第8話 リノイ村にて〜其の三〜
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その日の夕食のラインナップを見たディアナは、推測が確信に変わる。
(野菜に含まれる水分を利用した無水料理ばかり。 これでは水が使えないと言っているようなもの。 思えばこの一週間、似たような料理が続いていた)
その日の食卓には野菜内に多くの水分を蓄えているトマトや白菜を使った煮物や鍋ばかりが並んでおり、怪我をしたばかりの際出してもらった黒豆のスープなどは一切ない。 逆に、野菜内にあまり水分を含んでいない芋類はほとんど並んでいなかった。
とは言っても、この断水に近い状況を感じさせずに一週間料理を作り続けていたエルドの母、セルマの料理の腕には頭が上がらない。
ディアナはその日の夕食を、いつも以上に感謝の気持を込めて味わうことにした。
「なんと絶品なトマト鍋なのでしょう! これは、一口頬張っただけでもほっぺが弾け飛んでしまいそうな美味しさです!」
「うふふ、弾け飛んだらマズイんじゃないかしら?」
ディアナのオーバーなリアクションに、苦笑いを浮かべるセルマ。 子持ちには見えないほどに若々しい見た目のセルマは、この村の農業を統括しているエルドの母である。
ほんわかした笑顔は見たものを安心させるほどの優しさを放ち、ゆるく括った栗色の髪を肩にかけ、包容力あふれる体躯をした、ベスト・オブママで賞を獲得しそうなほどの美人妻である。
その見た目に似合わず、農業での知識や判断力はこの村きっての秀才。 天候や周囲の自然環境の変化など、よほどの災難に見舞われない限りは栄養満点の野菜を毎年育て上げることができる。 まさに農業の女神と言っても過言ではないほどの手腕を誇っている。
そんな二人の様子を、深刻そうな顔で覗き見るウェインは、決心をしたように箸をおいた。
「ディアナちゃん、村で出回っている噂を聞いてしまったのかな?」
むせ返りながらも、希少な食料は吐き出さないよう口元を抑えるディアナ。 必死の形相でドラミング……改め、胸を叩いて気管に詰まった食料を流そうとしている。
その様子を横目に、ウェインは申し訳無さそうに眉を下げた。
「ごめんよディアナちゃん。 驚かせるつもりはなかったんだけどね」
そう言って、ウェインは部屋の奥からピッチャーに入れた水を持ってこようとする。 むせているため水を出そうという気遣いだろう。
至って普通の行動だ。
だが、その気遣いは身を切るような思いで行われていることは、村の現状に気がついているディアナは知っている。
むせながらもバッと腕を伸ばし。 希少な水を渡そうとしてくるウェインの動きを止めようとする。
「うをっほん! 心配は御無用でございます、んっんー。 少し器官に入っただけでして、ごほん。 この通り、何事もなければ我が身は健康体でありまする」
「ごめんよ、気を使わせてしまって」
ウェインは肩を落としながらピッチャーをおいた。
なんのことやらよくわからないであろうエルドは、そんなやり取りを気にもとめず、拙い持ち方でスプーンを握り、ひたすらにトマト鍋を堪能している。 もそもそ食べるエルドを横目に、ディアナは困ったようにナプキンを用意したのだが、エルドはムスッとしながらそっぽを向いてしまう。
口の周りが少し汚れてしまっているが、もう五歳になるのだ。 このくらい自分で拭ける、とでも言わんばかりだ。
改めて食事を再開したところで、ウェインは美味しそうに夕食にありついているエルドの横顔へ優しい顔を向け、ゆっくりとうなづいた。
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エルドが寝静まった後、ウェインはディアナを呼び出して、申し訳無さそうな顔で頭を下げた。
「私は、君のことを誤解してしまっていたようだ」
「突然どうなされたのですかウェイン様! なぜ私のような者に頭を下げているのです? どうか頭をお上げください!」
突然謝り始めるウェインをみて、ディアナはあたふたしながら周囲を見回す。
日が落ちたこの村では、明かりを取れるのは炎くらいしか無い。 植物油を固めたろうそくに灯された僅かな明かりの中でも、ディアナの表情があわあわしているのはひと目で分かってしまうほどの慌てぶり。
「君に魔物の発見を伝えなかったのは……また君がエルドを使ってこの問題を解決しようと企むと考えたからなんだ」
そう考えるのは無理もない。 アイザック襲撃の際、ディアナは我が身可愛さにエルドをそそのかした。
その行為が、エルドの将来を血塗られた未来に変える危険があるとも考えずに。
だからこそディアナは、ウェインのこの言葉に対して怒りもしなければ、以前の自分の行いを恥じ、逆に膝をついて深々と頭を下げる。
「私は、そのように考えられてもおかしくない愚鈍な行いをしてしまいました。 ですが、その事を深く恥じ、二度と浅はかな考えのもとエルド様に頼ることはしないと誓っております」
土下座を始めてしまったディアナを見て、ウェインは目を見開いて驚いていた。 ちなみに、折れた足はこの三ヶ月で問題なくくっついているので、今は正座をしても全く持って問題ない。
むしろ、正座してお手本のような土下座をするのはディアナの得意技である。
「言葉で言ったところでなんの信用も得られないと言うことも重々承知でございます。 ですので私は、これからエルド様をお守りする事を誓うと同時に、この件はエルド様の耳に入れないよう最新の注意を払う予定でございますれば。 発見した魔物をエルド様に始末してもらおうなどという愚鈍な考えは持ち合わされていないことも証明してみせましょう」
一切の曇りなき眼で、驚き目を見張っていたウェインの視線に答えるディアナ。
ウェインは泣いた。 このいたいけな少女を疑ってしまっていた自分の愚かさに、エルドを守ると誓ってくれたディアナの優しさに感動して。
「すまない、本当にすまないディアナちゃん」
「なぜあなた様が謝るのでしょう! 私は間違いをおかした、いうなれば大罪人でございますれば、疑われるのは当然の報い。 この大罪は生涯をかけ払拭することこそが、私に課せられた使命なのです」
だからこそ、ディアナは村のために自分が何をできるのかと考え続けた。 そして、考えた末に導き出した答えを、今ここで宣言することにしたのだ。
「私は、エルド様に平穏でのどかな生活を送ってもらうため、これからどう生きていくのかを考えました」
ゆっくりと立ち上がったディアナは、ウェインへ謎の敬礼を送りながら、堂々とした立ち姿で宣言する。
「わたしめは、生まれてこの方十四年間の歳月を、酪農の村バレイジー村で育んでまいりました! 故に、唯一の生き残りであるわたしめにしか、この技術を継承することができません! ともなれば、この大恩あるリノイ村の方々へ報いる方法は、一つしか無いのでしょう!」
大きく息を吸い、決心をさらにさらに固めるディアナ。
ちなみに、ディアナがなぜこんなにも騎士のような言葉遣いや行動をするのか。 それは幼い頃から読んでいた絵本の影響である。
この村に義務教育など無いため、こういった娘に向かって厨二病などと言って馬鹿にする村人はいないが、頭が少しおかしい子だと思われているのはココだけの話である。
まあ、この口調にも流石に慣れてしまっているウェインは、凛々しい顔つきで自らの将来を語る少女を前に、涙で顔を洪水にしながら聞き入ってしまっているわけだが。
「わたしめはこのリノイ村に、牧場を設営いたします! そしてわたしめの牧場を発展させ、この村に酪農のノウハウを伝えていくとここに宣言いたします!」
「素晴らしい! 素晴らしいぞ我が愛娘よ! 君を我が家に迎え入れたことを誇りに思う! わたしも君へ全力の支援をするとここに約束しよう! もう一度言わせてくれ、素晴らしいぞ我が自慢の愛娘、ディアナよ!」
思わず拍手喝采を送ってしまうウェイン。 ちなみに、すでに日は暮れて辺りは真っ暗になっている。
この村には電気がない。 故に暗くなったらみんな寝静まるのが常識である。
何が言いたいかと言うと、夜中に拍手喝采なんか送ってしまったり、大声で宣誓などを行ってしまえば激しくうるさいため、みんな目を覚ましてしまう。
「僕も! 僕もディアナお姉ちゃんのお手伝いするー!」
「ちょっとあなた? うるさいから静かにしなさいな。 エルドが起きちゃったでしょう?」
ウェインとディアナは、顔をしかめているセルマの嫌味を聞いた瞬間、二人並んで仲良く正座をしてしまうのだった。
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