子どもに期待するのをやめた日

その植物の名前を、まだ知らなかった。


ベランダのプランターに見たことのない植物が生えていた。おそらく6歳になる長女の仕業だろう。彼女はありとあらゆる種を集めて、せっせとプランターに植えていたから。その植物はしゅっとした、鋭利な草だった。レモングラスのようだが、匂いはしない。「スイカかな、さくらんぼかな」と思った。「それとも……」と私は思った。未知の植物で、世紀の大発見につながるかもしれない。いずれにせよ、ビビッときたのだ。何か素晴らしいものが生えてくるに違いない、と。


だから大事に育てていた。毎日水をやって、肥料をやって、雨が降る時は場所を変えてあげて、日差しが強そうな時は別の場所に置いていた。植物を育てている間は楽しかった。毎日話しかけたりもした。家の中がぐちゃぐちゃだった時も、仕事で大きなヘマをやってしまった時も、私は植物に語り続けた。それはずっと聞いてくれて、すくすくと育って行った。


夏のある日、10日間ほど家を空けた。帰宅後、私は真っ先にベランダに行った。枯れていないか心配だった。その草の姿を見て、私は驚いた。


それは猫じゃらしだった……。


私は大きく肩透かしを食らった。そういえば長女はその辺から猫じゃらしをむしってきて、ベランダに植えていたではないか。どうしてその姿を記憶から都合よく削除していたのか。スイカとかさくらんぼとか、どうしてそっちにばかり意識が行っていたのか。それは「そうあってほしい」という、私のエゴが入っていたからだろう。


たぶん、これは子育てにも繋がる。大事に育てて、語りかける。時には寄り添ってくれる。「この子は将来、大物になる」と信じる。どうかスイカであれ、さくらんぼであれ。でも育ってみると、猫じゃらしだったりする。そんなものだ。まあ、私も猫じゃらしのようなものだ。そんな親から、どうしてスイカが生まれると思ったのだろう。この日から、子どもたちに過度な期待をすることをやめた。


そして、好きに生きようと思った。子どものために自分を押し殺してとか、そんなことをする必要がない。だって結局、猫じゃらしかもしれないんだから。猫じゃらしのために誰も無理はしない。私はその猫じゃらしを抜いた。捨てるのはなんだか忍びなかったから、近所の猫じゃらしがたくさん生えてる広場に植えておいた。かつてベランダにいた猫じゃらしは、今は他の猫じゃらしたちと一緒に、すくすくと育っている。

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