第28話 青年の願い
ルクスの身体の治癒が終わった後、泣き続けるスピーナをそっとしておこうと、二人は古城の外の回廊に出た。そこからは外の景色が見渡せるようになっており、中庭の様子も見る事が出来た。スピーナに戦う意思が無くなった事で外の魔動人形達も動かなくなり、戦っていた町の人々は抱き合いながら勝利の歓声を上げていた。
「これで終わったのね」
ベッラは安心したのか、息を漏らした。その顔は優しい笑顔が浮かんでいた。対してルクスは神妙な面持ちで景色を見ていた。
「いや、まだやる事があるよ」
「……?」
ベッラはルクスの言った言葉の意味が理解できなかった。目下の敵は戦意喪失していて、彼を殺した張本人は動かなくなった。それ以上にやる事など、彼女には思い付かなかった。
「さっき、全部思い出したんだ。僕がどうして死んだのか、僕が何で騎士を目指していたのか。そしてベッラ、君の事も全部ね」
「何を……?」
「あの時、崖から落ちて死にかけていた僕に必死に回復魔術を施してくれてありがとう。まあ、結局僕は死んでしまったけれどね」
「……っ!」
ベッラはルクスの放った言葉の衝撃でよろめき、二歩下がった。
「本当に、全部思い出したの?」
「君が気丈に振る舞い始めたのは、君のお母さんが亡くなってからだったよね。あの頃は僕も父さんが騎士を辞めた時だったから弱気になっていた。そんな中でも君は強くあろうとした。僕はそんな君を凄いと思ったんだ」
「……!ルクスっ!」
ベッラは思わずルクスに抱き着いた。漸く、彼女が恋していた彼が完全な形で元に戻ったのだ。嬉しくない訳が無かった。
「今までごめんね、ベッラ。記憶が無かった僕は、時に何も考えずに君に冷たい言葉を浴びせてしまったね」
「私こそごめんなさい。記憶を失くした貴方にどう接すればいいか分からずにあしらってしまって」
「もう良いんだよベッラ。またこうする事が出来て嬉しいよ」
暫くの間、彼らは互いの体温を確かめ合っていた。ベッラの温もりに比べてルクスの身体は死人であるためか冷たく感じられ、彼はここでもどうしようもない溝を感じていた。
「ベッラ、落ち着いて聞いてほしい事があるんだ」
「良いわよ、何かしら?」
ベッラは彼の顔を正面から見ながら言った。その瞳は歓喜の涙で溢れていた。
「僕に施した蘇生魔術を解いて欲しい」
「え?」
彼の言った事に、ベッラは目を丸くした。
「な、何を言っているのルクス……?」
少女が動揺するのも無理は無かった。それは彼をもう一度ただの死体に戻すという事なのだから。
「君は僕らがまだ幼い頃に言っただろう、黒魔術は死体を蘇生させるだけではなくその逆も出来ると。それはつまり、蘇った魂を死体から離す事が出来るはずだ。だから」
「嫌よ!」
ルクスの言葉を遮り、ベッラは声を荒げた。
「どうしてそんな事をしなければならないの?どうしてそんな事を言うの?折角こうしてまた本当の形で会えたのに……!」
「ベッラ……」
先程までと違い悲しみの涙を流す少女を前に、ルクスは穏やかな微笑みを浮かべていた。しかし、その目は真剣そのものだった。それだけで彼が決して意地悪で言った訳では無いというのが分かった。
「前にこんな事があったよね。ほら、この町で出会った幽霊のカリタスさんがアモルさんと決別した時だよ。あの時は何となくでしか分からなかったけれど、今なら分かるんだ。あの時のカリタスさんの気持ちが。彼がどんな思いであんな事をしたのかがね」
「嫌、聞きたくない!」
ベッラはルクスの言葉に聞く耳を持たなかった。もし聞いてしまえば、もう引き返せない様な気がしたのだ。
「私は嫌よ。そんな事はしたくない。だって、これからじゃない。貴方が記憶を取り戻したらやりたかった事だって、話したかった事だって山ほどあるもの。貴方もそうでしょう?だったらまた一緒にあの屋敷で過ごせば良いじゃない!」
「それは出来ないよ、ベッラ」
「どうして……?」
ベッラはその場で膝を付き、両の手で顔を覆った。
「カリタスさんがアモルさんに言っていただろう、死んだ自分に気持ちを囚われて欲しく無いって。僕も同じ気持ちだよ。僕は死んでしまったんだ。その事実は変えられない。例え君が僕を蘇らせてくれたって、僕はもう死んだんだよ。どんなに僕が取り繕っても、普通の人間じゃないんだ。だから僕は、普通の人と居てはいけないんだよ」
ルクスは泣き崩れたベッラに近付き、彼女の肩に触れる。
「それに前に言っただろう、死者と生者は結ばれないって。どんなに互いに想い合っていたって、君と僕とでは、もう住むべき世界が違うんだ。二人が愛し合ったって、幸せになんてなれないんだよ」
「……!」
ベッラは言葉にならない声を上げて泣き続けていた。彼の言葉が聞こえているのか、その声は次第に大きくなっていた。
「ベッラ。僕は、君には前を向いて生きて欲しい。この景色を見る限り、僕と君の為に町の人達が助けに来てくれたんだろうね。それは有難い事だ。君にはもう僕だけじゃなく、この町の人達が居るじゃないか。フロースが居て、カリダさんが居て、ケルサさんも居て、それ以外にも町の人が居る。君はもう一人じゃないんだ。僕だけが君の傍に居たあの頃とは違うんだよ。これから君はこの町の人達と共に君だけの人生を歩んでいくんだ」
「ルクス……」
そこでベッラは顔を上げた。その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていて、普段の澄ました表情は何処にも無かった。
「大丈夫。君は少し気が強い所があるけれど、根はとても優しいんだ。それにこの町の人達だって皆優しい人ばかりだ。フロースだって君の事を受け入れてくれたんだから、自信を持てば良いんだよ」
「……そこに、貴方は居ないのよね?」
ベッラが問うと、ルクスは静かに頷いた。
「前は一緒に居てくれると言っていたわ」
「そうだね」
「私の事を守ってくれると言っていたわ」
「ごめん」
「それでも、やっぱり貴方は居なくなってしまうの?」
「……それが、誰にとっても一番だと思っているよ」
「……そう」
ベッラは俯き、眼を瞑った。暫く、彼女は沈黙していた。思考と気持ちの整理をしている様だった。彼女は徐に立ち上がると、服の袖で涙を拭きとり、顔を上げた。そこには、普段のお淑やかな彼女の顔があった。
「分かったわ。貴方がそこまで言うなら、その願いを聞いてあげるわ」
「ありがとう、ベッラ」
「その代わり……」
「ん?」
ルクスが疑問の声を上げる前に、ベッラは動いた。彼女は背伸びをして、自分の唇を彼のそれと重ねた。彼女が彼の顔から自分の顔を離した時、彼女の頬は紅潮していた。
「これで許してあげる」
「……」
ルクスは突然の事で理解が追い付かなかった。ただ彼は彼女と重ねた唇を指でなぞり、余韻に浸っていた。ベッラは気持ちを再度切り替える様に一度咳払いをした後、口を開く。
「それじゃあ、始めるわよ」
「よろしく頼むよ」
ベッラはルクスに向けて手を翳した。すると、彼の立っている地面から幾何学模様が現れ、そこから出た光の柱が彼を包んだ。
「この世に留まる魂よ。
ベッラの言葉で、光はより一層強さを増した。辺り一帯を照らす程の強さになった時、光は消え、彼の身体は力無く地面へと倒れた。
「さようなら、ルクス」
ベッラは空を仰いだ。彼の魂が今、天へと昇って行っている様な気がした。その時の空は、夜の闇の向こうに微かに青色が滲んでいた。
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