二人きりの時間
おつかいを盛大に失敗し、その放課後、メールで那月に呼び出された。それは私が何かやらかしたときか、那月の機嫌が悪いときか……とにかく、お仕置きされるということで。怯えと喜びで心臓をばくばくさせながら指定された場所、図書準備室の扉をノックすると、勢いよくその扉が開かれた。
「なつ、っ」
首を掴まれて、強引に壁に押さえつけられる。那月は何も言わずに鍵を閉めると、じっと私を見下ろした。
「……なつ、き」
「……」
「なつき、くるしいよ……」
「苦しいのが好きなくせに」
吐き捨てるように言うと、那月は手を離して「おすわり」と指示した。
少しの羞恥を感じながらぺたん、と床に座ると、「いいこ」と頭を撫でてくれる。ほしかったものを与えられて、途端に思考がとろとろ溶けていく。
「あいつら、人のものを叩きやがって」
忌々しげに呟いて、那月の手は何度も私の頭を往復した。ときどきキスが落とされて、たまらなく幸せな気持ちになる。
「嫉妬したの?」
「うるさい。お前もあれで喜ばないの」
「だって叩かれたら嬉しいし」
「……変態」
不意に那月が手を振りかぶる。それだけで体が跳ねて、「う」と意味のない声がもれる。
「怖いんだ」
「……こわい」
「でも、叩かれたい?」
頷くと、「本当に救えないね」と嘲笑された。
「じゃあ、叩いたらお仕置きにならないな」
「……えっ?」
「何驚いてるの。今日の緋奈、悪い子だったでしょ」
那月が離れていくのに着いて行こうとすると、「勝手に立たないで」と止められる。
近くにあった椅子に座って那月は足を組んだ。二メートルほどの距離なのに、なんだか落ち着かない。
「今日お昼遅かったよね。なんで?」
うっすらとした微笑みから滲む怒りに、体が硬直した。どうも、今日はこのことで呼び出されたようだ。
「……混んでて」
「それだけじゃないよね」
ばれてる。
……でも、言いたくない。
言ったら絶対絶対、叱られる。
叱られるのは好きだけど、怖いし。怖いのも好きだけど、でも、ためらってしまう。
「緋奈?」
何も言えずにいると、那月は視線を鋭くした。
「私に言えないようなこと、したの?」
「……し、してない」
「じゃあ言って」
「……やだ」
頑なに答えないでいると深いため息と共に「緋奈はだめな子だね」と冷たい声がした。
「おつかいもできない、聞かれたことにも答えられない……なんにもできない、だめな子」
わ、どうしよう……こんなときなのに、ぞくぞくする。
床に座らされて、だめな子って言われて、くらくらするくらい興奮してるの。
「な、なつき、なつき……」
「なに?」
「なつき、すき……」
すき、すき、と頭がそれだけしか考えられなくなって、うわごとのようにくり返す。
「……っ、ほんと、どうしようもない」
那月は大股で歩いてくると、私の胸ぐらを掴んだ。
「あ゛うっ」
「あったこと言って。ご主人様の私に言えないことなんてないよね。お前のことだから、全部知られるのだって嬉しいんでしょ」
「……う、れしい」
「なら言え」
め、命令形だ……! いつもの、わんちゃんに指示出すみたいな淡々とした声も好きだけど、たまにある乱暴な口調も、すき……
「……ぁ、買ったもの、持ちきれなくて……それで、一つ落としちゃって」
考える前に口が動いていた。掴まれていた手の力が少し緩められる。
「へえ、落としちゃったんだ。だめな子だね。あとでお仕置きだね」
耳元で囁かれて、言葉にならない声がもれてしまう。体から力が抜けてへたり込みそうになるのを必死に堪えた。
「それ、で」
「なに、まだあるの?」
「人に、声かけられて……」
「ふうん」
すでに機嫌の悪そうな返事。だけど正直に言うしかないと、意を決する。
「落としたの拾ってもらって……それでその……いじめられてるの? って聞かれて」
那月の表情がみるみる歪んだ。
確実に怒ってる。わかっていたけれどやっぱり怖くて、顔が見れなくなる。
「……そうだね、緋奈はいじめられてるね。恋人の私以外にもいじめられたいドMだから」
「ぅ……」
「惨めにいじめられてるのは見れば誰でもわかる……でも声をかけられたのは緋奈がおつかいも碌にできないで、もたもたしてたから。お前が愚図な出来損ないだから。
教師にバレたりしたら、もういじめてもらえなくなっちゃうかもしれないのにね……」
「ごめんなさい……」
「別にそうなってもいいよ、私は」
「わ、私が……いじめてもらいたい、から。だから、もっとちゃんとする……い゛!?」
思い切り踏まれた足に痛みが走った。
「じゃあいい子になれるように、お仕置き頑張ろうね」
そう微笑む那月に、私は頷く以外の選択肢がなかった。
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