第12話【恵パート】わたしだけが

 シャリッ、シャリッ……シュッ、シュッ……


 鋭い研ぎ石の上を、包丁の刃が心地よい音を奏でて滑っていきます。


 わたしは、キッチンに立ってその作業に没頭していました。


 夕方の静まり返った家。


 両親はまだ帰ってこないし、誰にも邪魔されないこの時間帯こそ、わたしがいちばん落ち着けるひとときです。


「ふふ……悠人君、今日もステキな笑顔でした……」


 知らず知らずのうちに顔が緩みます。


 最近のわたしは、悠人君を思い返すのが習慣になっていました。


 包丁を研ぎながら。


 今日もみんな、悠人君にべったりでした。


 奈々海さん、莉音さん、しおりさん、エリナさん……「わたしこそが悠人君の一番だ」って顔をしていました。


 だけど……本当に悠人君を守れるのは、わたしだけ。


 そうなのです。


 だって悠人君は、本来、わたしのものなのだから。


「みんな……悪い子ばかり……」


 シャリッ……と、刃先が石に吸い付くように研磨されていきます。


 わたしはほんの少し力をこめて、さらに刃先を押しつけました。


 奈々海さんや莉音さん、しおりさんやエリナさん……思えばずっと、昔からおかしかったですよね。


 だからわたしは、なおさらもどかしく感じます。


 まともなのは、わたしだけなのに……


 どうして悠人君は、わたしだけを見てくれないの?


 わたしも彼女たちも、小さい頃から、悠人君を独占できないまま、十年以上も過ごしてきました。


 でもこれが悠人君を悲しませない唯一の方法なんだって。


 そう自分に言い聞かせて……


 だからわたしは、ずっと我慢をしています。


 悠人君と一緒に生まれたときから、ずっと。


 だというのにあいつらは、自分の欲望を剥き出しにして……


「わたしは……わたしだけが、唯一、悠人君の理解者なのに……」


 無心に、刃を研ぎ石に擦り付けます。


 どうしてあいつらは、自分がしていることが迷惑だって気づかないのかしら?


 迷惑を掛けるようなやり方は、ダメに決まっていますよね。


 だからわたしは、ちゃんと、我慢に我慢を重ねているというのに。


 わたしだって、悠人君のプライベートを見たい。ずっと見ていたい。


 ずっと一緒にいることが叶わないのなら、悠人君がわたしだけのものにならないのなら、密かに、悠人君の姿を撮って、その声を聞いて、彼が使用したものを集めて、どこにいるのかも常に把握していたい。


 でもそんなの、悠人君が嫌がるって分かっているから。


 だからわたしは、ずっと我慢しているのに……!


「ふふ……わたしが守りますからね、悠人君……」


 守る、守る、守る……


 あの優しい悠人君をから守る。


 それがわたしの役目。


 そもそも悠人君は、あんなにも優しいからこそ、変な虫が群がってしまう。誰かが悠人君を傷つけて、彼の優しさを踏みにじったりしたら……それこそ絶対に許せない。


「わたしは……悠人君の味方。が悠人君の味方ですからね……」


 そんなことを考えながら、わたしは包丁を往復させます。


「わたしが、悠人君を守ってあげますから……」


 こうしているときが、いちばん落ち着くから。


「わたしが、悠人君を守る……」


 こうでもしていないと、もはや、心を落ち着かせることが出来ないから。


「守る、守る、守る……」


 ただひたすらに、シャリシャリと、研ぎ石の上を往復させる。


「守る、守る、守る……守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る──」


 カリッ……!


 ふと気づくと、包丁から奇妙な音が聞こえてきました。


「……あれ? 欠けてる……」


 いつの間にかわたしは、力を入れすぎていたようで……


 包丁の刃先が、欠けてしまっていました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る