十秒館の殺人

すちーぶんそん

短編


「――謎は全て解けた。ルルウ氏を殺害した犯人はこの中にいる」


 そう言い切った名探偵の横顔はまさしく輝いて見えた。


「本当か!? 名探偵」

 鋭い目つきで辺りを見回す伯爵の声が、自身の屋敷で起きた身も凍る惨劇に激怒しているかのように低く響いた。


 壁沿いに居並ぶ屋敷の使用人たちは、その瞳に射すくめられたように狼狽し、無言のまま互いを探り合うように身じろぎをする。


 そして僕達はその中心。ローテーブルを囲み、ソファに腰掛け事の推移を聞いていた。


『犯人がこの中の誰か』


 オルツィはただ言葉を失い、ヴァンは未だ何が起こったのか分からないといった顔でキョロキョロ辺りを見回している。


 それは突如始まった本物の推理ショー。


 僕は不謹慎ながらワクワクしていた――。


 ◇◇


 事の経緯はこうだ。


 勇者ヴァン、聖女オルツィ、そして武道家の僕、エラリイの三人は、タルネン洞窟にて悪魔デモゴルゴン討伐を果たし、王都への帰還の途中だった。

 しかし夕暮れ時に突然の嵐に遭い、伯爵が所有するこの館に避難した。


 伯爵は我々一行を暖かく歓迎してくださり、旅の話を肴に賑やかな夕食をとった。

 そしてその後に、それぞれあてがわれた客室でくつろいでいた。

 殺人事件が起きたのはその時だという。


 殺害されたのは作家のルルウ氏。彼は伯爵の自伝を編纂するためこの屋敷に呼ばれた。そして、帰らぬ人になり果てたのだという。


 彼の死体を発見したのは伯爵閣下ご自身ともう一人、王都で有名なあの『昏睡探偵コーゴロ』だったのだ――。



 午後九時頃にこの屋敷に雷が落ち、すべての魔導ランプの明かりが消えた。そして明かりが復旧したのが十秒後。


 その暗闇の時間に控えの間で不審な物音がしたんだそうだ。


 建物の構造は、中庭を囲む口の字型。

 一本の廊下沿いに三つの部屋がある。

 玄関を入ってすぐにあるのが控えの間、その隣にあるのが食堂、そして一番奥の部屋が現在我々がいる談話室だ。


 停電時、この談話室にいた伯爵と名探偵が不審な物音を聞きいた。そのためすぐに確認に向かうと、控えの間でうつぶせで倒れる男性を発見したのだという。


 被害者の体には、正面から心臓を刺したと見られる鋭利な傷跡があり、駆け付けた時にはすでに死亡していた。 

 あたりにゆっくりと広がる血。たった今殺したと見られる死体のそばには、犯人らしき人物が居なかった。


 そしてその部屋にあるただ一つの窓が内向きに開いていた。探偵がすぐさま調べたが、窓の外の地面には、誰かがそこを出入りしたような痕跡が無かった。


 忽然と消えた犯人と残された遺体。まさに奇妙な事件であった――。



 ◇◇ 


「それで一体犯人は誰なんだ名探偵?」

 もう辛抱できん、と伯爵が名探偵コーゴロに水を向けた。


「えぇ」とうなずき名探偵がゆっくりと立ち上がる。


 僕の隣の聖女オルツィは、「ねえエラリイ? なんだか楽しみねぇ」とささやき、その向こうの勇者ヴァンは、じっと聞き入っている様子だ。



 そして、名探偵がソファーの周囲をゆっくりと歩きだした。

「まず、ここにいる五名の使用人ですが……。彼らは隣の食堂で食事をとっていた事が確認できています。そう。お互いに完璧なアリバイがあるのです」


 ほっとしたように弛緩した使用人達。互いの顔を確かめ合いうなずきあう。

 その様子に私もどこか救われたような気持が湧いた。


 なるほど良かったねぇ……。では誰が犯人?


「そして。…………家宰のセバスさんは、屋敷の裏の管理室で魔導配電盤のブレーカーを上げ電源復旧をしていたことから不可能であり除外されます」


 ……うんうん。


「私と伯爵はここ談話室から停電が明けるまで動いておらず、音を確認に行った際も二人で行動していた。つまり……」


 ……あれ?


 指折り数えたが、ごっそり犯人候補が減っていた。


 ……あと誰が残ってるんだっけ?


 部屋中の視線が何故か私たちの座るソファーに注がれる。


 ……え?


 伯爵の目がいぶかしむように細く尖った。

「……誰がどうやって殺したというのだ? 名探偵」 


 探偵は歩く。

「――犯人は停電する時間があらかじめ分かっていた人物です」


 は?


「そんな馬鹿な! 外は嵐だぞ? どうやって雷のタイミングを知ることなどできるというのだ!?」


 その言葉を待っていましたとばかりに、コーゴロは語る。

「使用したのはおそらく招雷のスクロールでしょう。殺人がおこる十五分前、屋根のあたりで何か物音がしたのはを設置するときに犯人が立てた音だったわけですな」


 初耳だったが事件発覚の十五分前に何か物音があったそうだ。

 ……ふむふむ?


「――そして犯人は控えの間のクローゼットに隠れ、任意のタイミングでスクロールを発動し屋敷を停電にした。暗闇の中、電光石火の早業でルルウ氏を殺害し逃走」


『じつに巧妙に仕組まれ、準備された犯罪です』

 薄く微笑む名探偵は部屋中に聞かせるように、そう言った。


「犯人は知っていたのです。停電になればセバス氏が魔導配電盤のある管理室に向かう事。控えの間がいつ無人になるか。廊下の人けが絶えるそのタイミング。そして停電によりロックが外れ窓が開いてしまうことさえも。そう、犯人は、事前に屋敷の間取りを確認することで、動線のすべてを予測していたのです」


 そこでゆったりと間を取り、言葉が辺りに満ちるのを待った。


「そしてそれら計画を完璧にするため、犯人はこの部屋の会話もスクロールを利用して盗聴していたはずだ」


「何!? では本当にこの屋敷の中に殺人犯がいるというのだな!?」


「停電の直前の会話を思い出してください閣下」

「む?」

「閣下はセバスさんに対して新しいワインを取ってくるよう命じたではありませんか。……そう。犯人はセバスさんが地下の貯蔵庫にワインを取りに行くタイミングを計って停電にしたのです」


 おぉ。


「地下の貯蔵庫に居たセバスさんは突然の停電に取り乱したはずだ、そしてまったくの視界が無い状態で地下貯蔵庫から管理室に向かう。その場合、電源復旧までおそらく五分はかかるはず――」


 にやりと笑った名探偵。


「だが実際はそうならなかった。さすがの犯人も、セバスさんが地下に降りる前にトイレに行くとまでは想像できなかった。そう、外のトイレと管理室は隣同士であり犯人の計画がこれで狂ったわけですな」


 一つ息を吸い込んで、

「――この偶然。これこそが、わずか『十秒間の殺人』を生んだのです」


「犯人は焦ったはずだ。本当であれば発覚まで五分はかかるはずの事件を、わずか十秒で仕上げる必要が生じてしまったんですから」


「だがしかし、凶行をやってのけた。……恐ろしいほどの修正能力です。驚嘆すべき知能と冷静さを持っています」


 名探偵は歩みを止め、一本の指を立てた。


「だが犯人はたった一つだけ、ミスを犯しました。そうクローゼットの前に転がっていたカバンです。犯人はそれをルルウ氏が持っていた物だと誤認しその場に放置しましたが、あれは聖女オルツィさんの所有物だ。そしてそれはクローゼットの中にあったはずの物」


「つまり外部犯ではなく、犯人は潜んでいたのです。クローゼットの中に」


「いったいそれは誰なんだ!?」


 おおおお。これぞ推理ショー。


「――そうですね? 勇者のヴァンさん」


 …………? 何て?


「なにぃいいい!?」

 伯爵はのけぞりながら大声を上げ、勢いを得た探偵が一気にまくしたてる。


「あなたなら暗闇の中で被害者の心臓を突くことも容易だったはずだ。洞窟内での無視界戦闘の末、悪魔デモゴルゴンを仕留めたというあなたなら!」


「だがヴァン君は停電明けの点呼の時にはすでに部屋にいたじゃないか。そしてその服には血の一滴だってついていなかったぞ名探偵!」


「思い出してください閣下。停電明けの点呼の際、ヴァンさんはすぐには応じませんでした。中から『あれ開かない』と声がしたのを確認したにすぎません。つまり、あの時ヴァンさんは扉のそばにおらず、声の正体は予め用意していた発話のスクロールだったのです。そして、時間を稼ぐ間に返り血の処理をしたのです」


 ニヤリとほほ笑む名探偵。


「そしてあなたはレイピア使いだ。これは被害者の傷跡と一致します。加えて、あなたのポケットの中にはスクロールがあるはずだ。この部屋を盗聴した際に使用し、その痕跡を隠すために回収したスクロール動かぬ証拠がね」


 探偵は踊る。 


「それもこれも、ご実家が魔導具商のヴァンさんだけが可能な細やかな準備と言えるのではないでしょうか?」


 じつに計算高い犯行。まさに見事です。と、探偵は結んだ。




 え? 


「もう観念してくださいヴァンさん。ここから逃走することはあなたにとっては容易でしょう。しかしこのパナキアの箱がこれまでの会話の全てを記録しています」


「それはなんだね名探偵?」


「不思議アイテムですよ!」


「見事だ名探偵!」



「なーーーっはっはっはは!!!!」



 私は疾風怒濤の推理にあてられ思考の全てが飛んでいた。

「そんなまさか……」




 だが一つだけ分からないことがあります。と、声を落とした探偵が聞く。

「――動機をお聞かせ願えませんか?」


 それでもヴァンは目だけをせわしなく動かし、黙り込んでいた。



 探偵はしばらく待った後で、「残念です」と一言いうと、部屋の外に控えていた屈強そうな護衛達を呼んだ。 



「…………」

 放心状態のヴァンと、それを囲む厳しい視線。



「さぁセバス。……連れて行きなさい」

 伯爵はそう言って、立ち上がる――。







「――待って!!!!!」

 声を上げたのは隣のオルツィだった。


「おや? どうされました聖女オルツィさん?」


 オルツィはヴァンを庇うように立ち上がった。

「……違う! 違うのよ名探偵!! 彼はやってないの!!!!」


「……ほう? あなたは何かご存じのようだ」

 探偵の目が細くなる。


「そうよ! 彼はやってないわ! できるわけがないのよぉ……」

 オルツィは膝から崩れ、テーブルに突っ伏しその表情が見えなくなった。



「大変興味深い意見ですな。どうやらあなたは、彼が無実だと確信があるようだ。 

 お聞かせ願えませんか? その理由とやらを」


 部屋中の視線を集めるオルツィの細い肩は悲しげに揺れていた。


「……君は何を知っているのだ?」

 その切迫した伯爵の言葉に、オルツィはキッと顔を上げた。



 そして何度も逡巡し、ひとつ呼吸をすると、

「――ぁだからよ」


 オルツィが喉の奥から振り絞るようにして発した声は、涙の余韻に引かれて掠れた。


「「え?」」


 顔を上げたオルツィは滂沱の涙を流していた。

 フルフルと首を左右にし、目の前の伯爵に縋りつく。






 そして意を決したように、髪を振り乱し絶叫した。









「バカだからよ!!!!!!!!!!!!!」 





「ふぇ?」

 ポンっと抜けた魂が伯爵の口から音となって世界に出た。




「バカだからよ!!!!!!! ヴァンはバカだからそんな複雑な企みなんてできっこないのよ!!!!!」

 オルツィは押し入れに閉じ込められた子供のように、目の前のテーブルをバンバン叩いた。


「「えええええええええええ!!!!??」」

 その部屋にいた全員が悲鳴のように唱和した。



「……確かに」僕の口から独り言が漏れた。


 ……そうだ。そのとおりだ。

 初めて見た推理ショーの雰囲気にのまれて今まで忘れていたけど、ヴァンにそんな芸当できっこない。……何言ってんだぁこのおじさん。


「そうですよ探偵さん。ヴァンにそんな事できるわけ無いですよ」


 巧妙に仕組んでて、準備された犯罪?


 ……ちゃんちゃら可笑しい話だ。こいつは魔物退治以外はくつヒモも結べないような男だぞ? そのうえ冷酷な知能犯? ヴァンからはもっとも遠い話じゃないか。



 そして今まで石のように沈黙していた勇者が、ようやく発言した。

「……え? 推理ショーって犯人が馬鹿かどうかを話し合って決めてたの?」


 ほらぁ……。


「――なっ!?」

 信じられないモノを見た、といった様子で伯爵が絶句した。


「……探偵さんがいっぺんに言うから静かにしてたのに。そんな事なら部屋で寝とけばよかった」

 そしてしょんぼりと小さくなるヴァン。


「御覧の通りよ!!!!」

 そうです。こういう奴なんですって。


 いち早く我に返った家宰のセバスが質問した。

「……それでは点呼の時、扉を開けるのに一分かかったのも?」


「バカだからよ!! バカだから鍵の開け方も締め方も分からなかったのよぉ」 


「ではその膨らんだポケットに入っているのは?」


 オルツィは横から手を突っ込み、ヴァンのポッケを裏返した。

 出てきたのは『盗聴のスクロール』ではなく、夕食のテーブルにあったパンだった。

「……バカだからよ。バカだからポッケになんでも入れて忘れちゃうのよ」


「それじゃぁ事件当時部屋で一人でじゃんけんしてたって証言も冗談というわけでなく……」


「……バカだからよぉ。勇者はホントに馬鹿なのよ」

 

 まったくオルツィの言う通りだ。探偵があまりにも自信満々に語るものだから、そういうもんかな? と納得しかけていた自分に驚いた。


 そしてバカがついに事態を理解した。


「えぇ!? ってボクの事じゃん! ボクのことバカかどうか決めてたの!?」


 それで!? どうなんです名探偵!? ボクがバカじゃないって分かりましたか?


 縋りつくヴァンの肩に手を置くと、

「残念ながらあなたはバカだ」

 臨終を言い渡す医師のような口調だった。 



 使用人たちがにわかに騒ぎ出す。

「勇者はバカだ!」

「発言に混じりっ気の無い芳醇ほうじゅんなバカ味があふれてるいるわ!」

「ということは犯人ではない」

「勇者は無実だ」


 ヴァンはソファーに顔をうずめ、一人泣き出していた。

「そんなまさか……。もうおしまいだ。ボクはバカ罪で逮捕されるんだぁ……」



 そしてシクシクと響くすすり泣き。



 もはや慰めようも無かった。


 すさまじく気まずい空気が辺りを包む――。



 ◇◇


「――以上のことから勇者ヴァンさんの容疑は完全に晴れました」


「という事はやはり外部犯か……」


 セバスが淹れた紅茶の助けもあり、ようやく座会は落ち着きを取り戻した。


「いえ。……私としたことが重要な事実を見落としていましたよ」

 にっこりと笑った名探偵。


「ということは真犯人が分かったのか!? いったい誰がやったんだ!?」

 伯爵が今度こそと目を剥いた。



 私としたことが犯人のしつらえた眠りのラビリンストリック昏睡ミスリードされるところでした。そう言って名探偵は再び立ち上がり、ゆっくりと辺りを見回した。


「――不思議だったのは二点です」

 名探偵は二本の指を立てた。


「一つは動機。それからもう一つは被害者のルルウ氏が何故あの場にいたのかという事です」


 んん……? 確かに言われてみれば気になる。


「彼は本来夕方にはこの屋敷に来ているはずだった。だが、あいにくのこの嵐だ。到着は遅れ、訪れたのはまさかの停電の最中でした。彼の姿は誰も確認しておらず、発見した時にはすでに死亡していた。妙だと思いませんか?」


 どういうことだ?


「この屋敷は全館魔導システムで管理されています。このため停電の際には呼び鈴が使えなかったのは当然です。だが本来ならルルウ氏は、屋敷に上がる際に誰かに案内を乞うはずです。だが誰とも会っていない。……だとすると彼は、ノックも声を上げることすらせずにこの屋敷に入ったことになる。あるいは忍び込むかのように――」


 ……確かに妙な話だ。


「さてルルウ氏が実際に殺された時間はいつだったのでしょうか?」


「それは間違いなく九時ちょうどだろう。停電が明けたのが十秒後、それから控えの間まで移動するのに三十秒もかからなかった。ワシと君とで確認したじゃないか!」


「そうです発見時間に間違いはありませんし、死後すぐの状態であったことも確定しています」


「ならば殺されたのは停電の間に違いないだろう」


「いいえ閣下。我々は一つの事実を見逃しています」


「なんだね名探偵?」


「あの二度の物音です。一度目は八時四十五分に頭上から聞こえた。そして二度目は、停電中控えの間の辺りから聞こえた」


「そうだ。ワシと君はその物音を確認するために控えの間に向かい死体を発見した。それが何だというのだ?」


 私の推理はこうです。と言って、探偵は再びソファの横をゆっくりと往復しだす。

 それは視線を集める儀式のようだった。


「――おそらくルルウ氏は、停電より前にこの屋敷に着いていたのでしょう。そして静かに侵入したのです」


「何ィ?」


「ルルウ氏は何かの目的を持って二階に上がり、そこで犯人と鉢合わせし殺害された。これが八時四十五分の物音の正体です」

 探偵の目が怪しく踊る。


「そして九時。停電になった際に、死体となったルルウ氏は控えの間に捨てられた」

 これが二度目の物音の理由だと探偵は言う。


「それはおかしいでしょう!? あなたが発見した時、ルルウ氏の死体は『たった今殺された状態で傷から血が流れだしていた』とおっしゃってたじゃないですか!」

 浮かんだ疑問をオルツィが鋭く質問した。


「そう!! まさにそこが盲点でした! 見事なトリックに危うく昏睡ミスリードさせられるところでした」

 口の端をニヤリとゆがめた名探偵。


「それでは外部犯ではなく、本当に真犯人がこの屋敷にいるというのか!?」


「えぇ。そのとおりです閣下。犯人とルルウ氏は、二階の自室で会っていた。そして何らかのトラブルになり、ルルウ氏は胸に傷を負い死亡してしまった。……その後犯人は死体を隠すため外まで運んで行こうとした。だが、いきなり停電になり担いだ死体を落としてしまう。これが二度目の物音の正体であり、控えの間に転がっていた理由です」


 まさか……そんなことがありえるのか?


「だが死亡時刻の食い違いはどう説明するんだ? 名探偵」


「……一度はいやしたのです」


「「「「え?」」」


「犯人はルルウ氏を殺害する意図までは無かったのかもしれません」


 ……被害者を、癒した?


「ルルウ氏が倒れた後、犯人はあわてて治療したのです。だが、ルルウ氏の傷は塞がったものの、失われた命は取り戻せません。治療の甲斐なく死亡してしまった。そして死体を隠すために外まで運ぼうとして、控えの間まで来たところで落としてしまう」


 矢継ぎ早の語りにぐんぐんと引き込まれ、大きな身振りを追ううちにその状況がはっきりとイメージできた。


「焦った犯人は、その場にルルウ氏の遺体を遺棄し、とっさに再び同じ場所に傷を付ける事で、あたかもたった今血が噴き出したと誤認させる状況を作り上げた」


『その後自室に引き上げたのです』そう言って探偵がこちらを向いた。




「――そうですね? ……聖女のオルツィさん」


「「「え?」」」


「だが凶器がないぞ名探偵! オルツィ君は勇者と違って武器を持っていないじゃないか?」


「……おそらく髪留めを使用したのではないでしょうか?」


「……そんな! 違います。……あたしそんなことしていません!」

 オルツィの悲痛な叫びがこだました。


「オルツィさん。あるいはあなたの方が被害者だったのではないですか?」


「え?」

 青ざめたオルツィが、はじかれたように顔を上げた。


「あなたは夜中に突然襲われたのではないですか? あなたの部屋に侵入してきたルルウ氏に。それに驚き抵抗し、もみ合った際に手近にあった髪留めで刺してしまったのではありませんか?」


 何度もかぶりを振り、やがて言葉を失いうなだれる聖女オルツィ。


 ……そんな、まさか。


「あなたは治療魔法のエキスパートだ。死体の傷を塞ぐことなど容易でしょう。死亡時刻を偽装することができる唯一の人間。それがあなただ」


 ……傷を塞ぐのが容易? 


「…………違う」

 気づけばしゃべりだしていた。


「……違う。 ……違うんだよ探偵さん」


「ほう。あなたは何かご存じのようだエラリイさん」




「そうだ。……本当は彼女がやったんじゃないんだ。僕の話を聞いてくれ探偵さん」


「急にどうしたんだ? エラリイ君? 何か言いたいことがあるならこのワシに聞かせてみろ」





「彼女はやってないんだ……」


 ……そうだ。僕だけが知ってる。この世で僕達だけが――。 



「おもしろい証言ですなぁ。大変興味深い。あなたは彼女が無実だと確信があるようだ。それはなぜですか? さぁ聞かせていただきましょうか!」





 なぜかって……? 






 そんなの決まってる――。








だからだ!!!!!!!!!!!」





「え!?……ねんね?」




「そうだよ彼女はねんねだ!! 男を殺して死体を担ぐ!? 男には指一本だってふれないよ! 無理に決まってる!」


 無理だ無理だ無理だ!!


「だが彼女も勇者一向としてモンスター狩りをしている。何故出来ないと言い切れるんだ?」


「ねんねだからですよ!!!!」


 何度だって言ってやる! この娘にいったい何ができるというんだ!


「あなたは何にも分かっちゃいない!!! 彼女がモンスター狩り? 男を殺して担いで運ぶ? するわけがないんだそんなこと。今回だって馬車の脇にテーブルとパラソルまで出してお茶してたんだぞ!? 僕達は洞窟の中で命を懸けて戦闘中だ! その間彼女はティータイムだ!!」


「なにぃ!? 勇者パーティーとは君たち三人の事じゃないのか!?」


「ねんねだからだ!!! 彼女は法王の孫娘! 箱入りなんだよ箱入り!! 今回の旅だって、使い捨ての金貨百枚もする転移スクロール使って王都の自分の部屋で毎晩寝てたんだ。僕らは野宿だ! 彼女がこの旅で何かをしただって!? それから治療魔術のエキスパート? 血を見ただけで王都の自室に帰っちゃうよ!!!」


 何にもできるわけがない。空は落ちてこないし、豚は空を飛ばない。そしてオルツィは何にもしやしない。


 それは1+1より確かなことだ。


「……なぜだ?」


「ねぇんねだからだぁあああ!!!!!!!!!!!!!!!! 彼女が死体の傷を癒した? だったら今すぐ大司教に連絡して祝福させますよ!! ようやく彼女も子犬程度にふんべつが付くようになりましたってね!!」


 はぁはぁはぁ。言うだけ言ってやった。


 ちらりと横をうかがうと、オルツィは罰が悪そうなむくれ顔でこちらを睨んでいた。


「……どういうことだ名探偵? ねんねにはこの犯行は絶対に不可能だぞ」



 もはや青黒い顔の探偵。

「殺害と運搬。その後の死体への偽装処理。どれ一つとってもねんねにはできやしませんなぁ……」

 そう言ってソファーに沈み込み、野糞のように固くなった。









 ◇◇


「よーーーうやくわかりましたよ」


 しばしの重苦しい沈黙を破り、探偵が声をあげた。


 解けたんですよ。謎が――。そう言い切った探偵の声は、どこかヤケクソ気味に震えていた。



「はっはは。真犯人の描く夢模様トリックに危うく微睡み騙されるところでした。そう。疑問だったのはアリバイですよ」


「事件発覚後、我々は手分けして屋敷の住人たちのアリバイを確認して回りました。勇者のヴァンさんは、扉を開けるのに一分以上ガチャガチャガチャガチャしていた。まぁ今となってはあれは時間稼ぎをしていた訳でなく、という難関な知恵の輪に半ば詰んでいた。つまりバカだったからという理由でした」


 うんうんと、うなずく一同。


「そしてオルツィさんには、点呼の際まったくタイムラグが無かった……」


 ……え? なんか話の流れが怪しくないか? どうしてそこで僕を見るんだ? 名探偵?


「あなただぁ……エラリイさん。あなたは点呼の際お風呂に入っていたため少し出てくるまでに時間があった」


 おいおいおいおいおい。


「確かに僕は返事が少し遅れた。それはその通りだ。でもそれがなんだっていうんですか?」


「あなたはその時必死に体を拭いていたのではありませんか?」


 は? 

「……そうですが?」

 風呂上がりだったんだから体拭くだろ。



「――返り血にまみれたその体のね!!!」



 はぁああああああ!!!!????


「事件の全容はこうです」


 こうですじゃないが?


「あなたは屋敷が暗闇に覆われた瞬間、まず全裸になったんだ」


 え? いや風呂に――。


「そして走り出したんだ!!!!」


 何んてぇ?


「素っ裸のあなたは走って走って控えの間まで降りていき、そこでルルウ氏に遭遇し普通に殺害したんだ!!」


 おい馬鹿野郎! その口を今すぐ閉じろ!


「そして開いていた窓から外に出ると、壁を上り自室まで引き上げた!」

 探偵は「もちろんモロチンでね」と、舌なめずりをした。


 ……こいつはもうダメだぁ。


「そして急いで風呂に入ると、ごしごしごしごし血を洗い流した!!」


 言え。言ってろ。


「それから急いで体を拭いて我々のノックに応じ、点呼に答えたんだァア!!!」


 探偵の狂気は高音の叫びと散った。


「ちょっと待て!!! 馬鹿馬鹿しい推理だぞ貴様! 何のために殺害したのかさえ分からんじゃないか!」

 我に返った伯爵が間に入った。


「それは確かにわかりません。しかし、あなたは今まで内心ほくそ笑んでいたはずだ。なぜなら、自分の罪をかぶってくれそうな人間が偶然二人も見つかったのだから。……だがギリギリのところであなたの良心が邪魔をした。そう、彼らは一緒に旅する仲間だ。……さぁご自分の口から真相を話してくれませんか?」


 いきなり話し出していきなり終わった。え? 今って会話のボールは僕にあるのか?


 まてまてまて、と伯爵が横から加勢する。

「二度の物音はなんだったんだ!? 百歩譲ってエラリイ君がやったとしよう。だが、その場合の物音は一度きりのはずだ!」


「ええそうです。犯行の十五分前に起きた物音は、屋根に枝でもぶつかったんでしょうな。嵐ですし」

 と、こともなげに馬鹿が言う。


「しかも凶器が無いじゃないか!!! 彼は武道家であり金属の一片だって所持していないじゃないか? 勇者のようなレイピアも、聖女のような髪留めも!」


「そこがこの事件の恐ろしいところですなぁ。まさに盲点ですよ……」


 恐ろしいのは貴様の脳みそだ!


「だったらどうやって殺害したというのだね!!?」


「思い出してみてください閣下。風呂上がりの彼の奇妙な状態を」


「奇妙?」


 …………は?


「彼はローブを着ていて首にはタオルが巻かれていた。肌は赤く上気しており、たった今風呂から上がったことは明白だった」


 ……。


「だがあなたは安否確認の際、どこか慌てた様子だった。……そう。あなたはお風呂に入っている間に暗くなり、そのままその場を動けなかったと証言しています」 


「何も問題ないじゃないか」


「いいえ。伯爵閣下はお忘れでしょうか?」


「だから何をと聞いている!!」


「――彼の髪です」




 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!



「そう彼の金の長髪は、完璧にに乾いていたではありませんか」


 ――――ッツ。


「あぁ言われてみれば確かにそうだった……。だがそんな事がなんだというんだ?」


「真実はこうです。……エラリイ氏はおそらく興奮状態にあった」


「はあ?」


 …………。


「大嵐の晩に突然の停電。パニックになったエラリイ氏は、その自慢の長髪を、整髪剤を利用してに固めたんだ。あの室内にあった大量の薬品が何よりの証拠ですよ」


「そして全裸になるやいなや漆黒の闇の中を駆け出した! そしてたまたまその通り道にいたルルウ氏を貫いたんだ! カジキマグロのように!!」


「無視界の暗闇で心臓を一撃。いやぁ実に見事な腕前だ。そんな芸当は武道の達人であるあなた以外にあり得ません。そして聖女以外の長髪もまたあなただけだ」


 …………。


「あなたの部屋の真下が殺害現場の控えの間だ。あなたの体術をもってすれば容易なはずですな。開いた窓から外に出て、そのまま飛び上り自室に戻って来ることも」


「そして返り血を悠々とシャワーで流し、痕跡を消すように髪の毛だけを完璧に乾かして、ローブに身を包んで我々の点呼に答えた。…………以上です」



 …………。



「気でも狂ったのか名探偵!!!! そんな馬鹿な推理があるか!!!」


「おい!!! 君も何か言ったらどうだエラリ「僕がやりました」イ君」


 僕は放心状態で何度も何度もうなずいた。


「「「えええええええええええええええええええええええええええ!!!!」」」




 もういい。……もういいんだ。



 僕だ。



 僕がやった。



 僕がやったんだ。



「行きましょう探偵さん。これ以上の議論は無用です。僕が犯人です。すぐに警察署に」


 探偵の手を取ると、慌てる仲間を無視してドアに急いだ。




「そんなまさかッ!?」

 探偵自身が一番大きな声を上げていた。



 さあ、行きましょう――。










「待って!!!!!!!!!!!!!!!」




 振り返ると、聖女のオルツィが立ち上がりこちらを睨んでいた。






「違う!!! 違うのよ!!!!」




 ――――っ!!!!!!!




「さぁ、探偵さん行きましょう。急いで」





「彼はやってないのよ!!!!!!!」






「……お聞かせくださいエラリイさん」





 まさか――









 知ってるの、か――










「ハゲだからよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」






 はい。オワタ。




「「「え?」」」



「ハゲなのよ!!! エラリイは!!!」



 あらー? 知ってらしたのぅ……。



「それじゃああの時髪の毛が乾いてたのは……?」



「ハゲだからよ伯爵! カツラだから濡れてる訳が無いじゃないぃ!!」



「だが点呼が遅れて一番最後に返事をしたのは――」



「ハゲだからよ!!!!! ハゲだからカツラを整えるのに時間がかかるの!!! 流れる汗の出所を見たら分かるでしょ!!? もみあげの隙間から石清水のようにこんこんと溢れているじゃないの!!」


「だが彼は自分がやったと自白したぞ?」



「ハゲだからよ!!!! ハゲだから自分のハゲがバレてないと思ってたのよ!!!! 髪の毛を固めて刺殺する? そんな事できるわけないじゃない。飛んでっちゃうわよがカツラが!!」


「確かに……」



「何がねんねよ。かっこつけ。あたしだって勇者パーティーなんだから」



「はい」

 今の今まで黙っていた勇者のヴァンが手を挙げていた。



「どうぞ」と促す執事のセバス。


「だったらオルツィが治してあげればいいじゃないか? エラリイのハゲを」




 ――――ッツ!!!!!!!!!!


 この世に生まれて初めて言葉を聞いた。


 確かに!!!!!!! その手があったか!!!!!!!


 お前こそ天才勇者ヴァンだ!!!!!!!!




 天女オルツィの方を振り返ると――、




「……私に死人の癒しは無理なのよ」



 え?



「もう毛根が死んでるの。だから……無理よ」






 …………スゥ。





 どうなっとんだ名探偵? また一人死んだぞ! と声がした。


 そこはスローモーションのような世界で――。



 ほんとはあんたがやったんじゃないの? と誰かが聞いた。


 私にはできませんよ。私の推理を聞いたでしょう? 絶対にできませんよ。だって私はバカだから。と、誰かが答えた。


 君のどこが昏睡探偵なんだ? それに普段つれてるメガネの子供がいないじゃないかと、誰かが聞いた。


 そんなことわかりせんよ。だってわたしはねんねなんですから。事件の山場でねんねしていつも必ず解決していたんですから。こんなにしゃべったのは今夜が初めてです。と、誰かが言った。


 何がカジキマグロだ。どういう発想があればあんなことを言えるんだ。さては、貴様がやったんだろ!? 自分がやったことだから堂々とトンチキな推理を披露できたんだ。と、誰かが聞いた。


 私もハゲですよ! ハゲにそんなことはできんでしょう? 誰かのハンチング帽が飛んでいた。



 偽物だ。この偽物が犯人に違いない。 セバス今すぐふん縛れ。と、声がした。



 謎がぁ……溶けちゃったぁ。


 

 誰かの悲しい声がした。





 ◇◇





「――タルネンの洞窟最奥部にて目標を確認。無視界戦闘の末、デモゴルゴン討伐を見事果たしました」隣のオルツィがすました顔でそう報告した。


 騎士団長はわずかに眉を上げ、不思議なものを見るような表情をした。

「……ほう。倒した? 今、君は倒した。そう言ったな?」


 ……? 今になって報酬を渋る気なのか?


「ではそのデモゴルゴンとやらを見せてもらおうか――」



 僕は手にしていたマジックバックを逆さまにし、獲物を床に取り出した。

「こちらに」



 …………あれ?





 そのままブンブンと振った。



「…………」


 


 こぼれてきたのは、パラパラ、とタリン砂漠の砂。それからガリア高原の朝露。シミュ山脈の冷たい空気。マジックバックの底の底。……以上。



 どんなに待っても、往復一か月の旅路しか出てこなかった。



「「「あらぁ?」」」


「あらぁじゃない!!!!」


 青筋を立てる騎士団長が、「見てみろ」と突きつけてきたのは朝刊の一面だった。



 そこには――。



『お手柄!! 昏睡探偵コーゴロ。寝ている間に大悪魔デモゴルゴン討滅!!』

 の大見出し。


 なにぃ!!!??



『「私の悪を憎む無意識が、刃の形を纏って事件解決にこぎつけたんでしょうなァ」わっはっはっは、と胸を反らす名探偵の次なる活躍に目が離せません』と、その記事は締めくくられていた。


 そして大きな一枚の写真。そこにはデモゴルゴンと思しき青白い人型と肩を組み、ゴキゲンな様子のコーゴロの姿があった。



「……デモゴルゴンってこんな顔してたんですね。あの時は暗かったしすぐに詰めちゃったから」

 と、勇者ヴァン。


 目を丸くする聖女のオルツィ。

「それじゃあ明け方の森で、伯爵の屋敷の場所を聞いてきたあの濡れネズミのおじさんが――」


「『ルルウ』って気味の悪い鳴き声じゃなくて、おじさんの名前だったんだな」

 

 もはやどうでもいい事だ。



 私の心はどこか晴れやかだった。

 

 いずれにせよ、このパーティーはおしまいだったから――。



 了



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十秒館の殺人 すちーぶんそん @stevenson2

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