6-2
そんなことがあった日だから、結衣気にしすぎかもしれないが、ミサンガがある方の袖をきゅっと下げて終礼までやり過ごした。
またあの二人はミサンガの話を、他の友だちに話しているかもしれない。なんて妄想して、結衣は体が縮こまった。無論彼女らとは直接話したことがないし、自分が噂の種になるほど面白い材料じゃ無いのは分かっていたが、意識してしまう自分自体が無性に恥ずかしかった。
結衣も今更その程度の噂を怖がってミサンガを外すわけにはいかない。そんなこと、ものは試しにで出来る所業じゃないのだ。もしあの痣が再び結衣の腕に広がったら、今度こそ死んでしまいそうだし、これは祖母やクララが駆けた一種の呪いのようなものかと結衣は思った。
「大丈夫だよ。傷は塞がってるし、もう痛くないから」
結衣は頭を垂れるクララに一度ふり返り、笑って見せた。
最近ようやく結衣も認めだしたことではあるが、クララはこう、変なところで優しい。実際護られたのかもしれないことはいくつも心当たりがある。こんな気落ちした素振りを見せたら、本当にまた家まで着いてきそうな勢いだった。
結衣が白い手のひらを振ると、下駄箱の前で止まったクララはじっと見送っていた。もぞもぞと長い手を差しだし、彼がやっとバイバイを返す頃には、結衣はもう駅へと去っていた。
クララの足は、のそりとまた教室の方へ上り始める。
一方一年のフロアでは、掃除用具を片付けている女子が最後列のクラスメイトと話し込んでいた。
「へえ、じゃあそのお葬式は水飼くんが司会したんだ!」
「司会じゃなくて、神主だけどね」
「あ、そっか。ならその……一通り終わった後のネコちゃんは?」
「近くにペット用の埋葬所があったから、そっちにお棺は埋めたよ」
「はあ、へえ~…」
終礼が終わってしばらく教室に残っている水飼の周りで、当番だったミサはぐるぐる後ろの机を囲っていた。彼の気を引きたいのは確かなようだが、いざとなると会話が続かないタイプの典型だ。
「え……っあ、そうだ。水飼くんっていつも本読んでるよね、それってどういう系なの?」
ミサは少し慌てた様子で水飼が今も流し読んでいる文庫本を指す。後ろ扉から覗いた彼女の友だちは、ひたすら次の話題はあーだこーだとか、口パクでミサに指示を出している。
「普通だよ。書店で推されたぶんとか」
水飼はおもむろに鞄を持って立ち上がった。
「何か読みたいジャンルがあれば、また紹介するよ」
彼は振り向くと、後ろで様子を窺っていたミサの友人たちがやばいと一斉に引っ込む。
雛を見守る兄鳥たちのようだ。と思いながら、屈託なく手をふるミサに背を向け、水飼は教室を出る。
下足は教室の棟を真っ直ぐ下りた所にあった。だが水飼はその階段を通り過ぎ、講義室を折れた。長い廊下にはそれぞれの部屋が持つ独特の臭いが混ざって、端の踊り場が見える頃にはシンナー臭がきつくなった。
窓辺にはアカマツのとげとげしい葉の下で、こっくりとした桃色の山茶花が根元に色づいていた。
「ちょうど読書の秋だ。この期に一冊、読んでみるかい?」
水飼は薄べたなトートバッグを揺らしながらシンナー臭い美術室を通り過ぎる。
「ああ、そもそも文字が読めるかが問題か」と、彼は急にぶしつけなことを呟き、口の端に笑みが滲んだ。
「聞いてる?君に話しかけたんだ」
廊下にあった二つのゴム底の音が消えた。
部活に急ぐミサたちは、対岸の廊下から下足へ直下の階段を音高く鳴らして下りる。彼女の友人はいたく上機嫌なミサに呆れながら、ひとり美術室側の渡り廊下を見て水飼に気づいた。が、挨拶する間柄でもないし、彼女は視線を外す。
水飼の
とりもなおさず自分は、あんな人気のない廊下でひとり佇んでいるような奴、論外だと階段を段飛ばしで強く蹴った。
廊下の反対側で声の反響が遠ざかり水飼は晴れやかに首を傾けた。
「今から少し、一緒に歩こうか」
傍からは一人に見えるらしいその空間に、水飼は手を差し出した。いつの間にか彼のそばでは、クララが美術室の前にその高い身丈を丸め立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます