その刻が来るまで
「はぁ……はぁ……」
ユーリの息が少し荒くなってきた。あれからどのくらいの時間が経ったのか,ユーリ自身にも分からなかった。「外套の男」の攻撃を反撃もせず、引きつけながら躱し続ける。
瓦礫が降り注ぎ、地面が抉れ、空気そのものが焦げるような衝撃波が街を駆け抜ける。
──視界の端で、街の塔がひとつ崩れ落ちた。
飛び散った破片が頬をかすめ、血が滲む。
しかし痛みよりも、フタバと分かれてから時間がかなり経っていることに焦りを覚えていた。
「フタバ……まだなの……?」
危惧しているのは体力の限界ではない。今日の作戦が始まる前、ある一つの約束があった。
フタバが提案した今回の作戦。同時多発的にそれぞれが敵と相対して戦力を分散させる作戦は連携が必要となる。
アックス、ユーリが敵の主力を引き付け、フタバが本命の術者を無力化するという流れ。しかし、フタバが本命を叩くという虚をついた作戦は賭けの要素が強いものであった。
ただでさえも戦闘経験の少ないフタバを本命にぶつけることは作戦の成功率をかなり下げる。しかし、それこそが相手の隙をつくとフタバは狙っていた。
だが,アックスがこの作戦を承諾するにあたって一つの条件があった。
それは日付を跨ぐ鐘の音が鳴り、作戦が始まってから一時間以内に丘の上の術者を無力化した合図がなければ、即座に別の作戦に移るというのと。
その作戦とはジルが最高威力の魔法で丘の上ごと撃ち抜くというものであった。つまり、フタバを巻き込む前提の一網打尽の作戦なのだ。
ユーリが焦っているのは、時計台の時刻がもうすぐで一時間になるということ。
そんなことも知らない「外套の男」は、容赦なく攻撃の手を緩めなかった。
鈍くうなる風切り音が耳を裂き、直後、地面が抉れた。石畳が砕け、破片が弾丸のように周囲へ飛び散る。ユーリはとっさに身をひねり、辛うじて直撃を避けたが、顎をかすめた衝撃で視界が白く弾けた。
「っ……!」
上下が分からなくなるほど視界が揺れ、ユーリは瓦礫の上に片膝をついてしまう。呼吸を整える暇もない。体勢の整えようと力を入れようとするもバランスを取ることが出来ず再び倒れてしまった。
黒い外套の影が、まるで風そのもののように距離を詰めてくる。
動きに迷いも感情もない。ただ標的を仕留めるためだけに存在する無機質な殺意。死がすぐそこまで訪れていた。
「外套の男」の腕がゆっくりと伸び、無機質な包帯に包まれた不気味な手がユーリの喉元に触れようとした。
だが——その瞬間、ぴたりと動きが止まった。「外套の男」の手は、彼女の喉元まであと数センチという距離で静止している。
ユーリの頬を一筋、冷や汗が垂れた。
喉元まで迫っていた“死”が、ありえない形で静止している。状況は好転していないはずなのだが、目の前で何かが起きていることは間違いなかった。
「外套の男」は踵を返してその場を離れていく。さっきまで異常なまでの殺意は消え失せ,何か別の目的に駆られたように動き出した。
「何が起こったの……?」
状況が理解出来ないユーリはすぐに動くことが出来なかった。ただ「外套の男」の標的が変わったことは確かだった。「外套の男」の向かおうとしている方向に嫌な予感がユーリの中で過ぎる。
「もしかして……ジル!」
「どうした!?」
ユーリの声は掠れ、息は荒く、足元はまだふらついていた。だがその緊迫した響きに反応し、塔の影からジルが身を乗り出す。
「あいつの標的がフタバに変わった可能性がある!アックスの作戦に切り替えて!」
「はあ!?でもフー坊からの合図がまだ来てないぞ!」
「だけどこのままじゃフタバの所にあいつが行っちゃう!」
「ちっ!フー坊の野郎、てこずってのかよ!
ジルは険しい顔つきで腕輪に魔力を込めると、呼応したように魔法陣が展開された。魔法陣が閉じると同時にジルの手に身の丈ほどの長弓が現れた。
古色を帯びた黒檀の身に、真鍮の飾りが雷紋のように刻まれた長弓。弦はしっかりと張られているがそこに”矢”はない。
ジルは静かに息を整え、弦に指をかける。
ほんの数ミリ引いただけで、空気が「ピシッ」と震えた。
雷が落ちる直前の、あの独特の静電気。髪が細かく逆立ち、肌の表面に微かな痺れが走る。
さらに弦を引く──それに呼応するように、弓身に刻まれた雷紋が淡く光りはじめた。
そして、空気の隙間に細い光が走り、弦と空間の間に一本の“形なき矢”が生まれる。
はじめは細い火花の筋に過ぎなかったそれが、ジルの魔力を吸い上げるように濃く、重く、眩くなっていく。
弦の震動と同調して、雷の矢は脈動し、まるで呼吸をしているかのように膨張する。
「……弾け飛べっ!」
ジルが息を吐いた瞬間、
稲妻の矢は完全な形となり、周囲の空気が熱を帯びて揺らめいた。
瞬間、世界が白光で“裂けた”。
雷鳴が地を震わせる轟きとなり、矢は音もなく弾丸より速く走る。
軌道上に細く鋭い雷線が描かれ、空気は灼け、周囲の瓦礫が風圧で跳ね上がる。
矢が通ったあとに残るのは、雨雲を割くようなまっすぐな光の断線。
その軌跡はまっすぐに丘の上の療養院へと進んでいく。
だが、思わぬ姿が矢の軌跡を遮るように現れた。
「ちっ!あいつっ!」
「あの距離をどうやって……?」
光の線の上に、“影”が立つ。
真黒な外套を靡かせ、ゆらゆらと全身を覆う包帯が月明かりに照らされ、その異様なまでの手足の長さがより際立った。
空気を切り裂くほどの放たれた雷矢を両手で受け止めた。雷矢が衝突した瞬間、爆風が街区全体を揺らすほどの衝撃が走る。
黒い外套が暴風に煽られ、裂けるように翻る。さすがの「外套の男」もジルの放った豪雷天弓の威力を反射できないのか、雷矢との鍔迫り合いが始まった。
「化けもんかよ……」
いくら”反射”の魔法といえどかなり長時間魔力を練り上げたジルの一撃を耐え切るなど考えもしなかった。それはジル本人が一番理解しており、焦りの表情を隠そうと唇を噛む。
激しく暴れ狂う雷の奔流が「外套の男」を飲み込もうとするも、徐々に「外套の男」の両手に膨大な魔力が収縮されていく。
「嘘だろ……あれを押し返す気か?」
ジルが息を呑む。雷矢はまるで暴れ狂う獣のように軋み、形を保てず激しく閃いた。しかし、徐々にその閃光も弱くなっていき、やがて雷光は完全に掌握されてしまった。
豪雷天弓は山をも穿つ一撃。本来なら直線上の物体は形を残さない程の威力だが,今まさに「外套の男」によって跳ね返されようとしている。
一瞬の沈黙が流れ、爆発的な衝撃が街中に響く。掌握された雷矢がもう一度形を成して、ジルへと牙を向く。
雷光の奔流がひっくり返り、撃ち出された方向へ一気に逆流しだした。
「まじかよ!これでもダメなのか!」
「ジル!身を隠せる低い場所に移動して!」
予想外の事態に狼狽えるジルであったが、状況を読み切ったユーリが叫ぶより早く建物の壁を蹴って空中を縫うようにジルのいた塔へと飛び上がっていった。
ジルから豪雷天弓を受け取り、雷矢の光芒を真正面から受け止めるように立った。迫る雷矢を前にユーリは息を落ち着かせ、弓を構えゆっくりと詠唱を始める。
「
囁くような詠唱。だがその言葉は周囲の魔力を震わせ、足元の瓦礫がカタリと転がるほどの圧を孕んでいた。
豪雷天弓の黒檀の身が低く唸りはじめる。
雷矢の光が、まるで引き寄せられるように弓へと吸い込まれていく。
「ユーリ!魔力が暴発しちまう!」
「……大丈夫!この為にジルの魔力を細かくマーキングしておいたから、!」
大地を揺るがすほどの魔力の奔流がユーリを包んでいく。ユーリの元に集まっていく反射された雷矢。やがて弓の黒檀の表面に、白い稲妻のようなヒビが走る。
真鍮で縁取られた雷紋が一瞬光り、次の瞬間には耐え切れないと訴えるように歪んだ。
「あなたを倒すのは今の私には不可能……あなたは強い。だからあなたの力を信じることにしたの!」
弾ける雷撃がユーリの全身を掠めていく。しかし,ユーリの顔には一切の恐れがなかった。それどころか彼女の瞳には勝ちを確信したものさえあった。
ユーリは足場の悪い地面を踏み込み体を大きく反らして上空に弓先を向けた。
「……私の狙いはこっち!」
発射された雷矢は、外套の男が反射したそれを遥かに凌ぐ密度と速度で、轟音と共に一直線に空を駆け上がる。
夜空が白く染まり、塔の上にいるユーリの体が強烈な反動に押し戻された。
雷矢が結界に触れた瞬間、空気が裂けるような轟音とともに、結界の表面に亀裂が走る。最初は微細な光のヒビに過ぎなかったが、瞬く間に蜘蛛の巣のように広がり、結界の青白い輝きが激しく揺らぐ。
結界の内部から連続的な軋みが響き、半透明の壁が大きく波打つ。剥離はやがて一箇所にとどまらず、全体へと連鎖し、光の殻が層を成して剥がれ落ちていく。
「やった……のか?」
「うん。結界は壊れた」
剥がれた光の欠片は、夜空へと舞い上がりながら消えていく。魔力探知に長けたユーリだからこそ、張り巡らされた結界が完全に剥がれたことを確信した。
結界の破片が光の欠片となって落ちてくる。
淡い光粒が雨のように降り注ぐ中、外套の男はただ静かにこちらを見つめていた。
「問題のあいつはまだピンピンしてやがる」
「やっぱり「外套の男」と「結界の術者」は別の人物みたい」
ユーリとジルが構えを取り直す。結界の破片が降り注ぐ中、「外套の男」はゆっくりとこちらに歩いてくる。
しかし「外套の男」の足元の影が、わずかに揺れた。「外套の男」は時間が止まったかのように歩みを辞める。
次の瞬間、その揺らぎは形を持ち、外套の裾の内側から“何か”が溢れ出した。
「おい……あれって?」
「……うんっ。フタバが成功したんだ」
黒い炎が外套の男の周囲にゆっくりと立ち昇り、夜の空気と混ざり合って形を歪めていく。
夜に溶けていくように「外套の男」の全身の輪郭が淡く透けていった。
ただ静寂の中で、「外套の男」の存在が薄膜のように剥がれ落ちる。
外套の裾が最後にひらりと揺れた。
その布地の影が黒炎に吸い込まれ、形を失い、空気の中に消えていく。
そして成功の合図として丘の上から信号弾が虚空へと伸びていった。
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