第2話
雷の音で目が覚めた。
幾度か神聖ローマ帝国軍の駐屯地に戻ったが、今日はラファエルの屋敷に戻って眠っていた。
ラファエルの外遊は長引いているけど、きっと彼のことだ、王妃の側で、色々なことを見聞きして戻ってくれるに違いないと思う。
彼の留守の間、昼間はアデライードと一緒に教会を周り、飾られた絵画を見た。
シャルタナ邸で見た絵と同じ作者の作品がないか、調べている。
予想はしていたけど、なかなか見つけられない。
「ネーリ様の美術の才を疑ったりはしないのですが……もし修復士としてその同じ方が携わった方の作品があったとして……分かるものでしょうか?」
「修復された作品の方ではね。多分無理だと思う。
彼はフォルトゥナートの筆遣いも非常に精巧に再現してた」
アデライードはきょとんとする。
見事な宗教画の下で、ネーリは優しく笑った。
「では何故……」
「僕が探してるのは、彼の作品。誰の模倣でも、修復でも無い、彼自身のね。
彼は優秀な絵を描く技術を持ってる。フォルトゥナートを再現出来るほどの人がどうしてシャルタナの為に贋作を描いたのかは分からないけど……。
贋作の作者でも、画家だ。
きっと自分の絵だって描いていたと思うんだ。
画廊も探すつもりだけど、まず教会に寄ったのは、街の教会なんかには、寄付された絵を作者に問わず掛けてくれるところもあるから、そういうところには名前も無い絵があったりするんだ。
もしかしたら何か事情があって、僕のように名前が使えなくて、それでも世に出そうとした彼の絵があるかと思って。
画家は、描きたいんだよ。
自分だけの、自分の絵を。
それは画家なら誰でも持ってる欲求だから、絶対に騙せない」
「でもネーリ様が見たのは、その方の贋作の技術ですわ。誰かの筆遣いを真似したものです。その方の筆遣いは、ある意味分からないのでは」
「そうかもしれない。
でも、分かる気がするかも、ってそうも思うんだ。
アデルさんはあの【ノアの方舟】の絵……見た時どう思った?」
贋作の絵。
「……とても美しい、素晴らしい絵だと思いました」
「僕もだよ」
ネーリは微笑む。
「確かに彼の絵じゃ無い。人の真似だ。
でも僕はあの絵を見た時、とても美しい絵だと思えた。
フォルトゥナートの絵に込められた想いまで、彼はちゃんと理解し、敬意を払って真似をしてる。多分その絵を強く愛していたんだと思う。
だから真似でも、なんていうか……冷たい感じがしなかったんだ。
本当に精巧に出来上がっていたけど、ちゃんと彼の気持ちも感じられた。だから、彼の作品を見た時にも、きっと彼だと分かる何かがあるんじゃ無いかって思うんだ」
ちょっと分かりにくいかな? とネーリは尋ねたが、アデライードは首を振った。
「芸術家のお話だと思いますけど……でも、なんとなくネーリ様が仰ることは分かるような気がします。
私、絵に描かれる家具やお花がとても好きですわ。
好きだと、それをじっと丁寧につい見てしまいます。
画家の方はきっと、絵を描くことでそれをなさるんですわ」
ネーリがアデライードの手を優しく取って、階段を降りてくれる。
「アデルさんは本当にすごいよ」
彼が笑いながらそう言ってくれた。
「ラファエルが貴方を信頼する理由、僕はすごくよく分かるなぁ」
紫掛かった瞳を瞬かせてから、アデライードは少し頬を色づかせて嬉しそうに笑った。
何度かフェルディナントも夜、教会を回るのを手伝ってくれた。
まだ見つけられないけれど、もし彼か、彼女かの作品が分かれば、素性が分かるかもしれない。【死のリスト】を解明する上での数少ない手がかりになる。
フェルディナントと教会を回るのは、彼がそのまま駐屯地に帰る時だ。
帰ると見た絵や教会の話をしながら、一緒に眠る。
フェルディナントは前は、自分は軍人だから絵は見ないし見れないと言っていた。
でもこうして一緒に絵を見るようになって、感想などを聞くと、フェルディナントは決して芸術に無関心では無いし、どんな作品も真摯にそこに描かれているものを理解しようとしているのが伝わって来る。本当は触れてこなかっただけで、芸術の感性のとても豊かな人なのではないかなとネーリは思うことがあった。
一緒に教会に行って、飾られた絵を見て、眠る時まで一緒にその話をしながら眠りにつく。最近訪れるその時間を、無性に幸せに感じる。
(フレディもそう思ってくれてるかな?)
そうだといいな、と窓の外の雷の瞬きを見ながらネーリはふと……身を起こした。
寝台から下ろした足が、ここでは温かい絨毯の上だから、冷たさは感じない。
暖炉にはそっと火も揺れている。
「すごい雨……」
窓辺に立ち、遠くを見た。
稲光が時折走っている。
ネーリは稲光が好きだった。落ちて火事を起こしたりするから、危険なものだとは十分分かっていたけど、美しいのだ。
普通子供は怖がるものなのに、とユリウスが嵐の夜になると窓辺に張り付いて、飽くことなく空を見上げているネーリをよく笑っていた。
また閃光が瞬く。
遠くに、影が見えた。
【シビュラの塔】。
歴史書は、神の時代からあったと記す、人知を超えた古代兵器。
(ヴェネトの始まりも、きっとあそこから見てきた)
呼ばれたような気がしたが、いつものように闇の中にただ影となり、時々稲光がそれを照らし出している。
ずっと自分を呼んでいるのは一体誰なのか。
……ふと。
何気なくベッドに戻ろうと思って庭先を見下ろすと、
花の植えてある庭園の方では無く、屋敷のすぐ前の芝の庭の所に、大きな影があった。
思わず目を疑って、目を擦った。
「……フェリックス?」
お行儀良くそこにいつものように座り、こちらを見上げているのだ。
驚いた。
金の瞳がぴかぴかと光ってる。
彼はヴェネツィアの街に来ることは出来ない。禁じられている。
フェルディナントだろうか?
ネーリは部屋を出てみた。
廊下から下を見下ろしたが、何の物音もしない。
今日は屋敷にはアデライードしかいない。彼女もこんな深夜は眠っているはずだ。
ネーリは明かりも持たずに、降りていった。
入口の扉をそっと開いて少し確認したが、雨と風の音だけで、フェルディナントの姿もなかった。
ネーリは急いでフェリックスがいた庭に回り込んでみた。
すると、そこには何の姿も無い。
「……?」
夢でも見たのだろうか?
ネーリは嵐の中、思わずそこで立ち尽くしてしまった。
「ネーリ様?」
アデライードが客間の扉を開いて驚いた顔をしている。
それはそうだろう。
突然ネーリが夜中の、しかも嵐の庭にいて、ずぶ濡れで立ち尽くしているのだから。
「どうなさったのですか?」
ハッとする。
「ご、ごめん。ちょっと……寝ぼけたみたい」
アデライードはきょとんとしてから、くすくすと笑い出した。
「いけませんわ。さぁ、早くこちらへ。風邪を引いてしまいます」
「ごめんなさい」
ネーリを招き入れて、彼女はすぐにタオルを持って来てくれた。
「驚きましたわ。何かあったのかと……」
「あっ! 玄関開けたままにしちゃった」
「私が閉めて参りますわ。何もなかったならいいのです。怪しい人影でも見えたかと……どうぞ、お部屋にお戻り下さい。温かいお茶でもお入れします」
「ごめんね……」
「いいのです。実は私も眠れなくて、本を読んで夜更かししてましたの。着替えて暖炉の側にいてください。すぐにお持ちしますわ」
アデライードが優しく笑うと、ネーリは汚れてしまった自分の足や、全身をタオルで拭いて、二階の自室に戻った。
「夢だったのかな……」
暖炉の側に行こうと思って、もう一度窓辺から庭先を見下ろしてみた。
そしてネーリは息を飲んだ。
確かに、そこには何の姿もなかった。
フェリックスなどはいない。
しかし庭先にくっきりと、四つの竜の足跡と、地に引きずる尾の長いあとが残っていた。
【終】
海に沈むジグラート 第72話【春と冬の狭間】 七海ポルカ @reeeeeen13
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