生まれた日は違えども 死する時は同年、同月、同日を願う
- ★★★ Excellent!!!
三国志です。
私は呉が一番好きです。
魏も大好きな登場人物を沢山抱えた国です。
「蜀か……」
まず思ったのはそれでした。申し訳ない。
いや! 蜀も魅力的な登場人物はたくさんいるのです。
しかしながら蜀視点となると三国志演義の要素強いのかなーとなると、やはりどうしても呉好きは身構えるのですよ。
割とあれ蜀に手を出す連中は悪人だみたいに書くとこあるので
まあとりあえず見てみるか……でもあんまり他勢力を丁寧に書いてくれない気配がしたら読むのやめればいいよね……とそんな不安と簡単な気持ちで恐る恐る読み始めましたが……
楽しいです! とても楽しい。
劉備やその周辺をあんまりにも唐突に神格化して話すような蜀視点の話は苦手なんですが、こちらの劉備は自分を聖人君子だとも思っていないし、怒りもあるし悲しみもあるし。
以前からあんまり蜀に入り込めない理由の一つになってる【桃園の誓い】のシーンなんですが、何故武勇に優れた関羽と張飛が、その時劉備の「兄弟」になる必要があるのか、ある意味なんの得がある儀式なのか、他の勢力では義兄弟の契りなど交わさずとも他人同士がお互いを想いお互いの為に生きたり出来てるのに何故こいつらにはそんな誓いがわざわざ必要なのか? などと考えてしまう私は、そんなにこの誓いのシーンに感情移入できず、読んでも心に残さず読み飛ばすことが多い部分なのですが、こちらの桃園の誓いはとても素敵でした!
それは家族を失った者同士が、人間としての寂しさをちゃんと口に出して、言葉に出して伝えあっていたからです。
こちらの【桃園の誓い】の根幹には、家族を失った者同士が「だから俺達は家族になろう」という運命などというよりも極めて人間的な感情、寂しさを埋めたい、これからも一緒にずっといて、大きなことを成し遂げられたらうれしい、というそういうものが込められていました。
だから抵抗なく私のような人間の心にも入って来てくれました。
実は私が思うに、蜀や劉備がある種、若干苦手……という人も、いるにはいるのかなあと思っています。人間あまりにも贔屓されている奴を見ると「私だけはあいつを応援してやらんぞ!」などと思うことがあるように、演義系を基にした劉備主役の話には運命や神に劉備が愛され過ぎてるあまり「私が応援しなくてもこいつ平気そうだな」と思わせる一種な人間的なつまらなさがあります。
それを文章としては「劉備は徳の将軍」と力技で書いて来ることがあるので、うーん……別に徳があるのは劉備だけではないと思うが……:などとつい思ってしまうのでしょう。
演義系の話はものすごく劉備を無理に押し付けられたような気持ちになってしまう三国志があります。
こちらの話の描き方にはそういう要素がとても少なくて、もしかしたら私のように三国志は好きだけど演義系、劉備主人公はちょっと……と思ってしまう人こそ、むしろ無理なくその生き様を見守れる劉備さんがいる気がします。
まだ黄巾の時代で、いわゆる魏や呉は出て来ていない状態ですが、今現在書かれているものを見ても、多分こちらの話では「蜀じゃないから」「劉備じゃないから」などという理由で他勢力をいい加減に書いたりただ悪い敵として書いたりしないでいてくれるんじゃないかなというそんな希望が持てます。
今、【桃園の誓い】のシーンを読んだ所です。
私はこのシーンをいいなあと思えたことで、この先も普段あまり見ない劉備主人公の三国志を見て行きたいなという気持ちになれました。
「生まれた日は違えども、死するときは同年、同月、同日を願おうぞ!」
つまりはそういう誓いなのですが、
史実では、
この三人は同じ戦場で死ぬことは出来ませんでした。
ですが、一番最初に関羽が亡くなった時から、その衝撃が生んだ波紋で、張飛と劉備の運命も、狂っていくような気が私は以前からしているので、ある意味関羽が亡くなった時に、張飛と劉備の心の一部も、確かに死んでしまった部分はあるのではないかと思うので、この誓いは案外的外れではないのかなと思ったりします。
共に生き、共に死ぬ。
慣れ親しんで、自分の中に大きな自分なりのイメージすらすでに出来ている三国志ですが、新しい気持ちで、劉備とその兄弟たちの冒険譚として、見守って行きたいと思います!