漆 急襲

 カッ!


 武田信虎は何を思ったか閉じていた目を見開く


 「皆の者、行くぞっ」


 信虎が床几から立ち上がって馬に乗り、出陣の構えを見せたので重臣の内藤虎資ないとうとらすけが慌てて制止して行き先を尋ねる


 「御屋形様、お待ちください。どこへ行かれるおつもりなのです?」


 内藤虎資の問いに信虎は馬上でニッと笑い、


 「これから穴山信風の籠る下山城を急襲するのだ」


 突然の出陣を当たり前のことを言うかのように宣言した


 「お待ちください。って、あ…」


 虎資とらすけが再度止めようとしたときには既に馬は走り出し、陣幕の外へ駆けていく


 武田信虎は富田の陣営の中を颯爽と駆けながら兵士らに触れて回った


 「これから下山城を急襲する!戦支度が済んだ者は付いてまいれっ」


 突然の出陣の触れに足軽はもちろん、侍大将なども慌てて支度をする

多くの将兵が支度を済ませた頃には馬上に見える信虎の姿が小さくなっていた


 「なにを茫然と見ているッ!?御屋形様に続くのじゃッ」


 重臣、山県虎清やまがたとらきよの一喝により将兵が皆動き出し、騎兵は鞭を打ち歩兵は駆け足で信虎の後を追っていく


 馬上の信虎は途中、速度に多少の制限をかけたものの馬を休めることはなく、山県虎清や内藤虎資、飯田虎春らが追いかけてくるのを確認し、再び先頭で馬に鞭を打つ


 (目的は先手を取って穴山を服属させることだ。国中くになか(甲府盆地)に易々と今川を入れさせぬ)


 信虎の急襲。その狙いは穴山氏を降参させることにあった


 現状、今川軍は甲駿国境の白鳥山(現在の山梨県南部町万沢)周辺を北上している


 今川勢が下山城に着陣するまで多少の猶予があることから、信虎は穴山氏を奇襲により屈服させて狭隘な河内地域で今川と戦いたいということだ


 そして武田信虎が下山城下に迫ると穴山方がようやく侵攻に気づき慌てふためく


 城門に迫る信虎を食い止めようとして穴山兵が数人出てきたが、


 「裏切者の手下め!これでも食らえッ」


 信虎は自慢の剛腕を鳴らして、高くから振り下ろされた太刀により葬り去る

その間に合流してきた手勢と共に信虎は下山城の大手門を瞬く間に撃破


 武田軍は勢いのまま二の丸をも制し、城主の穴山信風は、


 (このままでは本丸の一族もろとも斬り殺されるっ)


 武田兵の突進に震え上がり、大した抵抗もできないまま降参する


 こうして河内地方を制圧した信虎はいったん下山城にて兵を集結させ、軍議を開いた


 「常陸介。今川軍と矛を交えるに適した場所はないか」


 武田信虎が参謀の荻原常陸介に陣取り場所の選定を求めると、常陸介の河内地方の地図を見ながら少しばかり思案して、


 「大島の辺りが妥当かと思われまする」


 大島という村を挙げた


 大島は現在の身延町大島という地名に残っており、今川軍が進む白鳥山と信虎の居る下山城のほぼ中間点に位置している

 

 「大島の辺りは多少開けていて我々が陣地を張ることが可能です。そして、大島より南は山が狭まっており今川軍の陣列は細長く伸びきることでしょう」


 「なるほど。その陣形が伸びきったところへ伏兵などを控えさせておけば…」


 「敵兵を川底に突き落とすなりほふるなり、勝利が見えるかと」


 「よし」


 信虎は床几から立ち上がると重臣らに大島の地で戦うことを宣言し、


 「この作戦を成功させるためには敵よりも先に大島に辿り着くことが肝要である。ここで休むような猶予はない。いざ、出陣じゃぁッ」


 下山城に僅かな手勢を残して再び軍勢を南下させた


 

 武田信虎は大島に先着できれば勝てるとの確信を胸に馬を走らせたが、相手は雪辱に燃えて対策を重ねてきた福島正成である

 

 事態は信虎の思わぬ方向へと進んでいくのであった―

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