第2話 転生という名の悪行 〈2005〉

 私は今、海を目指して車を走らせている。

 親戚に譲ってもらった十年落ちの日産マーチは今日も元気に動いている。

 恋人にはメールで別れを告げた。

 理由はよく聞く性格の不一致、本当のことを話すわけにはいかないので、我々なんかズレてるみたい――とそんな理由でまとめてみた。

 問題はこれで別れが成立したかどうかだが、恋人というのは双方の合意があって成り立つもの、私がそれを否定した時点で二人はおしまい。

 これで我々、赤の他人でいいだろう。


「……にしても、いつまで鳴らすつもりかな」

 さっきからが助手席でずっとブルブル震えている。

 画面を見ずとも相手はわかる。あんな形で一方的に別れを切り出されたわけだから、言いたいことがきっと山ほどあるのだろう。

 しかし私は電話に出ない。運転中の通話について、最近罰則が厳しくなったというのもあるが、すでに終わった別れ話を蒸し返されては困るのだ。

 話の流れで有耶無耶うやむやになって、二十年たったその後で、実は別れていませんでした。なんてことになってしまったら、それはさすがに悲喜劇過ぎる。


 だからこれで君とは終わりだ。さらば恋人よ、君は今世で幸せになれ。


 唐突な別れとなったが心はあまり痛まなかった。相手に対する情の薄さが救いになったということか。ただ同時に思いもする。もっと愛が深ければ、それが私を現世につなぐかすがいになったのではないか。そうすれば私はこんなことをやらずに済んだのではないか。

 キャンパスライフをともに楽しみ、結婚、子育て、そんな未来もあったかもしれない。しかしすべてはもう遅い、二人の道はもう二度ときっとこの先交わらない。


 無職、未婚、恋人なし、これでひとずスタート時の人間関係はクリアとなった。ここから先は我慢比べだ。泣きをいれるか、気が狂うか、途中で死ねば私の負け。一、二年ならさほど苦も無く元の暮らしに戻れるだろうが、あれを十年つづけてしまえば、おそらく私は救いようのない落伍者となる。

 途中下車ならお早めに、なかば過ぎたらその先は終着駅まで行くしかないのだ。

 

 車のラジオからは、確か春ごろよく聴いた宇多田の歌が流れている。

 なあヒカル、私の願いが叶う頃、泣くのはいったい誰だろう。


「……一番はまあ、母親かな」

 友人や恋人なんてものは、環境と連絡先を変えてしまえば案外簡単に消えてしまうものだ。そうして時が経つにつれただの他人に変わってしまう。

 しかし親はそうもいかない。大半の親というものは、多少子供が壊れても愛することをやめないものだ。うちの親はどうだろう、父はどこかで見切りをつけるか、しかし母は――

 

 そんな私のマイナス思考を邪魔するように、最後のサビが流れてきた。


「うっさいな、このクソ映画の主題歌」

 私は得意の癇癪かんしゃくを以て、UTADAのUTAをブロックした。



 UTADAはすでに歌っていない。今はKODAが歌っている。日産マーチは海岸線を安全速度で走行中だ。

 十五分ほど走ったところで私はマーチをコンビニに停めて眠気覚ましにコーヒーを買った。

 白いシャツに白いズボン、白いスニーカーでキメた私は、黒ずくめとは別の意味で不審な人に見えなくもない。


 これも慣れていかなければ。

 

 羞恥心を持ったままでは、たぶん私はストレス死してしまう。強くならねばならない、この程度では何も感じないように。

 己の二度目の人生のために、私はこれより奇行に走る。失うものは多いだろう、そしておそらく得るものはない。

 人生が二度あれば――これがそいつを願った者の末路だ。

 事を成したその時に今の自分は破滅する。いいや自分だけではない。親しい者をも巻き込んで今世の私は破滅する。

 それが罰だ。踏み込んではならない領域に立ち入った者への罰なのだ。

 転生は、生への冒涜だ。

 本来叶うべきではない、叶ってはならない夢なのだ。そうでなければ人は己を愛せない、人は他人ひといつくしみえない。

 私は今世を蹂躙し、己一人で来世へ逃げる。ゆえに私は苦しまねばならない。私が果たせる贖罪は、きっとそれくらいしかないのだから。

 

 車の窓を開けると、冷たい風と一緒に潮の香りが漂ってきた。幼い頃に家族で行った海辺の景色を思い出した。


 私は父を愛している、私は母を愛している。愛していながら、二人がくれた人生を自分の意志で取り替えようとしている。「平凡でつまらないから」などというクソみたいな理由でだ。

 なんという親不孝、これこそまさに、子が親に出来る最大級の侮辱じゃないか。

 ならばやめてしまえばいい、今なら苦も無く引き返せる。そんなことを考えながら、私はマーチを路肩に止めた。

 携帯電話のデジタル時計は、二十三時五十五分。

 あの舐めくさった本によると、私はここで決めねばならない。

 二十歳はたちになる日の午前零時、最初のダイブで決めねばならない。

 私が四十しじゅうで死んだあと、いったい何に転生するか。

 

 胸壁きょうへきのうえから海を見る。

 私は静かに瞳を閉じた。

 平日深夜の田舎の海辺、あたりは静まり返っている。

 時間のミスは許されない。

 携帯電話を手に取って117をプッシュする。

 カウントダウンが始まった。あと十秒で零時になる。

 残り五秒、携帯電話を道路に投げた。

 残り二秒、息を大きく吸い込んだ。

 残り一秒、あとはもう飛び込むだけ。

 私にもう迷いはない。


「はい! 強くて、賢くて、お家は金持ちで、いや、金持ちっていうか、なんか育ちの良い……お嬢様みたいな感じで、ああ……あとは美少女! 美少女だけは絶対で! それと……あ、そうだ! 呪い、なんか呪いみたいなやつ……なんだっけあれ、中二……そう、中二病! いや、厨二病? どっちでもいいや、その、なんだ、厨二病的な感じにしてください! よし、まとめます! ちょっと待っててまとめますから! えーと、えーと……強くて、賢くて、育ちの良い、呪い系美少女でお願いします! 美少女でお願いします! よおし、ではまいる! いざまいる! 私は海へいざまいる! せーの、ホイ! ヤマァァァァァァァァァァァァァァアンア!! ヒィ! 冷たい!」


 そして私は、冷たいSeaにDiveした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る