迷宮での一生

 気が付くと俺は迷宮にいた。

 きっちりと積み上げられた大岩の壁が何処までも続いている。通路の幅は車一台が通れるほどで、天井はジャンプすれば手が届くほど低い。

 一体どうしてこんなところにいるのか。

 痛む頭を引きずりながら手当たり次第に彷徨うが、何処もかしこも岩の壁。松明で照らされた薄暗い通路に、目印になりそうなものは無い。

 確か、Z社の情報を持ち帰る途中だったはずだ。

 役人に賄賂を渡して、新都市構想のビル建築権利とインフラシステムの受注を不正に獲得していた大事な証拠だ。

 ……鞄!

 辺りを見渡したが、それらしきものは落ちていない。それどころか、スーツのポケットに入っていたはずのメモや財布やら全てが無くなっていた。

 ここに俺を閉じ込めた何者かに奪われたのだろうか。

 しかしほとんどの証拠は記憶しているしバックアップも取っている。Z社を出る前にクラウドへ送ったデータを本社で解凍すればいい話だ。その為のパスワードを忘れるはずがない。

 しかし、何故こんな遺跡のような場所に俺を閉じ込めたのだろうか。もっと簡素な牢屋やら監禁部屋やらZ社ならいくらでも作れるだろう。

 迷宮は想像よりもはるかに広く、いつまで経っても端が見えなかった。それに上下へと続く階段もいくつか発見した。どれほどの大きさなのか想像もつかない。

 食料は? 水は? 時間もわからない。段々と不安になって来た。しかし歩くしかない。


 所々、人が居た気配があった。

 至るところに小さな部屋があり、毛布やら焚火をした跡やらが残っている。ぼろきれと炭で迷宮の地図を作りながら、ひたすら出口を探した。食料も選ばないならいくらでもおある。最初はカビたパンを口にするのは憚られたが、すぐに気にならなくなった。

 何となくわかって来た。ここはおそらく、ゴミ捨て場のようなところなのだ。

 ゴミではなく、政敵やいらない人間を始末する掃き溜め。世界各地に支社があるZ社にとっては、危険因子が一ヵ所にまとまっていた方がいいのかもしれない。世界各国に火種があると、管理も大変なのだろう。

 しかしそうすると他にもわからないことが出てくる。

 どうして俺を生かしているのか、という事だ。

 こんな事をせずに殺す方が遙かに楽なのではないだろうか。迷宮を脱出されればリスクは復活するし、こんなぼろきれや粗末な食料とはいえコストは掛かっているだろう。廃棄物の処理として見ればむしろプラスなのか? 仕組みはよくわからなかった。

 彷徨ってから長い月日が経った。少なくとも二ヵ月、三ヵ月はこの迷宮を彷徨っている気がする。食料、ボロ布、燃えカス。探索してもそれ以外のものは見つからない。

 単調な毎日と昼夜問わずうすぼんやりとした松明の光。

 正確な時間感覚などあるはずも無かった。


 変化が訪れたのは更に幾月かの時間が経ってからだった。

「……だぁれ?」

 小部屋に、小柄な少女が一人、毛布に包まっていた。

「この迷宮から出たい。出口を探してる」

「……そう。ごめんなさい。私もわからないわ」

「君もここに閉じ込められたのか?」

「さぁ……」

 少女は伏し目がちに毛布を首元まで引き上げた。

「私はずっとここに居るから」


        ○


 少女の名前はミーサと言った。

 物心ついた時からこの迷宮で暮らしているという。母はだいぶ前に力尽き、墓は三つ下の階層の何処かにあるという事だった。

「何となく、上を目指せばいいのかなって」

 手がかりも何も無く、正解も無い。しかし、ミーサは母の教えに従って迷宮を探索していた。その場に留まる事だけはしてはいけない、と母に言われたからだという。留まる事が死なのだと。

「君のお母さんもZ……誰かに閉じ込められたのか?」

 ミーサは首を振る。

「ここは、時空の狭間みたいなところだって。運悪くクレバスにはまった人がここに来るって言ってた」

 その答えを聞いて、驚き半分、納得半分、といった感じだった。

 薄々、Z社の大規模施設という説も辻褄が合わないと思っていた所だった。いくら何でも広すぎるし、供給元も未知すぎる。何か得体の知れない人智を超えた場所と言われても頷いてしまう何かがあるのだ。非現実的というか、夢の中に迷い込んでしまったような、そんな感覚だ。

 その感覚は正しいのかもしれない。時空のクレバス、か。

「どれくらいそうしているんだ?」

「わからない。一年で一歳増えるっていうのは知っているけれど、一年がわからない」

 見たところ、まだ十代のように見えた。二十代かもしれない。日の光が当たらない環境で生きてきた人間を俺は到底見積もれない。ミーサはゾッとするほど華奢だった。

「俺は出口を探している。君と協力出来る事もあるはずだ」

 気づけばそんな事を言っていた。

 ガラス細工のような彼女を見て心配で放っておけなかった、というのが理由だが、本質は違うのかもしれない。

 俺もまた、疲弊していたのだ。

 一人で彷徨い続ける事にもううんざりしていた。

 どんな形でもいい。人のそばにいたかった。

 出会ってすぐの男にそんな事を言われたら、普通の女性なら警戒するだろう。

 しかし、ミーサは全く無垢な態度で俺を受け入れた。母以外の人間を知らない人間はかくも純粋に育つものなのかと、申し入れた俺がしり込みするほどだった。

「嬉しい」

 笑った顔は、迷宮に閉じ込められた境遇など全く知らないような幸せそうな笑顔だった。眩しいと思った瞬間、この子を守らなければ、と思った。

 初めは、娘のような感覚だった。しかし、一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、彼女の方が大人びているように感じた。

 おそらくそれは、彼女に不安が無いせいだったのではないか。

 俺は違う。一生出られないのではないか、元の世界では俺を待っている人はもういないのではないか。たびたび不安でどうしようもなく叫びだしたい夜があった。

 そんな時、ミーサは優しく俺に寄り添ってくれた。母から教えてもらったという歌は、俺の震えを和らげる優しい響きをしていた。ミーサの無知は間違いなく彼女の長所だった。穢れなき慈愛の中で俺はいつしか、彼女を異性として好きになっていった。


 男女の仲になったのはいつの事だろうか。

 それすらも思い出せないほど年月が経った。子供は出来なかったが、それは良い事だったのかもしれない。若い頃は子供が欲しかったが、今となってはこんな場所で生きていくことを強いるのはあまりに自分勝手だったと反省している。

 ミーサは年をとっても変わらず無垢で綺麗だった。いつまで経ってもふとした瞬間にあどけなさを感じるのは、いつまでも彼女が子供のように純粋だからだろう。

 喧嘩は一度もしなかった。するはずが無い。

 俺もミーサも、相手の事ばかりを考えていたのだから。

 そうやって、皺の数を増やして来た旅だった。

「ジャックはまだ外に出たいと思ってる?」

 いつものように焚火を囲んで、毛布に二人包まりながら話す。

「……どうだろうな。もうよくわからないよ」

 ミーサの手を擦る。

 もう俺が元の世界に戻ったところで、誰も覚えていないのではないか。

 会社だってとっくにクビになっているだろうし、家ももう誰かに貸されているだろう。もう老人と言っていい歳になって、今更新しい事を始めたいわけでもない。

「昔は出たかったが……今はミーサが居れば、何でもいいな……」

「……外では何をやってたの?」

 これも若い頃は良く聞かれた質問だった。今更秘密にすることもないだろう。

「俺は昔、D社というシステム会社の社員でな――」


        ○


「ターゲット、話始めました」

「そうか。記録をよろしくな。漏れなく」

「はい。録音、録画、リアルタイムでのAIによる文字起こし、それに同時通訳での多言語記録。全て抜かりなく」

「今回はどれくらい掛かった」

「約一時間掛かりました」

「一時間……! それは長いな。今までで最長ではないか?」

「そうですね。仮想空間内では五十八年経っています」

「それだけ口が堅かった、という事か」

 Z社VRシステム部尋問課課長は、缶コーヒーを飲みながら苦笑いした。さすがD社だ。教育が行き届いている。

 モニターを見ると、捕らえた男の理想的な姿となったAIアバターが男と仲睦まじく抱き合っているのが映っていた。愛の囁きと共に、D社の情報が暴露されていく。彼の中では遙か昔の事でも、自分たちにとっては今まさに欲しい情報だ。

 テキスト化されていくデータを見ながら、課長は興奮が押さえられなかった。

 これは業界がひっくり返るぞ……。

「しかし、凄いですね。このシステムは今の副社長が考えたんでしょう? 普通に尋問や拷問するよりもよっぽど効率がいい」

「ああ。このシステムを作ったから一気に副社長まで昇進したんだ。化け物だよ、あの人は」

 Z社はVR部門の技術をほとんど牛耳っている。そして、他の会社を悉く潰し、VR技術事態を世界的に発展させないよう阻止している。

 その理由がこのシステムだ。

 仮想現実の中に閉じ込めて、適度な孤独と飢えを与えるこのダンジョンシステム。

 渇き切ったところで理想の恋人をあてがう事で、閉じ込められた人間はいつしかそこで一生を終える事を望むようになる。抱えていた秘密を理想のアバターに共有するのはいつでも構わない。ここに閉じ込めた瞬間、彼らの寿命は二時間も無いのだから。

 こんな技術、他の企業に持たれたら大変だ。

「もうすぐこの男も死にますね。可哀想に」

「何が可哀想なもんか。ここに閉じ込められた奴らはみんな幸せそうに死んでいくじゃないか」

 システム管理者冥利に尽きるよ、と課長は部下の背中を叩いた。

 画面の中では、男が微笑みを湛えている。

 まるで世界の中心は目の前の彼女だとでも言うように。

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