Coghohlish

mugimugi

第1話 入学式①

 あわ。

 泡が脳内に広がる、そんな感覚があった。

 視界は白く黒い名状しがたい何かが覆う。

 手足を動かそうとしてみる。

 頭では動いていると思っているが、実際に動いているかどうかも分からない。

 辛い。

 苦しい。

「………………!」

 何かが聞こえる。

 笛のようなどこか突き抜けた音は、心地よい郷愁きょうしゅうを感じる。

 純粋無垢で何者にも縛られなかった、あの頃。

 小鳥がさえずり、緑の木々が生い茂る、あの場所。

 記憶の奥に仕舞い込んでいたはずの思い出が、蘇り心が落ち着く。

 もう少しだけ浸っていたい。

 そう思った。

 ガンッ!

「いつまで寝てんだ〇ソにぃ!」

 全身に痛みが走る。

 何だ!?

 咄嗟とっさに目を開けると知っている天井が見えた。

 朦朧もうろうとした意識の中で、何とか状況を把握する。

 どうやら、毛布ごとベッドから追い出されたようだ。

 視界の端から妹のヨイハがぴょんと顔を出す。

「折角、今日からク〇兄が学校だから快適に過ごせると思ったのに、寝坊しようだなんてどういうつもり!」

 挨拶おはようございますもできない妹に育てた覚えはないぞ、僕は。

 ヨイハは腕を組みなおし溜息ためいきをつく。

「アンタが起きなかったら、あたしがおかぁに怒られるんだからね。ホント馬鹿みたい」

「それは……ごめん」

「反省してるならさっさと起きて! 遅刻するよ」

 ヨイハは更に溜息を吐きながら、部屋を出ていった。

 余韻に浸るまでもなく起き上がり、ベッドメイキングから始まる朝の習慣を俊敏な動作で行う。

 新品の制服は丁寧に扱って欲しそうだったが、少し我慢してもらおう。

 制服を広げたとき、思わず胸元の校章が目に入る。

『シノ魔法高等学校』

 ここ最近できたを専門とした高校。

 近年、魔法の発展が目覚ましく、数年前では考えられないほど暮らしが便利になった。

 それに伴い、国が魔法開発・教育支援における予算を毎年のように倍増。

 その結果、国全体に魔法学校をうたう教育機関が乱立するようになった。

 これから通う『シノ魔法高等学校』も、その一つである。

 一通り身支度を済ませ、一階のリビングへ向かう。

 ヨイハはもう朝食を終えていたのか、ソファでくつろいでいた。

「母さん、朝食は?」

「おはようセンリ、そこに置いてあるわよ」

「………………」

 ……本?

 テーブルの上には、一冊の分厚い革装本が置かれていた。

 本の表紙には黒い印が彫られていて、いかにも怪しげな雰囲気を漂わせている。

「何でも、料理が魔法で生成されるらしいの。新商品として昨日の市場で大々的に宣伝していたわ」

「へぇー、どうすればいいの?」

「ここの栞を引っ張って……さぁ、召し上がれ」

 本に挟んであった栞を引き抜くと、パラパラとページが捲れ、中からパンとスープがご丁寧にランチマットの上に乗って飛び出す。

 役目を終えた本からは黒い印は消え、どこにでもあるような白紙の本へと戻っていた。

「これは……凄いな!」

「凄いでしょ! 私も初めて見た時は、びっくりしたんだから」

 母は腕を組み、まるで自分が作ったかのように誇らしげにしていた。

 早速、椅子に座って味を確認してみる。

「……パン硬い、スープ冷めてる」

「凄いでしょ! 私も初めて食べた時は、びっくりしたんだから」

 最悪の日だ。

 料理本ゲテモノには手を付けず、非常食用の干し肉を噛みながら玄関へ向かう。

 余計な時間を取られて内心焦っていたが、平静を装って振り返る。

「いってきます」

 特に返事も聞こえ無かったが、これが家の日常だった。

 辞書一冊も入らないような鞄を持ち、外へ駆け出す。

 空は気持ちとは裏腹に快晴で、穏やかな風が並木を揺らしていた。

 前日に幼馴染と下見した道順を思い出しながら、レンガ造りの舗装を軽快に走る。

 横切る際に大通りの様子を見ると、数人の大人が積み荷を降ろしたりと何やら準備作業に追われていた。

 その中でも一際異彩を放つのは

 城塞にも負けないほどの巨大な結晶は、この町の象徴シンボルである。

 昼夜問わず燃え続けている為、寝るときは窓を塞がないとまともに眠れやしない。

 困ったシンボルである。

「おーい、なぁにを突っ立っているのだ。センリクンよ」

 後ろから声が聞こえ、振り返ると幼馴染のニトラルが走ってきた。

「……何でもない」

「何を辛気臭い顔してんだ。こんな最高の日に」

 ニトラルは満面の笑みで顔を覗き込んでくる。

「うるさいな、こっちは朝から大変だったんだよ」

「ふぅん、まぁ、いいか。今のお前と居ると、暗い気持ちがうつりそうだわ。長年、待ちわびていた高校生活初日に、水を差されたくないぜ」

「こちらこそ、万年幼女愛好家ロリータ・コンプレックスに用はない。どっかいけ」

「なっ、てめっ! 折角、俺が他校から聞いて回って、将来有望な魔法少女一覧を作ってお勧めしてやったのに。お前にはもう、教えてやんないからな」

 そんなのこっちから願い下げだ。

 ニトラルは将来、魔法少女と結婚するのが夢らしい、浅ましいやつだ。

「あばよ、精々遅刻して大恥さらしやがれ」

 ニトラルは捨て台詞を吐くと、自動浮遊魔法棒ほうきに跨り、学校へ飛んで行った。

 校外の魔法使用は禁止だったはずなんだけど。

 それよりも、急がないと遅刻するな。

 慌てて学校までを全速力で走る。

 すると、曲がり角を曲がった先に人が座り込んでいた。

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