骨はどこに消えたかを探す老神官の話

ギア

骨はどこに消えたかを探す老神官の話

「準備が整いました。おいでください」

 下位神官が私室の入り口から緊張した声で私に告げた。私は書斎机に準備しておいた一抱えもある聖典リブラムを小脇に抱えるとその若い神官のあとにゆっくりとついていった。長年のあいだ使い込まれた聖典リブラムは手に触れる部分の装飾が摩耗し滑らかになっている。その感触が私を落ち着かせる。

「少し歩きます。お持ちいたしましょうか」

 気を遣ってか、下位神官が私の聖典リブラムに手を伸ばした。私はその言葉に、否定と呆れの意味を両方込めて首を振った。

「かまわんでくれ」

 聖典リブラムは巡礼者の長い旅の妨げにならないように、そして私のように経験を重ねた老齢の神官でも労苦なく取り回せるように、より軽い材質の紙を使ったり塗料をより薄く塗布したりと工夫がこらされてきたことで、かなり軽量なものだ。

 自身で聖典リブラムを持ち上げたこともない者が神官を務められる世になったか、と私は首を振った。帝国はいたずらに版図を拡大し過ぎたのかもしれない。時間をかけてきちんとあるべき教育と布教を進めるべきだ。もっとも古くから帝国の一部となっているはずのこの地ですらこの有様だ。

 今回の盗難事件もその信心希薄化の現れの一つなのかもしれない。

「何が盗まれたのか、知っているかね」

 私のその問いかけに若い神官は振り向きつつ戸惑い気味に答えた。

「骨だと聞いています」

 曖昧な回答に私はまた首を振った。間違いではない。だが試験であれば落第だろう。

 盗まれたのは神殿の大展示室に安置されていた穢聖遺物フォルンレリックだ。正しくは帝国創始者が千年前に征伐したというこの地の異教神の骨とされているもの。人の姿を借りて異教徒をそそのかし、帝国に反旗を翻させたというその邪竜の四肢の一つから抜かれ、その復活を封じるべく堅固な聖呪文に帯びた神殿に保管されていた。そののちに帝国の威光を示すために人の目に触れるよう大展示室に置かれるようになった、という経緯がある。ただの骨などではないのだ。

 神殿の神官ですらこの程度の認識では、どれだけの畏れが期待できただろうか。その内に秘めた膨大な魔力から術式の触媒としての計り知れない価値があるということも知られていないに違いない。盗まれるなどということは誰も想像もしていなかったはずだ。

 もっとも数年前から新たに着任した神殿の大司長グランドビショップが帝国中央からの命令の名のもとに大幅な費用削減を行ったことで、個々の展示物の聖壁呪文プロテクションは無駄と判断されて撤廃されている。盗むだけであればそれほど難しくはない状況ではあった。神殿全体への聖壁呪文プロテクションは今も強固だが、それは大司長グランドビショップが自らの安全のために惜しみなく金を費やしているという噂だ。おそらく事実だろう。あと数年で引退を控え、ほぼ隠居状態であった私が駆り出されたのも外部から専門の職を呼ぶ費用を節約するためなのは間違いない。

 加えて、今回の件を大事おおごとにしたくないという大司教グランドビショップの保身も透けて見える。あと少しで任期も終わりというところで大きな不祥事を起こしたくないだろう。私は三度、首を振った。まるでそれによって神殿に染み付いた世俗の垢が多少でも落ちないかと期待するかのように。


 神殿の中央に位置する大礼拝堂は、週末の礼拝日以外は市井の人々に開放されている。遥か頭上の天蓋には帝国創始者がこの地の邪竜を退治した物語がきめ細かな金属細工で表現されており、その周囲を聖壁呪文プロテクションを兼ねた祈りの言葉が美しい模様を描いている。正面には多様な色を複雑に組み合わせた巨大なガラス細工の壁が外からの光を取り入れ、礼拝堂を彩っている。

 この地の観光名所の一つとして名高いだけあり、そこに集められた人々の中には旅装束の者もいた。それ以外は祈りに来たこの町の住人などだろう。全員合わせて十人かそこら。女性や老人もおり、身ぐるみを剥いで調べるというわけにもいかないことは分かった。あとは可能な限りことを荒立てたくない大司教グランドビショップの意向か。

 外へと通じる大扉は数人がかりで開けるもので今は閉じられていた。前に立つ警備兵たちに扉を開くよう命じる。緊張の面持ちだった彼らはその言葉にようやく体を動かせる安堵からか軽い笑みを浮かべつつ頷いた。

 扉が低い音を立てつつ開かれる中、今度は下位神官に命じてその場の人々を一列に礼拝堂に並んだ長椅子のあいだ、中央通路に並ばせる。次に何が始まるのかが分からず不安の表情を浮かべる人々に私は聖典リブラムを掲げつつ声をかけた。

「これより真偽鑑定の儀ファクタフィクションを行います。私の簡単な質問にお答えいただき、問題なしと判断されれば、このままお帰りいただくことができます」

 帰れると知って安心する者もいれば、具体的に何が待っているのかを疑問に思い不安げな表情を崩さぬ者もいた。しかし私はこれ以上説明に時間をかけるつもりもなかった。さっそく列の先頭にいた男性を近くに来るよう呼び寄せる。

 私は聖典リブラムを片腕に抱きかかえるようして表紙を上に向けた。煌びやかな装飾が彩っていたであろうその表紙の中央は滑らかに擦り切れている。

聖典リブラムに両手を重ねて置きなさい」

 ほんの少しのためらいののち、男性はそこに手を置いた。距離をとったままでも鑑定をできなくはなかったが、触れてもらったほうが消耗をおさえられる。数をこなさないといけない今日のような場合はこの形が望ましい。

「あなたはこの神殿から何かを持ち去ろうとしていますか」

 私は相手の目を見ながらゆっくりと尋ねた。

「いいえ、決してそのようなことはありません」

 私の問いに男性は怯えつつもはっきりと答えた瞬間、聖典リブラムは穏やかな淡い光を放った。弾かれたように手を引いた男性に、私は安心するようにと手を振った。

「あなたの潔白は創造神の名の元に証明されました。お帰りください」


 そして半分ほどの人間が入り口から無事に立ち去った。私は空いている左手で額の汗を拭った。初歩的な聖呪文とはいえこうも休みなしに続けたことは久しくない。それに軽いとはいえ片手で支え続けるには聖典リブラムは大きすぎた。待たされる人たちからは不満の声が上がるかもしれないが、次の鑑定が済んだところで休憩をもらうことにしよう。

 まったく、呪文に秀でた若い神官であればこの程度の人数の鑑定は一度で済ませられるだろう。大司教グランドビショップの倹約家っぷりにも困ったものだと思いつつ、次の先頭を呼ぶ。

 待っていたのは、薄汚れた旅装束を身にまとい、小さな荷物を背負った老人だった。杖を片手に、そしてもう片手にはこの町で購入したとおぼしき美しく汚れ一つ無い聖典リブラムを抱えた老人だった。私の呼びかけに右足を少し引きずるように歩いてくる。杖が床を叩く音が響く。私は急ぐ必要はないことを伝えた。その言葉に老人は笑みを浮かべて感謝の言葉を述べた。

 子供も巣立ち妻にも先立たれたのをきっかけに各地を旅歩いている旅人。そのような印象の老人だった。

 ここまで何度も繰り返してきたように、両手を聖典リブラムに重ねて置いてください、と告げる。老人は両手を空けるために手にしていた聖典リブラムを重たげに横の長椅子に落とした。大きな音と一緒に、本の隙間からボロボロのページの切れ端が糸くずのように舞って床に落ちる。一息ついた老人は杖をその横に立てかけた。

 この一人を終えたら休もう。私は老人が両手を聖典リブラムに重ねるのを忍耐強く待った。

「あなたはこの神殿から何かを持ち去ろうとしていますか」

「我が身、そして外より持ち込みし物を除き、何一つこの身に帯びていないことを誓います」

 老人の言葉に聖典リブラムは穏やかに淡く光り、老人と私を照らした。私は一息つくと老人に立ち去ってもよいと告げた。老人は感謝の言葉を述べてから、長椅子に立てかけてあった杖を取り上げ、聖典リブラムを小脇に抱えた。これでやっと少し休めるか、と体をほぐしたとき、床に目線がいった。そこには先ほどの老人の聖典リブラムから落ちたページの切れ端が落ちていた。

 そしてあることに気づいた。


「待ちなさい」


 自分で思っていたよりも大きく厳しい声が出た。周囲の空気が張り詰める。警備兵に促されて外に出ようとしていた老人が足を止めた。背を向けているのでその表情は見えない。私は身振りだけで、警備兵に扉を固めるよう命じつつ、老人へと言葉を続ける。

「そのままでよいです。真偽鑑定の儀ファクタフィクションをおこないます」

 振り向いた老人は柔和な笑みを浮かべていた。しかしどこか焦りの色を感じるのは私の抱いている疑いのせいだろうか。

「別によろしいですよ」

 老人は長椅子に向かって歩き、杖と聖典リブラムをそこに下ろそうとする。

「そのままでと言いました。手のものはお持ちになられたままでよろしい」

 老人の動きが止まった。

「しかしそれでは両手が空きません。聖典リブラムに誓いを立てられません」

「あれは形式に過ぎません。そのままで問題ありません」

 明らかに老人には動揺が見られた。

「何をおっしゃいますか。聖典リブラムを介さぬ創造神への誓いなど何の意味がありましょう。まさか神に仕えるお方からそのようなお言葉が出ようとは思いませんでした。まさか形式などとおっしゃるとは」

 怒りを見せる老人に対し、私は逆に落ち着きを取り戻していた。どうやら私の考えは間違っていなかったようだ。

「それではこう申しましょうか。その聖典リブラムをあらためさせていただけますか、と」

 ひやりとするほどの涼しい室内にも関わらず、老人の蒼白となった顔の額から頬へと汗が伝った。その目は見開かれ、まっすぐ私を見据えていた。


 抵抗するかと思いきや、老人は大人しく聖典リブラムを長椅子に置き、力なく少し離れた位置に腰を下ろした。その姿はさっきまでより一回り小さくなったように見えた。そして、警備兵、神殿の関係者、そして列に並んでいた残りの人々が注目する中、私はゆっくりと老人の聖典リブラムを開いた。

 静寂の中で、その場の人々が息を呑む音だけが耳に届いた。

 開かれた聖典リブラムの中のページは物入れのようにくり抜かれていた。そしてそこには冷たい金属の光沢を見せる漆黒の骨が収められていたのだ。


「なぜ気づかれたのですか」

 できることは全て終えたと判断し、あとを他の者に任せて自室へと引き上げることにした。その途中、付き添いの若い神官が尋ねてきた問いに私は端的に答えた。

聖典リブラムだ」

聖典リブラム?」

「買ったばかりのように汚れ一つなかった。それなのにもかかわらず、まるで使い込んだかのように糸くずのようなページの切れ端が床にこぼれていた。それに気づいたとき、もう一つのおかしい点にも気づけた。聖典リブラムはその見た目に反して重たさはそれほどでもない」

 実際に持ったことある者ならすぐ分かるだろうが、という言葉は心の中にとどめた。

「しかしあの老人が椅子に聖典リブラムを下ろしたとき、まるで重たいものを落としたときのような音があった。これらが合わさったとき、老人の言葉に意味が生まれてくる。あの老人がなんと言ったか、覚えているか?」

 そう、あの老人の誓いの言葉。妙に曲折的な、持って回った言い方は単に年を重ねた者だからなのかと思ったが違った。若いときから人より優れていた記憶力を用いて、老人の言葉を思い起こす。

「こうだ。『我が身、そして外から持ち込んだ物を除いて、』とあの老人は誓ったのだ。つまり仮にあの老人が神殿で盗みを働いていたとしても、その品をあのとき身に着けていなければ、真偽鑑定は抜けられる。ではあのとき老人が何を身に着けていたか……いや、? そういうことだ」

 若い神官は私の言葉に息を呑んだ。


 次の日、私室にやってきた神官から聞いた話では、老人は杖と聖典リブラムを取り上げられただけで放免となったらしい。もっともそれは私の予想どおりではあった。大司教グランドビショップの言い分が聞こえてくるかのようだ。「盗まれたものは見つかりました。これ以上、誰を責める必要があるというのですか。あるべきものがあるべき場所に帰った今、私たちはこの老人も含め、いつもどおりの生活をただ取り戻すべきでしょう」と。

 何も無かった、ということだ。罪人つみびとも盗難という不祥事も無かったことにする。何も無かったのだから、当然、中央への報告もない。あの場に居合わせた者たちは、穢聖遺物フォルンレリックが発見された瞬間を目の当たりにしているが、見つかったという事実が、盗まれたという出来事をおそらくは上塗りするだろう。

 この顛末と結末に、私は別段、怒りも無力感も覚えたりはしなかった。手柄を誇りたかったわけでもないし、ましてやそれを世に広めて欲しかったわけでもない。若い頃、聖典リブラムを抱えて各地を冒険したときの熱量など、すでに冷め切って久しい。このまま近く引退し、いつか近しい者に「ここだけの話だが」と武勇伝として語らせてもらおう。

 そう考えていた。

 数日後、私の部屋の扉が叩かれるまでは。


 部屋に入ってきた若い下位神官の言葉に私は自分の耳を疑った。理解が追いつかず困惑している私に、彼は言いにくそうに同じ言葉を繰り返した。

「あの骨は精巧な偽物でした」

 二の句が継げずにいる私に告げられた神官の次の言葉は、さらに私を驚かせた。

大司教グランドビショップ様は今の骨をそのまま展示し続けるように、と命ぜられました。犯人も本来の穢聖遺物フォルンレリックも、もう探す必要はないと」

 口を開こうとした私を神官が手で制した。その表情は険しく苦し気で、その目は私が何を言おうとしているのかを明らかに分かっていた。

「現状で何か問題があるわけではなく、ことさらに事を荒立てる必要もないというのが大司教グランドビショップのお考えです。何卒ご理解ください」

 それだけ告げると神官は逃げるように去っていった。

 私は全身の力が抜けて動けずにいた。もっとも、心の内を占めていたのは保身にまみれた判断を下した大司教グランドビショップへの怒りではなかった。さらに言えば、偽物の穢聖遺物フォルンレリックを感心したように鑑賞させられる来訪者たちへの憐憫でもなかった。

 私の頭を占めていたのはただ一つの疑問だった。

 あの骨は偽物だった……ではのだ?

 あのとき神殿関係者は真っ先に調べられた。神殿内も当然のように確認された。唯一、強引な取り調べができない来訪者たちがいたが、それは真偽鑑定の儀ファクタフィクションで確認がとれた。いや、とれたはずだ。

 私は深く息を吐くと、目を閉じてあのときの鑑定のやり取りをつぶさに思い出した。一人ずつ細かいところまで思い浮かべる。そしてあの老人の言葉をまた思い出したとき、ある恐ろしい可能性に気がついた。

 私は震える足でなんとか立ち上がり、ゆっくりと部屋を出た。向かった先は、この地の歴史と信教に詳しい神官の部屋で、そこで私は一つの質問を投げかけた。曰く「千年前に征伐されたという邪龍が骨を抜かれたという四肢とは後ろの右足だったのではないか」と。

 唐突な質問に面食らいつつも神官は私の問いに頷いた。そのとおりだと。


 旅支度を終えた私は二度と訪れることはないであろう神殿の私室を見渡した。書斎机の上には置手紙がある。誰かが見つけるだろう。いずれにせよ、今日までにわずかながら残っていた仕事の引継ぎは全て終えてある。読まれても読まれなくとも問題のないものだ。

 私があの老人を探す旅に出る決心を決めたのは、あの老人の言葉の本当の意味に気づいてしまったからだ。あのときの言葉を誰に聞かせるでもなく呟く。

「我が身、そして外より持ち込みし物を除き、何一つこの身に帯びていないことを誓う」

 そう、あのとき、老人は盗み出した品を、その身に帯びていたのだ。嘘偽りの無い、ありのままを述べただけだ。だからこそ真偽鑑定の儀ファクタフィクションはあの老人を、不自由そうに引きずっていたあの老人を潔白と認めた。

 これは他の誰でもない私の不始末だ。だから私がけりをつける。邪竜の復活を阻止する。どうやってかは見つけてから考えればいい。とうに失われていたと思っていた何かが、私の内側に沸々と満ちているのを感じつつ、私は私室を出て扉を閉じた。


 扉の向こうの置手紙にはこうとだけ記してある。

「竜退治に行ってくる」と。

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