むかえちゃうおねえさん VS 絶対にお迎えされない呪いの人形

零余子(ファンタジア文庫より書籍発売中)

「さぁ~どんどんお迎えしちゃうからねぇ~」

「じゃない方」

 入社して以来、そう呼ばれ続けていた女がいる。

 私だ。


『新しく配属された、あの……元気じゃない方の女の子』

『総務課の子いる? そう、器量の良い子じゃない方。あの子暇なの? ちょっと投げたい作業あるんだけど』

『合コンどうする? あいつ呼ぶ? ほら、総務課の、美人じゃない方』


 キラキラした同期たちの脇にたたずんでいる私。

 咲き誇る白薔薇の横に生えているタンポポ……の脇に生えているペンペン草。

 それが会社における私の立ち位置だ。



 チヤホヤされたいわけじゃない。

 注目してもらえる人間でないことは自覚している。


 思えば昔から地味だった。

 地味すぎて中学・高校ともイジメっ子たちからも認知されないまま、平穏かつ平凡な人生を歩んできた。

 会社でも、名前はおろか苗字すら認知されていない。それが私だ。


 二十数年の人生を振り返ってみれば、地味なことで得をした場面も多々あった。

 だけどやっぱり寂しい。

 人恋しい夜に人知れず、私は一人暮らしのアパートの一室でポロポロ涙を流す。


『流した涙の総量=強さ』という岡本真夜理論が有効であるのなら、私は地球上で最強になれたはずだ。

 でも、実際には強くなれない。

 地味で弱い等身大の自分を、好きになれる日はいつか来るのだろうか。


 そんなこんなで灰色の日々を過ごしていた私は。

 ある時、ドール趣味に出会った。





 インターネットでたまたま目にしたドール特集の記事。

 その記事に掲載されていた愛らしいドールの画像と目が合ったことが、私の人生を一変させた。


 ――か、可愛いっ!


 衝撃的だった。

 儚げで可愛いらしい。だけど決して媚びていない。

 その時の子は古風なメイド服を着ていた少女型のドールだったけれど、メイド姿であり可愛さを振りまきながらも、人間に媚びていなかった。


 そう。

 まるで王の風格だった。


 他国の使者を相手に、国力を見せつけるために豪奢な宴でもてなすように。

 人形としての格と矜持のために、可愛らしさで他者を楽しませる。


 ――世の中にはこんな可愛らしさがあるんだ……!


 王の威厳のような可愛さを振りまくメイド姿の人形。

 その甘美なる矛盾にてられた私は、夢中でドールのことを検索した。


 残念ながら、私を魅了したそのドールはもう発売終了になっていると知った。

 しかしドールの世界の奥深さに触れることができたことは大きな収穫だった。


 こうして世の中に一人、ドールの魅力に憑りつかれたドールオーナーが誕生した。




 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 少し経った頃。

 私は3体目のドールを家にお迎えした。

 この子は世に出回った数が極めて少なく、手に入れるのに苦労した。

 真面目な勤務により積みあげてきた徳によって、運よくお迎えできたのだ。

 

「ねんがんの どーるを おむかえしたぞ!」


 あまりにくろうしすぎてごいがしょうしつしている。

 ことばもしこうもぜんぶひらがなになっている。

 かんじになおすことすらおっくうだ。


 それでも我が家にお迎えして、真正面からその可愛らしさに向き合えば、これまでの労苦も吹き飛んでしまう。


「はぁぁぁぁぁ、かわいいなぁぁぁぁぁぁ」


 3体のご令嬢に並んでもらい、大いに目を楽しませた私はふと気づく。


 ――もう私、ドール趣味を公言してしまっていいのでは?


 1体だけお迎えした時は、「1体だけじゃドール趣味とはいえない」と思った。

 2体目をお迎えした時も、「まだまだだよね」と思った。

 3体目をお迎えした今は、「もうOKかな?」と思える。


 ――なーんてね。そもそも私の趣味なんて誰も興味ないし。


 自嘲気味な笑みが浮かぶ。

 リアルだって、SNS上だって、私は地味な雑草なのに。

 こんな私の趣味を気にする人なんているわけがない。

 そう思っていたのだ。







「そういえば、あなたの趣味って何なのよ?」


 それは会社の定例会が長引いて、総務部署全員が強制残業になった夜のこと。

 会議が終わるのを控室で待っている(なぜか会議室の会議が終わるまでは私たちも座ってはいけないという不文律がある)私に、ふと年が近い先輩が聞いてきた。


「えっ⁉」


 私は驚いた。

 同じ部署の先輩だから、少々付き合いはある。

 だけどあくまで業務上での付き合いで完結している。

 プライベートな話題に踏み込んできたことは、私にとっては新鮮な驚きだ。


 そしてふと気づく。

 周囲の面々も、私に目線を向けてきている。


 どうやらあまりにもみんな退屈しすぎていたところ、「そういえばコイツについて何にも知らないな」という風に気づき、自然と注目されたらしい。


 ――わ、私が注目されるなんて!


 なんだか面はゆい。

 そして私の内心は弾んでいた。

 ドール趣味を公言できる機会だと思ったからだ。


「あ、あのっ」


 私は、少し自分の心を落ち着かせようと間を取り、言う。


「お人形を家にお迎えすることが趣味なんです」


 自分の趣味を公言した。

 すると控室の雰囲気が一気に――生温かくなった。


「お人形? へーぇ、いい歳してお子ちゃまみたいな趣味してんのね」


 場のみんなを代表するように先輩が言う。

 その言葉に嘲弄の響きを混ぜていたのは、私の気のせいなんかじゃない。


 周りもクスクス、ニヤニヤと意地の悪い笑いを浮かべている。

 陰口のような言葉も耳にした。


 その笑いで、私の心に波が立った。


「私の大切な趣味を馬鹿にするんですか!」


 聞いたのはそっちだ。だから答えた。

 それなのに私の人格を毀損するのは――まぁ許す。


 だけど場の嘲弄の矛先は私だけではなく、私のドールたちにも向いていた。

 それは許さない。ドールたちは私の生活に潤いを与えてくれたんだ。

 大切なドールへの侮辱は許したくないし、許すわけにはいかない。


 だからつい、声を荒げてしまった。

 それがマズかった。声が大きくなってしまったのだ。


 バタン!

 定例会の会場の扉が開き、スーツ姿の青年が控室に乗り込んでくる。


 私は呻いた。相手は同期入社のバリバリエリート君だ。

 さわやかルックスに似合わぬ強烈な雑草魂で頭角を現し、幹部候補が集まる定例会に末席ではあるが参加を許されている、若手のホープだ。


 その彼が私たちのいる控室をジロリと睨む。


「うるさいんですけど?」


 エリート君がそう言った。

 みんながジロリと私を見る。

 こいつです――場にいるすべての人から目線で糾弾されている心地がした。


「ご、ごめんなさい!」


 私は同期に頭を下げた。

 同期に頭を下げるのは恥ずかしいけれど、会議の邪魔をしてしまったのは私だ。

 そこは謝らなきゃいけない。そう思える。


「…………」


 私が頭を上げると、エリート君は私をじっと見つめていた。

 そして私から目線を切り、会議室へと戻っていく。


 控室からエリート君が去ると、周囲から舌打ちが聞こえた。

「馬鹿な女」という声や「趣味のことで熱くなるなんて、これだからネクラな趣味の奴は……」という言葉も私の耳は拾う。


 分かっている。本当はみんな、ただストレスが溜まっているだけなんだ。

 いつもだったらこうはならない。


 だけど理不尽な残業下だと、皆がうっぷんのはけ口が欲しくて。

 矛先が向いたのが、たまたま私だったという話。

 うん、それは分かっているんだ。



 それでもその日はとても悔しくて。

 私はドールたちが待っている自室に戻るとポロポロ泣いた。


 ドールをお迎えしてからは涙を忘れていた私が、久しぶりに泣いた夜だった。




 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 例の残業の一件が反動になった。

 あの日以来、私は狂ったようにドールをお迎えするようになったのだ。


 店舗販売、イベント即売会、フリマアプリ。

 現実・電子の区別なく、私は戦場を選ばない。


 どんなドールでも絶対にお迎えする女。

 界隈に生きるものは誰もがその存在を知っているが、その名を知る者はいない謎の存在――私はいつしかそう認識されるようになった。


『秋葉原のアンノウン』

『イレギュラー』

『狩人様』


 SNS上では私を形容する二つ名がいくつも現れる。

 電子の海に散らばる数多のあだ名はやがて収束し、今、私はこう呼ばれている。


 絶対にドールをお迎えする超常存在――『むかえちゃうおねえさん』と。


「さぁ~どんどんお迎えしちゃうからねぇ~」


 今日も『むかえちゃうおねえさん』はドールとの出会いを求めて街をさまよう。

 明日もきっと同じだろう。


 そして私は、運命のドールと出会う。




 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 一目見た瞬間、稲妻のような衝撃に襲われた。

 私の人生はこのドールと出会うためのものだったんだ……そう思えるくらいに、運命的な出会いだと思った。


 私が住んでいる町のメインストリームから外れた鄙びた場所にある、味わいのあるアンティークショップ。

 たまたま店の前を通りかかった私は、そこのショーウィンドウに展示されているドールを見て心を射抜かれた。


 そのドールは、私がドール趣味に走ることになったきっかけの子だった。

 王の風格を持つメイド服のお人形だ。


 もう製造されていないはずのドール。

 そのうち一体が、こんなお店にあるなんて。


「くぁwせdrftgyふじこlp!」


 私の興奮は、とても言葉では言い表せないほどだった。

 だから言語化できない生の興奮そのままで口から音が零れ落ちた。


 私は勢いよく店の中に飛び込む。

 そしてシルバーヘアーのナイスミドルな店員さんに尋ねる。


「アノチョットオタズネシタイコトガアルンデスガ!」

「落ち着いてください」


 店員さんは落ち着いた声音で、私に落ち着くよう求めてきた。

 オチツク……おちつく……落ち着く。うん、落ち着いた。


「すみません。あそこに展示されている子について聞きたいのですけれど」

「あの子……ああ、あの子ですね」


 店員さんは私を見た。

 そして苦笑のような表情を浮かべ、首を横に振る。


「あの子を迎えたいと思うのであれば、おすすめはできませんよ」

「なぜですか?」

「呪いの人形なのです。あの子は」


 呪いの人形?

 からかっているのだろうか?


「あの子を迎えたいと願うお客さんはこれまで何人もいました。しかし、あの子は未だにここにいる。その意味するところはお分かりでしょう?」


 誰一人としてあの子をお迎えすることができなかったということだろう。

 そう言われると、なるほど。背中に冷たい感覚が走る。


 界隈に生きるものなら、あの子は誰だってお迎えしたいと願うはず。

 それが今なお貰い手知らずでここに残っている点で、そもそもおかしいんだ。


 呪いのドール。

 眉唾物ではなく、本当の話なのかもしれない。


「どのような呪いなんですか?」

「あの子を迎えようとする方々には様々な呪いが降りかかります。僕が知る限り……神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、虚弱体質、関節の強張り、打ち身、挫き、慢性消化器病、痔疾、冷え性などの愁訴が」

「どこぞの温泉旅館と業務提携でもしているんですか?」


 挙げられたもの全部、温泉療法が効果的なものばっかりだ。


「とにかくあの子をお迎えすることは誰にもできないんです」

「でも、私は絶対にあの子をお迎えしたいんです」


 私は『むかえちゃうおねえさん』だ。

 どんなドールも絶対にお迎えしてきた。

 今回だって、きっとお迎えしてみせるんだ……!


「ひとまず触れさせていただけますか?」

「覚悟があるのなら、どうぞ」


 覚悟。覚悟ならないこともない。

 私は畏れ半分、喜び半分で、窓から外を見続けているあの子に手を伸ばす。


「さぁ~どんどんお迎えしちゃうから……ぐわああああ――ッ!」

「ああ、お客さんが床をのたうち回っていらっしゃる」


 落ち着き払った声が聞こえる中、私の意識は泥濘に沈んでいった。




 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




「思っていたよりもずっと呪いの人形だった」


 気が付いたとき、私はアンティークショップのおしゃれな椅子に腰かけていた。


「飲んでください。落ち着きますよ」


 そんな言葉とともに、店員さんがカップを持ってきてくれる。

 中身はミントティー。とても落ち着く味わいと香りだった。


「……とまぁ、これがあの子の呪いの一端です。分かったのなら、あの子のことはもう諦めなさい」


 私がミントティーを飲み干し終えた後、店員さんがそう告げてくる。

 私は首を横に振る。


「諦められません。あの子は私の出発点です。絶対にお迎えします」

「不屈の精神は感心しますが、無理をするのはいけませんよ」

「無理をしてでもお迎えしたいんです」


 私はきっぱりと言うので、店員さんは困ったように笑ってみせる。


「困りましたね。あなたを説得するための言葉の持ち合わせが僕にはない。まぁ、今日のところはおかえりください。そろそろ閉店時間ですので」


 なるほど。閉店時間。

 そうであるなら今日のところは引き下がったほうがいいだろう。

 私は面倒をおかけしたことを謝罪し、ミントティー代を支払おうとした。


「結構ですよ。ミントティー作りは僕の趣味でして。誰かに披露できる機会があったことが嬉しかった。だからお代は要りません」


 店員さんは落ち着いた声音でそう言って、それから付け足す。


「自分の趣味を誰かに認めてもらいたいという気持ちは、誰にだってありますよね」


 私のことを見透かしたようなセリフだった。

 おそらく店員さんは、私のドールへのこだわりの裏にあるものを見抜いている。

 なんとなくそんな気がした。




 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 その夜、私は夢を見た。

 夢の中にはあの子が出てきて、私を見ながらクスクス笑っている。

 ああ、めっちゃ可愛い。


『ふふっ、私を諦めないなんて、あなたなかなか根性があるじゃない』

『気に入ったわ。少しだけね』

『でもあなたにお迎えされるのなんてまっぴらごめん』


 ――どうして?


 夢の中で尋ねれば、夢の中のあの子はクスクス笑いのあとに言う。


『だってあなたの髪、枝毛があるもの』

『自分のケアさえできない人が、私を念入りにケアしてくれるわけがないでしょ?』

『あなたが艶やかな髪になったなら、お迎えも一考してあげなくもないわ』

『どう? 私って優しいでしょう?』



 そして夢の中に光が満ちて。



 ジリリリリリリリリ!

 無情な目覚まし時計が鳴る。私は覚醒する。

 寝ぼけた目をこすり、開口一番言う。


「……ヘアケア本気出す」




 こうして私はヘアケアを研究した。

 真面目さと凝り性気質さがうまくかみ合った結果、髪美人が出来上がった。


 代償として、ドールのお迎えに回すはずだったお金が資生堂への上納金アガリになってしまったけれど、これもあの子をお迎えするための投資だ。


「んっふっふ~すてきなサラサラ髪~♪ これであの子をお迎え~♪」


 今や私の密かな自慢となった髪を手櫛で梳き、調子外れの歌を口ずさむ私。

 するとその晩、あの子の夢をまた見た。


『私の言葉を真に受けちゃうなんて可愛いんだから。本気でお迎えできるとでも?』

『でもまぁ、ここでさよならするのは可愛そう』

『そうね……髪のケアは上手くなったみたいだけど、お化粧はどうかしら?』

『お化粧ひとつ満足にできない美的センスの所有者オーナーなんて、嫌ァよ?』



 ジリリリリリリリリ!

 無情な目覚まし時計が鳴る。私は覚醒する。

 寝ぼけた目をこすり、開口一番言う。


「……次はお化粧ッ!」




 こうして私はお化粧を研究した。

 美の研究のために私が恃むのはY●utubeの美容系チャンネル『魁‼女塾』だ。


『観ない奴は、女じゃないわよ!』


 そんな強烈な言葉とともに講義をスタートする講師・ミュンヒハウゼン桃子(年齢不詳)の熱血指導動画を正座で視聴し続けた私は、真面目さとオタク特有の凝り性でもって講義内容を実践。試行錯誤の末、お化粧を完全に会得した。



 そしてあの子の夢を見るのだ。


『ふふっ、だいぶ綺麗になったわ。今のあなたはお人形さんみたいで素敵よ』

『でもね、私はお人形さんにお迎えされる気はないの』

『だって私こそが最高のお人形だもの。あなたがお人形である限りは私以下。そんな相手にお迎えされるなんて嫌ァよ』

『お人形じゃないって? そう? 会社であなたは何をしているの? 誰かの指示を待つだけのお人形になっていない?』

『あなたは人間よ。自分で考えて、自分で動くことができる。そうでしょう?』


 ジリリリリリリリリ!

 無情な目覚まし時計が鳴る。私は覚醒する。

 目に力を入れ、開口一番言う。


「企画案、作るわ。私が指示待ちのお人形じゃないってことを証明してみせる」


 ちょうど総務部門で改善したいと思っていたことはある。

「こんなものよね」という諦念で流し続けてしまっていたことだけど、今の私ならば改革のために動ける。


 そう考えて、問題点に気づく。

 ヘアケアもお化粧も自分が努力すれば結果に結びつく。


 だけど企画案。

 これは相手がいる話だ。

私の努力ひとつでは空回りして終わるだけ。


「大切なのは根回し。そして骨太の資料……」


 どうする?

 考えて、私はひらめく。




 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




「基幹システム刷新のためのプレゼン資料?」

「そう! 手伝ってください!」


 私が目を付けた相手……それは同期入社のエリート君。

 プレゼン力は折り紙付き。私が縋るとしたら、彼しかいなかった。

 昼休み。カフェテリアでコーヒーを飲んでいる彼のところに向かい、拝み手を作って頼み込む。


 私があの子をお迎えできるかの瀬戸際なんです。

『むかえちゃうおねえさん』としての沽券に関わる案件なんです。

 だから何卒、なにとぞ……!


「っていうかさ、お前……誰?」

「同期ですよォ!」


 泣きたい。同期にすら認識されていなかったとは。

 まぁ花形エリートと総務部門のペンペン草じゃ、接点もほぼないし。

 だけどせめて苗字くらいは覚えていてほしかったんだけど。


「これがアイツ……? マジで変わりすぎじゃないか……?」(ぼそっ)

「ん? 何か言いました?」

「い、いや。何も」


 エリート君はコホンと咳払いをして、私にまっすぐ向き合う。


「これを作るのを手伝うのはいいが、部署のコンセンサスは得られているのか」

「そこらへんは大丈夫です」


 そう。

 エリート君に頼る前に、部署の人たちに協力の約束を取り付けてある。


 部署の人たちとは、先だっての件のわだかまりがあったままだけど。

 あの子をお迎えするためなら頭を下げるくらい容易い。


 だから私は先だってお騒がせした件を詫びて、改めて協力してほしいと頼んだ。

 すると部署の人たちから「あの件はこっちが悪かった」「協力する」という言葉を得ることができたのだ。


 私は少しずつ変わっている。

 外見は大いに変わったが、内面も変わっていったらしい。 

 それが人付き合いに大きく作用したのかもしれない。

 エリート君のところに来るにあたり、私は部署の人から数々のサポートを得て、今ここにいる。


「なるほどな」


 エリート君はフムフムと頷いて、「俺への見返りは?」と聞いてくる。

 私はニンマリした。


「スーツ、糸がほつれてますよ」

「……!」


 私が指さしたところをエリート君が見て、少し驚いている。

 ここのところ彼が忙しいのは承知。身だしなみは整えているつもりでも、細かい糸のほつれまでは気が回らなかったようだ。


「そのスーツ、入社時から着てましたよね。愛着があるのでは?」

「まぁ……そうだけど」

「私、直すの得意ですよ」


 ドールの衣装を作るなかで、私の縫製技術は上昇していた。

 この程度のほつれなら直すのは余裕だ。


「どうですか?」

「……話に乗る。6時以降に、もう一度このカフェテリアで」

「はい」


 私は彼の約束を取り付けた。

 ふっふっふ。これぞ『むかえちゃうおねえさん』の面目躍如。

 さぁ~どんどんお迎えしちゃうからねぇ~。


「…………」


 意気揚々と去る私の背中に向けられた目線。

 それに私は気づくことはなかった。




 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 そして約束の時間。

 私とエリート君は夜のカフェテリアで作業を行う。


 カタカタカタカタカタ。

 ぬいぬいぬいぬいぬい。


 私が作った資料の骨子を元に、エリート君がブラッシュアップを行う傍ら。

 私は彼のスーツの上着のほつれを直す。

 唸れ、私のソーイングセット!


 カタカタカタカタカタ!

 ぬいぬいぬいぬいぬい!


「「ふぅ」」


 ちょうど一息、というタイミングが見事に一致した。

 私たちは思わず顔を見つめあって、笑う。

 やがて。


「終わったぞ」

「こっちもできました」


 互いに作業成果を交換し合い、その出来栄えに満足する。

 うん、この資料はすごくいい感じ!

 これなら稟議も通りそう!


「……だけど、すごいですね」

「何が?」

「入社当時のスーツを今も着られるくらい体型をコントロールしてるなんて」

「ああ。そのスーツさ、おじい……祖父が入社祝いに買ってくれたものなんだ」


 ポツリとした独白だった。


「年金暮らしで裕福でもないなか、俺のためにって買ってくれたんだよ。だから俺、それを着続けられるように努力はしているんだ」

「そうだったんですか」

「にしても、よく俺がこのスーツをずっと着続けているって分かったな」

「なんか気づきました」

「そんなフワッとした感じだったのかよ」


 何か調子が狂うとでも言いたげな彼は、私に提案してくる。


「なぁ、他にも俺が手伝える作業はあるか?」

「えっ? そりゃ、ありますけど……お忙しいでしょう?」

「まぁ忙しいんだが。実のところ、俺の家にほつれている服がまだあって。できれば手を借りたいんだよ」


 ああ、そういうことか。

 そういうことなら大歓迎。

 私のドールとの触れ合いが研磨した縫製技術が役立つのは、私としても嬉しいし。


「じゃあ、また来週。この時間にこの場所で」

「ああ、よろしく」


 私たちは互いにサムズアップして、その日は解散となった。




 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 それ以来、私と彼の6時からの作業は定例開催となった。

 SNSのアカウントも交換した。頼みたい作業を依頼し合う仲になった。


 用事のため会うのではなく、会うために依頼する用事を考えるようになった。

 それは私たちにとってあまりにシームレスな変化で、だから私としてもその変化がなにを意味するのか、自分でもよく分かっていなかった。


 あの子からの夢のなかのミッションはまだ続いている。

 私はあの子を諦めていない。あの子から出されるミッション――似合いの香水をつけろだの、ちょっと大人びた色合いのリップに変えろだの――私を試す試練は続いている。




 そして、いよいよ最後の試練の時が来た。

 夢の中であの子はまず、私をほめたたえた。


『すごいわぁ。本当に素敵になって』

『これなら私も、あなたを所有者オーナーとして認めていいかも』

『最後のお願いを聞いてくれたら、の話だけれど』


 ――最後のお願い?


 夢の中、私はごくりと唾をのむ。

 どんな難易度の試練を課されるのだろうか。


『最後のお願いはね……明日、必ず私をお迎えしにきてくれること』

『閉店時間までに私をお迎えしにきてくれたら、私はあなたの家の子になるわ』

『どう? 簡単でしょう?』


 確かに簡単だ。

 明日は平日で、6時からは彼との定例の時間があるけれど、閉店時間までに向かう余裕はある。


 これはデレ行動というやつだろうか?

 あの子の「呪い」を『むかえちゃうおねえさん』が乗り越えたという解釈でいいのだろうか。


『明日、閉店時間までに必ずお迎えしにきてね。約束よ』


 そんな声が響いて、私は夢の世界から解き放たれた。




 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 そして6時。

 エリート君と時間と空間を共有する一時が始まる。


 ――今日は1時間で切り上げて、あの子をお迎えしにいかないと。


 私はそんなことを思っていた。

 そして約束の時間になり、私がお店に向かおうと腰を浮かせた時のこと。


「待ってくれ」


 私と一緒に立ち上がった彼が、真剣な顔で言うのだ。


「正直に聞きたいんだけど……付き合ってるやつがいるのか?」

「えっ? どうしてですか」

「急にその……綺麗になるし。かと思えば化粧の好みが最近になって違ってるから、彼氏の影響かな……って」


 いつも仕事では自信満々な彼が、妙に歯切れが悪い。


「お付き合いしている人はいませんよ」

「そうか。じゃあ、今から俺が言うことは、誰かへの不義理には当たらないってことだよな」


 そう言って、彼が私をまっすぐ見つめる。



「好きだ。付き合ってほしい」



 ――えっ?


「本気だ。一人の男として、君に心寄せている」


 ――そんな、そんなことって。

 ――だって相手はバリバリのエリートで、私みたいなペンペン草とは……。


「君が考えていそうなことは察せる。卑下しないでくれ。君は俺が心から惚れた女性なんだから」


 そう言った彼は、目線で私に返答を求めてくる。

 私の心臓はバクバクしていた。

 呼気は既に酸欠気味だ。


「わ、私――ほっ、保留! 保留させてください……!」


 その場を去ろうと踵を返す私だけれど、背後から伸びた手が私を追い越して、そのまま私を抱きしめる。


 背後からの抱擁は「逃がさない」という強制力を帯びていて。

 それでいて、私を守ってくれる優しさを宿したものだった。


「君をこのまま帰したくないんだ」


 耳元で彼がささやけば、私の全身が熱を帯びる。


「お願いだ。俺の気持ちに応じてくれ。君の夜に、俺を寄り添わせてくれ」


 ダメだよ。私は今夜、大切な約束があるの。

 私は今からアンティークショップに行って、あの子をお迎えしないと。


 だって私は『むかえちゃうおねえさん』なんだから。

 どんなドールだってお迎えする超常存在なんだから。


 だからさ、お願い。抱きしめないで。

 あの子を迎えに行くのを邪魔しないで。

 このまま身を任せたくなっちゃうから。


 お願い。

 お願いだから。

 どうか――








 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆







 店員がアンティークショップの入り口に「close」の札を掛けた。

 黙々と店内の作業を進めていく店員は、ふと人形に話しかける。


「また振られたようだね」


 すると店員の耳に愛らしい声がした。


『振られたんじゃないわ。私が振ってあげたのよ』

「はは、そうかい」

『見所がある女性だったけれど、彼氏と私を天秤にかけて私を選んでくれるような人じゃなきゃ、私の所有者オーナーに相応しくないわ。私より彼氏との時間を選んだ時点で、失格。それはあの人も分かっているでしょうから、もうこのお店に顔を出さないはずよ』


 店員は苦笑する。


「とんだ呪いの人形だ。これでは僕の商売あがったりじゃないか」


 そう。

 この人形は、人を試す。

 適切なアドバイスで相手を魅力的に仕立て上げ、恋に落とし、それでもなお自分のところに来るかを確かめる。

 そして人形の思惑通り、誰もが「最後の試練」によって膝を屈するのだ。


 いつだってこの人形はそうしてきた。

 今回だって同じだ。

 きっとあのお客さんも幸せになっていったのだろう。

 それはそれとして。


「恋をかなえる呪いの人形……か。まったく、商売人の身としては厄介だよ」


 ポツリとつぶやけば、クスクスとした笑いで人形が応じる。


『本当に厄介だと思っているなら私をゴミに出せばいいのよ。私があなたに手出しをしたことがあって?』

「ないね」

『そうでしょう? それなのに私を捨てようとしない。それはあなたが、私を気に入っているからでしょう?』

「そうかもしれないね」


 クスクス、と人形は笑い続ける。


『本当に私を気に入ってくれて、本当に私の存在を求めてくれる人が相手なら、私は喜んで可愛らしいお人形のままであり続けるわ。あの女性の人生には私が必要ではなかったかもしれないけれど、あなたには私が必要でしょう?』

「……商品の分際で、妻を亡くして寂しい僕を気遣っているのかい?」

『さぁね』


 はぐらかすような返答の後、人形は提案する。


『ねぇ、ミントティーを淹れて頂戴』

「飲めないだろう?」

『雰囲気を味わうだけで充分なのよ。ほら、あなたもお飲みなさい』


 ――本当に厄介だな。

 店員は苦笑する。


 妻に先立たれてから、この「呪い」は始まった。

 以来、誰かがこの人形を買おうとしても、この人形は誰の手にもわたることなく、店員の生活の一部としてあり続けてくれている。


 商品を求めるお客には誠実でありたい。

 だからこの人形を非売品にはしなかったし、求めてくる客がいたら、リスクを説明したうえできちんと販売するつもりだ。


 それはそうとして、この人形が今日も店にあることに安堵している自分がいることも事実だ。

 そしてその内心を人形に見抜かれているのだろう。






 こうして『むかえちゃうおねえさん』は人知れず消えていった。

 あとに残されたのは、ただ一介のドールオーナー。

 そして彼女の人生の伴侶となったエリートだ。



 誰かの恋をかなえる呪いの人形の物語には、今日もやさしいミントティーの香りがした。

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