地獄絵師ミダス ~第零筆~ N高校白骨殺人事件

つむぎとおじさん

ホラーとミステリーが融合した、新感覚の青春ダークファンタジー

序章 頭蓋骨


「ここ、ちょっと足場が悪いな」

山口が立ち止まった。冬の日差しが斜めから林床を照らしている。

A県立N高校山岳部の面々は、学校の裏山でトレーニングをしていた。


「くずしちゃえよ」

「うん...あれ? なんか...」

「おい、どした?」

「わかんない、木の根っこ? 白いのが...」

枯葉を払いのけた瞬間に現れた目の前の白い物体は、まぎれもなく人の頭蓋骨だった。

「ぎゃああああああ!」

悲鳴が山々にこだました。


第一章 ミダスという男


頭蓋骨の持ち主は間もなく判明した。

N高校2年生(当時)の白石遥香しらいしはるか

行方不明扱いから殺人事件へと一変する。


地元警察は大々的な捜索活動を行ったが、首から下の部分は見つからなかった。さらに鑑識課から意外な報告がもたらされた。

頭蓋骨はきれいに洗われており、調味料が付着していたのだ。

調味料は、だれもが知る、どこにでも売っているものだった。


カニバリズムの可能性が浮上した──。

警察は変質者のリストをもとに捜査の手を広げたが、成果は得られなかった。


白石遥香は当時、4人の男性と同時に交際していた。

ひと昔前なら“発展家”、“恋多き女”。今で言うところの“肉食女子”である。

付き合っていた男性たちは厳しく身辺を調べられたが、特に怪しい点は見つからなかった。


警察は、仮に犯人が彼女を“食べた”のだとすれば、体内にDNAが残っているはずだと考えた。

4人の男性全員が任意のDNA提供に同意したが、結果は全員シロ。

もっとも、1年も経過していれば、食べ物のDNAが検出される確率は限りなく低い。警察の淡い望みは絶たれた。


ここで事件は、思いもよらぬ方向へと展開する。


白石遥香の両親は、警察から返還された遺骨を納骨するのではなく、ある男のもとへと持ち込んだ。その男の名は──地獄絵師ミダス。


いかにもうさん臭い通り名だが、本人が名乗ったものではない。

噂が噂を呼び、いつしかそう呼ばれるようになった。


ミダスとは、触れるものすべてを黄金に変えるという伝説の王の名。そして、この絵師ミダスが描いた絵には魂が宿る──そう噂されていた。


娘を殺した犯人に天誅を下したい。

その一心で、白石夫妻は伝手をたどり、絵師の門を叩いたのだった。


それからさらに一か月がたったころ、警察のもとに、白石夫妻が姿を現した。


「地獄絵師、ですか...はあ...」

警部補の加藤は内心うんざりしながらも、表情を抑えて話を聞いていた。


「それで、私どもにどうしろと?」

「容疑者の方々と、遥香を...いえ、正確には遥香の“首”と、面談させていただきたいのです」

父親は真剣な表情で迫った。


「面談って...ガイコツとですか? ガイコツがしゃべったりすると? イタコみたいに?」

「はあ、その辺は私どもも詳しくは伺っておりませんが、ミダス先生が...」

「ミダス先生!?」

加藤は思わず素っ頓狂な声をあげた。


自称霊能者だの、イタコだのに大金を騙し取られるケースは意外に多い。目の前の哀れな夫婦もまんまと口車に乗せられたのだろう。

だがミダスという男、あえて警察に立ち会わせようとするとは大胆不敵というか。面白い。4人の元カレどもが、しゃれこうべにどんな反応を見せるのか、一見の価値はある。

たかが詐欺師一人を捕まえてもたかが知れているが、乗ってみるか──。


「わかりました。面接室くらいならお貸ししましょう。あと、先ほどご主人、“容疑者”という言葉を使われましたが、正しくは参考人です。その辺、失礼のないように。お気持ちはわかりますが」


日程の調整は順調に進み、今週末の二日間で4人の元カレたちとの面談が行われることになった。


第一章 “首”実験(前編)


一人目の参考人は桐生啓介きりゅうけいすけ。二十五歳、銀行員だ。

「この淫行野郎が」刑事のこんがブツブツと呟く。加藤警部補が小さく咳払いをして制した。


面接室には二人の警官と参考人、そしてミダスの姿があった。両親は同席しない。きわどい質問も出るかもしれないと、警察側が配慮したのだ。


ミダスは一見したところ三十代といったところ。羽織袴に雪駄という出で立ちで、貧乏な僧侶と言われても違和感はない。何より特徴的なのはスキンヘッド。じっと目を閉じている。彼の前には紫の風呂敷包みが置かれていた。


「では、そろそろ始めましょうか」

加藤が沈黙を破る。ミダスが結び目をほどき始めた。加藤と近は、桐生啓介の表情を注視している。

当の桐生はそれどころではないという面持ちだ。


風呂敷がゆっくりとほどかれ、ガラスケースに収められた白石遥香の首が姿を現す。

一同が思わずケースに近寄った。


遥香はまっすぐ前を見ている。焦点は合っていないようだが、それでも美しいとしか言いようがない。世間で言う“派手な顔”とはこういう顔立ちを指すのだろう。


首の下には黒い棒が刺さっている。直径3センチメートルほどの棒は台座につながっている。もし“首”を真下から見ると、台座の形は大文字の『H』に見えるだろう。


桐生は目に涙を浮かべた。

「は、遥香ちゃん……どうして、どうして死んでしまったんだ」

これが演技なら、アカデミー賞ものである。


桐生は内ポケットから写真を取り出し、遥香の目の前にかざした。

「ほら、これ、覚えてるかい。クリスマスを一緒に過ごした時の──」


「悪いが、見えねえよ」

ミダスの無情な声が飛んだ。


「え……そ、そうなんですか?」

「ああ、ちなみにしゃべれないし、においも嗅げない。知覚もない。基本的にはな」


「そ、それじゃただのマネキンと同じなのか?」

加藤警部補が訊ねた。


「いや、ここの雰囲気は感じ取ってる。正確にいうと感じ取ってる“はず”だ」


「じゃ、じゃあ、僕がここにいることも遥香ちゃんはわかっていないんですか?!」

「そうだな、俺の見る限りでは……」

ミダスは遥香の顔を観察してから続けた。

「それは伝わってるんじゃねえかな」


そういわれても、という表情の桐生。


「この子の表情、さっきより和らいだと思わねえか」

一同がガラスケースを覗き込む。


「ほ、ほんとうだ! 遥香ちゃあん!」

桐生が再び泣き出した。

「そうかあ?」

加藤と近は半信半疑の様子だ。


2人めの参考人は、大河内孝太郎おおこうちこうたろう48歳。


「この淫行教師が」と近が小さくつぶやく。その通りの男である。そのために職を失い、女房子供に去られ、現在は警備員で生計を立てている。


「あまり長く拘束されても困るんですがね。バイトが...」

「拘束はしてませんよ」加藤が淡々と告げる。「ご協力いただいているだけです」


ガラスケースに入った白石遥香の“首”と対面した大河内はわずかに震え出した。

「い、いやだなあ、刑事さん。こ、これって何かのし、心理テストですか。そんなことで犯人が……」


その時だった。

“首”がかすかに揺れた。

小刻みにうなずくような動きをしている。

台座の先がガラスケースにぶつかるのと、重心がわずかに前方にあるため、ケースごと徐々に前に移動していく。


「ひっ!」大河内は後ろへのけぞった。その拍子に椅子から転げ落ちる。

「お前か! お前がやったのか!」加藤の怒号が飛ぶ。

「ち、ちが……」大河内は腰が抜けてしまい、立てないでいる。


「まだ決めつけるのは早いんじゃねえかな」ミダスはガラスケースを抑え、風呂敷で再び包み直している。


「いや、だって動いたぞ! 反応したってことは……」加藤が食ってかかる。

「まあまあ、あと2人残ってる。結論を出すのはそれからでも遅くはない」


第二章 “首”実験(後編)


3人目は今井大輝いまいだいき。十九歳、現在浪人中。N高校卒業生である。

“首”の反応は大河内と似たようなものだった。さすがの加藤警部補も今度は犯人扱いを控えた。


最後の四人目、森下翔もりしたしょう。十七歳、N高校三年生。白石遥香と同学年である。

「このリア充が」近は心の中でつぶやいた。無理もない。かなりのイケメンである。


風呂敷がほどかれ、ガラスケースの中の白石遥香が姿を現す。

“首”は今回も振動を始めた。しかも2人め、3人めの時よりも揺れが大きい。


「動いた! こんなに動いたのは初めてだぞ」近が声を上げる。

「お前だったのか! さわやかな顔しやがって!」加藤が机を叩いた。ガラスケースが跳ねる。


「おっと」

ミダスはケースを抑え、素早く風呂敷をかぶせた。しばらくゴトゴト音がしていたが、やがて静かになる。


「ぼ、僕、疑われてるんですか」

加藤と近はミダスのほうを見た。あんたが判断しろと目が言っている。


ミダスは考え込んだ様子で言った。

「正直に答えてほしいんだが──兄ちゃん、あんた、彼女のモノを食べたりしたことがあるかね」

「モノ……というと?」

「んー、たとえばへその緒、髪の毛、爪、排泄物……」

「な、ないですよ!」

森下は慌てて否定した。


「ないってことねーだろ!」近が問い詰める。

「チューするとき、唾を飲みあったりとか、もっとちょーだいとか、そんなうらや、や、やりとりとか、したことねーっていうのか!」

「そ、そりゃまあ……」

「あるのか? あるんだな?!」なぜか近の表情が悲しげだ。

「でもいたって普通のレベルですよ」

「お、お前にとってはフツーでも……」

「あー、分かった、分かった」ミダスが止めに入る。

「森下くん、と言ったな。大丈夫だ、心配ない。君は殺してない」


文字通りの“首”実験がすべて終わった。

加藤が紙に結果を記す。


桐生啓介(銀行員 25歳)・・・反応ほぼなし

大河内孝太郎(元教諭 48歳)・・・反応 わずか

今井大輝(浪人生 19歳)・・・反応 わずか

森下翔(同級生 18歳)・・・反応 はっきりと有り


「いちばん反応の強かった森下が犯人じゃないなら」加藤はミダスを横目で見ながら言った。「この実験は失敗だったということですな」


ミダスは何も言わず、風呂敷を抱え、帰り支度を始めた。


「おやおや、地獄絵師さん、お帰りですか。あんたは楽でいいですなあ。何の成果もあげられませんでした。東京へ帰ります。料金はいただきます。はい、さようなら、で済むんだからな」加藤が声を荒げた。「おい、何とか言ったらどうなんだ。何の成果もあげられませんでしたあ、申し訳ございません、とか何とか」

「何の成果もあげられなかったとは。こりゃ驚いた」

ミダスは薄く笑った。

「成果が上がったから──、犯人特定のめどがついたから帰るんだよ」

「な、なんだと?! それはどういうことだ? おい、ちょっと待て!」

「ウソだと思うんなら、明日、N高校へ来てみるんだな」

ミダスは言い残し、去っていった。


第三章 真犯人への道


翌日──。


「こりゃ思ったより広いな」

ミダスは三面あるグラウンドを見下ろしながら言った。

「田舎ですからね、山のそばだし、土地は十分使えるんですよ」

近刑事が説明する。


加藤警部補が昨日の不機嫌を引きずったままの声で訊ねた。

「ミダス先生、そろそろ教えてもらっちゃくれないですかね。犯人が分かったってどういうことです?」


「分かったとは言ってねえ。めどが立ったと言ったんだ。さ、宝探しに出かけるぜ」

ミダスは風呂敷包みを両手で抱えながら敷地内を練り歩き始めた。加藤と近もついていく。これで紫色の風呂敷が白だったら、まんま葬列である。


「あ、分かった。“首”をセンサー代わりにしているんですね」近が言った。

「ご名答」ミダスはのんびりした声で答えた。


校舎に一番近いグラウンドで、生徒たちがソフトボールをしている。今日は平日なので体育の授業なのだろう。かすかに歓声も聞こえる。


「昨日の“首”実検で、はっきりと反応したのは4人中3人だったな」ミダスが語りだした。

「ええ」

「その3人に共通していることは何だ?」

「白石遥香の恋人だった」

「それと?」

「N高校の生徒、と先生。ようするにN高関係者」

「そうだ。そして3人の中で、一番反応が強かったのは現役生だった。あとの2人は去年まではN高に通っていたが、今年は通ってない。つまりN高と縁が深い人間ほど反応が強く、関係が薄くなるにつれ反応が薄いと言える」


「まあ結果だけ見ればそうなりますわな」加藤が、それがどうしたと言わんばかりの返事をする。


「白石遥香の“首”は3人に反応した。ということは、3人の中に白石遥香のモノが入っているということだ」

「モノ?」

「昨日、俺が森下君に聞いたようなモノだ」

「ああ、へその緒とか、爪とか」


「ちょっといいですかね、ミダスさん」加藤警部補が手をあげた。

「モノが入っているとして、なにゆえ白石遥香は反応するんですか」


ミダスは、そんなことも分からないのかという顔で答えた。

「そりゃ白石遥香には首から下がないからさ」


「ええ、そりゃ分かっていますよ。だからなぜ?」

加藤が首をかしげる。


「白石遥香は霊界で、今もずっと自分の体を探し続けている」


「あ……」

加藤と近の体に寒気が走った。白石遥香の首が、自分の胴体を探し求めて霊界を漂い続けている姿を想像し、あらためて彼女を哀れに思った。


「ええと、ということは3人の元カレが食べた……? だから“首”が反応したと?」加藤が恐る恐るといった体で訊いた。


「昨日の“首”実験での彼らの反応から見て、それはないと断言していいだろう」

「じゃあなんで反応したんだろうか。食べてないのに」

「おそらく、知らぬ間に食べさせられたか、飲まされたか……」

「飲まされた!?」


「たとえば、水だ。学校の水道水に何らかの形で“白石遥香”が混入していて、その水を飲んだとしたら……」

「そうか! おい、近ちゃん、水道局に電話だ!」


「待てってばよ、おい」

ミダスがあきれて止めた。

「もしそうなら、この“首”は、水道の近くを通ったときに反応してるはずだろ」

「あ、そう……でした」

加藤は赤面した。


「あと、考えられるのは」

ミダスは山を指さした。

「例えばあのキャベツ畑が学校のものだとしよう」

「ええ、そうしましょう」

「もし、あの畑の下に白石遥香が埋められていたとしたら……」

「そうか! 成ったキャベツを食べると……、近ちゃん、JAに電話だ!」


「だから待てってば」

ミダスはほとほと呆れた顔をした。

「もしそうならこの“首”が」

「あ……そう、でした。私としたことが」

加藤は再び赤面した。


「おっと、そうこうしているうちに昼だな。例のイケメンくんに会いに行くとしましょうか」


チャイムが鳴って間もなくして、校舎からワラワラと生徒たちが出てきた。ミダスの出で立ちは、彼らの視線を集めていた。


森下翔もミダスたちを見つけたらしい。向こうから声をかけてきた。そばには白石遥香に負けず劣らず可愛らしい女子生徒の姿もある。


「こんにちは、刑事さん、ミダスさん。ご苦労様です」

森下少年が頭を下げる。女生徒もあわてて下げる。森下はギターケースを担いでいた。


「お? ドガチャカやってんのか。いいねえ、青春だねえ。で、やっぱり将来はプロを目指してるのかい?」加藤が訊いた。


「そんな、とんでもないです。YOASOBIとか訊いたら僕らなんかもう……」

「うん? 夜遊び? そりゃいかん。そりゃ感心せんな」

「違いますよ、警部。男女二人組のユニットですよ。ドリカムみたいな」近が訂正する。


「バカ言ってんじゃないよ。ドリカムは3人だろうが。じゃあ、あれか。ヒロシ&キーボーみたいなもんか」

「はあ、たぶん……」森下が返答に困っている。となりの彼女が小さな声で、ヒロシってキーボード漫談やってたの? と訊いている。


「あー、すまんな。昼めしの邪魔してしまって。君たちはどこで飯を食うのかな」若い二人が困っているのを見かねてミダスが会話に入ってきた。

風呂敷包みの中からゴトゴトと音がしているのを女子生徒が不思議そうに見ている。


「あ、えっと学食です」

「じゃあ悪いことしたなあ。もう席が埋まってるだろう」

「いえ、そんなことないですよ。少子化で余裕で座れます」

「そうか、それならよかった。悪かったね、引き留めて」

「いえ、それじゃ失礼します」

さわやかカップルは一礼して学食へ向かっていった。


「警部さん、我々も腹ごしらえといきましょうか」

「え? ええ……にしてもそれ、どうしたんですか?」

見ると、ミダスの持っている風呂敷包みが、森下が離れたにもかかわらず動きを止めない。それどころかだんだん激しくなっている。


「いよいよクライマックスだな」

ミダスはつぶやいた。


第四章 “首”の裁き


それから三十分、ミダスたちは学食の混雑が引けるのを待っていた。その間に増員も要請していた。


「じゃあ、そろそろ」

ミダスたちが学食へ入っていく。席は三割ほど埋まっていた。


異様な集団の入場に、堂内は一瞬静まり返る。徐々に喧騒は戻っていったものの、皆の目は異様な集団から、今度はテーブルの前に置かれた紫の風呂敷包みへと移っていった。


中に獰猛な生き物でもいるのか。そう思わせるほど、風呂敷の中はゴトゴトと暴れている。羽織袴を着たスキンヘッドの男が両手で押さえているものの、収まる気配はない。


ミダスは誰にも聞こえないような声でつぶやいた。


「恨み、存分に晴らさっしゃりませい」


ミダスが風呂敷を解く。その直後、女生徒たちの悲鳴が上がった。


ガラスケースの中の“首”は、もはや白石遥香ではなく般若と呼ぶにふさわしいものに化していた。とめどなく涙を流しながら、般若は怒り狂い、ガラスに己の顔をぶつけまくっている。


ミダスはガラスケースを開けた。

その瞬間、般若の“首”が弾かれたように飛び出した。目いっぱい口を開け、歯をむき出しにして、調理場の中にいる一人の男に向かって行く。男は予期していたらしく、包丁を構えて応戦体制をとっていた。


“首”めがけて包丁を振り下ろしたが、“首”はそれをかいくぐり、男ののど元に食らいついた。

「がああああああぁぁ」男は悲鳴を上げ、地面へ倒れこんだ。


ミダスが袴を翻し、調理場の中へ躍り込んだ。

「水!」

ミダスは懐から小さなきんちゃく袋を取り出しながら叫ぶ。

「バケツで、俺にぶっかけろ!」

あっけに取られていたもう一人の調理人があわてて蛇口を回す。

「早く! 」

水を浴びたミダスは、きんちゃく袋から粉末を取り出し、床にたまった水に練りこんだ。それを“首”の顔面に荒々しく擦りこんでいく。目が徐々に消え、鼻、口も解けていった。それにつれ、“首”も力を失っていっているようだった。ところどころ頭蓋骨が見えだした“首”は、やがて動きを止めた。


「あが…あが…」噛みつかれた男の喉から、かすかな声が漏れる。


「大丈夫。死にゃあしねえよ」ミダスは立ち上がり、付け加えた。

「こうなるかと思って、今回は特別にウレタン製の歯にしといてやったからな」


白石遥香を殺害した犯人は調理師の牟田正人、38歳だった。


第五章 真相


「さあ、ミダスさん。逃がしませんよ。質問には全部答えてもらいますからね」

放課後の学生食堂は、関係者以外立ち入り禁止となった。

現場検証が続けられているそばで、加藤によるミダスへの質問攻めが始まった。


「まず一つ目の質問です。いつ犯人が分かったんですか?」

「俺だってわからなかったよ。だから“首”を離したんだ。“首”が恨み骨髄の犯人に向かって行っていき、それで犯人が分かった」


「不思議なのは、なぜ3人だけに反応が出たのか。言い換えるなら、なぜ犯人は3人に“だけ”白石遥香を食べさせることができたのか?」


「おそらくチャーシューだろう」

「チャーシュー!?」

「ああ、犯人は3人の元カレがラーメンを注文した時を見計らって、ラーメンに“特製”チャーシューを入れてたんだな」


「なぜそんなことを?」

「山でシャレコウベが見つかったとき、調味料が付着してただろ? そのために警察はカニバリズムの疑いを持った」


「あ、それで…」

「そう。犯人は元カレの顔を知っていた。ストーカーなんかしてるうちに分かったんだろう。で、3人にせっせとチャーシューをご馳走していた。もし検査するようなことにでもなったら白石遥香……さんのDNAが検出される。うまくいけば罪をかぶせられる、そう考えたんだろう」


謎解きに聞き入る聴衆の中には森下翔もいた。真剣な面持ちで真相に耳を傾けている。


「あ、だから去年の二月で高校を卒業したり、クビになった人たちは反応が薄かったんですね」

「うん。蛇足だがDNAは時間が経ちすぎていたために検出されなかった。だがこっちのほうは霊体だからな。そう簡単には消えない。それで薄いながらも反応した」


「なぜ犯人は白石遥香さんを殺害したんですか」

「さあな。おおかた振られてカッとなって、ってところじゃないかな」


質問が途切れた。

「じゃあそろそろ……」

ミダスが立ち上がりかけた時、加藤警部補が声をかけた。


「一つだけ気になっているんですがね」加藤はこれまでになく真剣な面持ちである。ミダスは座りなおした。


「あんた、『今回だけウレタン製の歯にした』的なことを仰いましたな」

ミダスは黙っている。

「ということは、いつもは頑丈な歯のままということになりますな。警察としてはこの点だけは看過できないのですがな」


場の空気が緊張する。ウレタンでなかったら犯人は喉を食い破られて即死していた可能性が高い。


「そうだな。今回、白石夫妻からの依頼内容は『犯人に天誅を』ということだった」

今度は加藤が黙った。


「たいがい、俺んとこに依頼してくる人たちはそう言うね。『殺しても殺したりない』ってね」

「で、あんたはこれまでそういう依頼に応えてきたんだな」

加藤の口調は糾弾というよりも、悲壮に近いものだった。


「それは」

ミダスはかすかに笑った。

「俺のあだ名が『地獄絵師』ということで察してくれ」


ミダスは席を立った。皆、下を向いたまま動かない。


エピローグ


A駅のプラットフォーム。

加藤、近、森下少年、そして白石夫妻が、ミダスを見送りに来ていた。


「これ、車内でどうぞ」

白石の妻が、缶ビールとナッツの入った袋をミダスに手渡す。

「いや、こりゃどうも」

ミダスは少し照れくさそうに頭を掻いた。


「あ、そうだ。この前、カラオケで『三年目の浮気』歌ったんですよ」

森下が思い出したように言った。


「おお! それはいいセンスだ」

加藤警部補は満面の笑みを浮かべた。

「今度はヒデとロザンナに挑戦してみなさい。あとは、そうだな、さくらと一郎なんかも渋くていいぞ!」


「いやいや、森下くん、そんな曲より『愛と青春の旅立ち』だろう」

近刑事が横から割って入る。

「あれをマスターしたら次はドリー・パートンとケニー・ロジャースだ。カーペンターズはあえて外すのが通なんだな」


「カーペンターズを外す!? バカ言ってんじゃないよ」

加藤がここぞとばかりに突っ込む。


森下は必死にスマホにメモを取っている。その様子を見守る白石夫妻の表情には、心の傷は癒えないまでも、安らぎと呼んで差し支えないようなものが浮かんでいた。


汽笛が鳴り、電車がホームに滑り込んでくる。

ミダスは一行を見渡して言った。

「みなさん、達者でな。よっぽど殺したい奴ができたときには呼んでくれ」


一瞬の静寂。

そして次の瞬間、加藤が大声で笑い出した。

「ったく、最後まで憎たらしいやつだ。まあとにかく、達者でな、地獄絵師さんよ」


列車は静かに走り出し、遠ざかっていく。

森下は小さく手を振った。

「いつか、また会えるかな」その声は列車の音にかき消され、誰の耳にも届かない。


春の風がプラットフォームを吹き抜けていった。


(終わり)

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