8月編9話 俺と私のダイアリー

〜俺のダイアリー〜


▶︎▶︎  馬堀まほり海岸 バス停


「えっと、次のバスは……30分後?」


──3時間の電車の旅から解放された俺たちは、ホームに降り立ちうーんと伸びをする。


 観音崎かんのんざき行きのバス停に辿り着いたものの、タイミング悪くちょうど前のバスが発車した所だった。


 頭上ではすでに太陽がギラギラと輝き、日差しが辺りの風景を白く染めている。早くも額から汗が噴き出すのを感じながら見回すと、すぐ脇にスーパーやドラッグストアの入った商業施設がある。


 俺はアイツを見た。


「バスが来るまで、そこのスーパーの中のベンチで涼んでようか?ちょっとお手洗いも行きたいしな」


「そうだね。じゃ、スーパーの入口で待ち合わせしよ。あそこからならバスも来たのかわかるし」


 手を振ってベンチの方に歩いて行く彼女を見届けると、俺はお手洗いに直行する。


 さっき電車の中で、アイツの手作り弁当をたらふく食べ、コーヒーも沢山飲んだせいだろうか?


 あれはマジで美味しかったな……思い出して、俺の顔が再びニヤけた──



──電車の中でうたた寝していた俺は、窓枠にゴンと頭をぶつけて目を覚ました。


「いってぇ……」


 頭をさすりながら見ると、向かいに座ったアイツも窓にもたれてウトウトしていた。


「……!」


 長い睫毛が頬に影を落とし、紅を差したように赤いその唇は半開きになっている。その無防備な寝顔に思わず見とれていると、視線を感じたのかアイツはパチリと目を開けた。


「あ……私、寝てた……??」


 赤面して、両手を顔で覆う。


 その反動で、膝に乗せていた包みが滑り落ちそうになったのを、間一髪で俺がキャッチした。


「あ、ありがとう……やだ、いつから起きてたの?」


「あ、いや……今だよ、今起きてさ」


 俺はキャッチした包みをアイツに見せる。


「えっと、これは?良い匂いがする」


「あ、うん。朝ごはん。材料沢山あったから、アニの分も……」


「え?」

 

 アイツは顔を傾げ、ちょっと心配そうに俺を見つめる。


「……食べる?あ、でももし、もう朝食食べてきたんなら……」


「いやいやいやいや、実はもう、さっきから腹がグーグー鳴りすぎてどうしようかと」


「ほんと?良かった……コーヒーもあるから」


 アイツは小さな魔法瓶の蓋を開け、氷を入れたコーヒーをカップに注ぐ。


──俺は、アイツの手作り弁当を美味しくいただいた。いや、大袈裟おおげさでなく、こんな美味しいものを食べたのは生まれて初めてだった。


 そしてアイツの注いでくれたコーヒーの美味しいこと。ダンディコーヒーなんぞ足下にも及ばなかった──


──お手洗いに向かって歩きながら、俺が再び胸に沸き上がる先ほどの感動を噛みしめていると、ポケットの携帯電話が震えた。


▷▷ よう、ハンパボイルド!有意義な夏を満喫しているか?こっちは天使と江ノ島えのしまだぜ!


──逆三角形男、嶋咲しまざきからの浮かれたメールだった。俺は苦笑しながら返信を返す。


◁◁  水口みずぐちと江ノ島か、上手くやったな!オマエの大胸筋がついに役立つ時が来たな!くれぐれも溺れないように


▷▷  水泳部の副部長を舐めるなよ、オマエはまた図書館でくすぶってるのか?高校生の夏なんか2度と来ないんだからな!よく考えろよ


◁◁   探偵部を舐めるなよ。ロマン溢れるミステリーのために、今から横須賀よこすか観音崎だ。真実を見極める


▷▷  あの眼鏡の美人の彼女とか!やったなハンパボイルド君。お互い良い夏を!


「──何がハンパボイルドだよ、ナンパスイマーめ!」


 俺は携帯電話に向かって呟く。そして用を足した後、アイツと待ち合わせたスーパーのベンチへと足早に向かった。



〜私のダイアリー〜


▶︎▶︎  馬堀まほり海岸スーパー前 ベンチ


 私は一人、アニと待ち合わせたベンチに腰かけていた。


 ここは店内のエアコンの風が届き、蒸し暑さから少し解放される。のんびりした地元の人らしき買い物客や、走り回る子供たちを眺め、私はホッと息をつく。


 その時──


 向こうから、この長閑のどかな風景にそぐわない、どこか異質な集団が近づいてきた。


 目を凝らすと、それは数人の白衣の男たちだった。


 周囲の人々も彼らの存在に気づき、遠巻きに好奇の視線を向けている。


 そうだった──私は、先日見た週刊誌の記事を思い出す。この辺りに、母が所属しているラボと同じ施設があるのだった。


「あ……!」


 その白衣の男たちの中に見覚えのある顔を認め、私は咄嗟とっさに顔を伏せた。


 花火大会の夜、浴衣姿でなれなれしく近づいてきた男、そして傷害事件で週刊誌に載ったあの男だ──


 心臓の鼓動が速くなり、握りしめた手の中に汗が滲み出る。


──お願い、気付かずに行ってしまって──!!


 私は生唾を飲み込む。


「……で、今日の実験……地元の反発とか……音がさすがに…」


 男たちの話し声と足音が近付いてきて、やがて私のすぐ横を通り過ぎた。


 ホッと緊張を解いたその時。


「……おや、キミは──?」


 あの男の声だ。見つかった──!


「これはこれは……奇遇ですね、驚いた」


 いきなり、私の麦わら帽子がサッと奪い取られる。その無神経な行動に思わず顔を上げると、白衣姿のあの男が、私をめるように見つめていた。

 

 後ろの仲間はヒソヒソと何やら囁き合っている。


「やっぱりアナタだ……!こんな寂れた場所でも、美しいオーラは隠せませんよ」


 男は両手を広げ、仰々ぎょうぎょうしく驚いた表情を作る。相変わらずの年齢不相応なその言葉が、私の神経を逆撫でする。


「先日はお互い残念な会になってしまいましたね。あれは僕にとって……一生忘れられない思い出です」


 男は自身の頬を軽く撫でながら、粘っこい視線で私を見つめる。やはり、最後に頬をひっぱたいたことを根に持っているようだ。


 そしてぐいと私に顔を近付け、ニヤリと笑って耳元で囁いた。


「そうそう……お母様は、お元気ですか?」


「……!」


 一瞬思考が乱れた隙に、私の左手首が強く掴まれた。


「……痛っ!」


「これからどこか行くのですよね?車で送りますよ」


 彼は私の手首を引っ張り、強引に立たせて車の方へ引っ張って行こうとする。


 恐怖で全身から血の気が引いた。


──やだ!助けて──!


 その時。


 突然、白衣の男が視界から消え、私の手首はふっと解放された。


「……??」


 何が起こったのかわからず瞬きをしている私の左手を、温かく乾いた手が包み込むように握りしめる。


「つばめ……走れ!!」


「アニ……!!」


 私はアニに手を引かれ、震える足を叱咤して走り出す。後ろから、男の遠吠えが追いかけてくる。


「……殴るなんて、何てことを!お前、どうなっても知らないからな……!!」


 走りながら肩越しに振り返ると、白衣の男が赤くなった頬を押さえ、情けない顔で尻もちをついていた。


「──フン、ダンディーパンチの威力を見たか!」


 アニも振り返り、男に向かってこぶしを振りかざして見せる。


「ボクのパパは、ラボのエライ所長なんだからな……!!」


 なおも吠え続ける男の声が、背中で遠ざかっていく。


「……一生、パパの後ろに隠れて吠えてろよ……!!」


 アニは口の中で呟いてから、私の目線に気付き、照れたように笑って見せる。


 その瞬間、安堵とともに、正体のわからない想いが私の胸をいっぱいに満たしていった。

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