第22話 山奥の襲撃者

 数日後の夕方頃、ルクスは屋敷から少し離れた山林で剣の練習をしていた。嫌な事や悩みがあると彼はいつもそこで発散をしながら剣術を磨いているのだった。

「はあっ!」

 彼は持っていた剣を無我夢中で振り回していた。そうして空を切る毎に自分の中のモヤモヤとした感情も振り払えるような気がした。普段であればそれで解決していたが、彼の心は未だベッラに言われた言葉に囚われていた。




『あの子は魔術を使える私に対抗して、独学で魔術を会得したの。そうしてあの子は人ならざる物を操る術を身に付けた。それらを使って、あの子は私を殺そうとしたの』

『そんな、どうして君が殺されなくちゃならないんだよ?』

『それは、あの子にとって、私という存在が邪魔だったからよ。とにかく、あの子は私を殺そうとした。自分の手は汚さずにね』

『でも、君はこうして生きているじゃないか』

『ええ、そうね。でもその代わりに、死んだ人が居る。それが貴方よ。貴方は、襲い来る彼女の刺客から私を庇って死んでしまったのよ』




 それが、あの日ベッラが彼に伝えた事の顛末だった。ルクスの頭の中ではずっとその事がぐるぐると回っていた。

(ベッラの言っていた事が全部本当の事だとしたら、僕に思いを寄せている子が居て、その子が僕を間接的に殺したという事になる。けれど)

 ルクスは剣を振り上げながら考える。

(僕と再会した時にあの子が見せた笑顔、あれは心から僕が生きていると分かって安心した表情だった。結果的に僕は死んでしまっているけれど、もしあの子が僕の命を奪ったとしたらあんな顔をするだろうか?)

 彼は剣を真っ直ぐに振り下ろす。シュン、と虚空を斬る音がした。

(以前ベッラが言っていた、僕の死に自分が関わっているという言葉。あれは自分の身代わりに僕が死んだという事だったのか。でも、それならどうしてもっと早く言わなかったんだろう?)

 彼の中では幾つもの疑問が浮かんでいた。そして、彼は迷っていた。これから自分はどうすれば良いのかを。

(あのスピーナという子がまた僕を訪ねて来るとしたら、僕はどんな顔で迎えればいいのだろう。どんな態度をすればいい?どんな言葉を交わせばいい?)

 彼は次に剣を横薙ぎに振った。再び、風を切る音がする。

(それに彼女はベッラを殺そうとしたんだ。その事はどうすればいい?どうすればそれは片が付くんだ?)

 彼は普段よりも動きが鈍くなっているのを感じていた。その割にいつもより息が上がってしまっている。明らかに動揺が所作に表れていた。

(それに気になるのはあの子がベッラを狙った理由だ。あの後ベッラにどれだけ訊いても彼女は答えなかった。あの反応から察するに、知らないというよりは知っていて黙っている様子だった。まだ僕に隠している事があるんじゃないか?でも、自分が殺されそうになったのを隠す理由は何なんだ?)

 彼は剣を前に勢いよく突き出す。ところが、彼は手を滑らせ、剣を地面に落としてしまう。彼が自分の両の手を見ると、手汗が滲んでいた。それは運動したからという事もあるかもしれないが、精神面から来ているように彼には思えた。彼は落ちた剣を屈んで拾った。すると、後ろから人が近づいてくる気配がした。彼が振り返ると、黒いドレスを纏った少女が彼の方に歩いてくるのが見えた。

「何だ君か。どうしたの?」

「どうしたもこうしたも無いでしょう。昼過ぎから帰って来ないと思ったらこんな所でずっと剣の練習をしていたのかしら?真面目なのは良い事だけれど、限度というものを知りなさい。貴方、お昼御飯も食べていないでしょう?」

 そう言われてルクスは自分の腹を擦る。そこで初めて彼は空腹に気付いた。腹がぐう、と音を立てる。

「そう言えばそうだったかも」

 暢気に頭を掻くルクスを見て、ベッラはため息を吐いた。

「まあいいわ。こんな事もあろうかと、私が軽食を作って来たわ。感謝して食べなさい」

 と、ベッラは後ろ手に持っていた木製の籠を前に出した。その中には皿に乗った四つ程の大きなサンドイッチが入っていた。

「これ、もしかして君が作ったの?」

「そうだけれど、何かしら?」

 目を丸くするルクスに、ベッラは少しの苛立ちを見せる。

「いや、君がまさか料理を作るとは思わなかったから意外でさ」

「し、失礼ね。私を何だと思っているのよ!?私だってこれくらいは作れるんだからね。要らないなら良いわよ、私が食べるから」

 そう言ったベッラは籠を自分の身体の後ろに隠した。ルクスは慌ててそれを手で押さえる。

「ごめん冗談だよ。有難く頂きます!」

 ルクスはベッラから籠を手渡され、中に入っていたサンドイッチを一つ手に取る。それは目玉焼きとベーコンが挟んである、珍しいサンドイッチだった。恐らく、彼女はこれくらいの物を作るのにも苦労したのだろう。目玉焼きの黄身の部分が割れて白身の部分に侵食している。ルクスはそれを見て微笑みつつも口に運んだ。卵の甘さとベーコンの塩辛さが同時に口の中に広がり、とても美味だと思った。

「まさか君が僕に料理を作ってくれる時が来るだなんてね、感動ものだよ」

「貴方、ひょっとして私を馬鹿にしているのかしら?」

 じっと睨む少女に対し、ルクスは手を振り誤魔化す。

「いや、これは僕の本心だよ」

「ふーん、それならいいけれど」

 ベッラはぷいっとそっぽを向いた。ルクスはそれに気付かずに、残りのサンドイッチも続けて口に運んだ。その中には薄くスライスされたチーズが挟まれた物や、レタスやトマトが挟まれた物があった。味付け自体は簡素な物だったが、ルクスはそれでも今まで食べたサンドイッチの中でも指折りの美味しさだと思った。あっという間に、彼は完食した。

「本当に美味しかったよ、ご馳走様」

「そう、それは何よりだわ」

 そう言われたベッラは心なしか嬉しそうな表情だった。

「それにしても、よくここが分かったね」

「貴方の事だもの。何か悩みがありそうだったからどうせここだろうと思ったわ」

「それはそうだけど、君がここまで来るなんてね。ここまでの道はちょっと歩きにくかっただろう?」

 彼の言う通り、屋敷からこの場所まで向かう道中は道が舗装されておらず、大き目の石などがある所もあり、かく言うルクスも歩くのに苦労していた。

「あら、別に不思議な事でも無いでしょう。隣の山に行くよりも簡単だったわ」

「確かに、言われてみればそうだね。という事は、あの時は苦労しながらも僕らの事を追いかけて来た訳だ」

「な、それはもう済んだ事でしょう!?」

 明らかに取り乱しているベッラに、ルクスは思わず吹き出しそうになった。

「ふふ、冗談だよ。もう詮索したりしないから」

「全く」

 不満げな表情を見せるベッラだったが、それでも何故か悪い気はしなかった。彼と一緒に他愛もない会話をする、それだけの事がどれだけ特別な事なのか、彼女には分かっていた。二人がそうして何気ないやり取りをしていた時だった。




 突然、何処からか何かが二人の間に飛んできたのだ。

「「……!?」」

 驚き、二人は思わず立ち上がる。地面を見ると、そこには矢のような物が刺さっていた。

「何よこれ、一体何処から……?」

「いや、それよりも一体誰がこんな事を?」

 ルクスは気が付くとベッラを自分の後ろに隠し、辺りを警戒していた。狩りで間違えて放ったにしては、この辺りには動物はあまり生息していない。何者かが意図的に彼ら目掛けて矢を放ったのは明らかだった。ルクスは神経を研ぎ澄ませ、周囲を見回す。そこに、何処からか弓が軋む音がした。まさに何者かが再び矢を放とうとしている所だった。

「もう一度来る。気を付けて!」

 彼がそう言った数秒後、彼らの左後ろから矢が飛んできた。予期していたルクスが瞬時にそちらの方に向き、飛んでいる矢を剣で弾いた。ルクスは矢が飛んできたであろう方向に視線を向ける。すると、木々の奥にある崖になっている所の上方に、フードを被った何者かが弓を持って立っているのが見えた。

「そこか!」

 ルクスは近くの地面に落ちていた小石を数個拾うと、襲撃者の居る方に向けて思い切り投げた。投げられた石の幾つかは襲撃者の居る方に向けて飛んでいったが、その手前数メートルの木にぶつかり、落ちていった。しかし、ルクスの狙いは襲撃者にぶつける事では無かった。自分が相手を見定めているという事を知らしめる為の行動だった。彼の思惑通り、襲撃者は背負った筒の様な物に弓を仕舞うと何処かに走り始めた。

「ちょっと待っていて!ここを離れないで」

 ルクスは襲撃者を追いかけようと走り出した。

「ルクス!」

 ベッラの呼び掛けに見向きもせずに、ルクスは走る足を止めなかった。坂になっている所を登って行き、崖の上方に辿り着いた。襲撃者の走り去った方向を見るが、既にかの者は彼の視界から消えてしまい、何処に行ったのかも分からなくなっていた。

「……一体、何者なんだ?」

 ルクスは周囲を暫く見回る。再び襲撃される可能性を考えて身構えていたが、それは取り越し苦労となった。安全を確認すると、彼は少女の居る方へと戻って行った。

「貴方、大丈夫?」

 ベッラが心配そうにルクスに訊く。

「ああ、僕は大丈夫。君こそ大丈夫かい?怪我は?」

「私も平気よ。貴方が守ってくれたもの」

 自分の着ている服を手で払うベッラを見て、ルクスは一先ず安堵の息を吐いた。

「全く、貴方は命知らずね。下手をしたら間近で胸を射抜かれてしまうのよ?少しは危険を顧みなさい」

「命知らずも何も、そもそも僕にはもうその命が無いからね。これくらいの無茶は許してよ」

 ルクスは苦笑を浮かべながら言った。それに対し、ベッラは呆れたようにため息を吐く。

「そんな事だから賊に狙われるのよ。襲って来たのが誰だか分からないけれど、そんなんじゃ身体が幾つあっても足りないわよ」

「……多分だけど、狙われたのは僕じゃなくて君だと思うよ」

「え?」

 ベッラは思わず声が裏返る。

「どういう事かしら?」

「最初はどちらが狙われているのか分からなかったけれど、二度目の矢が飛んできた時、その矢は君に向かって飛んできていた。思えば一度目の時に君と僕の間に矢が飛んできたのもその予兆だったんだ。あの時、襲撃者から見て僕の方が手前に座っていて、君が奥側に座っていた。もし最初から僕が狙われていたとしたら、そんな狙い方はしないだろう?きっと最初からあいつは君を標的に定めていたんだよ」

「……じゃあ、あの人の正体は」

「うん。君がこの間言っていた事が全て真実だとしたら、あれはきっとスピーナかその従者だよ」

「そう言う事になるわよね……」

 ベッラは思い詰めた様に下を向きながら呟く。

「あの子がまた襲って来たという事は、今度こそ私は……」

「させないよ」

 と、ルクスはベッラの肩に手を置いて言う。ベッラはふと顔を上げる。すると、ルクスが彼女に微笑みかけていた。

「その時の僕は上手くいかなかったみたいだけど、今度は違う。今度こそ、僕は君を守り切って見せるさ」

「ルクス……」

 ベッラは思わず、ルクスの胸に飛び込んだ。ルクスはそれを受け止めて、彼女をそっと抱き寄せる。

(必ず、守るんだ)

 ルクスは覚悟を胸に抱き、空を仰ぐ。その時の空はまるで海の波の様な雲で覆われていた。

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