第6話 転生考察 後編〈2015〉
虫を殺し尽くした私は、目を閉じ考える。
もう一人の私、彼女はいったい何者なのかと。
「転生のすゝめ」を書いた者、彼女の視点で考えれば、私はパラレル――平行世界の住人だ。
転生のすゝめを起点として、あの日世界は二つに別れた。
それは彼女の思惑通りであったのだろう。
私は
物語には定番というものがある。
時間ものにもそれはある。
時間移動や世界線、その概念を私は正しく理解していない。しかしそれを意図して起こした者の動機ならわかる。それは定番だからだ、タイムリープもののよくある話だからだ。
彼らは失敗している、そして何かを失っている、かけがえのない何かをだ。
時間に抗わなければならないほどの大切な何かを彼らは失い、取り戻すためにやり直す。
ならば私は、いいや彼女はいったい何を失ったのか。
賢い彼女ならこの状況を正しく予測していたはずだ。そのうえで、日常を壊し、家族を壊し、自分自身さえ壊してまで彼女はなにを取り戻そうとしたのか。
家族よりも重いもの――
二十歳の私に大切なものはそれほどなかった。
そして今、いくつかあった大事なものは一つ残らず失っている。
家族、友人、恋人、日常、すべて私が壊してしまった。
わからない、そこから彼女は何を得る。それともやはり転生はそうまでせねば成し得ない奇跡ということなのだろうか。
白い服、カレー、ラーメン、ハンバーガー、殴り殴られ海に飛び込む、結果私は美少女に――あり得ない、やはりそれはあり得ない。
転生はもとより確定している事象、あるいはあの条件のなかにトリガーが含まれているのか。
服、食事、睡眠、そこではない。
トリガーがあるなら、それはおそらく不確定要素が少ないところだ。
私は「転生のすゝめ」のあの部分を頭のなかで読み返してみる。
君は仕事をしてはならない。
君は結婚してはならない。
恋人もいてはならない。
性交などは
ひらめきがあった。
そしてストンと腑に落ちた。
大事なことは最初に書く、あとはおまけということか。結婚、恋人、性交、子供。家族よりも重いもの、あるいは等しく重いもの、それを失うくらいなら――つくらなければいいんじゃないか。
相手は二十歳の誕生日、別れたあの彼なのだろうか。
「転生のすゝめ」を手にしてなければ、私は二十歳の誕生日、おそらく彼と過ごしたはずだ。
あのとき私は処女だった。哀しいことに今でもそうだが。
彼のことはそれほど好きではなかったけれど、何かの拍子で気持ちは変わる。変わらなくとも子供が出来ればきっと私は結婚する。
結婚が先か、子供が先か、どちらにせよ、生まれてしまえば私はその子を愛するだろう。
母がそうであったように、父がそうであったように。
ならばこれは最善ではない。
しかし、私の人生が試行の数だけ分岐した線の一つに過ぎないとしたら、その選択肢もあり得るのではないか。
救いたかった、救おうとした、それが出来ないから、最初からいない者にしようとした。
タイムリープものに当て嵌めれば、今の私はつまり捨て線。ハッピーエンドには程遠く、バッドエンドよりいくらかマシ、オハナシのなかではだいたい省略されている、クソつまらないメリーバッドエンドだ。
タイムリープの主人公、その過程の産物が今の私の人生とでもいうのか。
理由はわかる、考え方もだ。しかしそれはあまりにも私に対してどうなのだ。
吐き気がする、この
罠に嵌められたようなものだ。それもおそらく試験的に。
上手くいかねば次がある、そんな気持ちでやったのではないか。その世界に置いていかれた私はここまで堕ちているのに。
選択したのは確かに私だ。しかしそれとてわかっていたはずだ。
こうなるだろうと予測して、その結果を叩き台にして、次の手段を模索しようとした。
あのふざけた文面を見るに、私は最初ではないし、最後だとも思えない。
たった一つのハッピーエンド、そこにたどり着くために、お前はいったい何人の不幸な私を量産したのだ。
転生先は時間を操る怪物か、それともまだ私は何かに気づいていないのか。
狂いかけた頭では、考えが上手くまとまらない。
この推論に矛盾があるかもわからない。あるだろう、あるはずだ、なければ私は納得出来ない。
穴を探す、穴はある、仮定に仮定を重ねているのだ、当然ながら穴はある。
まず一つ、条件の後半部分に意味がない。
そして一つ、私を含む家族に対して、なぜか一切配慮がない。
転生のすゝめの書き方にも問題がある。例をあげ、信憑性を担保しながら、作者の意図を一度も明言していない。
なによりも、このやり方では彼女はまったく救われない。たとえば子供が死んだとして、過去に関わり、それを回避できたとして、どうやってそれを知るというのだ。よしんば結果を知れたとしても、それになんの意味がある。
彼女の世界でその子はすでに死んでいて、別の世界で生き伸びたとしても、それは別の子、隣にいるのも別の自分、それこそ世界を選択して同期できるというのなら――
「あ、それ、できる……のか」
できるのかもしれない。
転生自体がそれかもしれない。
時間と次元を飛び越えて、中身をごっそり入れ換える、いや違う、入れ換えではなく同期――上書きだ。
彼女はそれを知っている、身を以て一度体験している。
見えてきた、彼女の姿が見えてきた、彼女は最初の転生者、狂わなかった私自身だ。
大学に通い恋人がいて、仕事をしながら結婚もして、家族仲は良好で、子供なんかもいたりして、そしてそれを失って、四十才の誕生日に――死んでナニカに転生した。
それはたぶん怪物だ。ノイマン以上の怪物かもしれない。転生は、偶発的なものだった。しかしそこから、彼女は自力でその方法を確立した。
「転生のすゝめ」は彼女が私に送ったものだ。その時点で、時間はすでに超越している。
そしておそらく彼女は世界も越えている。この技術、これは未来や過去ではなく、別の世界のものではないか。
ならば意味がある、すべての矛盾に意味がある。
まず一つ、条件の後半部分の意味不明さ。これは初期化か――そうではない。私は確かに狂いかけだが、状況次第で二十年、正気を保つ可能性はある。
そもそも捨て線の私に、初期化を仕込む理由がない。
私のような捨て線は、おそらく実験サンプルだ。救うことが主題じゃない。当然乗っ取りの候補にもならない。
だとすればやはり初期化じゃない。転生に至った彼女の状況、擬似的にそれをつくり出す、あの馬鹿げた条件群はそのために必要な作業なのだ。
感情ではなく状況、ならば絶望――ではないな。これはたぶん、断絶だ。
家族、友人、恋人、仕事、そうしたものへの未練や執着、それは
それを断ち切るための作業、確かに私は断ち切った、親も、友も、恋人も、あのトチ狂った行動で一つ残らず断ち切ったのだ。
二番目の理由もまた同じ。配慮も何も、繋がりがあったら転生出来ない。
三つ目についてはわからないが、不安を煽るための単なる演出だろうか。彼女の心情、背景が見えないからこそ不安になる。「転生のすゝめ」の不気味さは、ほとんどがそこに起因している。
結局すべては推測だ。だから私は今晩も、深夜の海に飛び込むしかない。
図書館の閉館時間が近づいていた。お金を持たない私に他に行く場所はない。
自宅には暗い表情の母がいる。能面のような顔をした父もやがて帰ってくる。
完全に狂ったほうが楽かもな、今日も私は自分勝手なことを思う。
十年後、私は何になるのだろう、彼女と同じ怪物か。そうであっても見た目はやっぱり美少女がいい。
そんなことを考えながら、私はマーチに乗り込んだ。
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