第9話
外を見る。真っ暗だ。夜の帳が下りていた。そう言えば、先輩の親御さんとは、まだ顔を合わせていない。家にはいないのだろうか。神社の宮司なら、外で仕事をする機会も少なそうに思えるけど。…ま、正直気まずいから、会わないに越したことはないけどさ。
そんなこんなで落ち着かない時間を過ごしていると、がらり、と襖が開く音がした。
「あ、せんぱ…」
顔を上げた俺は、電池切れのラジコンカーみたいに、ぴたりと動きを止めた。
「待たせたな。悪いが、机を動かすのを手伝ってくれ」
いつもと同じ声で言うと、先輩は目だけで俺に指示した。俺は素直に、というか体が勝手に動き、長机の片側を持ち上げた。
「ありがとう。端に持っていくぞ」
いつもと違う恰好の先輩も加わり、ふわっと長机が宙に浮いた。俺は、目の前の先輩を眺めて言った。
「力を授けるって、そういう意味だったんですね」
「は?」
首を傾げる先輩は―俺の大好きな、巫女装束に身を包んでいた。
「いくら先輩が聡明とはいえ、まさか俺の好みまで把握しているとは…」
清潔感溢れる白衣と、鮮やかな緋袴。腰よりも高い位置で結ばれた帯の上には、女性特有の丸みと重みを併せ持った胸が…ってどこ見てんだ俺は!
「鼻息が荒いぞ、相沢くん。あと、唐突な性癖暴露はただのセクハラだからな」
嫌悪感たっぷりの視線を向けられた。ぐすん、そんな目で見ないで…。
「まったく、どうして音羽はこんな変態を…」
「え?なにか言いました?」
「ふん、なんでもない」
先輩はぷい、と横を向いた。あまり良くないことを言われた気がしたけど。
「では、これから君を火あぶりの刑に処す」
先輩が言った。あなた、拷問ソムリエのメンバーでしたっけ?
「ほ、本気で言ってるんですか?」
俺は後ずさりした。長机をどかした広い畳には、俺を取り囲むようにして、注連縄が敷かれていた。まるで、一人で土俵に立たされている気分だ。さらに、巫女さんと化した先輩の手には、一本の松明が握られていた。幸い、まだ火は灯っていない。
「冗談だ。ただ、火をつけるのは本当だ」
先輩は薄く笑って、部屋の電気を消した。一気に視界が闇に包まれる。
しゅっ、という摩擦音がした。同時に、オレンジ色の小さな光が現れた。そしてその光は、さらに膨れ上がった。ゆらゆらと揺らめいている。マッチでつけた火を、松明に移したようだ。
「何が始まるんですか」
暗闇にぼーっと浮かぶ先輩の顔に、俺は尋ねた。
「キラめきを見る力を得るための儀式だ」
「キラめきを、見る…?」俺は首を傾げた。
「すでに話したように、キラめきとは、いわば魂のようなもの。つまり、目で見ることができない。しかしそれでは、キラめきを集めることは不可能だ。せっかく君が私たちのキラめきを発現させても、視認できなければ集めようがないからな」
「それで、こんな危ないマネを?」
俺は非難めいた口調で言った。さっきから足の震えが止まらない。
「火炎崇拝という言葉がある通り、太古から人間は火を神格化し、畏敬の対象としてきた。実際、ゾロアスター教では真善美の象徴として火に祈りを捧げる。日本でも、祖先の霊を祀るお盆には、送り火と称して灯篭流しをするだろう。火というのは、人の身に宿る魂と同一視できるんだ」
「な、なるほど…。流石は巫女さん」
「ふん」
先輩が鼻を鳴らした。かと思ったら、突然屈んだ。嫌な予感はしっかり当たり、先輩は松明の先端を、注連縄にかざした。瞬く間に縄の上を走り抜けた火は炎に変わり、俺を取り囲んだ。
「これ、火事とかになんないですよね」
炎の土俵から、俺が尋ねる。
「多分大丈夫だ。それより、そこに正座してくれ」
「…はい」
恐怖を胸に抱えたまま、俺は膝を折った。久しぶりの正座だった。
「では、これより儀式を始める。相沢は、そのまま目を瞑っていてくれ」
俺は無言で頷き、そっと瞼をおろした。怖いけど、覚悟を決めるしかない。
「
先輩が、何やら呪文のようなものを唱え出した。炎の熱と、先輩の冷たい声。何を言っているかは全く聞き取れないけど、少しずつ俺の心は、厳かで神聖な音色に撫でつけられた。すぐそばに感じる炎は、暴れるでも収まるでもなく、ただ静かに揺らめいていた。首筋にじわりと、汗の粒が浮いた。拭おうかと思ったが、勝手に動いたら最後、どうなるか分からない気配を感じて、俺は石像のごとく正座を続けた。
どれくらい経っただろう。体感的には長いようでも、短いようでもあった。時間という概念が、すごく曖昧なものに思えた。俺の耳に、先輩の息遣いや、足音や、声が届いていなければ、意識を保っていられたかどうか分からない。やがてついに、先輩の唱える呪文が止んだ。ようやく終わったか。安堵した俺が、体から力を抜いたその時―。
「うわあっ!」
ごう、と音がしたかと思うと、全身に物凄い熱さが襲い掛かった。たまらず瞼を上げると、なんと、俺の身体は炎に包まれていた。
「ちょ、先輩、これ、ヤバ」
切れ切れに声を発して、俺は立ち上がった。熱い。呼吸が苦しい。
「聖なる炎が、君に力を授けている。多少辛いと思うが頑張れ。死にはしない」
久方ぶりに視界に映った先輩が、涼しい声で言った。予告通りの火あぶりじゃんコレ!
「うああっ…!ぐううっ…!」
あまりの苦しさに、俺はうめき声を上げた。それでも業火は、俺を焼くのをやめなかった。息も絶え絶え、とにかく肺が焼けただれそう。限界までダッシュし終えた後に、喉と肺が燃え上がるみたいな。あの状態で熱湯風呂に身を沈めれば、同じ苦しみが味わえると思う。
「来たっ!」
先輩が叫んだ。それと同時に、今まで俺の肌を焼いていた熱さが、嘘のように消えた。かわりに、眩しい光が俺を包んだ。
「うおおっ…⁉」
夜闇を突き差す月明かりのように、俺は全身から光を放った。さっきまでと違い、今度は身体の内側が熱かった。俺の心が、魂が、激しく燃えているようだった。
それから、徐々に光が収束を始めた。俺の胸の位置、中心点に向かって縮んだ光は、最後には小さな球体となり、俺の胸に融けて消えた。
「終わったん…ですか」
「そのようだな」
答えた先輩は、目を瞑って息を吐いた。そしてすぐに、部屋の明かりをつけた。
「お疲れ様だ。よく頑張ったな、相沢」
先輩の手が、俺の肩に置かれた。不思議なことに、俺の身を包むカッターシャツは、焦げ目一つない白だった。肌を見ても、火傷の跡は一切ない。あんなに熱かったのに。
「これで俺は、キラめきを見ることが?」
「ああ、可能になった」
「よっしゃ」
俺はガッツポーズを作った。これでやっと、逢坂さんを救う準備が整った。
「相沢、これを受け取りたまえ」
巫女さん姿の先輩が、俺に何かを差し出した。見ると、朱色の御守りだった。
「なんですか、これ」
「うちの神社の御守りだ。中は空にしてある。ここに、私たちのキラめきを集める」
「おお…」
なぜか感嘆の声が漏れた。受け取った御守りをまじまじと見つめる。すると、素朴な疑問が一つ、頭に浮かんだ。
「あの、どうやってこの中に、先輩たちのキラめきを?」
「ああ、口づけだ」
「へ?」
聞き慣れない言葉に、俺はぽかんと口を開けた。
「だから、この御守りに口づけるんだ。いいか、君の唇にじゃないぞ?この御守りにだぞ?」
「わわ、分かってますよ!…少し、驚いただけです」
口づけ…つまりキス。逢坂さんが、いま俺の手の上にあるものに、キス…
「流石は作家志望。想像力豊かなことだ」
「ちっ…違いますって!ちょ、なに笑ってるんですか、先輩!」
先輩の口元が、にたぁーと吊り上がっていた。くそ、先輩の中で俺が、どんどん変態として認識されていく…!
「さてと…父が帰ってくる前に、退散しよう」
腰に手を当てて、先輩が少し気だるげに言った。
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