第6話 真っ暗なイルミネーション

「じゃーーん!」


 放課後のファミレス。蛍は着くや否や、他の客が振り向くほどの声でテストの答案を僕に突き出した。


「声……」

「あっ、すみません」


 周りの視線に耐えきれずに蛍の声量を指摘すると、――謝る相手は他の客であるが、僕だけが聞こえる声量で小さく謝罪をした。そのまま少し声を落としながら、蛍は喋り続ける。


「感謝、感謝。大感謝!」


 見せつけられた数学のテストの右上には赤いペンで七十八点と書かれている。


「楓くんのおかげだよーーっ、ありがとう!」

「別に。僕は何も」


 またまたーといつもよりも高いテンションで絡まれる。僕に教わらなかったら半分は空欄だったよ、と自慢にならないことを胸を張ってアピールされた。


「それにね数列の問題見たら、テスト中に楓くんを思い出して。心強かった!」

「……ふーん」

「このお陰で夢の七十位代に入れました~~!」


 二つ折りにされた順位表を机に沿ってスッと差し出される。中を開くと七十八位。数学の点数と同じ順位だった。


「天才に一歩近づいたね!」

「……そうかもね」


 彼女の努力を否定せず、希望を込めて肯定する。


「ということで……テストが終わったからには遊びまくるぞーー!」


 一学期のテストは全て終了、夏休みの開始を待つのみとなり、開放的な気持ちになっているようだ。


「映画は延期になっちゃったから、次はイルミネーションじゃん?」

「イルミネーションって、冬にやるものだよね」


 僕の純粋な呟きに対して「ふっふっふー」と分かりやすく怪しげな笑みを浮かべる。

 スマホを操作したのちに、蛍が僕に画面を向けて差し出す。


「ここ、行かない?」


 表示されているのは『都会でホタルを見よう。街中イルミネーション』というイベントページだった。周りにデフォルメされたホタルのイラストが描かれている。


「この前挙げた候補の中で映画は延期になっちゃったから、次はイルミネーションじゃん? って思って探してたら私にピッタリのイベント見つけちゃって!」

「これ、ホタル? イルミネーション……?」


 自然と人工物が並列するタイトルが処理できず疑問を口にする。僕の戸惑いに気づいたのか、蛍がにこにこと正解を教えてくれた。

 街中の高層ビルを利用して、各部屋の照明を自動制御で操り、まるでホタルが舞っているかのように見せるイルミネーションイベントらしい。ホタルを見られない都心の人たちへ向けて自然の良さをアピールするのが趣旨らしい(人工物で自然をアピールする気持ちが呑み込めなかったが、とりあえず理解した)。


「週一でやってるんだけど、なんと……今日!」

「イベント開催日なんだ、と」


 彼女の言いたいことを先取りすると「そう!」と笑いながら、話がわかるじゃんと嬉しそうに返された。

 僕に拒否権はないので従うしかない。開始時刻を確認すると、もう出発しないと間に合わない時間帯だったため会計を済ませ、走って駅へと向かった。おかげで目的よりも一本早い電車に乗ることに成功した。


 そこから電車に揺られて十分。目的地であるがあまり良い思い出のない駅で降車し、改札を出ると蛍に「こっち」と手を取られた。そして、イベント会場とは真逆の方向へと引っ張られていく。


「蛍……?」


 見覚えのある、時間が止まったままのような道。夕暮れが近づき、空はオレンジに染まっているのに、この道だけは太陽の光が差し込まず、薄暗かった。

 嫌な予感がしつつも足を止めず、彼女に案内されるまま歩く。見えて来たのはやはり見覚えのある廃れたビルだった。


「蛍」


 彼女の思考を確かめるように名前を呼ぶと、蛍は裏のない顔で「私たちだけのイベント会場」と語った。

「地図だと分かりにくいんだけど、会場のビル群ってここからよく見えるんだよね」

 イベント会場は人が大勢いてイルミネーションどころじゃなくなりそうだからと、穴場スポットがないか考えていたらしい。会場にもなっている特徴的な建物が遮るものなく見えることに気づき、ここを選んだらしい。

 そう説明する蛍に、少しだけ違和感を覚える。


「何でそんなに詳しいの」


 一度足を踏み入れた屋上ではあったがそこからの景色の記憶は薄く、周りに何があったか覚えていない。分かるのはフェンスがないとか、分かりやすい特徴のみだ。

 疑問を口にすると蛍は足を止める。ちょうど目的地である廃墟ビルの入り口の前だった。

 彼女は屋上を見るように顔を上げた後、どこか遠くを見るような目で口を開く。


「何回も来たから」

「…………」

「勘違いしないでね。前向きな理由だよ」


 そう言うとステップを踏むように二、三歩前へ進んだ後、振り返って微笑んだ。


「一歩踏み出せば楽になれるかもしれない。そんな甘い選択肢が目の前にある中で、苦い選択肢を選べた私は強いって!」


 空っぽに飲み込まれそうなときに、勇気付けるためにここへ来るのだと蛍は語る。

 一歩踏み出せば楽になれる。それは以前、僕が実行しようとしていたことだ。この話をするということは蛍も同じことをしようとした過去があるのだろうか。


「楓くんは後ろ向きに思うかもしれないけど、私にとっては前向き」

「蛍はすごいね」


 自然に出た言葉に対して彼女は「楓くんに褒められた」と無垢な笑みを浮かべる。


「楓くんとも会えたしわるいことばかりじゃないね」


 前を歩く彼女は踵を返して僕の方へと近づく。と思いきや、横を通り過ぎ背中側で足を止めた。

 「じゃあ次は私の番」と話の主導権の切り替えを宣言され言葉を続けた。


「ねぇ、楓くん」


 後方から声を掛けられる。振り返ろうとしたところ、腰辺りのシャツを掴まれ行動を制された。

 蛍は僕の顔を見ないまま、話を続ける。


「『蛍の居場所はここ』」


 蛍の問いに冷や汗が湧き出る。僕が寝ている彼女に対して掛けた言葉だ。


「これ、どういう意味?」


 掛けた言葉を復唱される。そこまでは良い。

 問題はこの出来事を知っているということは僕が彼女に対してした行動も知っているということだ。

 自分の行動を回想しては、上手い言い訳を思考する。しかし突然のことに頭は回転せずに「あれは」「その」と言い訳を探しているのがバレバレな言葉しか出てこない。


「な、何で」


 悲しいくらいに情けない声で疑問を口にする。もっと、他に言うことがある、のに。


「実はこの前起きてたんだ。気まずいかなと思って寝たふりしちゃってた」

「ごめ、あれは――」

「嫌だったって言いたいわけじゃないよ」


 すぐ離してたし変なこと考えてたわけじゃないのは分かってるから大丈夫、と僕に誤解を与えないように気を遣ってなのか、いつもより落ち着いた口調でハッキリと述べる。


「ただ、知りたいなって思っちゃって。楓くんが何を考えていたのか」


 僕の真意の謎、また寝たふりをしたことも騙している気分でいてモヤモヤしていたらしい。

 蛍の問いに答えることにした。


「蛍の真似」

「…………?」

「前にやってたじゃん。二つに分散されてたのが一つに、って」


 あの時の蛍の仕草を再現するように手を動かす。頬に傷を作ってきた際に彼女から聞かされた話だ。


「あの時作った丸に、蛍が入ってなかったから」


 分かりやすく説明するためには、ああやって表現するしかなかったのかもしれない。だけど愛おしそうに眺める蛍に違和感があって。


「これは僕の持論、想像。だから正解じゃない。でも僕の考える理想の愛は、目に見えないもの。丸の内側にいて、愛されてることに気づかない。それが一番の形なんじゃないかと思って」


 だから歪であるけど、大きな丸を作り蛍を入れた。自己満足の表現だ。


「僕の気持ちは見えなくてもいいから、蛍は満たされていてほしい」


 結局はバレていて、全てを明かしてしまったが。

 蛍は納得をしたように「そっか」呟くと、次の瞬間、シャツを掴んでいた手を僕の腹側へ伸ばした。


「……!」


 腹側に伸ばした手は臍の辺りで交差され、後ろから抱きつかれるような形になった。


「楓くんの居場所も、ここ」


 僕の言葉を引用した後、彼女は腕にぎゅっと力を入れ蛍の作る輪は歪む。より密着する形になった。


「楓くんの居場所もここだよ」


 念を押すように繰り返す。蛍が満たされていればそれで良いと思っていた。

 だけど蛍に受け入れられ、求められている。この状況に心臓がぎゅっと締め付けられる感覚に陥った。

 蛍の方へ向きを変えるために、拘束するように添えられた手を剥がし、握る。

 引っ張るように手を繋ぐことは何度があったがこうして意識して握るのは初めてだった。手のひらで感じるの彼女の手は小さくて、温かい。


「蛍」


 体を翻し、蛍へと向き変える。手を握ったまま。

 振り返ると頬を真っ赤に染め、口をぎゅっと噛みしめている蛍がいた。

 予想外の表情に「え?」と言葉が飛び出す。


「すぐに顔を見るのはマナー違反です」

「え? あ、はい……」


 と言われてもどうしたらいいか分からず、とりあえず視線を横にずらす。これで蛍が満足するか分からないが、何も言わないので今回は正しい行いができたかもしれない。


「嫌じゃなかった?」

「え?」

「後ろから、抱き着かれて」

「……別に。蛍ならいい」


 そっか、と蛍は小さく呟く。それから「あのね」と気まずそうに口を開く。


「あの時、てっきり告白されたものだと思ってた」


 ちょっと自信過剰だったかな、と彼女は自身の判断の誤りに笑う。

 でも奥手な楓くんが接近するんだもん、もしかしたらって思っちゃうのも無理はないよね? とその考えに至った理由を述べている。話すうちにいつものペースを取り返したのか、声色は明るくなっていた。視線を元に戻すと頬周りの赤みも引いていた。


「勘違いさせるなんて本当、楓くんはわるい人」

「勘違いじゃない。僕は――」


 蛍のことがと言葉を口にしたところでこれからの二人を祝福するようにピンク色のリボンが空から落ちてくる。

 しかしこれは祝福なんかじゃない。終わりを告げる合図。

 僕たちは誰からも祝われなくてよかったのに。誰にも見つからずに二人だけでいれればよかったのに。

 僕たちの間に誰かが割り込むように入り込む。

 殴られるような鈍い音が響き、目の前が真っ赤に染まった。


 蛍の声が聞こえない。



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