septet 06 オムファロス-骨-
palomino4th
septet 06 オムファロス
聞いていた話の通り、
駅を出てからの道は商業街から住宅街、やがて更地と農地などの目立つ密度の薄い地域にあって、中心部から離れながらもどこか山の手の雰囲気を持つエリアだった。
彼の上着の隠しには、「紹介者」から譲ってもらった博士の名刺が入っていた。
ある夕暮れ、人道橋の欄干に両肘を突きながら彼が遠くを見ていると、行きずりの男が声をかけてきた。
しばらく意味が分からなかったが、どうやら橋からの身投げを疑われていたようだった。
『この人ならきっと君の抱え込んだ問題を解きほぐすことができる』作り物めいた顔をした男はそう言ってこの使い古したような名刺を彼に渡した。
本人ではなく、自分が受け取ったカードをそのまま彼に渡したものらしく、カードには片隅に折れ目と少しばかりの染みがあった。
紹介者が目前から去ると、彼はその場で二つに破り地面に捨てた……筈だった。
帰宅しそのままフロアに寝転んでわずかばかり居眠りしてしまった後、起き上がり着替えようと脱ぎかけた時、上着のポケットに違和感を覚えた。
そこに破り捨てた筈のカードが入っていた。
目印のように折れ目と染みがついた名刺を見てついさっきの様子を思い出してみた。
彼は嫌な気持ちがして、灰皿を出してその上で握り潰した名刺にライターの火をつけ黒い炭にした。
しかし翌朝目覚めると名刺は破棄する寸前の姿で置かれてあった。
更に破棄しようとしても、次に目覚めた時にはその寸前の状態で彼の手元に戻ってくる——数回繰り返して彼はそれを思い知らされた。
受け取った瞬間から彼にまとわりつき離れない、そういう「呪い」がかかったかのようなカードだった。
しかし現状、彼には別の問題があった。
その問題に比べればカードは些細なものに思えた。
彼は初めて名刺の表記を読んだ。
精神考古学・精神哲学研究室 博士
呉須黒斗 GOSU KOKUTO
連絡先の電話番号がある。
自死をとどまらせるためのカウンセリングを押し付けられたとばかり思っていたのだが、それ以上に得体の知れない、怪しげな相手だった。
「精神考古学」などというフレーズは、学問の分野として確立されてるとも思えないのだが、医学よりも社会科学の方面ではないか。
当面、彼を悩ませている問題であれば管轄は精神医学だったろうけれど、彼自身はそれを拒んでいた。
相手に解決できるとは思えないこと……彼にとって問題はそれほどに複雑に絡み合ったものだった。
しかしクリニックを開業している医師でもない研究者に、一般人が会える理由などあるのだろうか。
人道橋のあの行きずりの男は何で名刺を渡してきたのか。
彼は試しに電話番号に連絡を入れてみた。
『もしもし』女性の声が聴こえた。
間違えたかと思ったが、研究室に繋がったのだと思い出し彼は話した。
「……と申します、お忙しいところを失礼いたします。呉須先生はいらっしゃられますでしょうか」
『呉須は只今、こちらの方にはいないのですが、どのようなご用件でしょうか』
「あ、そうですか」彼は通話を中断しかけたが思い直し言葉を選びながら続けた。「実は先日、とある方からこちらの名刺をいただきまして。その方にこちらならば目下の問題について解決ができるという話を聞きました。こちら、研究室ということで場違いかもと思ったのですが、博士は何かの個人との面会もされるようなことをしてらっしゃるのでしょうか」
『いえ、基本的には研究などが中心で、何かしらの理由がない限りは個別にお会いするようなことはしておりませんが』
「そうですよね、おそらく勘違いだったのかもしれませんね、失礼しました」
『あ、お待ちください。念のため呉須の方にも確かめてから折り返しこちらからご連絡ということもできますが。失礼ですが、こちらの研究室に何か関わりのあることであれば』
「そうですか」どうでもよかったことだが、急に何かの繋がりが出来たように思えた。「実は……」
苦労して彼は「問題」について説明を試みた。
『……分かりました、呉須に繋いでみます。恐れ入ります、そちらの連絡先、よろしいでしょうか』
助手のソノダだという女性に連絡先を伝え通話を切ると、彼の心に急に自分のやったことの馬鹿馬鹿しさが押し寄せてきた。
こちらの事情を話しても、単なる頭のオカシイ奴と思われるのがオチだろう。
しかし程なくソノダからの折り返しの連絡が入った。
『呉須が
来訪の日時が
豪邸とまではいかない、築数十年ほどの住宅だが広めの庭に囲まれ二階建ての大きめな姿をしていた。
ただ庭木や芝生の手入れがいくらか怠っているのか伸び放題の様子が見受けられた。
巡らされた塀の中頃にある
『はい』電子音を通した男性らしき声がした。
「……と申します。本日お伺いする約束をした者ですが」
『玄関も開けたのでそのまま入りなさい』
彼は門扉を押して敷地に入った。
玄関まで歩く中、庭の植栽に一つ、季節外れの薔薇の花らしきものが見えた。
遠目では確認できないが、造花でも挿したのだろうか、と彼は思った。
言われた通り玄関のドアの鍵は開いていた。
中に入り少し戸惑っていると屋内にスピーカーを通した声が流れた。
『どれでもスリッパを使って構わない。上がりたまえ、廊下の途中にある階段、そこから二階まで来てくれ』
言われた通りに階段を上り切ると声が響いた。
『正面のドア、そこの部屋にいる』
廊下に一冊、子供向けの絵本が落ちていた。
『びじょとやじゅう』。
片付ける者がいないのか、彼はそっと拾って周りを見回したがそのまま手に持って歩いた。
廊下の突き当たりのドアを開くと、やや薄暗くも感じる柔らかい照明の洋風の部屋が現れた。
左右に造り付けの本棚がしつらえられ、重そうな装丁の文献類が収められた背表紙が壁になっていた。
床に
『坐りたまえ』スピーカーから声がした。
彼は正面の椅子を見据えたまま動けないでいた。
椅子には生身の人間ではなくヒトの
骨格標本を何かの趣向で置いたものだろうと見たが、模造品らしくない質感を感じた。
『どうした、ソファのどこでも構わない』部屋に取り付けられたらしいスピーカーから声がした。
「失礼します」彼は応接テーブルに絵本を載せソファに座り、周りを見、それからドアを見た。
『わざわざ来てもらって申し訳なかった』声はそのままスピーカーから流れた。
呉須博士本人の現れるのを待ったが、一向に入室してくる気配がなかった。
『私が呉須
言葉を聞いて、彼は思わず骸骨を見た。
『そう、これが私だ』
「……ご冗談を」
『正真正銘の呉須黒斗だ、一応な。今はまだ骨だけだが』
腹話術の人形と話をしているようだった。
「どういうことですか、直接いられなくて、どこか他の部屋にいらっしゃれるならそれで構いませんが」
『奇妙に思うだろうが、これで私自身と会っていると思って欲しい。正確には「本当の呉須黒斗」はとある病院に入院生活の最中で、留守宅を守るのが呉須黒斗の骨格と精神をトレースした人工知能に移行した呉須黒斗だ』
「コピーですか」
『いや私の方が今や「本物」だ』
「この骨は」
『本物の呉須黒斗だ』
「病院の方は」
『かつての肉体がある』
「亡くなってるのですか、骨もなく」
『呉須黒斗は分離したのだ。肉体から骨である私を抜き出し、代わりに一つづつ型を取られた人工の骨に入れ替えられた。生きたままなので時間をかけて外しながらなので随分かかった。今は縫合後の切り口が閉じるのと、
「何か特別なご病気だったのでしょうか」
『いや何も。あえて言えばこれから訪れる肉体の衰えで思考自体が引きずられて劣化していくのを見越した非常手段としてだな』
「何か……極端に思えます」
『肉体の細胞は新陳代謝で入れ替わるものだ。生まれてからずっと固定されてるわけではない。人間の肉体は儚い。その代わり骨は長く残る。化石になって肉体の姿は消え去るが骨は明確に跡を残す』
悪い冗談に付き合わせられている、と彼は思いつつ聞いていた。
どこかにカメラが仕込んであり、実態の呉須黒斗が別室で見ながら音声を発しているのだろう。
『ミスズくん……助手のソノダくんから話は聞いている。君の抱える「問題」ですが、私にはとても興味深い。だから会って直接話したいと思った』
彼は「直接」というのに違和感を覚えたが、あえてそこには何も言わずにいた。
「つい先日。とある人から先生の名刺をいただいてからもその「問題」がやはり発生してました」彼は隠しから呉須の名刺を取り出して
彼は少し間を置いてから続けた。
「助手の方にはぼかして話をしたのですが、私の「問題」は目覚めると、過去に行ったことがなかったことにされている——まるで夢を見たか記憶違いだったかのようなことにされている、という状況になっていることなのです。何も知らない、周りの人間からすれば「思い違い」「記憶違い」とされるような状況です。助手の方にもあえて「記憶の錯誤が
『……面白い話です、まさしく私の興味に合致する』呉須の声が響いた。『失礼ですが、件の人物はそもそもどして私の名刺をあなたに差し上げたのでしょうか』
「それは。たまたま通りすがりに身投げをするかのような様子を見かねて、思いとどまらせるために先生の名刺を」
『私はカウンセラーでも精神科医でもないのですよ。名刺を託した人物は、まるで「自死志願者」に見える人間にどうして専門外の人間の名刺をわたしたのだろうね』
それは、と言いかけて彼は詰まった。
『私は便宜上「精神考古学」「精神哲学」という名称で研究をしているのだが、自分で言うのもなんだがイカガワしい分野でね。過去にそう呼ばれた事項とは実は何も
『十七世紀のドイツ、ヴェルツブルグで画期的な化石が発掘されたことがあった。様々な昆虫や植物、動物の初めて見るような化石がその地に住む人々の手でいくつも掘り出され、その地の医師で植物学者でもあったヨハン・ベリンゲルのもとに持ち込まれ、彼はその石を研究、出版までした。だがその化石群はことに今の目からすればあり得ないものばかりだった。昆虫の化石にしても残る筈のない組織までが石の上に残り、ナメクジのようなもその姿のまま絵のように転写されている。中には天体現象の彗星や太陽の「化石」まであったというのだ。だが当然これらは贋作だった。ベリンゲルを陥れるために二人の人物が計画し石工に依頼して石灰石にそれらしく作ったものばかりだった。当時の地質学の理解ではぎりぎり理解可能であったらしいのだけど、中には「
『そして十九世紀のイングランドにはフィリップ・ゴスという博物学者がいてね。彼は画期的な仮説を創出した人物だ。地質学の研究上、否定できない事実として地球のできた年代は旧約聖書の創世記の天地創造よりも遥かに
『つまり
『ゴスはその発見をギリシャ語で「
『しかし、ゴスの考察の中には非常に示唆に富むものがあってね。母胎から生まれたわけではない最初の男・アダムに臍があるのはなぜか。生まれてくる時に臍の緒が繋がっていたからこそ残った臍という痕跡がなぜアダムの腹にあるものなのか。
『造物主はここで逆算をしているわけだ。これから生まれる人類は出産されるまでは母体と緒で繋がっている、そういうデザインの生物の試作品としてアダムの腹には臍があしらわれてあったわけだ。
『時代が過ぎていまや人間が人体を形作る技術を持ちつつある。再生医療という分野にしてもそうだ。何らかの事情で失われた人体に組織を再生する時、物理的に合理的なデザインを施すことなく、あくまで喪失以前の状態に戻すわけだ。そこには合理性や形状としての完璧さよりも「あるべき姿」の方が求められる。
『君の身に起こる現象。客観的に見れば「事実」として起こった出来事に対して君の記憶の方がずれが生じている。それが大方の認識だ。しかし君の中では自分が行ってきた行動や選択が無かったことにされ、修正された時間の中に生きているように見える。誰かが「あるべき姿」になるよう過去に手を加えたように』
「まるで誰かにタイムマシンで毎回過去を書き換えられているかのようです」彼は言った。
『あるいはそうなのかもしれない。そもそも私の名刺を君に渡した人間というのも、ここに君を連れてくるために未来から組み込まれたものだろう』
彼はその指摘に驚き、納得もした。
そうでもなければここにたどり着くことなどない。
『『オムファロス』が
『あるいは哲学者バートランド・ラッセルの『世界五分前仮説』のように、ほんの五分前にこの世界が作られた、という仮説を否定できるものは存在していない。そうでなくとも人間が作った時間は人間によってデザインされ、過去も現在に整合性をつけるために絶えず創造されているものだ』
彼は自分の頭に響く番号があることを思い出していた。
「B-1013」。
なぜかこれが繰り返される。
自分を意味するかのように。
「私にはとても理解ができませんが」彼は控えめに言った。「これからも私の過去に対する、未来からの修正があり得るなら、それに対抗する手段はないのでしょうか」
『私の方にそんな手段も何もないが、そもそも修正を行っているのが他人なのかどうかを考えてみるのはどうなのか』
「他人かどうか?」
『未来の君自身が過去に干渉している可能性も一つとして考えてみるべきかとは思っている。人間は過去を思い出して選択を悔やみやり直したいと思う者だが、君自身がそういう過去への干渉を行う力があるのならば、それは問題というよりも非常に恵まれた能力じゃないのかな。私の名刺を破棄したが、未来の君はそれを修正してここに来るまで繋いだ。君に名刺を渡した人物だってもしかしたら未来の君自身の仕組んだものかもしれないではないか』
「……私自身に有利なことばかりじゃ無かったこともいくつもあるのですが」
『見ての通り、今の私はこの家から出られないし、病院の私もリハビリを控えている状況だ。現在の研究室は助手のソノダ・ミスズくんに任せている。何か協力できることであれば彼女を頼るべきだ。私からも話しておくが……どうした、疲れているのか』
「少し、睡気が」彼は寝落ちするような強烈な睡気に見舞われた。
良くないな、と思い、起きていようと思ったものの、耐えられないほどに眠くなった。
まずい状況だった。
いつも目覚めた時には状況の重要な部分が変わっている。
ここに来て目覚めた時に何が修正されているのか。
何者かに起こされて目を開けた。
「起きてください」
ソファに座ったまま眠ってしまっていたようだ。
自分を起こした相手を見ると警官の制服を着ている……本物の警官のようだ。
「あの、ここで何してるの」
周りは間違いなく博士の書斎で応接テーブルを挟んだソファの上にいた。
「どうも……こちらの博士のお話を伺いに」
「博士?」
「机に座っている、ほら呉須先生……」
椅子にはそのまま骸骨が座っているが、複数の警官がそれを見ていた。
「呉須黒斗先生の、話を聞いていたんです。その椅子に座っている先生」
「……確かに本物の人骨みたいで。ゴス・コクト?そういう名前、その人の白骨遺体?しかし骸骨が喋るんですか」
「声はスピーカーを通じて出してるんですよ、」言おうとして彼は様子がおかしいことに今更気がついた。
そうだ、普通に考えればあり得ない。
骸骨と話すなどというのは、頭がおかしい人間の言い草だ。
だがさっきまでは話していたはずなのだ。
過去の修正が行われたのか。
だが誰によって?
テーブルには「びじょとやじゅう」の絵本が置いてある。
彼は叫んだ。
「ソノダ・ミスズを呼んでくれ!」
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