第4話 貰い物

 ──ああ、やってくれたな。


 誰だ。


 誰だ!!!! 




 ☆




 雲の隙間から漏れる月光。それも、地面へと届く頃には木々によって多くが遮られる。綾樫村に隣接する山の麓には、濃い闇の気配が充満していた。


「──来たかッ」


 木々が開けた場所に座していた小太りの男は、歓喜と共に立ち上がった。髭に覆われた口元は歪み、目元の皺と共に眼光が鋭く光る。


「存外、遅かったな。分かりやすく足跡は残したつもりだったが?」


 男の目線の先、一際高い木々の先端には人影が立っている。そしてその頭上には、普通の人間には無い筈の二つの影があった。


「先に問い質しておくべきだと思ったのでな。阿保が何人居るのか」


「心配せずともこれはオレだけの企みだ。貴様と同じく、元よりここに長く住み着いている腰抜け共にこんな真似は出来ん」


「こんな真似か……自覚はあるようじゃな。ならさっさと去ね。今なら、二度とワシの視界に入らんと誓えば許してやる」


「ははッ。おいおい、気にはならんのか? あの人間をどうしたか」


 女が家へと戻った時、そこに居るはずの咲吉は居なかった。加えて、破壊された家屋の一部分。そして残された足跡が、事態を端的に示していた。


 男は煽るように笑い、大仰に身体を動かす。


「──食ってやったよ! 人間を丸ごと食うのなんて、いつ振りだったか! 骨を噛み砕きッ! 汁を啜りッ! 肉を味わうッ! ……喜べ。お前が気に入っていた人間は、美味かったぞ!」


 続け様に哄笑する男に対し、女は眉一つ動かさなかった。


「阿呆。そこに居るではないか」


 女が指したのは、男の遥か後方にある小さな穴倉だった。男の笑いが止まる。


「……何を」


「隠したつもりじゃろうが、こんなもん隠すに入らん。しかしお粗末な結界じゃのう。そもそもあやつの気配を隠しきれておらんし、これでは何かあると知らせてるようなモノじゃ」


「……」


「隠し事が下手どころか、化かし《嘘》も下手とは。……アイデンティティの欠片も無く、沽券に関わる話とは思わんか? のお、狸よ」


「──殺すッ」


 呼応するように、男のシルエットが形を変える。通常の人間から、その三倍近くへと膨れ上がる。


 厚い脂肪の詰まった腹に全身に生え揃った獣毛。そして顔面にまで及ぶ数々の古傷。


 男はあっという間に人外──化け狸へと変化を遂げた。


「ハアァッ……! 確かに、長く生きれば口は達者になるらしいなッ……だが、それだけだ! あの人間を殺さなかったのは、殺さずに残しておいた方が面白くなると! 思い至ったオレの気まぐれ! 運が良かっただけに過ぎん!」


「……」


「その時点で、お前はオレの遥か後手よ! 口だけでは──」


「ふ」


「ッ! 何を……」


「いやいや、お主があやつを殺そうとしとったら、どんな「不運」が訪れておったか……と。想像しとっただけじゃ。運が良かったの。滑稽な狸よ」


「──戯言を! 戯言をッ! 戯言をッッ!! 貴様のような者はそればかりだ! 薄っぺらな虚勢だけで驕り高ぶり、何よりも尊ぶべきを持たん! 相手を叩き伏せた先にこそ愉悦はあるのだ! その化けの皮、オレが剥いでくれよう!」


 力強く跳ねるように、化け狸は踏み出し女の元へと向かう。そして、数瞬の間にその剛腕が振るわれ、女の影ごと木を叩き折った。


「ははッ! やはり、口程にも……ッ!」


「何よりも尊ぶべき力、か。化け狸の癖にやけに古臭いと言うべきか、化け物らしいと言うべきか」


 後方から届く女の声。それは女の無事を知らせると同時に、化け狸の背を冷たく撫でる。


 避けられた。それどころか、避けられたに気付きもしなかった、と。


「望み通り……尊んでやろう。力をな」


「なッ」


 化け狸と同じく、しかしより速く女は迫る。場にそぐわないジャージを纏ったしなやかな脚が化け狸の腹にめり込み、その身体を吹き飛ばす。


「ガアッ! お、おのれ……ッ」


「まだまだ」


「ぬうッ! おおおおッ!」


 吹き飛ばした先へと追随し、目の前に立つ女に対し、化け狸はその剛腕を併せ叩きつける。地面が砕け、その衝撃が音となって響く。 


 ──剛腕は、女の片腕によって防がれていた。化け狸は目を見開く。


「有り得ん……」


「化かされた、とでも言うつもりか? ほれ、飛んでゆけ」


 直上へと振り抜かれた脚が、呆けた化け狸の腹へと再びめり込み、その身体を空へと舞い上がらせる。


「有り、得ん」


 化け狸は宙を昇りながらも認められずにいた。


「人の姿に、留まりながら、オレ以上の膂力を……」


 自らのように変化せずに、自らを圧倒する女の力を。


「やはり、殴ったり蹴ったりするのは疲れる。もう終わりでいいじゃろ」


 宙へと昇り切った化け狸に対し、再び木の先端へと立った女は、虫を払うように立てた二本の指を振った。


 瞬間、闇を雷光が切り裂く。


 発光。明滅。轟音。幾多もの閃光が落下する化け狸を貫き、その身体を爆散させていく。


「ふ、ふふ──ははははははははは!」


 次々とシルエットの欠けていく化け狸の耳に、甲高い狐の笑い声が響いていた。





 ☆




 地面へと堕ちた化け狸の姿は、最早原型を留めていなかった。辛うじて残った身体を使い、這いずる先には女が居る。


「何故、だ」


「ん?」


「何故、それほどの力を持ちながら……戦わない、殺さない、蹂躙しない……」


「最後までの阿保じゃのう。そんなもん──飽いたからに決まっとる」


「……あ?」


「ワシにも力任せに暴れとった頃はあるがな。だが百年、千年とやっとると流石にもうつまらんわ。今も、せめて形でもと笑ってみたはいいものの、特に変わらんかったな」


 今まさに力尽きる。そんな化け狸に、一つの閃きが生まれた。


 この女の正体。自らを容易く蹂躙し、途方も無く長い年月を生き、雷光を扱う。


 いつか、見た事がある。その名前を。


「もしや、お前は、ア──」


 言葉は最後まで紡がれず、再び火花が散った。化け狸はチリとなり、空へと溶けていく。


「その名でを呼ぶな。不愉快だ」


 既に、女の意識は化け狸へと向いては居なかった。軽やかに、風のように。目的の場所へと降り立つ。


「おーい、無事か咲吉……寝とる」


 穴倉の奥にて、抱え込むように丸まった状態で眠る咲吉に、女は笑みを漏らす。


「このまま布団に放り込めば、珍妙な夢とでも思うか?」


 軽い荷物を持つかのように、女はその体を抱え、宙へと跳んだ。


「ムギ姉……」


「む……寝言か。しかし改めて、ムギとは安直な名じゃ。とはいえ」


 遥か遠くに浮かぶ星々を、まるで足蹴にするかのように狐は空を流れていく。


「初めての貰い物に、ケチをつける気は無いがな」




 ☆




『ワシの事はお姉さんと呼ぶが良い。良いか? お姉さんじゃぞ?』


『名前は?』


『あー……名前は呼ばんでいい。ワシの名前はな、口にすると不運を運んでくる。新しく名前を作ってもダメなんじゃ。どうだ? 恐ろしいか?』


『……ムギ』


『へ?』


『コムギ色だから、ムギ。ムギお姉さんでムギ姉』


『なっ……お主、聞いとったか!? 名を呼ぶな、作るなと──』


『大丈夫だよ。だって僕、元々運が悪いんだもん。お母さんとお父さんからもたまに言われるし』


『は……成程、成程っ! そういう事か! 微かに感じていた違和はそれかっ!』


『?』


『いや、こちらの話だ。……なあ、もう一度、呼んでみてくれんか? そして教えてくれ、お主の名を』


『僕は咲吉だよ、ムギ姉』


『──咲吉。きっといつかお主を、人の世は受け止めきれんくなる。そうなったのなら、ここに来い。さすればワシはそこに居る。たとえ人がお主を捨てようと、ワシならお主と生きられる』




 ☆





 そしてお主なら、ワシと共に生きられる。

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子供の頃に田舎で出会った狐耳の年寄り口調のお姉さんと再会してなんやかんやするヤツ ジョク・カノサ @jokukanosa

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