第6話 ゲーム・プレーヤー
手術を無事に済ませ、星来と麗美は統括診療部長—―岸教授の部屋に招かれていた。
ソファセットの向こうには岸がゆったりと体を沈めて座っている。岸はマスクをしたままだが、最初に会った時よりも心なしか目元が柔らかかった。
テーブルの上では紅茶のカップが湯気を立てている。
「ご苦労様。見事だった」
「あ……はあ、はい」
星来は三個目の角砂糖を紅茶に沈め、ぐるぐるとかき混ぜている。匂いは大好きだが、紅茶やコーヒーは甘くないと飲めないのだ。ついでに言うと相当な猫舌でもある。
「小動物の様だな。さっきまでの威勢はどこに消えたのだ」
「この子はこういう子なんです。ゲームの
保護者のように麗美が説明する。
「あれだけの技術をどこで身に着けたんだ? AR手術やVR手術のシュミレーション授業はあるにはあるが、そんなに長い時間はないだろう? 一、二時間がせいぜいというところだ」
久場が興奮気味に口を開いた。広い額にグレーヘアの前髪がはらりと垂れる。
「えーっと、あれは面白かったです」
こんな「えらい人」にどんどん話しかけられるのは苦手だ。星来は困ってとりあえず答えたが、会話になっていない。構わずグイグイと久場教授は話を続ける。
「君たちも分かっている通り、日本の医学教育は今も昔も基本的に詰め込み式の座学だ。一般人は医学部で手術のやり方や包帯の巻き方を習うと思っているが、実際には卒業して、前期研修が終了してから初めて専門教育が始まる。例えば、海外で専門のセミナーを受けたとか?」
「いいえ」
「では、そうだ、君の両親が有名な外科医とか」
「いいえ、違います」
「むう……」
久場は何か説得力のある――というよりも、自分が納得できる解答を求めているようだ。
星来もうまく答えられない。少し考えてみたが、大概の人はその理由に納得してくれないのだ。
麗美と顔を見合わせた。彼女も渋い顔をしている。いつも星来の心強い「通訳」になってくれる麗美だが、同じことを考えているに違いない。
「まあ、そう困らせるな。彼女は我々外科系の切り札になるかもしれんよ」
「岸先生、それでいいんですか?」
「私とて納得したわけではないがな。今回、眞杉君のことを進言したのは
「古市? あの寄付講座の?」
「どうやら来たようだ。どうぞ」
ドアを叩く音がして、男が入ってきた。
丈の短いジャケットタイプの白衣を着ている。大学病院の医師としては珍しく、口ひげを生やしていた。岸や久場に比べるとずいぶん若いようで、三十歳前後に見える。
「君たちが学生の時にはいなかっただろう? 今年新設された先端医学講座の古市教授だ」
「はじめまして。古市
古市は一礼すると星来たちの座っている長椅子の横に立った。
探るような眼で見ている。星来は思わず肩をすくめ、麗美の陰に隠れた。
「ほう……本物だ」
「古市先生は彼女を知っているのですか?」
「ええ、直接会うのは初めてですが。ちょっと感動しますね」
「すまない、私にはよく理解できないのだが、ちょっと説明してもらえまいか」
「そうですね……座ってもいいですか?」
「これは失礼。どうぞ、君の飲み物も持ってこさせよう」
「いえ、結構です。この匂いはダージリン。私はアールグレイしか飲まないので」
アールグレイの発音が「エルグレイ」に聞こえる。
雰囲気が医者とは全く違って、少し面白かった。
少し席を奥に詰め、古市は麗美の隣に座った。
何やらちらりちらりと観察されているような気がする。麗美が威嚇するように古市を睨んだ。
古市は面白そうに笑って手を組み、久場に向き直った。
「何から説明しましょうか?」
「君は彼女の手術映像を見たか?」
「ええ、拝見しました。先日の心臓血管外科の手術も、今日の手術は先ほど研究室のモニタで」
「我々熟練の内視鏡外科医から見ても、とにかく早い。縫合スピードに至っては通常の三倍—―いや、五倍から十倍だ。だが聞けばこれまで特別な手術のトレーニングを受けたわけではないという。君ならそのわけが分かると?」
「そうですね……先生は私の専門をご存じですか?」
「いや、失礼だが」
「私の専門は脳科学と医用工学、人体機能の拡張です。そこからすると、まあ彼女の能力は理解できるのです」
「ほう?」
「ざっというと、超人的な立体感覚、形状や位置把握能力を持っているということです。まあ、これに関しては一種の天才でしょう」
「それは普通に考えてそうだろう。しかし、君がどうしてそれを知っている? 彼女は一体何者だというんだ?」
「彼女は――eスポーツ日本代表チーム「レッド・コメッツ」最年少のメンバーですよ。そして、VR3Dゲーム部門単独スコア世界ランキング一位。これも最年少記録がついている。国内最強のプロ・ゲーマーです」
「……中学生の頃の話です」
星来は身を固くしながら小声で言った。膝の上で握る拳に力が入る。
「だが、十年経ってもいまだに君のスコアは破られていない」
「eスポーツ? プロ・ゲーマー? 要はテレビゲームの選手か。だから何だと? 昔からテレビゲームが上手い奴は内視鏡手術が上手い、とは言うが、それがどうした?」
久場は呆れたように言った。
「ああ……やっぱりこの人たちには分からないんだよなあ」
麗美が首を振る。
そんな麗美を見て古市はにやりと笑った。
「久場先生に分かるように言い換えましょう。—―プロゲーマーの世界大会の優勝賞金は六億円です」
「ろ、六億!?」
「彼女のスコアだと個人賞金は二億円以上。久場先生のお好きな骨董品—―中国の壺でしたか、それでしたらいくつ買えますかね。—―それが彼女の才能の価値ですよ」
「二億だって!? それだけの収入があって、何で医者になったんだ?」
「さあ、それは」
古市はひげを撫でた。
いつもいつも……誰もがこの質問をする。
だから知られたくなかったのだ。それを聞かないでいてくれる友達は麗美だけだ。
「……お金なんて、お金なんていくらあったって……役に立たなかった」
溢れそうになる涙を堪え、歯を食いしばり、星来はやっとそれだけ言った。
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