第1話『出会いはいつも雨の日に』

 あれからなし崩し的に始まったマナの波乱万丈な子育て生活は、ダイナの成長と共にあっという間に時が過ぎて行った。

 最初はとにかく大変で、右も左もわからないまま只管に失敗と反省を続ける毎日。

 夜泣きを繰り返すダイナに睡眠時間を削られボロボロになりながらも、朝早くからダイナの為にミルクを買い求め街へと繰り出したり。

 おむつを替えた直後にまた、それを何度も繰り返すダイナにひとり打ちひしがれたり、と。

 そんな日々も今はもう懐かしい思い出として笑い話にしてしまえるようにさえなった、

 ダイナ・アスター、12歳。


「師匠ー?起きてください。もう朝ですよー。」


 小屋の2階の廊下からマナの部屋の扉を叩くのは、あれから背も伸び続けて、もはや耳を含めなくとも完全にマナの背を追い抜かす程に立派なへと成長したダイナだ。

 師匠とは対称的な赤みがかかった短い黒髪と、狼にも似た黒い獣の耳と尻尾。

 そして何よりの変化は、こめかみから生えかかっていた小さな白い巻角が、大きくなるにつれてに変化した事だろうか。

 現在のダイナの身長はおよそ152cm。

 マナは今も変わらず140cm程なので、もうをしてもダイナには勝てない。


「……開けますからねー?」


 返事の無いマナに痺れを切らし、ダイナがマナの部屋の扉を開ける。

 するとそのと見紛うような小さなベッドの上では、未だ静かに寝息を立て丸くなって眠るマナの姿があった。

 2年ほど前まではダイナと共に同じベッドで寝起きをしていたマナだったが、ダイナが10歳になったのを機に部屋を分けると同時に、今後の成長を見越してダイナ用の大きなベッドも新しく用意した。

 しかしそうすると、今度はマナがなかなか朝に起きてこなくなった為、毎朝こうしてダイナが起こしに来ているのだ。


「ほら、師匠……起きてくださーい?」


 ダイナはマナを優しく揺さぶりながら声をかける。

 だがマナはむにゃむにゃとを言うばかりで、布団を抱き込むようにますます丸まってしまうばかりだ。


「……むう。……起きないなら、こっちにもがありますからね。」


 起きる気配の無いマナに、ダイナが少し拗ねたような顔をした後ベッドへ上がり込み、おもむろに布団の中へとを突っ込んだ、次の瞬間。


「──ひぁっ!?んひゃっ!こ、こらっ!やめんかたわけっ!?」


 突然誰かに全身をような感覚に襲われ、マナは驚いて悲鳴を上げながら飛び起きる。


「……おはようございます。師匠。朝ですよ?」


 師匠が起きたことを確認すると、何でも無いように取り繕いながら朝の挨拶をするダイナだが、その後ろではふさふさとした黒い尻尾が嬉しそうに揺れていた。

 その理由は、さっきマナの布団に頭を突っ込んだ時にどさくさに紛れて、を目一杯にしたからだ。

 実はダイナは所謂であり、それも師匠であるマナの匂いが好きで好きで堪らない。


「う、うむ……おはようじゃ……。」


 寝込みを襲われたとはいえ、弟子の前でを出してしまったマナは少し気恥ずかしそうにしながら目を逸らし、ちらりと窓の外を見る。

 今日は生憎の雨模様らしく、遠くからは雷の音までもが聞こえてくる。


寝間着パジャマ、脱いだら洗濯かごに入れておいてくださいよ?この間なんて、廊下に落ちてましたからね。」

「あ、後で入れようと思ったんじゃ……。」

「っ……!……もう、そう言って師匠はいつもそのままにするんだから……。」


 そんなどちらが親かもわからないような会話をしながら、おもむろに目の前で服を着替え始めようとするマナに、ダイナは見てしまわないように慌てて背を向ける。

 ダイナは現在12歳、ものぐさなマナをにどれ程しっかりした子に育っても、中身は真っ盛りな男の子なのである。


「くぁ……今日の朝ご飯は何じゃ?」

「もー、また遅くまで本を読んでいたんですか?僕には早く寝ろって言う癖に……昨日の夕飯の残りを具にしたサンドイッチですよ。」


 着替え終わってもまだ眠そうで、大きなあくびなどしているマナが、今日の朝食のメニューを尋ねる。

 本来は2人で交代で朝食の準備をする約束だったはずなのだが、マナが全然起きないので結局はダイナが1人で担当していた。


「ちょいとを見てな……って、またサンドイッチかぁ……?」

「文句があるなら食べなくても良いですよー?」

「むう……子供のくせに言いおるわ。」

「師匠よりはもうおっきいですよー。」


 他愛のない会話をしながら、2人は一緒に部屋を出て1階のリビングへと降りていく。

 実際、ダイナを拾うまでマナはろくに料理などした事がなく、空腹になれば森で手に入る木の実類をそのまま食べて済ませて居た。

 だが同じような食生活を子供であるダイナにさせるわけにも行かない、とわざわざ新たに小屋にキッチンまで増設し料理に励んだりもの、だが。

 現在そのキッチンに立つのは、やはりというか結局のところ、主にダイナの方だった。

 その理由は、マナはダイナが1とわかるや否や、すぐにまた料理を作らなくなってしまったからである。

 欲しい材料があれば森で採ってくるか街で買って調達してくるから、後は自分の作りたいように作れ、という方針らしい。

 そのおかげもあってか、今ではマナよりもダイナの方が料理が上手くなっていた。


「……くふ。」


 キッチンで2人分の朝食をせっせと用意する弟子の後ろ姿を見ながら、先にテーブルに着いたマナが小さくほくそ笑む。

 そんな彼女がちらりと目を向けた家の柱の1本には、これまでのダイナのが刻まれていた。

 彼女自身の背はもう何百年も変わっていない為、目に見えて背が伸びていくダイナの変化がより嬉しく感じるらしい。


「もう12歳……か。」


 ぽつりと呟くようにした後、マナは机に伏せるように頬をつけながら、拾った当時に比べて随分と大きくなった愛弟子の背中を愛しそうに見つめる。

 あの日ダイナと共に籠に入っていた手紙には、『ダイナができるようになるまで守って欲しい』と書かれていた。

 本当の意味で独り立ちできるかどうかは個人によるとしても、この国で言う所の成人は一応18だと決まっている。

 つまりマナにとってダイナを側に置いておけるのは、6に迫っていた。

 たった6年で、自分はこの子にあと何をしてやれるだろうか。

 そんな事をぼんやりと考えながら、マナはダイナの揺れる尻尾を眺め静かに微睡むのであった。


 ◆


 愛弟子作の美味しいサンドイッチを朝食に食べ終えたマナは、読書もそこそこにお気に入りのソファーでの体勢へと入っていた。

 使い古されすぎてもはや色が消え失せつつある元・赤色のソファーは、身体の小さいマナにとっては十分にベッド代わりになり得る。

 読みかけの本に栞代わりの鳥の羽を挟んで、マナは分厚い本をお腹の上に抱えるようにして目を閉じる。

 200年くらい前むかしは睡眠せずとも3くらいは平気で作業を続けられたのに、なんて考えながら。


「師匠ー?……あれ、寝てる……。」


 そこへ何かマナに用事があったらしいダイナがやってきて声をかけようとするが、寝ているマナを見てすぐに声のボリュームを落とす。


「もう、今日はの続きを教えてくれるって話じゃなかったんですかー……?」


 自分との約束も忘れてすやすやと寝息を立てているマナに、ダイナは呆れたような小さなため息を零す。

 それでも決してマナを起こそうとはせず、それどころかどこからかタオルケットなど持ってきてそっとかけてやる。

 それからソファーの端っこの方に遠慮がちに座って、眠る彼女の寝顔をじいっと見つめ始めるのだった。


「……変わりませんね、ずっと……。」


 小さな声でひとり呟きながらダイナはマナの頬へとその手を伸ばし、静かにその柔らかな頬を撫でる。

 少なくとも自分が物心がついた頃から姿に比べ、どんどん成長していく自分を見ながら、ダイナは自分とマナは本当になのだと実感していた。

 生物として成長する速度が違えば、老いる速度も寿も当然違ってくる。

 それはつまり、自分とマナとではを歩めないかもしれないという事でもある。

 ずっと若い見た目を保ち続ける、エルフとはそういう種族なのだとマナから教えてもらってはいたが、それでも他のエルフを見たことがないダイナにとってマナは、十分に不思議な存在であった。


「あと6年で成人…………かぁ。」


 この12年間で様々な知識や魔術をマナから学んだダイナは、としての括りで言えばもう十分にとして通用する程の腕と才能を持ち合わせていた。

 とはいえ実際には未だ12であり、精神的な面から見ても当然まだまだ独り立ちする事など難しいだろう。

 独り立ちまでは育ててやるという話はダイナ自身もおぼろげながら、昔にマナから聞いていた。

 だからこそダイナはいた。

 独り立ちの時が来て、が無くなってしまう事を。

 いつまでもで居続ければ、師匠は自分をいてくれたりするのだろうか。

 そんな仄暗い考えがダイナの頭をよぎる。

 ずっと師匠の側にいる為には、ずっとこの人とここで一緒に暮らしていく為には、いったい何が必要だろうか、と。


「師匠……。」


 急に込み上げて来た途方もない不安に、ダイナが思わず涙してしまいそうになった、まさにその時。

 突如として響いたすぐ外で何かが爆発したよな轟音と、窓の外からの眩い光が2人の暮らす森の小屋を襲い、室内の照明類が数秒に渡り激しく明滅する。


「な、何じゃぁッ!?」


 あまりの音と衝撃に流石のマナも慌てて飛び起きると、その直ぐ側ではダイナがその獣耳ケモミミと尻尾をぴんっと立てたまま目を丸くして驚き固まってしまっていた。

 どうやら朝から降り続きその勢いを増していた雨が、ついには雷となって小屋の目の前に落ちたようだ。


「ダイナ、大丈夫か!?」

「はっ、はい……なんとか……。」


 固まったままのダイナに心配になったマナが声をかけると、そこでようやくハッとしたらしく獣耳ケモミミを平らに、尻尾を股の間に挟み込んで怯えたような反応を見せる。

 他人に比べて人一倍に耳と鼻の良く効くダイナには、今の爆音はかなりの衝撃だったようだ。


「さっきのは雷、か?ワシも長くここに住んでおるが、小屋の目の前に落ちたのは初めてじゃ……。」


 マナはソファーから立ち上がると、窓の方へと近づいて外の様子を伺う。

 落雷があったとしても基本的に小屋の周囲の森の木々のほうが高いため、雷はそちらを優先して落ちる筈なのだ。

 にも関わらず今回は小屋の目の前の地面に着弾したようで、着弾点と思わしき地点はそのあまりの衝撃に軽く地形が抉れているように見えた。


「……む?」


 その時、マナの目がその着弾点付近に落ちている何かの姿を捉える。

 それは大きく丸い、炭の塊のようにも見える黒い物体だった。

 まさか不運にも森の動物か何かが雷の直撃を受けてしまったのだろうか。

 そんな事を考えたマナは居た堪れない気持ちになり、その物体から目を逸らそうとした、次の瞬間。

 物体の表面に無数の亀裂が走ったかと思えば、激しい雨にすすがれるようにしてその黒い表面が剥がれ落ち始める。

 そうして卵の殻を破るようにして中から姿を現したのは、長く白い髪と大きな身体持った、らしき人物だった。


「へ、へへ変態じゃ──あ!?」


 予期せぬ不審者の登場に思わず叫びそうになったその時、マナはふと顔を上げたその男とばっちりと目があってしまい、急激に緊張感が高まる。

 目を合わせてはいけない存在と目を合わせてしまったような、そんな嫌な感覚を覚えながらもマナは冷静に男の方を見たまま手だけを動かして、窓のカーテンを素早く閉めた。


「師匠……?」

「良いかダイナ良く聞け?今うちの外にちょっとばかし危ないのがおるから、絶対に窓や扉などを──!」


 様子のおかしい師匠に不思議そうにダイナが首を傾げると、マナは素早くダイナの元へ駆け寄って、両肩を手でしっかりと掴みながら早口で説明しようとする。

 だが、そんなマナの声を遮るように、外から誰かが玄関扉を叩く音が鳴り響く。

 その音に驚いてまた怯えるダイナを見て、マナは静かに2階を指差して避難するように指示すると、何度も叩かれる玄関扉の方へひとりでゆっくりと近づいて行った。


「……こんな雨の日に何用じゃ!名を名乗れ!」


 扉の向こうに立っているであろう不審者に向けて叫ぶマナだが、相手は聞こえているのかいないのか、どんっ、どんっ、とただ一定のペースで扉を叩き続ける。

 やがてしびれを切らしたマナが、攻撃魔術の行使もやむなしかと考え始めたその時、しつこいまでに扉を叩き続けていた音が、不意にぴたりと止んだ。

 瞬間、何か嫌な予感に背筋が冷たくなったマナは、とっさの判断でソファの後ろまで飛び退き後退する。


「師匠っ!?」

「降りてくるでない!そのまま──ッ!」


 異変を察知したダイナが2階廊下から不安そうな声でマナを呼ぶが、マナは強い語気でダイナにその場に留まるように命令する。

 そしてマナが臨戦態勢へと入った、次の瞬間。

 がちゃり、という音が響き玄関扉の錠が開かれた。

 だがそれはマナとしてはとても信じがたい事でもあった。

 何故ならそれはつまり、自他共に認める天才魔術師であるマナが施した防犯魔術セキュリティが突破された事を意味していたからだ。


「ッ!?(ワシの魔術をッ!?ありえん……っ!じゃがッ……!)」


 万が一に玄関扉の防犯魔術セキュリティが突破されたとしても、この家にはさらなる対策として侵入者への自動迎撃魔術カウンターアタックが仕込まれている。

 外部の人間が許可なく一歩でも足を踏みれた瞬間、その者は決して無事では済まないだろう。

 そうしてゆっくりと扉が開かれ、全裸男の泥まみれの右足が家の中へと一歩入った、その瞬間。

 自慢の自動迎撃魔術カウンターアタックが炸裂────することは無かった。


「ッ……!?──恨むでないぞッ!」

「し──ぐぁッ!?」


 度重なる想定外の事態に明らかな動揺を見せるマナではあったが、ここまで侵入されてしまったならば取れる手段は一つと瞬時に頭を切り替え、素早く指を鳴らす。

 その瞬間、マナの指先から放たれた青白い雷撃が、何かを口走りかけていた謎の男へと確実に命中。

 強力な攻撃魔術による感電と痙攣で瞬く間に身体の自由を奪われた男は、白目を剥いて気絶したようにそのままうつ伏せで床に倒れるのだった。


「はぁ……はぁ……い、いったいなんなんじゃこいつは……!?」


 マナは全身から吹き出すような嫌な汗をかきながらも箒の柄でつっついて、その男が完全に意識を失っている事を確認する。

 そしてこのあまりに奇妙な全裸男との出会いこそが、師弟ふたりの運命を大きく変えていく事になるのだった──。

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