たからもの

 勇者は華やかな職業と思われるかもしれないが、その実態は一般人が思っているよりももっと過酷で、もっと泥臭く、そしてもっと儲からない。

 歴史に名を残す勇者はいつの時代も一人だが、その裏には幾万の勇者がいるのだ。

 そのほとんどが、明日の飯を食らうためのモンスター討伐で精一杯という状況。

 丸一日掛かって討伐した大型モンスターをパーティ四人で分けたら一日分の食費と宿代で消えてしまう、そんな事は勇者たちの中では常識だった。

 俺もまた、明日食う飯に悩む勇者だ。

 その中でもかなり底辺に位置している。何せ、魔法使いも僧侶も雇う金が無い。一人でモンスターを倒しては換金、また討伐。ボロボロの装備を買い替える金も無い。装備の切れ味は落ちたが、その分腕は少し上がる。辛うじて現状の戦闘力は維持できる。

 それを繰り返しているうちに月日は流れた。

 袋小路。

 もう少し資金があり、もう少し装備を整え、もう少し人を雇えれば。

 世界を救う為に戦える。

 勇者として生きていくと決めた時から、その目標は忘れた事が無い。

 しかし、現実はどうだ。

 自分一人を何とか救う程度だ。



 二つ村を超えた先の山に宝が眠っていると聞いたのは、一週間前の事だった。

 あくまで噂だが、普通の生活を送っていれば一生遊んで暮らせるような財宝が、その山に眠っているらしい。

 今までこの地方にそういった類の噂は無く、何故そんな噂が立つようになったのかわからなかったが、人に話を聞いているうちに何となく見えてきた。

 ここ最近になって、その山でシルバーウルフが目撃されるようになったらしい。

 シルバーウルフは『世界の番犬』という異名を持つ、大型のモンスターだ。その名の通り夜でも煌めく銀色の毛を身に纏い、近づく者を食いちぎる。

 生息数は少なく、魔界の深部で稀に目撃される程度だが、シルバーウルフ居るところには必ず宝が眠っているという事実は誰もが知っている。

 史上最大規模の白金の塊、失われた歴史が綴られた羊皮紙の束、シルバーウルフ討伐の度に、世界を震わせるような発見が飛び交うのだった。

 これはチャンスだと思った。

 何せ俺は、シルバーウルフが持つ属性、特性と相性が完璧なのだ。実力で劣れど、他のどんなモンスターに勝てずとも、シルバーウルフだけには勝てる。俺の唯一の才能なのだ。この才能は使わずに終わると思っていた。

 魔界の最深部になど行けるはずが無かったからだ。シルバーウルフに出会う前に死ぬに決まっていたからだ。

「村二つ分……」

 俺の目標が、俺の夢が、村二つ越えた先にあるのだ。



        ○



 山に足を踏み入れた直後、俺は逃げ出したくなった。二日掛けてはるばるやって来た道のりなど、どうでも良くなった。

 とんでもない場所に来てしまったと、その時ようやく気付いたのだ。

「……」

 思わず呟いた言葉は、死臭の漂う森に消えていった。

 魔法使いのローブが木に引っ掛かり、そこからポタポタと血が垂れている。

 戦士は剣を握ったまま、半身が何処かへ行ってしまっている。

 僧侶は回復魔法を使いすぎて朽ち果てて、勇者は何処にもいなかった。

 ショーウィンドウでしか俺は見たことがない高級な鎧の破片が、そこら中に散らばっていた。

 カラスが鳴いている。

 ぐちゃぐちゃと何かをついばむ音が聞こえてくる。

 脳裏に過ぎる映像を、必死で見ないようにした。

 足は震え、息は今にも止まりそうだ。

 吐き気に耐えながら、俺は一歩、また一歩と獣道を登っていく。

 標高が高くなるにつれて、死体は少なくなっていった。

 足元に血しぶきの跡が残っているので、ここで戦闘はあったのだろう。

 食べられたのか、それとも縄張りの外まで吹き飛ばされたのか――。

 どちらにせよ、歩を進めるにつれて死臭は薄らいでいき、動物の鳴き声もしなくなっていく。

 代わりに、遠くの水のせせらぎや、風にそよぐ葉の擦れる音など、おおよそこの場にふさわしくない清らかな音ばかりが聞こえ、空気も澄んでいくようだった。


 低い、溜息のような、音が聞こえた。


 草木が鬱蒼と生い茂る山道がふと途切れ、巨大な岩がいくつも積み重なった無骨な地形が現れる。

 シルバーウルフは一際大きな岩の上に立ち、こちらを見つめていた。

 今自分がいる場所から岩までの地面は、くっきりと二色に分かれている。

 俺の足元の地面は薄汚れた赤色に、俺とウルフを結んでちょうど真ん中辺りからは青み掛かった白に。まるで定規を使って血液を塗ったかのようだ。

 その、ある意味で一番きれいな場所。この血塗られた地面が途切れる場所。

 そこからがあのシルバーウルフの縄張りなのだと、そこに足を踏み入れた瞬間から、覚悟の時がやって来るのだと容易にわかった。

 心臓ははち切れんばかりに鼓動を早くしている。口の中はぱさぱさに渇き、汗がじっとりと垂れてきた。

 怖い。

 しかし、俺はもう自分の人生に飽き飽きしていた。

 変わりたい。誰かの役に立ちたい。

 今、ここが別れ道だ。

 こんなチャンスは二度と無いのだ。

 シルバーウルフが、俺の手の届く場所にいる。何故かわからない。しかしそれを考える必要はない。

 ただ、前へ。



 血液の道が終わり、俺の足が白い地面を踏んだ瞬間、一迅の風が吹き荒れた。

 周りの木々がざわめいたと思った時にはウルフの牙は俺の喉元にあり、あとコンマ一秒でも飛び退くのが遅かったら俺の頭は胴体から離れていた。

 腹に響く、地獄からの呼び声のような唸り声が辺りを包む。

 何頭もいるのではと錯覚してしまうような速い動きで四方から攻撃を受け、すぐに俺の剣は折れてしまった。

 残るは腰の短刀のみ。

 攻撃を受けているが、力が強すぎてそのまま押しつぶされそうになる。

 もう、そう何度も受けられない。

 必死で攻撃を捌く俺とは別に、頭の中のもう一人の俺が喚いている。

『ほら、ダメだった』

『こんな所来なけりゃよかったんだ』

 弱気の塊を必死に無視して腕を振る。

 まだいける。

 まだこんなもんじゃない。


 しかし、やがて腕が上がらなくなって来る。

 足腰ががくがくと勝手に震え始める。

 シルバーウルフはよだれを垂らしながら、容赦なく襲って来る。

 野生の暴力を余すことなく俺に叩きつけて来る。

 どれだけの数の人間を殺したのか。

 シルバーウルフは守る宝が貴重な程、強くなる統計があるという。

 絶対の優位性が俺にはあるはずなのに、理論上シルバーウルフには必ず勝てるはずなのに、それでもここまで追い詰めるこの魔物の強さは何だ?

 弱気になる。

 本当は勝てないのではないかと、自分を疑いたくなる。

 事実、死にそうだ。

 ここまでの強さだとは思わなかった。

 バキ、と嫌な音が側頭部から響いて、景色が横に吹っ飛ぶ。

 頭蓋が割れてしまったみたいだ。もう終わりか?

「……いや」

 終わるにはまだ早い。

 俺は終わるためにここに来たのではない。

 覚悟はしたか? していたか?

 残っている力を手に込めた。

 倒れた俺を見下ろして、遠吠えをするシルバーウルフを睨みながら、呼吸を整える。

 覚悟の時だ。


 銀色のたてがみをなびかせて、ウルフが一直線に跳んできた。



        ○



 ドクドクと、心臓の音に合わせて頭が波打つのを感じる。

 そのリズムに合わせて割れるような痛みに襲われ、意識が今にも途切れそうだ。

 ぶつ切りの意識の中で、しっかりとした感触がある物が一つ。

 右手の感覚。

 短刀を伝って、シルバーウルフの血が流れて来る感覚。

 急所に正確に刺さった短刀は、ウルフを一撃の下に葬っていた。

 俺に覆いかぶさるように、小さな山のガーディアンは、静かに冷たくなっていった。



        ○



 俺は痛む体に鞭を打ち、岩山を登る。

 シルバーウルフが消えたとなれば、すぐに沢山の人間がこの山に登ってくるだろう。

 宝を求めたハイエナに奪われる前に、なんとしても手に入れなければ。

 残っている時間は少ないだろう。

 俺の後すぐに登り始めた奴がいないとも限らない。

 ここまで来て横取りされては敵わない。

 動くたびに痛む頭、腕、足。

 しかし、ここで諦めては何故ここに来たのかわからない。

 やがて、小さな洞穴を見つけた。

 洞穴の中には、銀色の毛が何本も落ちている。

「ここだ……」

 穴の中はひんやりとしていた。

 入口こそ狭かったが、奥にぽっかりと空いた広場があり、その壁に一つだけ穴が空いていた。

 その穴には、乾いた草がふわりと詰められている。

 ――シルバーウルフの堀った穴だ。

 俺は痛みを忘れてその穴に駆け寄った。

 間違いない。枯草の中に、まだ青々とした葉っぱも見て取れる。

 今日まであのウルフが使っていた穴に違いない。

 一体どんな宝があるのだ。

 草を掻き分けて、穴の中を探る。


 そしてとうとう草をすべて出し終えた。

 俺の目の前に、シルバーウルフが守っていた宝が現れる。

「…………」



 小さな銀色の犬と、それを抱えて笑う少女の、ボロボロの写真がそこにあった。

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