第4話 バレイジー村にて〜其の二〜

 ・

「てぇーへんだてぇーへんだ!」

 

 昼下がり、療養中で暇を持て余していたディアナが、窓越しに雲の数を数えていると、騒々しい騒ぎ声が家の中に入り込んでくるのを聞いた。

 

 訝しみながらものっそりと上半身を起こし、聞き耳を立てるディアナ。

 

「団長、団長はいねえのか?」

 

「あ、キースおじさん」

 

 家の中に入ってきたのはキースという村の自警団員だったらしい。 何事かと緊張の糸を張り巡らせたディアナは、ベットから滑るように降り、折れている足を引きずりながら扉の近くへと向かう。

 

「エルド、パパはどこだ? 自警団団長に緊急の知らせがある!」

 

「うーんとね、パパはみまわり」

 

「見回りってことは、外か?」

 

 扉の隙間から入口の様子を覗き見るディアナは、衝撃の事実に瞳を見開いていた。 エルドの父は、この村の自警団団長というどうでも良さそうだが興味深い事実に。

 

「そんなに騒いでいたら嫌でも聞こえるぞキース。 一体何があったんだ? お前はバレイジー村へ調査に行ってたはずだ」

 

「うぇ、ウェイン団長! ちょうどよかった、てぇへんなんです!」

 

 息を切らしていたキースの背後にヌッと現れた大男。 エルドと同系色の濃青の短い髪、壁のようながっしりした体躯。 革の鎧を纏っている彼の姿は歴戦の剣士を彷彿とさせる。

 

 キースは口早に報告を済ませた。 要点をまとめたわかりやすくも迅速な報告を聞く限り、キースは見た目によらず優秀なのかもしれない。

 

 報告を聞いて一瞬だけ動揺を顔に浮かばせた団長は、すぐさま指示を出す。

 

「キースは他の団員と共に避難所に村人を集めろ。 俺はすぐさまバレイジー村へ向かう」

 

 眉をキリッとさせ、眉間にシワを寄せながら指示を出す団長に従い、キースはすぐさま行動を開始する。

 

 二人の様子を不思議そうな顔で眺めていたエルドに気がついたウェイン団長は、すこし深刻そうな顔をしながら屈んだ。

 

 エルドと視線を合わせ、その小さな頭を優しくなでながら、なにか覚悟を決めた顔でエルドに語りかける。

 

「エルド、パパはこれから悪い人を懲らしめにいかないといけない。 お前の特殊能力はとても危険だ。 もしパパが帰ってこなかったとしても、誰にもその力がバレないようにできると約束できるか?」

 

「パパ、お仕事に行っちゃうの?」

 

「ああ、ちょっと大変な仕事になりそうだ。 だからもしパパが帰ってこなかったとしても、お前はちゃんとママの言うことを聞いていい子にしてるんだぞ? それと、こっそり能力を使っていいから、動けないディアナちゃんを避難所に運ぶ手伝いをしてあげてくれ」

 

 寂しそうに微笑みながら、団長は身を翻して駆け出してしまった。 エルドは玄関の前に立ち尽くしながら、相変わらず小首をかしげたまま棒立ちしている。

 

 その一方、あらかたの事情を聞いたディアナは顔面蒼白させながらベットに這い戻っている。

 

(やっべえ! やっべえよ! 魔王軍の幹部が隣の村に? それってやっべえじゃん!)

 

 毛布を頭から被りながらブルブルと震えだすディアナ。

 

(さっきの団長さんの口ぶり、ぜったい死地に向かう感じだったし。 それだと魔王軍の幹部がこの村に来るのは時間の問題。 どどど、どうしよう! せっかく命を救ってもらったのに!)

 

 魔王軍の幹部、その強さは想像を絶する。 たかが小さな村の自警団団長が相手になるはずがない。

 

 王国の騎士団が数人がかりで一人を足止めするのも関の山だという噂も聞いているし、勇者たちが苦戦し続ける一流の呪法師、それが魔王直属の幹部なのである。

 

 絶望的な報告を盗み聞いたディアナはガクガク震えながら毛布で全身を包み込み、あまりの緊張に胃を痛めてしまっていた。

 

 そんなディアナにあっけらかんとした顔で近づく少年は、なんの躊躇もなく震えるディアナの背中をつつく。

 

「おねえちゃん」

 

「ぎぃいぃぃぃやぁぁぁあぁぁぁぁぁ!」

 

 甲高い悲鳴を上げながら勢いよく振り返るディアナ。 エルドは顔をしかめながら耳を塞いでいた。 エルドは不機嫌になった。

 

「おねえちゃん、うるさい」

 

「誠に申し訳ありませんエルド様」

 

「えーっとね、パパが避難所行けって言ってたから、避難所行こ?」

 

 エルドはさも当然かのようにディアナを避難所に連れて行こうとしている。 そこで、ディアナは一つの可能性を示唆してしまった。

 

(もし、この少年をさっき話しに上がっていた魔王軍の幹部にぶつければ、この村は救われるのではないか?)

 

 ゴクリと喉を鳴らしてエルドを凝視するディアナ。 突然熱視線を浴びせられたエルドは居心地が悪そうである。

 

(そうよ、この子はたぶん、この前難なく魔王を殺してしまったほどのバケモノ。 見た目も子供だし、相手も油断するはず。 だったら、この子をそそのかしてバレイジー村へ向かわせれば、私の命もこの村も救われるはず)

 

 ディアナは自分が助かりたい一心だった。 未だにエルドの存在は計り知れないゆえ、怖さはある。 けれど、命が救われるのならばそれにすがらない手はない。

 

「ちょっとよろしいでしょうかエルド様。 わたくしめにご提案があるのです」 

 

 これは、親の言いつけを馬鹿正直に守っていたエルドが、初めて父の頼みを聞かずに行動を起こそうとする前兆だったのだ。

 

 ・

「ぬるい。 この程度の雑兵しかいない村で、魔王様が消息を絶ったのか?」

 

 アイザックは群青色の髪を掻き上げながら、眼の前で膝をついていた自警団団長を見下していた。

 

 直ぐ側ではすでに意識を失い倒れ伏している自警団員。 だが、膝をついていた団長はその団員の方へ視線すら向けず、ただ自らの死を待っているかのような表情で俯いていた。

 

「おい雑兵、最後のチャンスだ。 魔王様を殺した者の名を言え。 さもなくばそちらの雑魚から殺す」

 

「ふふ、そうか。 バーナードはまだ生きているのか」

 

「お前の返答次第ではすぐに死ぬがな」

 

「勘違いするなよ魔族め、我々自警団は村を守るためなら命を投げ出す覚悟がある。 バーナードだって覚悟を決めてこの場に残り、キースを村へと帰らせたのだ」

 

 アイザックは、俯いたままぽつぽつと語りだす団長をつまらなそうに睨みつけ、小さなため息をついた。

 

「雑魚が何人覚悟を決めたところで、何も変わらん。 ただ死に急ぐだけだ」

 

「甘く見るなよ魔族共、人間を舐めていると、いずれ足元を掬われる!」

 

 焦点の定まっていない虚ろな瞳で、まっすぐに目の前を睨みつける団長。 しかし、彼は視界を奪われているため、アイザックが背後に回り込んでいることに気づいていなかった。

 

「雑魚が調子に乗りおって、身の程をわきまえろ」

 

 アイザックが右腕を振り上げ、勢いよく下ろす。 右手に持っていた黒鞭は弓のようにしなり、一直線に団長の首筋へ振り落とされ——

 

「ぬがぁあぁぁぁぁぁ!」

 

 ——るはずだった。

 

 真っ青な血液が宙を舞い、虚ろな瞳のままあらぬ方向を睨みつける団長の背後に、片膝をつくアイザック。 その表情は険しく、予期せぬ痛みに表情を歪めていた。

 

「いったい、何がおきた?」

 

 意味がわからず困惑の声を上げるアイザック。 背中に感じた痛みに対し、困惑を隠せない。

 

「どうしてパパは、こんなに怪我してるの?」

 

 アイザックは、瓦礫の影からゆっくりと歩み寄ってくる小さな影に気がつく。

 

「何者だ?」

 

「その声は、エルド? 避難所に行けと言っただろう! どうして来てしまったんだ!」

 

 声の方向へ視線を向けながら、焦り混じりの声を上げる団長。 その姿を見たエルドは、一瞬驚いたように目を見開いた。

 

「パパ、どこを見てるの?」

 

「エルド、逃げなさい! こいつは只者ではない!」

 

「黙れ雑兵風情が!」

 

 アイザックは再度鞭を振るう。 迷いなく振るわれた鞭は、その時確実に団長の首筋へ吸い込まれていった、のだが。

 

「うがぁあぁぁぁぁぁ! なぜだ! なぜ私が傷を負っている!」

 

 またしても真っ青な血が地面を濡らす。 アイザックは焦燥感をあらわにしながら、傷を負った自らの背中と脇腹へ視線を送り、困惑する。

 

「なんだ? なんなんだいったい!」

 

 唾を飛ばしながら、ゆっくりと死のカウントダウンを告げるように歩み寄るエルドへ、畏怖の眼差しを向けるアイザック。

 

「お兄さん、あなたは悪い人?」

 

「何者だ貴様! 貴様が魔王様を討ち取った化け物か! ならばここで——」

 

 ——ここで始末するまでだ。 本当はそう言いたかったのだろう。 だが、その言葉が紡がれることはなかった。

 

 なぜなら、アイザックが鞭を握っていた右腕が、消失していたのだ。

 

「へ?」

 

「お兄さんが、パパとバーナードおじさんをいじめたの?」

 

 常に無表情のはずのエルドが、目を見開いて真っ直ぐにアイザックを凝視している。 いつもより大きく見開かれた瞳で直視されているだけにも関わらず、アイザックは本能的に身に迫る危機を感じ取った。

 

 絶望的な、死の予兆を。

 

「待て小僧、話をしないか? 私が悪かった、だから命だけは……」

 

「お兄さんはさっき、僕からパパを奪おうとしてた」

 

 エルドはやがて、腰を抜かしてしまったアイザックを見下ろしながらつぶやいた。 睨まれたアイザックは、ヘビに睨まれたカエルのように、うめき声を絞り出している。

 

「そんな悪い人が、なんで仲直りできると思ったの?」

 

 その一言の直後、アイザックは音もなくパタリと倒れた。

 

 真っ青な血液が充満していく大地の上に転がった彼の死体は、右腕と頭部が消失していた。

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