音痴なあいつ
『もうすぐ着く』
幼馴染のミチカからメッセージが届いた。俺はそれを見て溜息を吐く。
ミチカが料理を勉強すると言い始めたのは先週の事だった。
彼女の料理の腕は壊滅的で、モヤシ炒めを作ろうとしたらフライパンを強く振り過ぎて何も無くなったほどである。火力が強すぎてそうなったらしいが、俺の知っている家庭にはそんな火力のコンロは無いので慰めようがなかった。
それ以来料理の道を諦めていた彼女が、どうしてまた料理を始めようと思ったのか。
「私って方向音痴じゃん?」
料理と全く関係のない出だしに大いに辟易した。確かにミチカは地図を逆さまに持ったまま三時間町田を彷徨うような奴ではあるが、それが料理とどう関係があるというのか。
「私っていつか山で遭難すると思うのよ」
「いや、山なんて絶対行くなよ」
「馬鹿だねソウタくん。私が山に行きたくなくてもいつの間にか山を登っている。それくらいの事は起こるに決まってるでしょう。まったく想像力が足りないね」
何を誇らしげに語っているのだろうか。自分の方向音痴によほど自信があるのか知らないが、自慢できる代物ではない。
「そこで遭難するでしょ? で、上も下もわからずにテントを張ってビバークすることになるわけよ。少なくなる燃料、心細い夜。もうダメかと思った私を支えてくれるのは温かくて美味しいスープなわけよ。だから美味しくて温かいスープが無いと私は死んじゃうわけよ。ここまでわかる?」
「出だしからわからん」
そもそもテントに燃料に、山を登る気満々ではないか。いつの間にか登っている時の装備でないだろう。
しかし俺の疑問など全却下してミチカはそのまま続ける。
「でも今の私だと作るスープは吐きそうな程に不味いでしょ? そんなのを吹雪の山のテントの中で食べてみなさいよ。もう私の死は確定」
「いや、そこは我慢して飲めよ」
「ソウタ君は私の料理の不味さを知らない」
「何でそんな得意げなんだよ」
「伸びしろしかないからよ」
ミチカは他にも壊滅的なセンスをいくつも持ち合わせているが、全てをポジティブシンキングで包み込みクローゼットに押し込む癖がある。俺から見ると包み込めていないしクローゼットは今にも爆発しそうに思えるが、彼女はその扉を片足で押さえながら幸せそうに生きている。実に豪快な生き方だ。その豪快で奔放な振舞いのとばっちりを受けるのはいつも俺である。この時も結局、俺の家で料理の練習をする事に決まった。一人でミチカに料理なんてさせられないからだ。
俺はもう一度『もうすぐ着く』というメッセージを見て溜息を吐いた。
既に約束の時間からは二時間が経過している。俺はせめてものスパイスにと極限まで空腹状態になっている。早くしないとアイツが遭難する前に俺が餓死する。
もうすぐ着くというメッセージに騙されて、あと十五分だけ、と。その繰り返しの結果このざまだ。まさか近所の俺の家にも辿り着けないとは思わなかった。
俺は電話を掛ける事にした。コール音を待たずにミチカが出る。
『もしもし?』
「もう迎えに行くわ」
『え、もうすぐ着くよ?』
「そう言って二時間じゃねぇか! 周りに何が見えるか写真送れ!」
『え~。心配性だなソウタ君は』
通話が終わり、すぐに画像が送られてくる。
そこには綺麗な青空が映っており、足元には雲海が広がっていた。
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