第2話 ホントに異世界行けたなら

 見た目に反して、高藤たかふじはさほど酒には強くない。もうだいぶ酔いが回っていた。

 勢いついて語気を強める高藤に、山ノ井やまのいは少々気圧けおされながらもどうにか応えた。


「えっと……違うって、何がですか?」

「ビジュアルの方向性、キャラクターの造形や背景の描き方、リアリティラインの置き方……何もかもまったく違うじゃないか」

「あ~……それは、劇中劇のビジュアルと劇中のビジュアルは本来違うはずだからって話でしょうか?」

 知らぬ間に山ノ井の言葉遣いは、宴席向けから仕事のそれへと切り替わっていた。

 そうだ――と、高藤は深く頷く。

「実写ドラマでアニメ絵の世界へ転移するのを想定すると、理解しやすいかもな」


 ん-なんかややこしいな――と呟く山ノ井の横で、ロックグラスを干しながら話を聞いていた瑠々夢るるむが、おもむろにカバンを開けた。

 A4サイズのスケッチブックと細字の顔料ボールペンを取り出し、ぱらぱらとページをめくる。垣間見えるペン画の数々は、すべて技巧を尽くしたスケッチばかりだ。消しゴムの跡はもとより、描き損じそのものが見当たらない。

 瑠々夢は無地のページを開くと、ボールペンですらすらと迷いなく、アニメ絵の全身像を何人か描き始めた。

 あまりに巧みな筆致に、高藤は江口えぐちが運んできた唐揚げの皿を受け取るわずかなあいだでさえ、描き進むスケッチから視線が外れるのを惜しんだほどだった。

 瑠々夢の手元から目が離せなくて、山ノ井は危うくホッケの開きを皿から滑り落としそうになった。そうでなくても、江口相手にうっかりする山ノ井であったのだが。


 スケッチの中央は、二人分の人型が白く空いたままだった。そこへ最後にシンプルだが写実的な人物を二人描き入れると、瑠々夢はキャップを閉じた。

 アニメキャラに囲まれた写実の人物は、高藤と山ノ井にそっくりだ。


「たとえば、こんな感じです?」

 二人に向けられたスケッチを見て、男たちは感嘆のため息を深く漏らした。

「おお、そうそうそんな感じ」

姫崎ひめざきさん、あいかわらずうまいっすねえ」

「ま……プロなんで」

 瑠々夢の絵に山ノ井はすっかり納得してしまったらしい。高藤の前で居住まいを正すと、白旗を振った。

「アニメの世界に、超絶リアル造形のキャラクターが、といるわけですもんね、そりゃヘンですね」

「そうだろう、そうだろう」と、高藤は我が意を得たりと腕を組み首を縦に振る。

「ところがユーザーはだ、すべてアニメ調だからか疑問もなく受け入れてしまう」

 すっと目を細めた高藤が、鋭く山ノ井に問うた。

「お前なら、これをどう解決する?」

 プランナーとしての資質を試すような突然の言葉に、山ノ井はどうにかひとつ思い付きをひりだして応戦した。

「えーっと、憑依とか精神交換なら、いけるんじゃないですかね?」

 上目遣いに放たれた山ノ井のジャブを、高藤はあっさりと宙で払いのけた。

「俺はかえって危ないと思うぞ。自分の姿かたちまでアニメキャラになるのは、さらにショックが大きいだろう」

 ショックが大きいのは、どうやら山ノ井も同じらしい。

「ああー、そう……すかねえ……」

 弱気な態度をみせる後輩に、業界の中年先輩はがっかりしたように言葉を被せた。

「お前なあ、チーフプランナーだろ? 納得のいく設定を俺に語ってみせろよ」

「…………」

 腕組みをして山ノ井は眉間に皴を刻みながら押し黙って――注文タブレットを手に取った。飲み物を探す指先は重い。

 こんなときにありがちな沈黙が、個室のテーブルを覆っていた。

 企画会議でドン詰まったときにおきる、面倒で無駄なひととき――。

 ところがこの重たい空気を、姫崎瑠々夢ひめざきるるむの放った意外な言葉が、破った。


「ならいっそ、してみます?」

 別の沈黙が、二人の男と一人の女の間を支配した。

 妙に真に迫った瑠々夢の物言いは、まるで「二名様ご案内です」とでも接客する飲食店の店員みたいな、ごく自然な説得力を孕んでいたのだ。

 なに言ってんだこいつ――と否定する当たり前の理性が、男二人を後押しした。

「は? なんかそういうテーマパーク、どっかにできたニュースあったっけ?」

「いやいやいや……姫崎さん〝経験〟って、酔ってんすか」

 高藤と山ノ井は同時に言葉が絡むのも構わず、瑠々夢の提案を投げて返した。


 いつの間にやら、瑠々夢は焼酎のロックグラスを五杯空けていた。

 にもかかわらず、その白い肌はひとつも上気せず、白磁のようなままだった。

 酔ってはいない。眼差しも正気だ。

 うっすら微笑む口元は、いつもながらの妖艶な姫崎瑠々夢のまま――。

「言葉通りですよ」と、高藤と山ノ井に向かって、にっこり微笑んだ。


 呆気にとられるおじさんたちの前で振り返ると、瑠々夢は空のグラスをフロアの奥に立つ江口に掲げてみせた。オーダーに応じたのか、江口は店の奥へと消えた。

 だが、行き先が厨房でもパントリーでも従業員休憩室でもない、壁に現れた隠し扉であったと、高藤と山ノ井が気づいたかどうか……。


 ブウゥーン――と低い、なにやら重機の始動を思わせる重たい音が、個室のテーブルの下から鳴った。

「なんだ? 地震か??」と、高藤が一瞬慌てたのが、最後だった。

 辺りの光景から、一切の色彩が抜けた。

 モノクロームの空間で動いている者は、高藤・山ノ井・瑠々夢の三人だけ――店内のどこを見渡しても、石の彫像のように動かなくなった従業員や客がいるばかり。

 客が粗相でひっくり返した料理と酒が、宙に舞ったまま静止していた。


 時が止ったかのような光景――。

「お、おい、冗談だよね、姫崎さ……!?」

 山ノ井の言葉は、テーブルに出現した金色の円形紋様によって遮られた。

「こ、これっておい、魔法陣……いや、招喚術式なのか……っ!?」

 意外と冷静な高藤の言葉が、テーブルに残された最後の言葉となった。

 幾重かの同心円と、隙間を埋めるように描かれた奇妙な文字か紋様――その形から天井に向ってまばゆい光が放たれた。次第に強くなる光の帯が、高藤と山ノ井の姿を包んで――やがて、消えた。


 色と喧噪が蘇ったテーブルに残ったのは、空の座席が二つと姫崎瑠々夢ただ一人。

 焼酎を満たした新しいロックグラスを片手に、妖しく笑んで掲げる空いた片手の指先には、小指から人差し指へと波打つように器用なウェイブが作られていた。

「いってらっしゃーい」

 独り乾杯するように、瑠々夢は手にしたグラスをそっと揺らした。

 いつの間にか店内へ戻った江口も、担当卓へ目配せしながら手を振るのだった。

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