第2話 まる

2-1

何度となくかざしても、結衣の手首には新しいミサンガが巻いてあった。あれは夢でも幻覚でもないのだと思うと、痛みに身構えた自分の体に結衣は不思議と納得がいった。


登校には、いつも朝礼が始まる五分前、教室に間に合う最終電車を使っていた。昨日の今日で目が冴えてしまった結衣は目をこすった。昨夜は、暗いのが怖いくせなかなか眠りにつけず、冷え込んでトイレに行きたくなってもあの廊下を渡ると思うと途端あの死臭を彷彿としてしまい、騙し騙し寝返りを打って我慢した。それでようやくまどろんだと思った時には、もう空が明るみだしてしまっていたのだ。


結衣は欠伸を噛みしめた。だが戸を引いた直後、そんな眠気も吹き飛んでしまった結衣は教室の後ろでまったく動けなくなった。


クラスの一角に、あの黒いのが座っていたからだ。


黒いのというか、今はもうあのコートを着ていない紙袋覆面は、あろうことか結衣の隣の席にいた。恰好はここの高校の男子生徒と同じ制服を着ていて、頭には相変わらず、パン屋でもらうような紙袋を被っている。


頭の紙面が廊下側の結衣に向くや、彼は結衣に気づき控えめに手をふった。昨日コートの袖に隠れていた手首には、高校生になりきったつもりか結衣と同じようにミサンガがあった。公園で拾ったあの糸の残りで、自分でも結んだのだろうか。到底普通の高校生にはほど遠いが、なんというか紙袋は芸が細かかった。


だが結衣はその姿を見た瞬間、またあの嫌な感じが駆けめぐった。そもそも、一度通り過ぎたああいうのと再開するのは今までなかったことだ。しかもあの紙袋の男は、確実に結衣を認識していた。


結衣は逃げ出したい気分だった。だが廊下の前から、担任が恰幅の酔い図体を揺らして「まだ入ってないのか。早く席につけ」と大きな声で教室を指すので、結衣は本当のことを答えられなかった。結衣の体は教室へと押し込められ、半ば無理くり紙袋男の隣に着いた。結衣は、椅子の半分にも乗り切らない恰好で着席した。


それが彼ら人ならざるもののほんの気まぐれだったなら、結衣も救われただろう。しかし彼は、以来結衣の生活に混じり込むようになった。


彼はいつも息を詰めて通り過ぎる彼らとは確実に違った。毎日現れるどころか、制服を着てからというもの彼は、結衣が登校する頃にはもう彼女の隣の席に着いていた。六かける七に並ぶ座席の内、紙袋頭がいる席は窓寄りの列で、特別その列だけが後ろに出っ張っている、という違和感もなかった。

結衣は記憶をたぐり寄せたが、よほど影が薄かったのか元々座っていたクラスメイトが名前すら思い出せなかった。


クラスの皆は、一同彼にまったく触れず過ごしていた。例えば休み時間中、誰かがふと彼の椅子にぶつかると、彼はおもむろにその背を引いて当たらないようにしていた。どうにも頭がでかくて授業では当人が肩身狭そうに板書を取っている。それでも本当に見えたなら邪魔になったろうその姿はしかし、誰が話に触れることも無い。やはり彼は、結衣以外のクラスメイトには見えてないらしい。


だが、どういう訳か授業や終礼に配られるプリントは毎回きっちり彼の分まで回っていた。プリントを机上に用意すると、彼はときどき手持ちのシャーペンでメモを取り出したり、いきなり手を止めぼーっとしたりしていた。一方で回収することになると、彼のプリントは絶対集められずひっそりとその手で机の下に仕舞われてしまう。そうして彼の机の中は、まるで不登校の生徒みたいになっていった。


だがいくら教室に溶け込もうとも、見えてしまう結衣にとったらその紙袋頭の存在は異質極まりなかった。彼らは今まで会っても一度きりなものだったから、こういう場合どうすればいいか結衣は五里霧中だった。

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