創作論って何?

矢田川怪狸

第1話

たまにはエッセイ的なものも書かないと腕が鈍るので、ごくごく簡単に“創作論で沸き立つ方々”に関する私見などを書いてみようかと思います。

世間【ネット】では定期的に「創作論がー」みたいな話題で盛り上がるけれど、ここでこの小さな一石を投じたくらいではそういった大波に何ら影響はないだろうと、それを知った上での単なる放言につき、稚拙な点はご容赦を。

ほんと、単なる私見ですってば。


みていると、およそのネット上での“創作論論争”には被害者がいるものだ。

つまり「創作論を押し付けられた可哀想な誰か」という被害者ヅラした誰かが。

ちなみに僕は「創作論押し付けられたー」と罵られることの多い、つまりは加害者側の人間だ。


ここで「あ、察し」と思った方は即ブラバしておけ。

これは創作論論争加害者による自己弁護のためのエッセイだ。




ブラバしなかった方、ありがとうございますありがとうございます。

こんな一桁アクセス確定の駄文に付き合ってくださるなんてマジ五体投地。

そんな優しい方のためだけに“創作論”についてちょっと説明しますね。


そもそも“創作論”ってめちゃくちゃ裾野の広い言葉なんです。

例えば新井一式や三幕構成のようにきちんとメソッド化したものは、そりゃあ歴とした“創作論”の看板を立ててもいいでしょう。

ここは創作論否定論者の人も納得するはず。


じゃあ、作家が“私の創作作法”みたいなエッセイを書いたら、これはなんて呼ぶのか。

もちろん、これも創作論と呼んでいいんです。


僕の本棚には現在、シド・フィールドが三冊と新井一のシナリオの書き方と、井上ひさしの何やらとスティーブン・キングのそれやらと手塚治虫の漫画の書き方と、種々雑多な“創作論”本が並んでいます。

何冊かは完全なるメソッド、数値化と体系化によって構築された“お勉強の”本です。

何冊かは完全なるエッセイ、僕の書き方公開しちゃいますみたいな本。

その中間もあります。僕はこう書いています、そのためにはこういう思考が必要です、さあ書いてみましょうみたいな本。

これ、いっちゃえば全部が“創作論”。


だけど、これを全部一緒くたにして一括りにして“創作論”という扱いにしちゃうから、ネットで議論が盛り上がっちゃうんです。

あ、ちなみにそういう議論も大枠で“創作論”。


わかりやすいようにお料理の本で例えましょうか。

僕の本棚にはスーパーで配っているお料理カードからプロが見るようなお料理事典まで、種々雑多な料理本が揃っています。


料理の本は、創作なんていう数値化の難しいジャンルとは違って、エッセイかそうでないかの差は歴然ですよね。

料理の作り方がどのくらい詳しく載っているか見ればいいんだから。

料理人のエッセイなんかも含めたら、全く料理の作り方には触れない本もいっぱいあるでしょ?

だけど、どれもテーマは「料理」。


これらを全部まとめて“料理論”と呼んでしまっていいか、といったら、もちろんいいに決まっている。

だって、料理について調べたり、実際に試作したりといった経験をもとに意見や見解をまとめて、それを系統立てたものなんだから、“論”でしょ?

レシピという形に落としこまれているから別物に見えるだけで、料理本の本質って創作論に近しいんです。


例えばそう、100人シェフがいたら100通りのレシピがあるところとか。

豚汁のレシピを例にとってみましょうか。

レシピを検索すればすぐにわかると思うんですが、例えば材料の切り方一つとっても、一口大に切るかイチョウに切るかすらレシピによって違う。

具材も、豚汁だから豚肉は必須としても、こんにゃくを入れるか入れないか、芋類は何を使うか、味噌は何味噌にするか、実にバリエーション豊か。

さらにはバターを入れたり、洋風に仕上げたりといったアレンジレシピまであったりして。


“絶対的にこれが豚汁の正解!”というレシピはこの世に存在しないんです。

“これが豚汁のスタンダード”ってのはあるけどね。


せっかくなので僕の家の豚汁のレシピも載せてみますね。

これ、冷蔵庫内みてぱぱっと作れるレシピ。


◎材料(最低限)

 豚肉 根っこの野菜2種 芋類1種 こんにゃくもしくは豆腐 ネギ類1種

 水→具材の総重量の2倍程度

 味噌→水の重量の4.8パーセントを基準に味を見て調整

◎作り方

 具材は全て水から煮る。材料が柔らかくなったら味噌を入れて味を整えて完成


どうです?

一般的なレシピの書式としては“不正解”なんじゃないですかね?

何が何グラムとか、材料はこれを用意してとか、そういうの一切ない。

だけどこれが“料理としては不正解”と言えるでしょうか?

だってこのレシピ、間違い無く美味しい豚汁ができますよ?

そういう意味でいうと“料理論”としては不正解とは言い切れないんじゃないですかね?


創作論も同じ、絶対的な正解もない代わりに不正解はないんです。

ただ、個人的な正解不正解はあって当然だと思います。

レシピで言うと、僕個人は“キャラ弁のレシピ”なんかに不正解を多く感じます。

これはまあ、僕個人がこねくり回した飯っていうのが好きじゃないからなんですが。

例えばかまぼこをナスの漬物の汁で染めたり、冷蔵設備のない場所に置いておくのに生野菜使ったり、これ、僕個人としてはNGなんです。

だけど、それって僕個人の判断基準であって他の人も同じ判断基準とは限らない、これだけは絶対的な正解。


さらに、“料理論”という形ならば、一般の主婦からシェフまで、誰が何を発言しても自由だというのも“創作論”に似ているんですよ。

よく創作ロンガー(もうこの呼び方でいいでしょ)は「素人の創作論など云々」という嘲罵を吐き散らしますが、これ、「素人の作った料理など語るに値せず!」みたいな……カーチャンの料理を罵ってるのとおんなじですよね。


確かに有名なシェフや料理研究家が書いたレシピが本になって売れるのは当然。

それこそがネームバリューってやつですよ。

じゃあ、全く無名なおばちゃんのレシピに価値がないかといえばさにあらず、例えば隣のお家のめっちゃ料理上手なおばちゃんの“同じルウを使っているのになんで! 極上とろけるシチュー”なんてレシピがあったら欲しくないですか?

僕は欲しい!


つまり、相手が有名か無名かって、自分にとって有益か無益かってことにあんまり関係ないんです。

ネットが発達した今日では特に。


どの分野にも在野の研究者というものがいて、ありがたいことにそういう人がnoteやどこかのサイトなんかに自分の“論”を書いたものがそこらじゅうにゴロゴロしている、それが今時なんですよ。

もちろん料理にも創作にもそういう在野の研究者はいて、そういう“論”を見つけ出し、見極め、そして活用できるかどうかって、実は受動側の能力に依存するところが大きいんです。


ロンガー(さらに縮まった)の方達は、実は受動側の“ふり”をしただけの非受動人間なので、あまり相手にする価値はありません。

本来受動側に求められるのは“目の前にある情報を多角的に精査し自分に有益か無益かを判断する能力”であるはずです。

ところがロンガーの方はそういう能力を持たず、“創作論”という大きな括りにクソ味噌一緒にぶち込んで「ロンガー!」と喚くしか能のない、なんというか【自粛】です。


これは創作という行為が知的財産を生み出す行為であるという、ちょっと頭良さげな行為だからこその弊害ではないでしょうか。

多くを見ていると、ロンガーの人の方が“創作論とは読めば必ず面白い物語が書ける万能のものであるべし”みたいな、おかしなゾーンに入っている。


それに対して在野の研究者たちは、自分の持つ創作知識が“万人に対して万能”ではないことを知っている。

だからこそ貪欲に新たな知識を、そして新たな手法を模索するわけです。


そうですね、ここで料理本に例えた効果が発揮される……

料理というのは知識だけでは成立しませんよね。

新しいレシピを知ったらとりあえずレシピ通りに作って試食してみる。

実際に包丁を握って、食材を切ってするわけです。

その時に思った以上に食材が硬いとか、レシピ通りに火が通らないとか、そういう知識と実作業の誤差ってのがいくらでも出てくる。

創作も同じですよね、理論だけ知っていても実際に手を動かしてみると技術不足を痛感するなんてことはいくらでもある。


だからより深い知識を求めるのか、それとも「だから料理なんて!」と文句を言うのか、その違いですね。

実に些細な違いだが、たどり着くところの差は大きい。


詰まるところ何が言いたいかというとですね、あなたが創作に関して一家言ある“在野の研究者”ならば、ロンガーの相手はおやめなさいということです。

あれは本来ならば「このレシピは美味しくなかった」といえばいいだけのところを「これだから料理論ってやつは!」と主語を大きくして自己弁護しているだけの卑怯者です。


さらにいうならば、あなたの“創作論”は恐れず、広くに発信しなさい。

“創作者の体験談”というものは、それだけで同じく創作の道を志す者の道標となるものです。

もちろん相手の判断基準により良きものとなることもあれば悪きものとなることもありますが……少なくとも“不正解”ではない、絶対に、胸を張って。

ただし、ロンガーの相手をしてやる必要はない。


そしてあなたが在野の研究者なら…‥‥その知識、まとめてください。

創作とは芸術分野であるみたいな側面があって、だからこそ曖昧な“創作論”などという言葉が横行するわけだが、実は映画理論なんかは“数値化”できるものをもとにカリキュラム化されている……みたいな言葉にピンと来た方はぜひまとめを。

僕はまだ修行中の身ゆえ、必ず読みに行きますから。


ロンガーの相手をするくらいならば僕みたいな新しい知識を求めている人に新しい知識を与えてくださいよ、という、こんかいはそういう話でした。


アデュー

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