるように、隣からも深く息を吐く音が聞こえた。慌ててもたげていた頭を戻すと、隣に小学校低学年くらいの子が座っていた。周りに大人はいない。
「なあ、一緒に来ている人はいないのか?」
ついいつもの口調で聞いてしまって、慌てて口を押えた。辺りを見回して、諒がはるか向こうにいることを確認してようやく落ちつけた。
「ママ、どっか行っちゃった」
「そっか。どこまでは一緒にいたんだ?」
「この辺。迷子になったら動いちゃダメって言われたから、待ってる」
それならきっと、この子がいなくなったことに気が付いて母親が迎えに来てくれるだろう。この子が不安にならないように、話し相手くらいにはなってやれるか。
「名前は?」
「ヒナ」
「ヒナか。響きの良い名前だな」
「お兄ちゃんは?」
「おにっ……いや、俺はユイだ」
お兄ちゃんと言われて心臓が跳ねた。それは驚きと、きっと喜び。
「ユイ兄ちゃん?」
「ああ」
どうせもう関わることもない。詳しい説明なんて、ヒナにはいらないだろう。
「ユイ兄ちゃんの家族は?」
「俺の家族はジェットコースターのところ。兄ちゃんはちょっと疲れたから休憩中」
「そうなんだ。あのね、内緒の話だけどね、僕はジェットコースター苦手なんだ。ユイ兄ちゃんは?」
「嫌いではないな。怖いと逆に笑えてくる」
「怖いのに?」
「ああ。怖がっている自分が面白いんだ」
「ふーん、変なの」
興味なさげなヒナの様子に肩の力が抜ける。俺のことなんて何も知らない、これからも付き合いがない相手だと分かっているからか。それとも、ヒナが俺を兄ちゃんと呼んでくれるからか。素の自分で話すことを受け入れてもらえることは、酷く心地良い。
「ママはね、男の子が怖がるなんてみっともないって言うの。男の子なのに怖いのって、変なのかな?」
男の子なのに。変。その言葉に心臓がドクリと脈打った。今度は嫌な方。ギシギシと軋んだゼンマイの音がする。
「変じゃないだろ。女の子だって怖くない子はいるし」
「そうなの?」
「ああ。男の子も女の子も関係ないよ」
事実姉も俺も怖くない。ヒナはくりくりした目を大きく見開いて、俺の言葉をゆっくり咀嚼しているようだった。その真剣な表情に少しは気持ちを楽にしてあげられたら良いと思えた。
男なのに、女なのに。俺も未だにその言葉に殺されそうになる。いつになっても固定概念は変わらないものだ。
ふいに昔のことを思い出した。俺がヒナと同じくらいの年のときのことだ。俺は学校で男女といじめられていた。我慢の限界を迎えて父さんと母さんに相談したら、二人は女になりきれない俺が悪いと言った。
俺はその言葉で、壊れた。ふらふらと戻った自分の部屋で自ら腹に鋏を振りかざした。
その時たまたま様子を見に来た姉が慌てて俺の手から鋏を抜き取って、強く抱き締めてくれた。その温かさにホッとして、学校での話や父さんたちの話を泣きながら話した。自分の存在を否定されて、自分の居場所なんてないと思ったことを伝えても、姉は俺を離さなかった。
その時に姉は言った。男の子も女の子も関係なく、ユイが感じるもの全てがユイを構成しているのだから胸を張りなさい、と。それから俺の心臓に魔法をかけるようにおまじないのキスをしてくれた。
今では心の奥底に仕舞い込んでいたけれど、俺が今日まで生きてくるためになくてはならない言葉だったことは確かだ。
「ヒナは素直に自分の気持ちを言葉にできたら良いね。男の子でも、こう思うからこうしてるって、伝えられなかったら分かってもらえないからね」
ヒナは俺が話し始めたと同時に顔を上げた。その表情が次第に明るくなったことが嬉しくて、ついその小さな頭を撫で回した。
「陽向!」
「ママ!」
突然叫びながら向こうから走ってきた人。ヒナはその人を見つけるとボロボロと泣き出した。そのままよろよろと駆け寄ったヒナを母親は強く抱き締めた。
「心配したでしょ。ママから離れちゃダメって言ったよね?」
「ごめんなさい」
大泣きしながらもちゃんと謝れたヒナの頭を母親が撫でる。ヒナだけが悪くはないだろ、と口を挟みたくなったけれど、ヒナの前で口論はしたくないから口を噤んだ。
「男の子なら泣かないよ?」
母親がヒナの涙をハンカチで拭う。ヒナは首を振るばかりで何も言えない。だけど少しして涙が落ち着いてくると母親の首筋に擦り寄った。
「あのね、ヒナはママと会えて嬉しいの。男の子だけど、ママが大好きなの。ママがいないと寂しいの!」
叫ぶように一気にまくし立てたヒナに、母親は呆気にとられた顔になった。この出会いで、ヒナが自分を殺さないで生きていけるようになれば嬉しい。
「ユイ兄ちゃんバイバイ!」
すっかり泣き止んだヒナは母親と満足気に手を繋いでいる。忙しいやつだとも思うけれど、ヒナが笑っていられるならそれで良いとも思う。厄介なものだ。
手を振ってくれたから俺も手を振り返す。母親が俺に会釈をして、遠ざかって行った二人。あっという間に人混みに紛れて見えなくなった。そっと触れたベンチの温もりがなければ、ヒナとの出会いは幻だったと思ってしまったかもしれない。それくらい、非現実的な出会いだったと思う。
「素直に自分の気持ちを、か」
ヒナに言った言葉が自分にブーメランのように飛んで帰ってきた。それがグサッと心に刺さって抜けそうにない。
痛くて堪らないけれど、折角ならヒナから見て格好良いお兄ちゃんになりたい。そう思うと勇気が湧いて来るから不思議だ。
「ユイ! ただいま!」
「おかえり、姉さん。諒さんもお疲れ様です」
声を偽ることを止める。急に声が低くなった俺に諒は目を見開いているけれど、姉は満足げに笑う。まるで最初から素の自分で接して欲しかったみたいな顔。やっぱり姉に嵌められていたらしい。俺が俺のまま諒と接している姿が見たかった。だから俺がいつもの格好をするように諒のことは黙っていた。そういうことだろう。
「ユイちゃん、喉おかしくなった?」
「いえ、これが素です」
「へえ、なんか、男みたいで気持ち悪い」
諒はそう言って薄ら笑いを浮かべる。予想はしていた。だから頭を鈍器で殴られるのと同等の言葉を浴びせられても上手くしゃがんで躱すこともできた。だけどやっぱり、心が軋む。息が吸えない。
「諒、別れよう。私たちは先に帰るから。ユイ、行こう」
姉は早口に言うと俺の手をしっかりと握って頼りがいの笑みを浮かべた。その笑顔を見ると呼吸がしやすくなる。俺が頷くと姉はさっさと歩き出す。
「裕奈、待ってよ!」
「さようなら、私はユイと幸せになるわ」
姉は俺に微笑むといきなり走り出した。後ろで喚いているやつの言葉なんて、俺たちの耳には届かなかった。
車まで戻って来ると、姉は俺をギュッと抱き締めてくれた。その温かさに身を委ねていると、俺の肩口が温かく湿るのを感じた。
「姉さん?」
「ごめんね。嫌な思いさせて」
「俺こそごめん。嫌な空気にしちゃって。あの人のこと本気で好きだったんでしょ?」
「良いの。ユイのことを受け入れてくれない人といても幸せじゃないから。付き合い続けても時間の無駄。あいつのことも、百年の恋も冷めたって感じね」
吐き捨てるように言った姉の腕がさらに強く俺を抱き締める。俺が生まれてから、二十年間ずっと俺を守り続けてくれた腕。この腕を包み込んでくれる人が現れてくれますように。昔姉が俺にしてくれたように、そっと姉の肩におまじないのキスを落した。
「ふふっ、じゃあ私も」
姉の柔らかくて温かいキスが俺の肩に落とされる。身体を離して涙を拭った姉は、照れ臭そうに笑いながらシートベルトを付けた。俺もシートベルトをすると姉はエンジンをかけながら、したり顔で笑う。
「よし! 焼肉行くぞ!」
「おー!」
姉と俺の再出発の門出に今日はやけ食い。これからは俺らしく頑張る。俺が俺であることを望んでくれる姉のためにも。
コンプレックス こーの新 @Arata-K
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます