父が死んでから、通夜、告別式までの流れを書いたぞ。悪いことは言わないから慌てる前に見て流れを確認しとけ(長男、喪主代理)(かかった金額掲載)

きつねのなにか

死ぬまで

 実は父は死ぬ当日のお昼に起きて会話をしている。

 うちは自宅介護で最後を過ごすことにしたので、モルヒネも自分たちで打つ必要がある。

 そう、麻薬であるモルヒネ。麻薬でも、医療資格がなくとも必要とあれば打てるのだ。そこにちょっとびっくりした。

 ただ、針は資格が必要なので、効き目が早くて飲み込むことがもう出来なくても使える座薬だった。座薬名はアンペック。一番弱い十ミリだった。


 それで、前日の夜は暴れずに寝ていたのでモルヒネを打っていなかったため、モルヒネがお昼に切れて覚醒した、というわけだ。

 この時点で最後かもなと思った私は話したい人に出来るだけ電話をかけた。誰も出なかったが。

 母はこれでまだ生きそうだと思ったらしい。

 寒いというので電気毛布や湯たんぽを用意、セットしてからアンペックを打ち眠ってもらった。


 それから数時間後に呼吸がおかしくなる。舌が垂れ下がっていびきをかくようになったのだ。もう無理だなと思いつつ訪問看護の看護師に連絡、とりあえず顔を横に向けるしかないと言うことで顔を横に向けた。いびきは続いた。今日が峠だと思った。


 アンペックは定時に打たないといけない。切れると覚醒するが、癌の終末期というのは意識があるだけでかなり辛いと医療関係者が揃って発言していた。

 また死んだ後にわかったことだが腹膜炎も起こしていた。

 腹膜炎は普通のでもとんでもなく辛い。癌と合わさっておこっているなら辛さは相当な物だ。

 訪問医の話では、その辛さから解放するためにもアンペック、モルヒネというのは使うとのことである。

 だからアンペックは定時に打った。父は痔があり治していなかったために肛門が見えにくく打つのが難しい。最後の日及び前日は肛門付近がかなり腫れており、訪問看護を呼んで打ってもらっている。


 さて時間軸を進めよう。

 夜のアンペックが打てずに訪問看護を呼んだ際に、看護師が父の状態を見て

「もうお別れの時かもしれないね」

 と発言した。

 看護師の判断でアンペックは打たずに様子を見ることとなった。

 だんだん呼吸が大人しくなっていく。いびきをかくこともない。

「どこか苦しいとかはないね」

 訪問看護、つまり終末期でどんどん人が死ぬ現場で働く看護師の言うことだ、多分本当なのだろう。

 これが十時頃か。私は人が死ぬのを目の前で見るのが怖くなり、自室で仮眠を取った。

 十一時頃に父のところへ戻った。

 母に

「ついさっき心臓が止まった」

 と告げられた。

 看取ることは出来なかった。

 私は何度か終末に立ち会ったことがあるが、一度も死に目に出会えていない。

 父でもそうだったのはなにかの巡り合わせなのかもしれない。

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