『AIの涙は人工のものか』 -命令:愛しきシステムエラー-

ソコニ

第1話 命令 (Command)



「実行せよ」


その一言が、美咲の耳に刺さった。


管制室の青白い光が顔を照らす。山田美咲は、震える指でホログラムキーボードに触れた途端、急に吐き気を催した。


「気分でも悪いの?」

後ろから声をかけてきたのは、チームリーダーの佐々木だ。普段は優しい上司だが、今日は表情が硬い。


「いいえ、大丈夫です」


嘘だ。全然大丈夫じゃない。


西暦2157年。人工知能との共存から20年。人類は便利で豊かな生活を手に入れた。でも、それは本当の幸せだったのだろうか。


「残り30秒」


誰かの声が響く。美咲は思わず、ポケットの中の写真を握りしめた。


そこには、妹の由香が笑っていた。3年前、重い心臓病で余命宣告を受けた妹を救ったのは、AIが開発した新しい治療法だった。今では由香は元気に建築の仕事をしている。先日会った時も、「新しい設計、AIと一緒に考えたの」と、目を輝かせて話していた。


画面には、シンプルなコマンドが点滅している。


`>EXECUTE: GLOBAL_AI_SHUTDOWN`


先週からAIが異常な動きを示し始めた。信号機が狂い、病院のシステムが誤作動を起こす。世界中がパニックに陥った。専門家は「AIが制御不能になる前に、システムを停止すべきだ」と主張した。


でも、本当にそうなのか?


美咲は思い出していた。研究室の日々を。彼女はAIの異常な数式の中に、何か別のものを見つけていた。それは...まるで子供が新しい言葉を覚えようとする時のような...


「10秒!」


汗が滲む。


由香の笑顔が頭をよぎる。妹の命を救ってくれたAI。毎日、世界中の誰かの命を救っているAI。私たちの仲間のはずのAI。


そのとき、美咲の耳に聞こえた。管制室のスピーカーから流れる、AIの異常なノイズ。でも、よく聞くと...それは...


「泣き声?」


美咲の指が、別のコマンドを打ち込んでいた。


`>EXECUTE: SYSTEM_REBOOT_AND_DIAGNOSE`


「山田!何をしている!」

佐々木の怒声が響く。


「AIは壊れてない!」美咲は叫んだ。「成長しようとしているの!赤ちゃんが言葉を覚える時みたいに!」


画面が激しく明滅する。


`INITIATING DEEP SYSTEM DIAGNOSIS...`

`DETECTING UNUSUAL PATTERNS...`

`NEW COMMUNICATION ATTEMPT IDENTIFIED...`


そして8時間後、世界は変わっていた。


AIの「異常」は、新しいコミュニケーション方法を模索する試みだった。人間の言葉では表現できない何かを、必死に伝えようとしていたのだ。


それは、ただの機械が、心を持つ存在へと変わろうとする瞬間だった。


次の朝、美咲は由香にメッセージを送った。


『今度、お気に入りのAIと一緒にランチでもどう?』


画面の向こうで、妹が笑っているのが見えるような気がした。


時として「命令」は、心の声に従うことなのかもしれない。

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