第2話 入学パーティ
入学式後の長ったらしいホームルームを終えて初日の緊張感から開放された。三人は学校近くの商店街にあるラーメン屋で丼を空にした後だった。
「ボクの家は山の向こうだよ」
「今日遅れたのはそのせいなのか?」
「いいや。来る途中で人助けしてた。そしたら道に迷って遅れた」
「アニメでよくある言い訳みたいだね」
でもマーティが言うとどこか本当のように聞こえる。華都の地形は歪でまだ発展途上の土地が多く存在している。生まれてこの方華都に暮らしている涙と陽もまだ行ったことがない場所があるぐらいだ。
「今日の夜、僕の家で陽の家族と合同でパーティをするんだけど、マーティも来る?」
「え、すごく良いね! 楽しそう! ……でもボクはいいや。帰って、兄さんの仕事を手伝わなきゃ」
「そっかぁ残念。頑張ってね」
「兄貴と一緒に日本に来たってすごいな。兄貴どんな仕事しているの?」
「兄さんはエンジニア。いっつも部屋にこもって何か作ってる。今日も帰ったらコテ持って基盤づくりだよ」
マーティは面白おかしく笑った。言い方は小馬鹿にしているが、そこには兄に対するリスペクトがあることを二人は汲み取った。
テーブルに置いていたマーティのスマホが揺れる。彼は瞬時にメッセージを確認して「ボクもう帰らなきゃ」と残念がった。
「美味しいラーメン屋を教えてくれてありがとう。また明日ね」
サラサラの金髪を揺らしながら彼はそそくさと出ていった。残された二人は「大変そうだ」と関心しながら後を追うように少し談笑してから店を後にした。
***
「なぁ、涙」
「なに、陽」
自転車に乗らずにトコトコと歩いている。段々と傾く影には目もくれず、二人は前を向いて足を進めていた。
「俺達、これでよかったんだよな」
陽が足を止めて頭上に広がる暖色のグラデーションを見つめた。
彼がその様に発言する背景を涙は知っている。華都には2つの私立高校と1つの公立高校が構えており、天ノ橋高校は前者に該当する。二人は望んでこの学校に進学したが、中学三年の受験校を決める際に、二人は当時の担任と酷く揉めた経験がある。
二人が通っていた華都第二中学は市内でも勉学の質が頭一つ抜けていた。生徒たちは大抵市外の優秀な学校に進学するか、市内のもう一つの私立高校である華都高等学校への進学を希望する。全国的にも優秀な成績を収めていた涙と陽も、例外なくどちらかに進学するだろうと思っていた当時の担当教師たちは二人の選択を見て度肝を抜かれた。天ノ橋高校も決して低い偏差値の高校ではないのだが、華都第二中学からの視点は『滑り止め』の高校だった。そんな高校を第一志望にして受験するとなると、他の面子の顔が立たないと思い、教師たちは意見を捻じ曲げるのに必死になっていた。学校側の名誉なんて気にもとめず、二人は華園よりも天空を目指した。
「君はスポーツを伸ばしたかったから、僕はロボット工学を伸ばしたかったから。明確な理由だよ。それに僕はとても好都合だ。三年間で十二回戦った相手に一勝しか出来なかった。今度は僕が全勝する」
「お前は目標が絶えなくて幸せだな」
「悩み事が多い人のほうが将来的には幸せになれるよ」
置いていくよと涙は先々進んでいく。横に並んだり、どちらかが下がったりしながらゆるゆると帰宅する。
***
涙の家の庭にはすでに陽の家族も居て、大人たちがBBQの準備をしていた。二人の帰宅に最初に気づいたのは短い腕で生野菜が入ったボウルを抱えて運ぶ明音だった。
「涙お兄ちゃんおかえり! あ、陽ちゃんも一緒だぁ!」
「ただいま明音。母さんたちの手伝い出来て偉いね」
学校では険しい表情だった涙も九歳離れた溺愛する妹の前では頬を緩ませた。明音は二人の顔を見た後でニヒヒと笑って「お手々洗ったら遊んでね」と二人に背を向けて自分のことを待っている大人たちのところに駆けていった。
「明音ちゃんも小学生になったんだっけ」
「あぁ。僕よりも未来を輝かせることが出来る逸材になるよ」
「言ってることがオジさんだな」
二人が家の中に入ると、スーツを着たままの隼とすれ違う。彼は涙の兄で大卒、社会人二年目に入り、商社マンとしての道を着実に歩んでいる。
「おぉ涙おかえり。陽くんも。俺も今戻ったところでさ。入学式どうだったよ」
「兄さんただいま。仕事大変そうだね。入学式は……まぁ普通だったかな」
「隼さん、俺たち高校でもクラス一緒なんですよ」
「そうかそうか〜、そりゃめでたいな。今から買い出し行ってくるけど、ジュース何飲む?」
「果汁系がいいかな。そしたら明音も飲めるし」
「俺も炭酸が入ってないやつのほうが嬉しいです。紅茶系要るかな」
「緋彩さんたちからレモンティーは聞いた。母さんたちがミルクティー欲しがりそうだから買っとこうか」
隼は一つ一つ確認しながら買うものをメモ書きしていく。その様子を見ていた涙と陽は気遣う言葉を投げたが、かは「お前たちは腹空かせて待ってたら良いよ」と丁重に断った。
見送った二人は手洗いを済ませてキッチンに向かう。そこでは必死に食材を刻んでいる緋彩と紺七が居た。最近また金髪に染め直した緋彩は陽の六歳上の姉で、入学祝いに新調したメガネをかけている紺七は陽の双子の姉である。二卵性双生児として生まれたため瓜二つではないが、嗜好や思想的な部分は似たりよったりなところがある。
「陽じゃんおつか〜」
緋彩が陽を見つけて声をかける。それに続いて紺七が二人と目を合わせる。彼女は吹奏楽部の強い市外の高校に進学した。比較的無口で大人しい。姉と弟と比較するとその落差が随分と目立つ。
「おつか〜、姉ちゃんたちなんか手伝うことある?」
「だいたい明音ちゃんが頑張ってくれたからもうないかな。この辺のやつも表のが無くなったら出すやつだし。あっちも隼さんが買い出しから帰ってきたら始めるっぽいし。父さんたちはとっくの前からビール開けてるってさ」
「おっけ〜。んじゃ俺たち庭で待ってる」
二人がキッチンを後にすると、再び明音が現れた。少女はニヒヒと笑って二人の手を掴む。「こっち!」と天真爛漫な声はその背中を追っていた姉妹を少しばかり笑顔にさせた。
部屋に引き込まれた男子高校生は少女に従わされるまま床に着座し、目を閉じろと言われて閉じ、「あー」と言ってと指示されて「あー」と言い、両手を出してと言われて、両手を胸元に出した。
少女が目を開けていいと言ったので目を開けると、手の平にはビーズで作られたキュートなキーホルダーが乗せられていた。涙は寒色のビーズ、陽は暖色のビーズがメインカラーになっており、ポイントカラーにはレモン色のビーズが使われている。更にアクセントには月と太陽のモチーフが使われており、彼女の着眼点の良さが際立っていた。
「明音ちゃんが作ったの?」
少女は少し恥ずかしそうに頷く。照れ隠しに涙に抱きついて彼の耳元で「カンちゃんと作った」と言った。紺七は手先が器用で中学時代にも陽の陸上の大会や自身の吹奏楽部の発表会前などにお守りのようなものを作って渡していた事がある。おそらく明音の要望に応えるようにして製作したのだろう。
「おそろい。私ともおそろい」
彼女の手にも二人と同じようなキーホルダーがあった。白とレモンカラーで作られ星のモチーフがついている。少女は涙に手渡して、自身の首に下げている紐の先につけるように要求した。涙がつけてやると満足げに飛び回ってキャッキャと笑った。涙からすれば狭くて小さい部屋だが、妹にとってはまだまだ広い部屋で、壁の所々に貼られている幼女向けのアニメのポスターや、フワフワで可愛らしいぬいぐるみも彼女が横に立てば、まだまだ大きくて、アリスの世界のような錯覚を起こした。
玄関から「ただいま〜」という声が聞こえたところで、涙が「明音」と呼び止める。
「兄さんが帰ってきたから、そろそろお庭に行こうか」
「おにくたべる〜!」
妹が目がけたのは涙ではなく陽だった。二人いる時に抱きかかえて連れて行ってくれるのはコッチだという認識があるらしい。ちなみに、兄二人のときも涙ではなく隼に向かっていく。
親友の妹に顔面をホールド陽は慌てふためきながらもしっかりと抱きかかえて、涙を後ろにつかせて、歩いている間は涙と会話をさせるように配慮しながら庭に向かう。
***
「かんぱーい!」
三日月家と日比谷家の合同パーティは青く輝く満月の下で行われた。今回の主役の涙・陽・紺七は終始はにかんだような表情でごちそうを頬張る。少し前の記憶を振り返ったり、パーティらしくゲームをしたりなどをしながら自由な時間を過ごしている。
「そういえばクラスに留学生が居たんだよ」
陽がその話を出したのは日比谷三姉弟と涙でまとまっている時だった。瞬時に長女の緋彩が「どこの国の人なの?」と反応する。彼女は見た目こそギャルだが、国際政治学部に在籍している学生で、外国人の友人が多数居る。
「イギリス人です。半年ほど前からお兄さんの仕事の関係でコッチに来たらしいです」
焼きそばを啜っていた陽の代わりに涙が応えた。すると緋彩はすこし怪訝な表情を浮かべて「お父さんじゃなくてお兄さんなんだ」と指摘する。本人曰く、としか返せない。
「そいつ、初日から遅刻してきたんだよ。キャラ濃すぎね?」
モグモグしながら陽がまた入ってくる。リスのように頬を膨らました状態で話すものだから、三人が大笑いした。
「陽の方がキャラ濃いよ。ココ」
笑いを抑え込むのに必死になりながらクールな口調で上唇を指差すのは次女の紺七だ。陽が持っていたお手拭きで拭う姿を横目に「コッチはめちゃくちゃ普通だった」と続けた。
「全部が地味。そこが決め手でもあったんだけどさ、中学時代の派手さと本気度を知ってたらちょっと選択ミスったかも」
「でもカンちゃんの高校って吹奏楽で毎年金賞取ってるんでしょ。大丈夫、やっていけるよ」
涙と紺七がお互いを称え合うのを緋彩がニタニタと見ていた。一方で陽は一見無関心かと思えば、ニタニタしている長女が雰囲気的に邪魔だったので引きずって二人揃って退場した。
「涙はさ、高校でもロボット造るの?」
「そのつもりだけど、どうして?」
「だから天ノ橋にしたの?」
「そうだよ。学力とかも大事だけど、僕にはロボットを造ることのほうが大切だったから。ちゃんと選んだ」
紺七は納得するように「そっか……」と返す。
二人の間に湿っぽい空気が滞留し始めたときに、少女の後ろから「カンちゃん! 遊んで!」と明音がやってきた。涙は刹那にアイコンタクトをして、スッと妹に席を譲った。その様子を少し離れたところから見ていた姉弟は(主に姉のほうが)喧しくなり、幼い妹を召喚した策士な長男は何事も無かったように大黒柱たちに酒を注いだ。
涙は母に一言添えてからパーティの輪から離れる。二階建ての家に入って、ミシミシと音を立てて階段を上り、自室に入る。部屋の壁が一面白色なので、電気をつけていなくてもそれなりには明るく見えていた。
涙は勉強机の横にある本棚の前で足を止める。
この本棚を置いてもらったときは背伸びをしても一番上の段が届かなかったのに、十年も経てば余裕で届く様になった。父親が「これだけの容量があれば、大学卒業するまで困らないだろう」と言っていたが、床には入居の順番待ちをしているロボット工学の参考書がボックスファイルの中に収まっている。
涙がロボットに夢中になったのは五歳の頃。
その年はロボットアニメが流行った年でもあり、結局実現できずに幻扱いされている空を飛ぶ車が話題になった年でもあった。最初は純粋無垢な「かっこいい」に惹かれていたが、次第に奥深さを知り、学校での工作が更に作り手の道を助長し、彼がロボットを作り始めたのは九歳のときの自由研究だった。
その時は失敗に終わったが、当時の担任に「科学に諦めは禁物」と助言されたのをきっかけにブーストがかかった。小学校の五年生と六年生では立派な作品を作り上げ、全国大会で最優秀を獲得した。
彼の造る作品には「人のためになるもの」というテーマで統一されている。将来性と利益性をしっかりと捉えている。後者は父親が社長を務めている繊維会社での姿を目の当たりにしているためであった。
――人の為を思うなら、コストパフォーマンスも重視しなさい。
涙の作品はフォルムこそ大きいが軽量でそれでいて耐久性は優れているという一般家庭に響きそうなものが大半である。
中学ではそれが刺さりにくいことに気付けなかった。
自分の弱点を知ることができたのは華都の中に、自分とはタイプの異なる天才が現れたからだ。むしろ今まで出てこなかったことが不思議だと思わせる才能とセンスの持ち主だった。三年間で十二回戦い、たった一勝しか出来なかった相手。その人の作品はまるで「自分のためになるもの」。涙と対極的な質のものであった。テーマ性もあるが、その人の作品はとても中学生が造るものではなかった。奇抜で画期的で大きくない――その人はココ数年のトレンドを傾けた。
「この三年は負けられない。負けたくない」
涙は一枚の写真を手に取った。
中学卒業前最後の大会があった先月に受賞者の二人だけで撮った写真。左には自分が、右には僕を負かした女の子が写っている。腰ぐらいまで伸びている髪を三つ編みにして一つに結んでいる、黒縁のメガネで凛とした立ち姿が印象的だった。その大会の後で連絡先を交換したが、忘れないようにお互いの名前を送りあっただけで、それ以上の進展は一寸もない。どこの高校に進んだかもわからない。成績的や功績的には華都高等学校であれと思うが、もしかしたらもっと高いところに行ったかもしれない。
「負けたくない」
勝負師がよく口にすることばが涙の頭を支配する。次にその女の子が造っていたロボットの傾向が脳裏を巡る。今すぐ作りたい。作らないと――涙は身体の芯がオーバーヒートを起こした様に机に転がっていたペンを乱暴に握って置きっぱなしにしていたスケッチブックの適当なページを開いて、固まった。
涙の手は震えていた。同時に崩れ落ちるようにして床にドスッと膝を着いた。自分にはあんなものは作れない。けれど勝ちたい。それなのに勝ち筋が見えない。だから負ける。
そばに落ちている影が涙を嘲笑う。涙は縮こまって、誰も見ていないのにぐちゃぐちゃになっている顔を隠した。
早く誰かの役に立つ道具を作りたいのに、自分の無力さのほうが勝って、焦りが自分の行動を更に乱す。そこまで分かっているのに、コントロールができない自分の経験不足に怒る。
いつからこんな風になってしまったのだろう。周囲の人と一緒にいるときは流動的になり、自分ひとりになると文字通り”独り”でいるような。周りともっと馴染んでも問題ないはずなのに。
――プライドか? わがままか? 使命感か?
必然と境界線を引いて、さらにこちら側にだけ大雨を降らせて線を越させないようにしているような。
――せめて、自分と同じ境遇の仲間が居たらこんな思いしなくて良かったんだろうな。
涙が蹲る姿勢から再び立ち上がったのは、庭の方から悲鳴と阿鼻叫喚の声が聞こえたからだった。部屋の窓からその様子を覗うと、人数が減っていることに気がついた。残っている面子に心底絶望しているこちらを見上げて「涙‼」と叫ぶ陽。
「そっちに行く……!」
かろうじて絞り出せた言葉だった。
涙は慌てて部屋を飛び出して、動揺のせいで自分の体を壁打ちしながらやっと階段にたどり着く。何が起きた? 前兆を一切感じなかった。父さんも母さんも隼も明音も居なかった。どうして? 陽の家族はみんな居たのに。どうして、どうして――
僕だけ?
フォーカスが合わせられなくなったレンズのように視界が歪む。それでも陽たちのところに行かなきゃと足を踏み出した瞬間だった。身体まで自分に意地悪を働いて、右足を踏み外してしまった。両足から宙に浮いて床に身体が打ち付けられるまでの間に死神を見たような気がした。あぁ自分は本当に反射神経にはめぐまれなかったなぁと思いながら意識を手放すのだった。
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