第3話 魔王ヴェニタスと女兵士シーナ part1



 深夜の喫茶店。


 


 海の底に沈んだように、辺りは深夜の静寂に包まれている。


 


 ほとんどいつも通りとは言え店内に客の姿はなく、いるのは店長(マスター)である自分と、頬杖をついてぼんやりとカウンターのイスに座っているウェイターの女性――フロールだけ。


 


 気怠げな、のろのろと進む時間。


 


 だが、これがいいのだ。


 


 俺はカップを磨きながらひとり頷く。


 


 朝など永遠に来ないような夜の底で、その気怠さを楽しみながらコーヒーの香りに包まれる時間、この時間がまた喫茶店好きにとっては堪らないのである。


 


 この感覚を共有してくれる人が、きっとこの世界にもいるはず。俺はそう信じて、今日も深夜の暗闇に、この店の明かりを灯しているというわけだ。いつ誰が来てもいいように、食器類をピカピカにして、暖炉にポットをかけてお湯を沸かしているというわけだ。



「ヴェニタス様」


 


 物思いにでもふけるように宙を見つめていたフロールが、ふと頬杖を止めて口を開く。



「お言葉ですが、どうせもう客も来ないので、店を閉めてお帰りになるのがよろしいのではないでしょうか。夜こそが魔族の時間であるとは言え、あまりにも暇すぎて、わたくしも眠くなってまいりました」


「ちょ、ちょっと待て。あともう少し、もう少しだけ粘ろう。今日こそ誰か来てくれるかもしれない」


「諦めましょう。こんな時間にこの店へ来る物好きなどいないのです。来るのは見回りを終えた犬くらいのもので、その犬ですら最近、姿を見せないではないですか」


「いやいや、そんな言い方は――」


 


 と俺が反論をしかけた時だった。唐突、夜の静寂を裂くような叫び声が外から聞こえてきた。



「女性の声だ。近いぞ!」


 


 俺はフロールと共にすぐさま店を飛び出す。おそらく声がしたと思われる方向へと向かって路地を駆け抜け、やや大きな通りへと入る十字路の角で足を止める。


 


 と、俺の鼻先をかすめるようにして男が通りを横切り走って行く。この暗さで、男は俺たちの姿には全く気づかなかったらしい。


 


 離れていくその背中を見やりつつ、男がもと走ってきた方を見ると、路地にへたり込んでいる一人の女性がいた。先ほど一瞬、男が手に巾着袋のような物を持っているのも目に入った。おそらく男は強盗で、女性はその被害者だろう。



 ならば、追うか。と俺が足に力を込めた瞬間、



「貴様、待つでありま~~~~~~~~~~~~~~~~~~~す!」


 


 まるで拡声器を通したような大声が周囲に響き渡った。


 


 そして、女性の後ろの方――闇の中から現れた女性兵士が、ほぼ胸当てのみの軽装備とは言え、鉄製である兵装の重みを物ともせずに風のようなスピードで男を追跡する。



「あら、まぁ……噂をすれば」


 


 どこか楽しげにフロールが呟く。


 


 ああ、と俺は頷いて、ここは軽く助太刀をしておくことにする。


 


 闇を操ることは容易い。この闇の全てが、俺の身体の一部と言ってもいいくらいだ。俺は二人の走っていったほうへと右手を向け、感覚を周囲の闇へと広げて――男の足を見定めると、その手をぐっと握りしめる。



 と、掌に――いや、言うなれば闇の中へと拡張した掌に、男の足を掴んだ確かな感覚。男はすっ転んで叫び声を上げる


 


 獣のごとく闇を疾走していた女性兵士は、すぐに男へ追いつく。



「ジブンから逃げることなど不可能であります! ジブンは嗅覚と、走ることに関しては誰にも負けないであります!」


 


 威勢のいい大声でそう言いながら男を地面に押さえつけ、携帯していたロープでその両手を後ろ手に縛り上げる。


 


 見事な手際と仕事ぶりだ。と、見ていてこちらも誇らしくなる。なぜ誇らしくなるのかというと、彼女がうちの店に来てくれる数少ない常連さんだからだ。


 


 彼女の名前は、シーナ。


 


 しばらく前から夜勤明けなどに店を訪れてくれるようになって、もうすっかり他人という間柄ではなくなっている。


 


 はぁ、とフロールが悩ましげにため息を漏らす。



「やはりとてもいい子……。わたくしにもあのような犬が――いえ、助手がいてくれたなら……」


「助手が?」


「はい。彼女のような子がいると大変役に立つのではないかと。鼻が利くようですし、荷物持ちにもなる。豆の買いつけなどに連れて行くには打ってつけでしょう」


「それは確かに……。でも、シーナは兵士の仕事で忙しいだろうから……」


 


 などと話しているうちに、シーナはすっかり観念してしょぼくれた男を立ち上がらせ、彼を引き連れながらこちらへと戻ってくる。俺たちは少し下がって闇の中でそれをやり過ごし、シーナを再び見守る。


 


 シーナは女性の前に男を跪かせ、取り上げていた巾着を女性に手渡す。



「盗られたものはこれだけでありますか!」


「は、はい、ありがとうございます……」


 


 女性が巾着を受け取ってか細く礼を言うと、シーナはビシッと胸に手を当てて敬礼のポーズを取り、



「承知しましたであります! では、ジブンはここでオサラバするであります! すぐ近くに兵の詰め所がありますので、そこまでこの男を連れて行くとよいであります!」


「え? 私が? あなたは……?」


「ジブンは忙しいので、すぐに他の事件の所へ行かねばならないであります!」


 


 では! と大きく別れの言葉を言って、シーナは本当に男をその場に残してもと来た方へと走り去って行ってしまった。



「どうしたのでしょう。変ですね」


「ああ……」


 


 本当に忙しいのかもしれないが、それにしたって妙だ。力もない一般人の女性に、強盗の男を詰め所まで連行させようとするなんて。しかも、二人は被害者と加害者だぞ。



「代わりに俺が連れて行くって言ってくるよ。フロールは先に店へ戻っていてくれないかな」


「いえ、ここはわたくしが――」


「いや、ここは俺に任せてよ。君みたいにきれいな女性が夜に突然ひとりで現れて、『この男は自分に任せろ』なんて言い出すのもおかしな話だろうし」


「え……? は、はい、それは……そうですね。しょ、承知いたしました……」


 


 どうしたのだろう、フロールはふと戸惑い始めた様子で言って、まるで逃げるように店の方へと戻っていった。



 まあいい。彼女が店番をしてくれているなら安心だ。俺は早速、女性へと声をかけに行く。不安だろうから、可能な限り驚かせないように、ゆっくりと落ち着いた声で、ただの近所の人間を装って……。



「あの……声がしましたが、何か?」


「は、はい」


 


 年は俺と同じ三十才くらいといった感じだろうか。ウェーブがかった長い金髪の女性は頷く。



「さっきこの人に財布を盗られたのですが、兵士さんが捕まえてくださって……」


「そうですか。なら、俺も同行しますよ。一人じゃ不安でしょう」


「ありがとうございます、助かります……」



 女性は肩から力を抜いてほっとした様子で微笑む。


 


 うん、よかった。ケガもしていないようだ。俺もそう安心しながら、



「しかし、こんな夜更けに女性が一人で出歩かない方がいいですよ。実際こんな強盗に会いますし、それに――こうやって助けに来た俺が魔族だったら、どうするんですか?」


「ふふ、そんなまさか」


 


 笑う女性に、俺もあははと笑って返す。


 


 全然、冗談じゃないんだけどな。まあ、それはともかく、シーナみたいな兵士がしっかり夜も働いてくれているなら安心だ。


 


 でも……さっきのシーナの様子、確かに何か変だったな……。



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シーナ編開始です。

この編は全て書き終えており、おそらく6話ほどになると思います。



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