前章 表裏の狂人1‐2

 一山の自宅は、県警から電車で二駅いったところにある、2LDKの風呂トイレ別、普通のアパートの一室だ。

「ご飯にする? お風呂にする? それとも蒼?」

玄関を開けると、そんな新婚夫婦みたいな台詞と、城西高校の制服に身を包んだ蒼が出迎えた。

「じゃあお前で」

「うわ。未成年に手出すとか最低」

「お前が言ってきたんだろうが……それじゃあ、風呂で」

 というと、蒼は奥のリビングに引っ込んでいった。

 風呂は玄関から続く廊下を曲がったところにある。

 脱いだ服を洗濯機に投げ込み、シャワーを浴びる。今日は外を動いたので、いつもより入念に洗った。まったく、いつからこんなに外見に気を配りだしたのか。

 湯船につかり、事件の概要をもう一度振り返る。ここが、一山の一番頭が働く場所だ。

 この事件、一番重要なのは初めに起きた二件だろう。まず、本当に事件なのかもはっきりとしていない。

ただ、三件目の事件にも気になることがあった。なぜ、整体のあるビルではなく、その隣から飛び降りたのか。ただ間違えたということは難しいが、絶対とは言えない。

それにすべてが事件ならば、一番謎なのは犯人の目的だろう。なぜ、城西高校の高校生だけを狙っているのか。

 まだわからないな。情報が少なすぎる。

 これからだ。と覚悟を決め、湯船から上がり、寝間着に着替えた。

 

 リビングに行くと、一缶のノンアルコールビールがあった。気の利いたことに、キンキンに冷えてやがる。

 プルタブを開け、一口含む。麦の香りが口に広がった。

「一山さん」

 振り向くと、そこには一枚の紙を持った蒼がいた。紙は、どうやら高校の書類らしい。

「これ書いてください」

 書類を一山に差し出す。校外学習の文字が見えた。

「なんで俺なんだよ」

「保護者って書いてあるから」

「あのな、俺はな、お前の保護者じゃないんだよ。お前の保護者は、お前を引き取った親戚の人だよ」

「いいじゃん別に。私はここに住んでるし」

「それもダメなんだけどなぁ……わかった。

今から行っても迷惑だろうしな」

 書類には、生徒氏名、保護者氏名の欄があった。

「一年四組、月城蒼、で良かったか?」

「うん」

 続いて、一山亮太朗と書く。

「これでいいか?」

「うん。ありがとう」

 蒼は書類を受け取り、スクールバックにしまった。

その後、正面の椅子に座り、対面する。

「どうだった?」

「全然。クラスメイトに話を聞いてみましたけど、関係が見えてきません」

「そうか……」

「そっちは何かないんですか?」

 蒼が一山に話を振る。いつもは大した報告はできないが、今日は良い報告ができる。

「この事件を公式に、捜査一課が担当することになった」

「え? ってことは?」

 蒼が目を輝かせる。

「この連続殺人が、事件として処理されることになった」

「……ちゃんと、捜査できるようになるんですね」

 その顔は、満面の笑みだった。

「お前にも警察が来ると思うけど……まぁ、良いように答えてくれ」 

「まぁ、月城朱梨の妹だからね。勿論」

 蒼が顔を寄せてくる。月城朱梨とは違い、目の色は漆黒だ。ほんのり甘い香りがする。

「私は、一山さん以外信用してませんから」

 その漆黒の目から逃れるため、一山は体を反らせた。

「……なんで、そんなに俺のこと信用してんだか。俺だって、ただの警察官だよ」

「いいえ。一山さんは、そこら辺の刑事とはわけが違いますから」

 また一段と、蒼は一山に接近する。その腰はすでに、椅子から離れていた。

「も、もうやめよう。本番は明日からだ」

 この空気から逃れるために、一山は立ち上がった。

「夕食、何が良い?」

 半ば強引に別の話題を持ちかける。

「そうですね、昨日の残りが冷蔵庫にあるので、それ温めてください」

 わかった、と返事をして、そそくさとキッチンへ移動する。

 蒼は低いソファへ移動し、テレビの電源をつけた。幽霊が出るホテルにアイドルが止まる、そんな感じの番組だ。

 冷蔵庫には、昨日のカレーがあった。まだ綺麗なIHのヒーターに鍋をかける。

 温めている間に、ソファの蒼を観察する。

一山には、蒼は魔性の女に映る。

頭は切れる。だが、他人と関わっているのをあまり見たことがない。

冷たい現実主義者だが、幽霊特番をよく見ているし、姉に似て美人だが、男が全く寄り付いていない。

それに、一山は蒼のことを何も知らない。わかっているのは最初の被害者、月城朱梨の妹という情報だけ。今までどこで何をしていたか、まったくわからない。

それだけでなく、なぜあの時自分に助けを求めたのか、なぜ自分だけを信用しているのか。蒼の考えを、一山は理解できなかった。

「ちょ、ちょっと!」

という声で、一山は現実に引き戻された。

 視線を落とすと、鍋の蓋が生きているかのように暴れていた。

 いつの間にかキッチンに入って来た蒼が、ヒーターを切ったため、蓋の動きは徐々に収まっていった。

「一山さん、疲れてるんじゃないですか?」

「そんなことない。大丈夫だよ」

 一山は、観察していたことをごまかすように、焦げ付いたカレーをかき混ぜた。

 ならいいんですけど、と言って、蒼は再びソファに腰かけた。まだ一山が心配なのか、

時折、ちらちらと一山の方を振り返る。

 一山は気付かないふりをしながら、皿に米とカレーを二人分よそっていく。

「できたぞ」 

よそい終え、それをテーブルに運んだところで、一山は声をかけた。

基本的に二人で食事をとることは少ない。

一山が起きるときには、すでに蒼は出ているし、夜も、部署が部署なだけ、帰宅時間が遅いことも多く、なかなか被らないためだ。

「学校、どうだ?」

無言でカレーを食べる雰囲気に耐えかね、一山が口を開いた。

「どうって言われても」

 一山は蒼を見るが、蒼は目も合わせない。

「別に、なにごともないです」

「じゃあお前、いつも何してんだよ」

「普通に学校行って、普通に帰ってくるだけですよ。友達もいませんし」

「浮いてないか? 学校で」

 一山が聞いたとき、いきなり蒼が目を合わせて、

「一山さん、親みたいなこと聞きますね」

 と言う。一山はその言葉に図星を突かれた。

「私たちは親子じゃありません。私に家族はもういません。一山さんと私は、相棒です」

そうだ。自分はこの娘の親じゃない。

謎の女が、どんな生活をしているのか気になった。こんなものはただの言い訳に過ぎない。

「そりゃあ、浮くに決まってますよ。警察は仕事だからいいかもしれませんけど、死んだ人間のことをあれこれ聞くのは、良い思いはされないでしょうね」

 確かに、クラスメイトが自殺したなど、当分は思い出したくない記憶になるだろう。

 更に、被害者の妹ともなれば、哀れな目を向けられることも少なくないのだろう。

「それは、すまないな」

「一山さんが謝る必要なんてないですよ。私がやりたくてやってることですし、一山さんにお願いしたのも私ですから」

 そう話す蒼の目には、確かに光があった。蒼の覚悟を、この事件への並々ならぬ思いの片鱗を、一山は見た気がした。

「何とか、犯人を見つけたいよな」

 と呟き、一山は最後の一口を口に入れた。

「絶対に、見つけますよ」

同じく蒼も、最後の一口を口に入れた。

「あとは私がやっときますから、一山さんは寝てていいですよ」

 明日から頑張ってもらわないといけませんから、と言いながら、蒼は自分の皿と、一山の前の皿を片づける。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 と言って、一山は自室に戻った。

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