第18話 魔王軍幹部が動き出すにあたり〜其の四〜

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 エルドは、毎朝のようにディアナに絵本を読んであげている。

 

 その絵本の内容は、大変優しいものだった。

 

 とある国の端っこの方に、毎日仲が良さそうに、楽しそうに生活している貧しい村があった。

 

 そんな村の毎日を見て、羨ましく思った大国の王様は、その村を手に入れて自分も仲間に入れてもらおうとした。

 

 何万円という金や、美女や美男子を用意して村を手に入れようとしても、村人たちは今が幸せだからといって王様の要求を断り続ける。

 

 腹を立てた王様は、その村を数十万を超える兵士で包囲して、武力制圧に乗り出した。

 

 だが、戦力がまったくないと言っていいその村を、陥落させることはできなかった。

 

 なぜなら、幸せに過ごしている村人たちを応援していた神様は、この村人たちを助けるために大雨を降らせたからだ。

 

 降り注ぐ大雨は村の周囲を大洪水にし、兵士たちは戦うどころではなく逃げることしかできなかった。

 

 そう、今この瞬間の出来事を、エルドは大好きな絵本に見立てていた。

 

 ラヴィニアのために一致団結する村人たち。 村人たちを助けるために命をかけたラヴィニアの勇姿。

 

 一人はみんなのために、みんなは一人のために。 理想とする最高の絆を眼の前で紡がれたエルドの心は、煌々と燃えたぎっていた。

 

「ラヴィニアお姉ちゃん、もう安心して」

 

 鬼気迫る表情で両手を掲げていたラヴィニアに、優しい包容をするエルド。

 

 目を見開いたラヴィニアは、エルドの姿を亡くなっていた弟と重ねてしまった。

 

 あの時、もう無理しないでと泣きながら叫んでいた弟の姿を思い出し、そしてほろりと涙をこぼす。

 

「ラン……ドルフ?」

 

「お姉ちゃんが僕達を守ろうとしてくれてるみたいに、僕もお姉ちゃんを守るから」

 

 当時、ラヴィニアは弟のランドルフを守ることができなかった。 自らの力がなかったせいで、ランドルフの心に傷を負わせ、餓死させてしまった。

 

 その事を今でも悔いている。 弟を自分が殺してしまったのではないかと自分を責め続けていた。

 

 だが、今目の前にいるこの子は、あの日のランドルフと同い年くらいの男の子は、そんな自分を守ると、優しい笑顔で伝えてくれた。

 

 そんなはずはないと、眼の前にいるのは別人だということが分かっていながら、ラヴィニアの脳裏にふとよぎる。

 

(ああ、そうか。 あの時、一人で戦わずに、弟と一緒に抗っていればよかったのか)

 

 今頃になって、人生最大の失態を思い出す。 だからこそ、ここでエルドに返す言葉は決まっていた。

 

「エルちゃん! 一緒にこの村を守ろう!」

 

 エルドは、可愛らしい顔でコクリとうなづき、目の前から姿を消した。

 

 死なせてしまった弟はもう戻ってはこない。 だけどもラヴィニアは、亡くなったランドルフの姿をエルドに重ね、心の枷が外れたような開放感に見舞われた。

 

 だから動揺などしない。 眼の前から瞬きする間に消えてしまったエルドを見ても、ラヴィニアは硬い精神力で障壁を維持し続ける。

 

「え、エルド様? 一体何を……」

 

 一方、突然姿を消してしまったエルドに気が付き、ディアナは動揺を隠せない。 しかし、ラヴィニアは困惑しているディアナへ、活き活きとした声で答える。

 

「決まってんでしょ! あの子は、自分の意志でこの村を守ろうとしてるんよ! あたいと一緒に、この村を住みやすい村に変えてくれるんだ!」

 

 ラヴィニアは、エルドの特殊能力の存在を知らない。 なぜなら、ニワトリを連れ帰った日、エルドはディアナとウェインから口を酸っぱく言われていたからだ。

 

『エルドの力は、人前で使ってはいけない』という事を。

 

 だから素直なエルドは、この二週間一度も転移能力を使用していないし、それを使用して面倒事を解決しようだなんて考えなかった。

 

 ラヴィニアの勇姿に、感極まるその瞬間までは。

 

「な、なんだ?」

 

「突然雨が降ってきたぞ?」

 

 ラヴィニアが展開していた障壁に、雨が滴り落ちてくる。 雨程度の衝撃なら、ラヴィニアの障壁は生命力を酷使しない。

 

 無論、障壁が展開されている限り、突然振ってきた雨によって村が濡れることはない。

 

「お、おいおいおいおい!」

 

「これは雨って言うより……」

 

「豪雨が振ってきやがったぞ!」

 

 障壁の外が真っ白に染まるレベルの豪雨が降り注ぐ。 たちまち障壁の外は水位が上昇していき、障壁に攻撃を繰り広げていた魔物たちは上昇した水位によって足をすくわれた。

 

 目を見開く村人たち、何が起きているか分からず、とりあえず障壁を展開し続けるラヴィニア。

 

 ディアナは突然の豪雨の中、毎朝日課のように読み聞かされている絵本の内容を思い出していた。

 

(これはまさか、エルド様が?)

 

 しかし、突然雨が降り注ぐ意味がわからない。 理解ができない。

 

 どんなからくりでこのような怪奇現象が起きているのか。

 

 だが、その理由は直ぐ側に合った。

 

 目に見えて水位が低下していた湖の淵を見て、ディアナはまさかと思い上空へと視線を送る。

 

(湖の水を転移させて、無理やり豪雨を振らせている?)

 

 上空数百メーター地点から戦場を俯瞰するエルドは、無表情のまま湖と村全体が視界に入る場所で浮遊している。

 

 だが、その姿は数秒おきに小刻みに揺れていた。

 

 重力に従い落下する自分を何度も転移させ、空中にとどめているのだ。

 

 そして、空から湖と村全体を俯瞰して、湖の水で魔物の大群を洗い流そうとしている。

 

 さすがの魔物も、水程度で即死はしないだろう。 だが、その水位が上がっていけば上がっていくほど、身動きが取りづらくなる。

 

 呼吸して生きている魔物たちは、鼻や口を塞がれてしまえば呼吸もできなくなる。 水の圧倒的な質量に力負けし、流されてきた他の魔物によってさらなる負荷を受け、立っていることすらできなくなる。

 

 やがて雪崩のように押し流されていく水と魔物に逆らえず、将棋倒しのようにして倒れていく魔物たちは、水に浸され呼吸ができなくなり、やがて生命活動を継続できなくなってしまう。

 

 エルドの転移に寄って瞬く間に水位が上昇し、村を囲っていた障壁を飲み込むほどの大洪水が発生した。

 

 湖の水だけでなく、旧リノイ村跡の側にはラウス川も流れている。 水は腐るほどあるのだ。

 

 そうしてエルドが下した神の裁きは、魔物の軍勢を丸ごとの見込み、地平線のかなたへと押し流していく。

 

 干上がってしまったラウス川と、すっかり水位が低下したシャーレーン湖。

 

 この湖の水は雨を溜め込んでいる淡水だ。 雨さえ降れば湖の水は溜まっていくだろう。

 

 それに、エルドが転移させてきたラウス川の汚水は、魔物とともに遥か彼方へと流れていってしまった。

 

 暫くの間は水不足に悩まされるかもしれないが、生命力を行使して、村人たちが協力し合えば一ヶ月は持つ。

 

 今リノイ村の周辺は乾季を越えて雨季に入ろうとしている。 数日待てば、雨くらい振ってくる。

 

 つまり、魔物の大群を退けるために使用したシャーレーン湖の水は、すぐ元通りになる。

 

 ラヴィニアが障壁を貼り続けていたおかげか、村は洪水の被害を受けずに元の状態を保っていた。

 

 すっかり更地になってしまった村の周囲を、呆然と見回す村人たち。

 

「魔物共が、流されていった」

 

「あんなに大量にいた魔物が、こんなにも簡単に?」

 

「これは軌跡なんかじゃない! ラヴィニアちゃんがいたからこそ、村は救われたんだ!」

 

 魔物がいなくなった事実を改めて確認した村人たちは、次第に色めき立つ。

 

 ラヴィニアはすっかり晴天になってしまった空を見上げ、全身が悲鳴を上げている事も忘れて、清々しい笑顔を浮かべた。

 

「ああ、なんかよくわかんないけど、あたいは間違ってなかったわけね」

 

 それだけ言い残し、ラヴィニアはやりきった表情のまま意識を沈ませた。

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