となりの席の嘘つき少女
沖永絢子
となりの席の嘘つき少女
「実はさぁ……わたし、未来が視えるんだよね」
彼女にそっと打ち明けられたのは、隣どうしの席になって、三日目のことだった。
地元の中学に進学すると学区が広がり、知らなかった子たちとクラスメイトになった。彼女もそんな新顔のひとりで、入学三日目まで、僕とは口をきいていなかった。
少しボサボサ気味のウルフカットの黒髪で、顔が半分くらい隠れてしまっている。クラスにまだ友達がいないらしく、休み時間はカーディガンの袖に顔を埋めて背中を丸めている。正直、あまり関わりたいタイプではない。だけど、どこか奇妙に惹かれる、ミステリアスな雰囲気を漂わせている女の子だった。
一時間目の授業が始まるまで、まだ五分ほどあった。未来が視えるなんて、気を引くための軽い冗談だろうと思いつつ、僕は頬杖をついたまま彼女の方を見て訊ねた。
「へえ? どんな未来?」
えへん、という感じに、彼女は背筋をピッとただす。特別に教えてあげるというかのように、得意そうにほほえむ。
「まずね、未来のわたしはアイドルなんだ。ドームでライブするような国民的なアイドル!」
「……うん」
「映画やドラマでも活躍してるし、コスメやお洋服もプロデュースしてて、毎日めっちゃくちゃ忙しい。SNSのフォロワーは何百万人もいるから、更新もしなくちゃいけないしね」
早口で喋っている彼女に対して、僕は神妙な顔で頷いた。黙ったまま、なるほど、という表情を作る。
「友達もいっぱいいっぱいいるし、それに、素敵な恋人だっている。そういう未来があるの、わたしには」
「ふうん……」
未来というか——まあ、「夢」だなと思う。でも、彼女はにこにことわらっていて、楽しそうで。前髪の隙間からふと見えた瞳は、キラキラと輝いていて。否定するほどのことでもない、と思った。
だから僕は、ひとこと「いいじゃん」と、ちょっとだけ上から目線の口調で言った。先生が教室に入ってきて、そこで話は終わった。
季節は巡っていくが、夏になっても秋になっても、彼女にはあいかわらず友達がいなかった。
僕は、彼女を評するクラスメイトたちの言葉を、聞くともなしに聞き流す。
「未来が視えるの、とか言って痛い」
「あいつ、ほんと嘘つきだよな!」
「夢みがちっていうか……病みがち?だよね」
「虚言症っていうの?」
「妄想癖パないわ」
「アイドルになってるなんて誰も信じないだろ」
「貧乏で、不細工で、暗くてさ」
「まあ、あれはさ」
可哀想だよな。
表現はさまざまだが、だいたい、そんな風に会話は終わる。
年中同じカーディガンを着て、すこしずりさがった靴下を履いている彼女は、たしかに裕福ではないのだろうが、貧乏と断定するほどだろうか。僕は不細工だとは思わないが、前髪に隠れたあのきらめく瞳を見たことがなければ、可愛いとは評価しないのもわかる。誰とも話さないので暗いと言われがちだが、僕に話しかけたときの彼女は、とても楽しそうに笑っていた。
など、反論したくはあるのだが、僕はクラスメイトとの和を乱したくなくて、彼女の話になると寡黙になった。
三月になり、早咲きの桜が教室の窓から見える。
そろそろこのクラスともお別れだ。
放課後、僕と彼女はふたりで日直の業務にあたっていた。四月以来ひさびさに、僕たちは隣の席になっているのだ。
西日のさす教室にはもう、ほかに誰も残っていなかった。
ふたりで黒板の掃除をし、時間割をチョークで明日のものに書き換えた。ならんで座り、相談しながら、学級日誌を書き終えた。彼女は無駄口をきかず、淡々と仕事をこなしていた。
日誌、職員室に持って行くのは頼んでいい? と訊こうとしたら、不意に、隣席の彼女は、深くうつむいてしまった。かける言葉を探してとまどっていると、小さな声が聞こえた。
「えっと、さ……」
「……なに?」
彼女は何か言いかけて、口籠もってしまった。僕は怪訝な顔を隠せず、首を傾げる。と、不意に、彼女は顔をあげて、長い前髪の向こうから僕を見据えた。
「実は、……わたし」
デジャヴ、だ。そんな風に思った。また、未来が視えると言われるのだろうか。
「あなたのこと、好きなんだ、……けど」
そこで一拍、言葉を切って、視線を彷徨わせ、狼狽したように頭を横に振り——彼女はへらりと笑った。
「なんて、ね……! もう最後だからって、こんな、嘘」
「嘘じゃないよね」
僕は彼女の目を見つめ返して言った。
彼女の笑みは消え、唇をすこし開いたまま、言葉を発さず、ただ僕と見つめあう。
「なんで、僕が好きなの?」
素直にそれは不思議だった。四月以来、僕たちはろくに言葉を交わしたこともなかったのに。
「……いちども、わたしを嘘つきって言わなかった、から……」
白い頬が朱く染まっていく。細い声が震えている。
「ずっと、見てたから、知ってる」
「——だって、未来、ほんとにすればいいじゃん」
僕は、この一年間、思っていたことを言った。彼女が嘘つきだと言われているのを聞くたびに、もどかしかった。じっと教室の隅にいる彼女を見ては、言ってあげたい、と思っていた。
彼女が、はっとしたように目を見開く。僕の口から、一気に言葉があふれてくる。
「アイドルになってライブして映画に出てコスメや服、作りなよ。視えてるその未来を、本物にすればいいんだよ、それだけだろ」
熱くなっている自分がちょっと恥ずかしいけれど、言葉は止まらなかった。
「そうすれば、誰も嘘つきって言わなくなるよ」
彼女の顔が、笑い泣きという感じで歪んだ。瞳が潤んで、涙がぽろりと流れる。
泣かないで欲しい。わらっているほうが、君は可愛いから。
僕はいちど、ふうっと息を呑む。勇気を持って、次のひとことを続けるために。
——とりあえず「素敵な恋人」から、ほんとにしてみたら?
となりの席の嘘つき少女 沖永絢子 @a_okinaga_
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