第11話 女騎士の問い

「ここ、隣は空いているかしら?」

 ルクスが一人でベンチの真ん中に座っていると、銀髪の女騎士アルビダが話し掛けて来た。

「は、はい。空いています。どうぞ!」

 ルクスは左側に身体を寄せて、彼女が座れるスペースを作る。

「ふふ、ありがとう」

 アルビダは微笑みながら、空いた場所に腰を下ろす。

「ごめんなさいね」

「へ?」

 突然の事に、ルクスは思考が停止した。何か彼女に謝られる事をされただろうか、と思考を巡らせるが、思い当たる事は無かった。そもそも、彼女がこの町に来て以来、交流する機会自体が無かった。

「ほら、さっきのバルバルスとの模擬戦の事」

「あ、ああその事ですか」

 言われて、ルクスは小さく頷く。

「そんな、謝らないでください。もう気にしていませんから」

「貴方は優しいわね。話に聞いた通りだわ」

 アルビダの言葉に、ルクスは少し引っ掛かった。

「あの、ちなみに誰から何を聞いたんですか?」

 そう訊くと、アルビダはえくぼを凹ませながら答える。

「そうね、貴方がよく通っているお店の娘さんからかしらね」

「それって、もしかしてフロースの事ですか?」

「あら、早くも名前が出たという事は……彼女とは仲が良いのかしら」

 意味ありげな言い回しに、ルクスは頬を赤くした。

「ち、違いますよ」

「一体何が違うのかしら?」

 ニヤニヤとしながら顔を覗き込む彼女に対し、ルクスは視線を逸らした。

「彼女は、ただの友人ですから」

「ふふ、照れちゃって。可愛いんだから」

 アルビダは、人差し指でルクスの頬を軽く突く。それは明らかに彼を揶揄って遊んでいる様子だった。

「そういうアルビダさんこそ何なんですか?」

「ん、なあに?」

「クラールスさんと随分と親しそうにしていましたけど、お二人はどんな関係なんですか?」

「ふえっ!?」

 アルビダは何とも腑抜けた声を上げた。

「ど、どどどどうしてそんな事を訊くの?」

 言葉に詰まり、冷や汗が額から出ているその姿は先程までの余裕な態度は影も形も無かった。

「いや別に。ただ他の騎士の方達がクラールスさんの事を『団長』と言っていたのに、アルビダさんだけ名前で呼んでいたので。それに他の方と違って昔馴染み以上の関係らしかったので。何か特別な関係なのかなと思っただけですよ」

「……」

 畳み掛けるようなルクスの言葉に、アルビダは俯いてしまった。

「顔、赤くなっていますよ。可愛いですね」

「う、うるさいっ!」

 茶化し返され、アルビダは更に頬を赤くさせた。その後、落ち着くために一度咳払いをした。暫く沈黙が続いたが、やがて彼女は口を開いた。

「……クラールスとは、昔からの付き合いなの。彼は腐れ縁だと言うかもしれないけれど、五歳の頃から続く関係で、所謂幼馴染みかしらね」

「幼馴染み、ですか」

「ええ」

 アルビダは空を見上げながら遠い過去の事を思い出す。その日の空は雲が少ない青空だった。

「幼い頃の私は内気な性格で、中々他の子と打ち解けられなかったわ。でも彼と初めて出会った時、彼は私に合わせて隣に座って、ただ一緒に居てくれた。私の緊張が解けるまでずっと待っていてくれたの。そうして段々とお互いにどんな食べ物が好きか、どんな遊びが好きなのかを話す事になって、次第に打ち解けていった」

「昔から優しい人だったんですね」

「ええ。彼が慕われるのも分かるでしょう?」

 彼女は嬉しそうに話を続ける。

「けれど、それは必ずしも良い事では無かった。彼はその当時から子ども達の間でも人気があった。特に女の子達にはね。だから、彼といつも一緒に居た私は他の子達に毛嫌いされて、いじめを受けるようになったの。最初はただの陰口だったものが、次第に私が居る時も居ない時も関係なしに悪口を言われた事もあったわ。髪の毛を後ろから引っ張られたり、顔をたれたりした時もあったかしら」

「そんな、アルビダさんは何も悪くないじゃないですか!」

「そう言ってくれるのは嬉しいけれど、子どもは純粋ゆえに時として残酷なのよ」

 彼女は当時の苦痛を思い出したのか、苦笑を浮かべていた。

「そんな事が続いたある日、救いの手を差し伸べてくれた人が現れたの。それが彼よ。彼はいじめの現場に偶然居合わせて、私を見るなりいじめっ子達に凄い形相で睨みつけたの。そして言ったのよ。『もうこんな事はやめろ』ってね。あれはとても嬉しかったわ」

 再び空を見上げながら、彼女は自分の頬に手を添えた。

「いじめっ子達は言ったわ。『皆あなたの事が好きなのに、独り占めをしたこの子が悪いのよ』って。だけど彼は聞く耳を持たなかった。いえ、ちゃんと聞いた上で言ったわ。『俺が好きなのはこいつだけだ』って。そう言われるといじめっ子達は皆俯いて帰ってしまったわ」

「もしかして、その時からクラールスさんの事が?」

「さあて、どうかしらね」

 そういう彼女は、耳を赤らめていた。それはもはや答えを言っているようなものだった。

「その時、彼は騎士を目指しているとも言ったわ。私の様な人を助けたいからと。だから私も思ったの。私も守られるだけじゃなくて、守れるような人になりたい、ってね」

「それでアルビダさんも騎士になろうと思ったんですね?」

 ルクスが訊くと、彼女は静かに頷いた。

「ねえ、ルクス君には、そういう幼馴染みは居るの?」

「幼馴染み、か……」

 言われ、ルクスは自分の限りある記憶を辿る。過去の事を殆ど覚えていない彼だが、それでも瞼に焼き付いている記憶があった。

「はい、小さい頃に居ました。でも、その頃の事は全く覚えていないんです。唯一覚えているのは、仲良くしていた女の子が一人居た、という事だけで」

「そっか。忘れちゃったのは残念ね。それでも、それだけでも覚えているのはとても素敵だと思うわ。だって、貴方にとってそれはかけがえのないものだったっていう証だもの」

「かけがえのないもの……」

 ルクスは、自分の胸に手を当てる。一度失い、取り戻した思い出。その記憶自体は彼にとって心の拠り所だったが、改めて話を聞き、彼は記憶の中で動く少女に何か強い感情を抱いた。尤も、その時の彼にはそれが何なのかは分からなかった。

「いつか思い出せると良いわね、その子の事」

 そう言うとアルビダは立ち上がり、軽く背伸びをした。

「とは言っても、大事なのは今この瞬間ね。貴方にも居るでしょう、自分の事を気に掛けてくれる身近な人」

 その問いに、ルクスは眼を瞑った。すると、フロースやカリダ、ケルサ、町の人達、そしてベッラの顔が思い浮かんだ。

「そういう人達を大切にしなさい。今はあまり実感しないかもしれないけれど、それもかけがえのないものだと気付く時が来るから」

「……分かりました」

「素直でよろしい」

 アルビダは微笑み、ルクスの顔を覗き込む仕草をする。

「な、何ですか?」

 思わず、ルクスは視線を逸らす。カリダといいアルビダといい、どうにも大人の女性にじっと見られるのは慣れない様だった。

「ねえ」

「は、はい?」

 アルビダの吐息が聞こえる程に、ルクスと顔が近づく。緊張のあまり、ルクスは声が裏返ってしまう。

「貴方が騎士になりたいのは、どうして?」

「えっ?」

 思いもよらない質問を投げられ、彼の思考が止まる。

「弱い人を助けたいから?自分の可能性を試したいから?名声を得たいから?それとも……」

「え、えーと……」

 ルクスは顔を強張らせながらも、思考を巡らせる。自分が騎士を目指す理由、それは……。

「おーい。練習を再開するから皆集まれー」

 と、そこに広場の中央からクラールスの声がした。

「さて、それじゃあ私達も行きましょうか」

「は、はい」

「あ、そうだ。さっきの模擬戦、格好良かったよ。次は油断しないようにね」

 そう言い残し、アルビダは一足先に広場の中央に向かった。

「……」

 ルクスもそれに倣って小走りで向かう。その後の練習の間も、彼の頭の中は、先程のアルビダの問いでいっぱいだった。

(僕は、どうして騎士になりたいのだろう?)

 自問を繰り返すが、どうにも明確な答えは出てこない。本当の答えを知る昔の自分は、遠い所に置き去りにしてしまっている。ゆえに、彼の心は暗闇の中を彷徨っていた。

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