07.怪しい穴
「ほれ、あそこさ」
バロが指差した。
しかし、そちらを見ても、道らしきものは見当たらない。獣道でもあるのかと思ったが、獣が踏み固めたような跡もなかった。
ただ木が立ち並び、草が生えているだけ。山の一部、でしかない。
「あそこって、どこ。何もないじゃない。だましたのっ」
「何言ってんだい。あの木の幹、真ん中辺りをよく見てみなって」
バロが指差す方には、他より少し太い木があった。しかし、これと言って特徴のない木だ。
やっぱり騙されたんだろうか、と思いながら、クミルがその木をよく見る。
「え……何なの? あの木、少しだけぼやけてるわ」
幹の中央、高さはクミルの胸辺り。そこだけが、なぜか幹の輪郭がぼやけているのだ。枝葉の部分や根っこの辺りは、ちゃんとはっきり見えているのに。
「そのぼやけてる部分が、戻らずの穴になってるのさ」
「戻らずの穴って……何?」
多少なりとも魔法が関わった何かだろう。でも、クミルはそんな穴の話は聞いたことがない。
「おや、聞いたことないかい? この穴に入ると、よその土地へ行けるんだ。駆け落ちしてるお前さん達には、ぴったりだろ」
クミルはこっそりとリーザックの顔を見たが、小さく首を横に振る。リーザックもその穴のことは知らないようだ。
「よそって、どこへ行けるんだい?」
疑わしそうな顔で、リーザックが尋ねる。
「さぁな」
「ちょっ……さぁなって何よ、それ」
「行き先は、実際に入ってみなきゃわからないんだ。日や時間によって、場所が変わるらしいからねぇ」
どこかへ逃げるのなら、バロが言うように「いい道」かも知れない。
日や時間によって出る場所が違うなら、追われる身にはありがたいだろう。追っ手が同じようにこの穴を通っても、追い付かれることがないのだから。
しかし、あまりにも胡散臭い。
それに、出た場所がどんな場所かもわからないなら、魔物の巣窟に出てしまうことだってありえる訳だ。便利に聞こえる反面、使うには危険すぎる。
「……どうして戻らずの穴って言うんだい。もしかして、戻って来られないって意味?」
「そうさ。この穴は一度入ると、もう二度と入れないんだ。別の穴なら使えるけどな。まぁ、別の穴がどこにあるかなんて、知らねぇけど。この穴を通れば、それっきり。出た先からこっちへ戻って来ることはない。だけど、駆け落ちなんだから、戻る必要なんてないだろ?」
本当の駆け落ちなら、だ。しかし、似たような状況ではある。今はリーザックの命がかかっているのだから、戻って来る訳にはいかない。
「クミル、ダメだよ。ぼくはともかく、クミルが本当に村へ戻れなくなるんだよ。クミルが村を出ることはないんだ。出た場所が村の近くなら、歩いてでも帰れるだろうけど……子ども一人では帰れないって場所へ出ることだってあるんだから」
「だったら、お前さんだけでも行けばどうだい?」
バロがいきなり、リーザックを押す。いつの間にか、リーザックの後ろに移動していたのだ。
「わっ」
不意を突かれ、よろめいたリーザックは、穴の方へ倒れた。
「リーザック!」
クミルが手を伸ばすが、あとわずかという所で手が届かない。
リーザックが穴に吸い込まれる、と思った途端。
パンッという乾いた音がして、リーザックは木の幹に跳ね返ったように地面に倒れた。
「なに……」
にたにたしていたバロが、それを見て眉間に皺を寄せる。
てっきり……いや確実に、少年はあのぼやけた穴の中へ入って行くはずだったのに。
「お前さん、前にここへ入ったことがあるんだな」
「ぼく? 知らない……」
その場に座り込んだまま、リーザックは首を振る。
だいたい、こんな穴と呼んでいいのかも怪しいものを見たのは、今日が初めてだ。入ったことがあるなら、覚えているはず。
でも、リーザックは入れなかった。それは、間違いなく過去に入ったことがある、ということ。
「仕方ねぇなぁ。じゃ、お前さんだけでも入ってみな」
今度はクミルを捕まえ、バロは穴へ放り込もうとする。クミルより背は低いが、力は子どもよりはるかに強い。
「ちょっと! リーザックと一緒じゃなきゃ、行く意味がないでしょっ」
「そんなこたぁ、おいらの知ったこっちゃねぇからな」
「どうしてそんなにここへ入れたがるのよ」
言いながら、クミルは必死に足を地面に踏ん張って抵抗する。
「この穴に入ると、ひゅ~って消えていくんだ。その瞬間を見るのが面白いからさ。うさぎやねずみみたいに小さいと、面白くないからな。かと言って、熊や鹿くらい大きいと、おいらじゃ簡単に放り込めねぇ。お前さん達くらいの奴がちょうどいいのさ」
冗談じゃない。こんな魔物の遊びで訳のわからない穴に放り込まれるなんて、絶対にごめんだ。
「クミルを離せっ」
リーザックは急いで立ち上がると、クミルを掴まえているバロの腕を掴み、少女から引き離す。
「そんなに興味があるなら、自分が入ればいいだろ」
クミルから離れさせると、リーザックはバロの身体をどんと押した。
「うぉっ」
よろめいたバロはそのまま木の方へ倒れかけ、木に飲み込まれるようにして姿を消す。
「……」
しばらくふたりで木を見ていたが、魔物が戻って来る様子はなかった。
「あいつ、あんなふうに誰かが穴に消えていくのを見て、楽しんでたんだ……」
本当に「ひゅ~」という音が聞こえそうな感じで、バロは消えていった。生きてどこかよその土地にいるのだろうが、知らなければ木に喰われたと思っただろう。
「趣味悪いわね」
「そんなこと、言ってる場合? クミルがあんな風になるところだったんだよ」
「でも、リーザックが助けてくれたじゃない。ありがと」
今、間違いなく怖い目に遭ったはずなのだが……クミルはあまりそう思っていないようだ。泣き出されるよりはいいのかも知れないが。
「それより……ねぇ、リーザックは本当にこれを通ったことがあるの?」
「聞かれても、ぼくにはわからないよ。こんな穴があるなんて、全然知らなかったんだし」
「でも……入れないってことは、使ってるってことよね。さっきのバロの話だと、そうなるんだし。それなら、リーザックはこの穴の向こうから、カシアの山へ来たってことじゃない?」
この穴の向こうから入り、こちらへ出た。だから、リーザックはこの周辺、つまりレイジの村に住むようになり、同じ穴へは入れなかった、と考えられる。
「うん。バロの言うことが本当なら、そうなるね。だとしても、その時のぼくはたぶん、たまごの状態だよ。自分で来るのは無理だし」
リーザックはザジの手によって、クミルの生後十日目に村へ連れて来られた。
その点については、ザジ本人から聞いたので正しい情報だろう。
戻らずの穴を通ったのなら、それ以前ということ。
それなら、まだたまごだったか、生まれて間もないくらいの頃だ。
「じゃ、誰かに連れて来られたってことね。誘拐されたとか?」
あくまでも、可能性の一つとして。
誘拐犯がこの穴を通って、カシアの山へ来た。しかし、何か事情があってたまごを、もしくは生まれたばかりのリーザックを手放した。
それなら、リーザックだけが山に残っていたのもわかる。それを、ザジが見付けて……。
「誘拐じゃなく、あえて通ったってこともありよね。あーあ、リーザックも通れたら、両親がいる場所へ行けるかも知れないのに」
「バロが言ってただろ、場所が変わるって。あの話が本当かどうかはわからないけど。何度でも入れたとしても、その先がハズレだったら両親は見付けられないよ」
しかも、この場所へは戻れないかも知れない。出た先からまた穴へ入っても、条件が同じなら、どこへ出るかはその時次第。ふりだしに戻ってやり直し、はおいそれとできないのだ。
「とにかく、この穴は使えないよ。今いる場所もよくわからないし、一度山を下りた方がいいんじゃないかな。このままだと、ぼく達遭難だよ」
「カシアの山はそんなに複雑な地形じゃないから、平気よ」
前向きと言えば聞こえはいいが、どこからその自信が出るのか不思議だ。
クミルとリーザックは戻らずの穴を後に、再び山を歩き始めた。
☆☆☆
目的地はない。とにかく、少しでも村から離れなければ、ということしかクミルの頭になかった。
「リーザック、疲れた?」
「え……あ、ううん。大丈夫」
歩き出してからしゃべらなくなったリーザックを心配し、クミルがその顔を覗き込む。
「どうして穴に弾かれたんだろうって、考えてたんだ。本当に一度しか入ることができないのなら、どうしてぼくはあの穴を通ったんだろう。誰と来たんだろうって」
「ザジばあちゃんは、リーザックを見付けた時に他の誰も見てないの?」
「そんな話はしてなかった。自分が亡くなるって時に、もう隠し事はしてないんじゃないかな。たまごの殻が近くにあったってことは、聞いたけど」
自分が生まれる寸前、両親に何かよくないことがあったのだろうか。命にかかわるような何かが。
だから、例え穴から出た先が危険な場所である可能性があっても「その場にいるよりはましだから」とたまごだけを戻らずの穴へ放り入れ、リーザックはカシアの山で生まれることになった……。
もしくは、竜として重大な欠陥が見付かり、自分達では育てられないから穴に投げ入れた……。
そんな想像が、次から次に浮かぶ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます