第2章 知らなかった世界
第6話 また朝を迎えてしまった
枕元の時計を見ると、朝の8時だった。
もう二度と、迎えることがないと思っていた朝。
ため息を吐き、頭を掻いた。
「あいつは……」
隣で寝ていた海がいない。
もう出ていったのか? そう思い起き上がった大地の背後から、海の声がした。
「おはよう」
「……」
振り返ると、コーヒーカップを持った海が自分を覗き込んでいた。
笑顔で。
「……おはよう。もう起きてたのか」
海からカップを受け取り、一口飲む。
「……うまいな。コーヒー淹れるの、得意なのか?」
「
「……そうか」
「うん、そう」
「よく眠れたか?」
「うん。大地のおかげ」
「何もしてないと思うけど」
「一緒に寝てくれたじゃない」
「間違ってはないんだけど……人が聞いたら誤解されそうだな」
「困る?」
「いや……どうでもいいよ」
「
「そうなのか? 俺はてっきり、昨日のように毎晩男を漁ってたんだと」
「見境のない女みたいに言わないで。あんな風に声をかけたの、昨日が初めてだったんだから」
「じゃあ、これまでずっと我慢してたのか」
「そうだよ。死んで
「じゃあなんで、昨日はその誓いを破ったんだよ」
「あれはその……仕方ないじゃない。死ぬ決意が揺らいじゃったんだから。これから決心がつくまで、また一人で寝なくちゃいけないんだって思ったら耐えられなくて」
「まあどっちにしろ、死んでまでして会いたい男への
「大地のおかげだけどね」
「そうだな、だから感謝しろ。そして二度と、ああいうことはしないでくれ」
「なんで大地、そんなに気遣ってくれるの?」
「嫌なんだよ、そうやって自虐的に抱かれる女が。それって自傷行為みたいなもんじゃないか」
「ふふっ」
「なんでそこで笑う」
「ごめんなさい。でも、ふふっ……大地、面白いなって思って」
「芸人を目指してるつもりはないんだが」
「そういう意味じゃなくて。どうせ死ぬ私のことなんか、放っておけばいいのに」
「ただの他人なら、こんなこと思わないよ」
「他人でしょ? 私たちお互い、名前と年齢しか知らないんだし」
「それと、お互い死にたがってる馬鹿ってこととな」
「違いない、あははっ」
「ははっ」
海が遮光カーテンを開けると、部屋が一気に明るくなった。
「いい部屋ね」
「そうか? 普通だろ」
「私が前住んでたところは、向かいがオフィスビルだったの。カーテンを開けたままだと丸見えだから、ずっと閉めてたの」
「ここは国道沿いだからな。車の音がうるさいのが困るけど」
「でも本当、気持ちいい。ねえ、ちょっとだけ窓、開けていい?」
「いいよ。たまには空気も入れ替えないとな」
窓を開けると、大地が言ったように車の音が耳に響いた。
「ここに引っ越した頃は、この音が嫌いだったんだ」
「今は?」
「嫌いなのは変わらない。でもまあ、慣れたって感じだな」
「そうなんだ。私は結構好きだな。誰かと繋がってるって感じで」
「どんだけ寂しがりなんだよ、お前は」
「仕方ないじゃない、寂しいのは本当なんだから」
そう言って大きく伸びをした。
「お腹、空いてない?」
「朝は食わない派なんだ」
「……大地って本当、コミュニケーションをとる努力を放棄してるよね」
「なんでだよ。朝食わないのは本当なんだし、何も悪くないだろ」
「私がこう聞いたのは、一緒に食べようって誘ってるからでしょ? それぐらい分かりなさいよ」
「だから俺は食わないんだって。食いたきゃ一人で勝手に食えよ。冷蔵庫に何かあるだろ」
「だーかーらー、もう用意してるんだってば」
「作ってるのかよ」
「そうよ。大地の分もね。それでどうなの? 食べる? 食べない?」
「いや、その……作ってくれてるんだったら食べるよ。ここでいらないって言うほど、俺も空気読めない訳じゃないから」
「よかった。じゃあテーブル出してて。持ってくるから」
それでか。さっきからいい匂いがすると思ってたんだ。
そう思い、テーブルを出してから洗面台に向かった。
「……」
顔を洗い鏡を見る。
情けない面だな、お前。
死地に向かったにも関わらず、またこうして一日を始めようとしている。
昨日出会ったばかりの、おかしな女と一緒に。
昨日思ったよな。こうして顔を洗うのも、これで最後なんだって。
どれだけ自分との誓いを破るんだよ、俺は。
「冷蔵庫の中、卵とベーコンしかなかったから」
テーブルに並んだ二枚の皿。
それを見て。大地は自虐的な笑みを浮かべた。
笑うしかないよな、こんなの。
これまでの人生、女に飯を作ってもらったことなんかなかった。
一夜を共にした女もいない。
死ぬと決めてから、こんな初体験をしてる馬鹿がここにいる。
本当、馬鹿げてる。
でも。
不思議と気持ちが軽くなっていた。
海の笑顔に、心が癒されている。
もうすぐ死ぬ俺に、必要のないひと時。
神がいるならこんな時間、もっと必死に生きてるやつに譲ってやれよ。
そう思い、笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます